第100話:思いがけない行動

 巨大な竜巻はパレデュカルが展開する土壁の結界ごと丸飲みにしている。竜巻内で身動きの取れないパレデュカルは、まさに絶体絶命だ。


 竜巻は、今や一つどころとどまり、ヴェレージャの次の合図を待っている。


 自然発生する竜巻なら、およそ数メレビルで消滅する。精霊魔術によって生み出されたそれは、術者の魔力が尽きるか、精霊の制御を手放すまで、その威力を維持し続ける。


「パレデュカル、敗北を認め、私に拘束されなさい。さもなくば、その竜巻内で窒息死しますよ。今は手加減していますが、制御を強めればほぼ無酸素状態にもできるのですよ」


 自然発生する超巨大竜巻の内部は、およそ高度八キルク相当の酸素しかない。並みの人なら、取り込まれた時点で酸欠、意識を失う。すぐにでも酸素吸入を行わなければ、死にさえ直結する。


 そのような危険な状況を、精霊魔術は極小竜巻で可能とする。さらに、ヴェレージャが警告したとおり、精霊を制御すれば限りなく真空に近づけて酸素を奪うこともできるのだ。


「私に貴男を殺させるつもりですか。早く敗北宣言しなさい」


 ヴェレージャの声は確実にパレデュカルに届いている。魔術行使によって、彼の脳内にも伝達しているからだ。彼の置かれている状態も、精霊を通じて把握していた。


 辛うじて立っているが、ふらつきが止まらない。パレデュカルが意識を失うのも時間の問題だろう。


(まずいな。このままだと手遅れになる。ヴェレージャがここまでやるとは予想外だ。ならば、俺も覚悟を決めるしかない)


"Sooge seek ioik ara-era

Turlgepim eddius suigavustet,

Truhjus himngdesti

Hovrigua mirdamo suljue pyakrunm,

Parandage oma valu."


☆☆☆☆☆詠唱翻訳☆☆☆☆☆

全てを喰らい尽くせ

暗き闇の底より来たれ

虚無きょむまなこ

汝に棒げしにえをもちて

その痛みここに癒したまえ

☆☆☆☆☆詠唱翻訳☆☆☆☆☆


 パレデュカルは、力が入らなくなっている右の手のひらをわずかにかかげる。


虚潜空眼無尽球マグヴ=スファーラ


 空間をねじ切るように出現した小球、漆黒に塗りこめられたそれは顕著な特徴が一つだけあった。小球中央に一つの眼があるのだ。


 閉じていた眼が、大きく見開かれる。


「ヴェレージャ、今すぐ精霊を解放しろ。こいつは魔力を持つあらゆるものを食らい尽くす。精霊は傷つけたくない」


 言葉どおり、竜巻の威力が徐々に減衰していっている。その要因がパレデュカルの手のひらの上に浮かぶ黒小球だということも、即座に理解した。


 目が開かれた瞬間から、周囲のあらゆる魔力を吸い込み始めている。


「何をしたの。まさか異界からの召喚」


 ヴェレージャは、慌てて精霊の解放のために言霊ことだまつむぐ。それはすなわち竜巻の消滅を意味する。


"Berfyellser."


 即座に発動、竜巻が内部より弾け、風が渦巻きながら四方八方にける。


 これで終わったわけではない。ヴェレージャはパレデュカルの頭上に目線を向けた。


 そこには、彼女の目論見どおりのものが消えずに残されている。すなわち竜巻がもたらした積乱雲だ。


 竜巻は激しい上昇気流、同時に下降気流も発生している。ヴェレージャはそれを魔術隠蔽いんぺいしていた。


「食らえるものなら、食らってみなさい」


 左手を素早くかかげ、振り下ろす。精霊魔術の裏で用意していた、もう一つの魔術、それを発動させる。


風塵葬流烈舞レヴェクィエント


 はるか上空より風塊ふうかいが一気に駆け下りる。風のやいばではない。文字どおり風のかたまり、それも身体を軽々と穿うがっていく風塊弾ふうかいだんだ。


 パレデュカルめがけ、容赦なく降り注ぐ。


「甘いな」


 風塊弾が直撃すると思われたその瞬間、強引に軌道を変えられた。精霊でなくとも、魔力を帯びた風ならば黒小球の獲物えものだ。見開いたままの眼に強引に吸い寄せられていく。


「通用しませんか。ですが、そういうことですか」


 ヴェレージャの目は、浮かび上がる黒小球に生じたわずかの異変を見逃さなかった。


「魔力を持つあらゆるものを食らう。恐ろしい異界の化け物ですね。それも主物質界では限界があるようです。眼の色が赤銅しゃくどうに変じています。赤銅に染まりきった時、どうなるのでしょうね」


 ヴェレージャは攻撃の手を一切ゆるめず、風塊弾を注ぎ続ける。


 ヴェレージャの魔力が尽きるのが先か、黒小球の眼が赤銅に染まるのが先か、まもなく勝敗が決する。


(きついですね。ここまで魔力を使うことになるとは思いませんでした。さすがはパレデュカルです)


 風塊弾の威力が少しずつ弱まっている。同じく、黒小球の眼もほぼ全面に赤銅色が広がっている。


(十二将最強の魔術師だけはあるな。精霊魔術の裏で、ここまで高度な魔術を隠し持っていたとは恐れ入る。黒小球もまもなく限界を迎えるだろう。同時にヴェレージャの魔力も尽きる)


 僅かに残ったとしても、パレデュカルにはしのぎきれるだけの余力を残している。何ら問題はない。勝利は目前だ。


 ヴェレージャは魔力が尽きる寸前、信じられない光景を目にした。風塊弾の制御に集中するあまり、一瞬の判断に遅れが生じてしまった。


「駄目よ、ラナージット。来てはいけない」


 扉を開けて、ふらつく足を必死に叩きながら、ラナージットが駆け寄ってくるのだ。


 背を向けていたパレデュカルも同様だ。黒小球の制御に精神を集中するあまり、ラナージットの気配に気づけなかった。ヴェレージャの叫び声を聞いて、咄嗟とっさに振り返る。


「来るな、ラナージット。止まるんだ。お前まで巻き込んでしまう」


 ラナージットに意識が向かうあまり、二人の集中力が途切れてしまった。魔術制御が乱れる。結果として、行使中の魔術が暴走を引き起こす。


 風塊弾は規則性を失い、パレデュカルのみならず、ラナージットをも敵とみなして降り注ぐ。


 黒小球も同様だ。眼の向きを不自然なぐらいに移動させながら、風塊弾よりも上質なにえを見つけ出していた。その眼がラナージットをしっかりととらえる。


「パレデュカル、急いでそれを解除しなさい。ラナージットの身体の中には」

「言われなくてもやっている。だが、一度ひとたび制御を失ったが最後、取り戻すのは容易ではないんだ」


 黒小球はもはや風塊弾の持つ魔力には見向きもしていない。


 ラナージットは、黒小球の眼が自分を見据みすえていることに気づいた。強烈な欲望をたたえた視線に身体がすくむ。あのいままわしい記憶が蘇る。


 ラナージットの絶叫が大気を揺らした。それは彼女の声でありながら、彼女の声ではなかった。


「何とかして、パレデュカル」


 魔力が尽きたヴェレージャがひざを落とす。まだ、切り札は残している。これを使えば何とかなるかもしれない。


 使うには、黒小球に手が届くところまで近づかなければならない。パレデュカルと距離を置いたのが裏目に出てしまっていた。


「ヴェレージャ、貸せ。俺に任せろ」


 ヴェレージャのすぐ隣、影から現れたのは十二将序列九位ディリニッツだ。彼女の手からひったくるようにして魔術巻物を奪い取ると、すぐさま影にもぐった。


 次に出る位置は定めている。


「ディリニッツ、ラナージットを助けて。お願いよ」


 パレデュカルが制御を取り戻そうと、必死の形相ぎょうそうで黒小球に手を伸ばしている。異界からの召喚魔術は、それでなくとも膨大な魔力を要する。制御が一瞬でも途絶えた瞬間から、取り戻すのは絶望的でもあった。


「そこをどけ、パレデュカル」


 勢いよく影から飛び出たディリニッツが、パレデュカルを蹴り飛ばす。


 パレデュカルの足掻あがき、すなわち中途半端な魔力の垂れ流しは邪魔でしかない。今や黒小球はラナージットの身体から、精霊を引きがそうとしているのだ。


「間に合え」


 ディリニッツは己の危険をかえりみず、強引に黒小球とラナージットの間に割って入る。


 魔術巻物を黒小球の眼に向けて開封した。

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