第200話:崖下へと向かう者たち

 グレアルーヴとディグレイオを呆然ぼうぜんと見送ってしまった。マリエッタは出遅れたとばかりに、姉と妹をうながす。


「セレネイアお姉様、シルヴィーヌ、私たちも急ぎ参りましょう」


 先頭に立って号令をかけるマリエッタが愛らしい。セレネイアは日々成長を続けている妹の姿を頼もしく見つめた。


「ええ、そうね。私たちも行きましょう」


 ここでひるんだのはシルヴィーヌだ。及び腰になっている。


「マリエッタお姉様、ちょっと、ちょっと待ってください。私たちも、あの方たちのようにここから飛び降りるというのですか」


 シルヴィーヌは高所が苦手だった。


 疑いもなく空騎兵団の有翼獣で運んでもらえるとばかり思っていた。まさか、獣騎兵団の二人がいきなり飛び降りていくとは予想していなかったのだ。


「シルヴィーヌ、何を言っているのよ。私たちは谷底ではなく、その途中の崖下がいかに行くのですよ。当然ではありませんか」

「む、無理です。絶対に、無理です。絶対に、私は飛び降りませんよ」


 少し離れたところで、このやりとりを見つめていたイオニアが深いため息をついている。


「三王女は、いつもあのような感じなのか」


 ザガルドアの問いかけに、苦笑じりでイオニアが答える。


「いや、今回ばかりはマリエッタとシルヴィーヌの立ち位置が逆転しているといったところだ」


 普段はおっとりしているマリエッタは、自身が得意とする火炎系魔術に打ってつけの蛍燐翆岩アピアタスリが崖下にふんだんにあることから、意気揚々としている。


 何よりもフィリエルスたち空騎兵団と共に戦えることがよほど嬉しいのだろう。


 逆に、シルヴィーヌは末妹まつまいでありながら、しっかりした物怖ものおじしない性格が特徴だ。彼女にとって、唯一ゆいいつの弱点が高所で、昔から二人の姉にしがみついて離れないぐらいだった。


「あれが普段の姿だとは思わないでくれ」


 イオニアの話を聞いて、わずかに思案したザガルドアが言葉を発する。


「俺に考えがある。少しばかり手荒な真似をすることになる。許してくれるか」


 躊躇ためらったものの、実父でもあるイオニアも妙案みょうあんが浮かばない。手荒な真似はしないと言ったザガルドアを信じてもよいだろう。


 記憶が戻ってからというもの、イオニアはこの青年国王を好もしくも思っているのだ。


「ザガルドア殿の言葉を信じよう。シルヴィーヌを頼めるか」


 屈託くったくのない笑みを見せるザガルドアが、すぐさまフォンセカーロを呼び寄せる。


「フォンセカーロ、来い。あれをやる」


 さすがに驚きを隠せない。


 陛下たるザガルドアが、やると決めたのだ。いなも何もない。フォンセカーロは黙ってうなづくしかない。


「ハベルディオ、ウドロヴ、グリューディン、すぐに用意しなさい。谷底に下りますよ」


 この三人は、事前視察の際の汚名返上とばかりに自ら志願、この地にやって来ている。捲土重来けんどちょうらいだ。言われるまでもなく、いつでも飛び立てる準備はできている。


「準備万端です。号令一つで今すぐにでも飛び立てます。我らはラディック王国の方々をお連れすればよろしいですか」


 代表してグリューディンがフォンセカーロに尋ねてくる。


殊勝しゅしょうな心がけです。あちらは四名ですね。貴男たちの三騎なら、一度の降下で問題ないでしょう。では行きなさい。四名を下ろし終えたら、速やかに帰還、三王女の援護に回りなさい」


 了承の返事をもって、三人が自身のる有翼獣に向かっていく。谷底へ行くべき騎兵団の四名は、有翼獣のそばで待機している。


 有翼獣は大人しくしている。暴れていないということは、降下に問題がないということだ。


「陛下、私も行きますわ。ソミュエラとブリュムンドは途中で拾えばよろしいですわね」


 確認を求めてきたフィリエルスに、ザガルドアは疑問で返した。


「途中か。ここから騎乗させていくわけではないのだな」


 即答で返す。


「そうですわ。だって、面倒でしょう。ソミュエラ、ブリュムンド、先に飛び降りなさいな。そうね、ある程度落下したとして、高度千メルク地点で拾ってあげるわ。貴方たちなら何ら問題ないでしょう」


 空のことは自分が決める。序列二位、しかも空騎兵団団長のフィリエルスだからこその言葉だった。まさにフィリエルス強しだ。


「ええ、問題ないわよ」

「俺も異論はない。もうよいのか」


 ザガルドアはあきれれ気味に三人を見回し、ゆっくりと首を縦に振った。


 フィリエルスが竜笛アウレトに唇を添え、静かに息を吹き込む。


 愛騎のアコスフィングァが両翼を大きく広げて滑空かっくう、その背にフィリエルスが飛び乗ると同時、空中に舞い上がった。


「空騎兵団、私に続きなさい」


 その様子をマリエッタだけでなく、セレネイアもシルヴィーヌも凝視している。最も熱い視線を送り続けていたのは、言うまでもなくマリエッタだ。


「素敵です、フィリエルス殿」


 そのささやきが全てを現していた。


 ソミュエラとブリュムンド、先に走り出したのはブリュムンドだ。数歩の助走で一気に崖縁がけぶちを超え、その身を軽々と空中に躍らせた。


「全く、あの二人は何をやっているのでしょうね」


 深いため息がれる。


 ブリュムンドが飛び去ったのを見計みはからい、自らも駆け出そうとしたところだった。


≪済まん、ソミュエラ。一匹、打ち漏らしてのががしちまった。そいつは上に向かっている。頼む、つぶしてくれ≫


 ディグレイオからの念話が届いたのだ。


「仕方がありませんね。託されたからには受けましょう」


 改めて駆け出す。崖縁がけふち寸前で反転、ザガルドアに視線を移す。


「陛下、ご武運を」

「ああ、お前もな、ソミュエラ」


 背に負った二本の剣に両手を添える。ソミュエラは、そのまま後方斜め上に飛ぶと空中で抜剣、頭から落下していった。


 そこへディグレイオが打ち損じたという魔霊鬼ペリノデュエズが突っ込んでくる。


「好都合です。フィリエルスに拾ってもらう前に終わらせておきましょう」


 右手に持つは氷渦旋結剣グラートゥル、左手に持つは炎踊活熱剣アクフィレーヴだ。氷と炎、対極の二剣に自身の魔力を注ぎ込む。


 急降下しているソミュエラと、急上昇している魔霊鬼ペリノデュエズが、まもなくすれ違う。


 魔霊鬼ペリノデュエズも敵であり、餌でもあるソミュエラの接近を察知、迎撃態勢に入っていた。


 魔霊鬼ペリノデュエズ咆哮ほうこう大峡谷だいきょうこくを揺さ振る。


「うるさいですね。大人しく死になさい」


 先に振るうは、氷渦旋結剣グラートゥルだ。


 すれ違いざま、ソミュエラは足下に置いた氷渦旋結剣グラートゥルを一気に振り抜く。


 剣身から発せられる氷がうずとなり、嵐となった。瞬時に魔霊鬼ペリノデュエズを覆い尽くしていく。


 氷の渦嵐うずあらし魔霊鬼ペリノデュエズの全身を凍りつかせ、その動きを停止させる。


 この程度の力で封じられたということは、低位メザディムか、よくて中位シャウラダーブといったところか。ディグレイオが逃したところから考えると、中位シャウラダーブの可能性が高い。


 必然的に上昇していた魔霊鬼ペリノデュエズの身体は、凍結によって下降へと変わり、自然落下していく。


 既にソミュエラと魔霊鬼ペリノデュエズの位置は入れ替わっている。ソミュエラの方がおよそ数十メルク下に位置している。


 魔霊鬼ペリノデュエズはソミュエラに比べてはるかに巨大だ。重量も数十倍、そのうえ分厚い氷をまとっている。


 ソミュエラを追い越すのも時間の問題だった。


「それで十分です。核もろとも灰まで焼き尽くしてあげます」


 落下速度を増した魔霊鬼ペリノデュエズがソミュエラと並ぶ。躊躇ためらいなく、左手に持つ炎踊活熱剣アクフィレーヴを振るった。


 剣身を覆う灼熱しゃくねつの炎が舞い踊る。炎は意思を持ったかのごとく、凍結状態の魔霊鬼ペリノデュエズに襲いかかる。


 ソミュエラが落下を開始してからここまでで、わずか十六フレプトしか要していない。


 フィリエルスが定めた合流地点、高度千メルクに到達するまで、さらに十六フレプト程度、十分すぎる時間だった。


「心配は無用ですよ。既に終わっていますので」


 ソミュエラは二本の剣を納刀している。


 荒れ狂う炎が魔霊鬼ペリノデュエズの体表をめ、瞬時に氷を昇華しょうかさせていく。


 さらに勢いを増した炎は膨大な熱をともなって、粘性液体で構成された身体を破壊していった。液体の全てが瞬時に気化する。


 残されたものといえば、双三角錐の核が二つのみだ。炎が容赦なく核をも飲み込んでいく。


「待たせたわね。準備はよいかしら」

「ええ、問題ありませんよ。うまく拾ってくださいね」


 フィリエルスのるアコスフィングァが、またたく間にソミュエラを追い越していった。両翼を広げ、制動をかける。


 ソミュエラもアコスフィングァの動きに合わせて魔術制動を働かせた。身体を反転させ、足下からゆっくりとアコスフィングァに向かって近づいていく。


 その間、フィリエルスは竜笛アウレトをもってアコスフィングァを誘導している。ソミュエラの両足が無事、アコスフィングァの背についた。


「行くわよ。しっかりつかまって」


 先に落ちていったブリュムンドを拾うため、フィリエルスは再びアコスフィングァを急降下させていった。

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