第099話:ヴェレージャの決意

 扉の前に立っていたのはヴェレージャだった。彼女の魔力を見間違うわけがない。


 このような夜更よふけに何用かと思いつつ、取り急ぎ中に入るように促す。ヴェレージャは、ただ首を横に振るだけだ。


「ラナージットの具合はいかがですか」

「ああ、急速に回復に向かっているようだ。わずかばかりでも話ができるようになった。正直、俺にはラナージットの身に何が起こったのか、よく分からない」


 ヴェレージャは確認したかっただけだ。先日、レスティー、ディリニッツと共にここに忍び込み、ラナージットと対面している。


 それにしても、もう話ができるところまで回復してきているとは、ヴェレージャにとっても嬉しい驚きだった。彼女の中の精霊が次第に力を取り戻しつつあるのだろう。


(よかったわね、ラナージット。もしかして、レスティー様が何かなされたのかしら)


 思案にふけるヴェレージャに、パレデュカルが礼を述べる。


「ヴェレージャ、心配してくれて有り難う。お前には何の義理もないだろうに」

「礼には及びません。前にも言いましたが、ラナージットを見ていると不思議と妹を思い出すのです」


 しばしの沈黙が流れる。先にしびれを切らせたのはパレデュカルだ。


「このような時間に女一人、不用心ぶようじんだな。まあ、お前を相手にできる奴など滅多めったにいないだろうが。急用があって訪れたのだろう」


 冗談交じりに言葉を発するも、なぜかヴェレージャを前にすると調子が狂う。


「貴男に確かめたいことがあります。ラナージットには、聞かせたくはありません」


 ヴェレージャは背を向けると、一人小屋から離れていく。当然、パレデュカルもついてくるという前提に立っている。


 パレデュカルは後ろ手に静かに扉を閉めると、ヴェレージャの背を追って歩き出した。少し離れた位置で振り返ったヴェレージャが単刀直入に尋ねてくる。


「パレデュカル、いったい何を隠しているのですか。そして、陛下に何を吹き込みましたか」


 ラナージットを心配する顔とは打って変わって、真剣そのものだ。確固たる意志が感じられる。パレデュカルも誤魔化しきれないと悟った。


「それを聞いてどうする。お前には関係ないだろう」


 ヴェレージャの目尻が上がった。美しい顔に凄味すごみが増していく。


「私を誰だと思っているのです。イプセミッシュ陛下の剣と盾たる十二将序列三位ヴェレージャが私です。返答次第では、貴男を敵とみなし、この手でたねばなりません。答えなさい、パレデュカル」


 ヴェレージャは戦いを覚悟して、ここに来ているのだ。やるからには彼女なりの勝算がある。


「古い話だ。かれこれ三百余年前になる。俺の大切な姉サリエシェルナが誘拐された。それも、シュリシェヒリの里からな」


 パレデュカルの話がなおも続く。二人は対峙たいじしたまま、一歩も動かない。説明は大詰めを迎えようとしていた。


「俺はかつての師でもあり、敵でもあるジリニエイユと手を組んだ。今となってみれば、なぜそのような愚かな真似をしでかしたのか。理解に苦しむが、その時は俺も必死だった。わらにもすがりたい。そこに現れたのが奴だった」


 既にジリニエイユは変わり果ててしまっている。彼の目的は、当初の古代エルフの王国復活から、今や魔霊鬼ペリノデュエズ、しかも最上位キルゲテュール復活にすり替わっているのだ。


「俺は奴の術中じゅっちゅう、抜け出せないところまで来てしまった。結果として、イプセミッシュさえも罠にかけ、お前たちをも死地に追いやろうとしている」


 空に輝く三連月は、何を思っただろうか。えた光はいかにも冷たく、パレデュカルを突き放しているかのようにも感じられる。


「貴男の境遇に思いをせるに、同情などという言葉を軽々しく使うべきではないでしょう。私の想像をはるかに超えています。そのうえで、あえて言いましょう。貴男の取った行動は、明らかに間違いです」


 ヴェレージャは、迷わず断言する。


 パレデュカルはシュリシェヒリの里の出身だ。そして、目を有する者でもある。その彼が、あろうことか魔霊鬼ペリノデュエズの力にすがってしまったのだ。


 それはすなわちシュリシェヒリの使命を放棄したも同然だ。しかもジリニエイユと手を組んだことで、よりによって最高位キルゲテュールの復活に手を貸している。ヴェレージャにとって絶対に許せない行為だった。


「貴男は主物質界そのものを滅ぼすつもりなのですか。もはや、弁解の余地なしです。貴男とは分かり合えると思っていました。残念です。ここで止めます」


 ヴェレージャがただちに詠唱に入った。うたうは精霊語だ。


"Rividdare grehenom hyumllen

Tae-moit minreost niand friedjn destovra inmwen

Bliskapas bjlad soinm skurris gehnom apllit

Pochif rvadrra dinafie ederur hykiredam."


☆☆☆☆☆詠唱翻訳☆☆☆☆☆

空、駆けよ

我が声を受けし、大いなる風の精霊たちよ

全てを切り裂く鋭刃と化して

我が敵を塵と帰せ

☆☆☆☆☆詠唱翻訳☆☆☆☆☆


「待て、ヴェレージャ。俺にはお前と戦う意思はない。何より、お前を傷つけたくはないのだ」


 ヴェレージャを制止しようと、パレデュカルが声を張り上げる。


 一度ひとたび詠唱に入ったが最後、魔術を解き放つまで術者は完全集中状態だ。パレデュカルの声は、もはやヴェレージャに届かない。


「やるしかないのか。同系統魔術をぶつけて相殺そうさいするか。結界で防ぐか。迷っている暇はない」


 説得はあきらめざるを得ない。パレデュカルは迎え撃つ態勢に入る。


 既にヴェレージャの詠唱は成就じょうじゅ間近だ。速やかな決断、結界展開を選択する。


「アクセ・レーエ・フィリ・アレド

 シェレ・トゥム・ヴィジーリィ・ダ=ウゼン

 大地をつかさどりし厚き土の力よ

 我が前に立ちはだかりてまもりたまえ」


 精霊魔術は高難度ゆえ、どうしても詠唱に時を要する。遅れて詠唱に入ったパレデュカルとヴェレージャの詠唱成就は、ほぼ同時だった。


 二人の魔術が解き放たれる。


斬切風彩舞絶刃スティヴァスラドリ

土塊耐剛壁陣ダ=ジードゥラ


 ヴェレージャの足元から急速に竜巻が立ち上がり、回転力を増しながら、無数のやいばを次々と放つ。


 パレデュカルは結界を選んで正解だった。


 竜巻は縦横無尽に動きながら、四方八方より風の刃を間断なく放ってきている。この竜巻を完璧に制圧するには、ヴェレージャを上回る魔術を用いるしかない。より高難度の精霊魔術をだ。


 そのために必要な時間は、パレデュカルにはなかった。防御に回ったパレデュカルの魔術が発動、半円を描くようにして分厚ぶあつい土壁がそびえ立つ。


「その程度の土壁結界で、私の風の刃が遮断できるとでも」


 鋭利な風刃ふうじんが土壁を軽々とけずっていく。分厚くとも、土でしかない。いずれ削りに削られた挙げ句、穴が開くだろう。


 さらに勢いを増した風刃が、間断なく襲いかかる。


「ヴェレージャ、甘いぞ。いくらお前の精霊魔術が強かろうと、ここはエルフの里ではない。ましてや、俺の結界はこの地の特性を最大限に活かしたものだ」


 土壁の特性、それは大地に根ざした結界だということだ。よほどの天変地異でもなければ、大地が消え失せることはない。土壁がいくら破壊されようとも、半永久的に大地より土が補充されていくのだ。


 風刃を受けて削り取られた箇所かしょに、次々と土が覆いかぶさり、もとの分厚さを取り戻していく。


 ヴェレージャもそれを理解しているのか、攻撃方法をすぐさま変更する。精霊魔術の特性を利用する。術者は精霊と呼応することで、魔術に応用を与えることができるのだ。


「それは私にも言えるのよ。パレデュカル、私の精霊魔術をあなどらないでもらいたいわ。いくわよ」


 ヴェレージャは発動している魔術に対して、さらに精霊語を付与した。


"Fiorstadring"


 荒々しく放たれていた全ての風刃を収束させ、竜巻が本来持つべき威力を取り戻す。


 新たな発動の時が訪れる。


「受けなさい。これが真の威力よ」


 ヴェレージャは、かかげた右腕を一気に振り下ろした。


竜奏舞踊風襲斬テレピエンティエ


 すさまじい回転力をともなった竜巻が、パレデュカルをいとも簡単に飲み込んでいった。

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