第269話:もう一人の裏切り者

 パレデュカルがトゥルデューロの瞳の奥底をのぞき込む。


 真意を測りかねていた。あまりにも容易たやく陥落してしまったのは想定外だ。もっと頑強がんきょうに抵抗し続けるだろう。勝手に思い込んでいた。


 全滅が間近に迫っている今、トゥルデューロが何を思い、何を考えているか、想像にかたくない。人質を取った挙げ句、師でもあるマウラベージェを魔霊鬼ペリノデュエズ化したことが大きな要因となったか。


 二人がにらみ合う。しばしの膠着こうちゃくが続く。トゥルデューロからは諦観ていかんにも近い感情が読み取れる。


(トゥルデューロ、これでいい。お前を殺すのは、俺の本意でもない)


 互いに敵視しているものの、憎悪ぞうお侮蔑ぶべつといったものは見当たらない。まごうことなき真の敵なら一刀両断のもと、躊躇ためらいなく滅ぼせるだろう。


 そうではないからこそ、物事が進めにくいのだ。パレデュカルが回りくどく、羽を一枚一枚もぐがごとく時間をかけて苦しめているのもそのためだ。


 パレデュカルはかかげた右手のひらをゆっくりと握り締める。それだけだ。


 シュリシェヒリの者たちと対峙たいじする全ての魔霊鬼ペリノデュエズの目から輝きが急速に失せていった。今にも襲いかからとする魔霊鬼ペリノデュエズたちの動きが停止する。


「いいだろう。お前以外の奴らに用はない。この地から離脱するなら、命だけは助けてやる」


 掲げた右手を下ろし、抑揚よくようのない口調で告げる。トゥルデューロは承諾しょうだくの意を込めて小さくうなづくと、シュリシェヒリの者たちに向けて身体を反転した。


「これ以上の戦いは無駄に犠牲者を増やすだけだ。どうかこらえてくれ」


 言外に様々な意味を含め、敗北した事実を一同に突きつける。


「堪えられるものか。認められるものか。トゥルデューロ、見損みそこなったぞ」


 沈黙の中、ただ一人声を荒げたのは魔弓警備隊隊長のアフネサヴィアだ。


 姉ミジェラヴィアを魔霊鬼ペリノデュエズに殺され、今また妹プルシェヴィアをパレデュカルに奪われてしまった。恐らくプルシェヴィアを殺すことはないだろう。それでも、自分の手の届かないところに隔離かくりされている。


 全ての元凶は魔霊鬼ペリノデュエズでもパレデュカルでもない。複雑な事情を胸に抱えながらも、ジリニエイユをこの手で打ち滅ぼすまで、決して歩みを止められない。


 死すら覚悟のうえだ。ここで敗北を認め、おめおめと逃げ帰るなど、他の誰が許そうとも、己自身が決して許さない。


 即座にパレデュカルに向けて弓を構えると、矢をつがえてつるを引き絞る。魔弓警備隊隊長が所有する弓矢だ。当然、双方に複数の魔術が付与されている。


 弓には軽量化と標的視認化、矢には風雷強化、速度強化、揚力ようりょく制御強化だ。これら全ての付与をアフネサヴィアが単身で行っている。彼女の付与能力が卓越たくえつしているあかしでもある。


「アフネサヴィアか。四姉妹で最もおとるお前が、今や魔弓警備隊隊長とはな。本当に笑わせてくれる。ああ、本当にな」


 パレデュカルは無防備だ。矢を向けられながらも防御態勢を取らず、平然とたたずんでいる。


 アフネサヴィアが矢を放てば、確実に彼を射貫く。そして彼女は本気だった。弦を限界まで引き絞って、矢をつかむ右手の指をまさに離さんとしている。


「ダナドゥーファ、ミジェラヴィア姉様が死んだのは、お前のせいだ。お前が、あの時、里にいさえすれば」


 声が詰まる。様々な感情が渦巻く。


「姉様は、ミジェラヴィア姉様は、死なずに済んだ」


 魔霊鬼ペリノデュエズに襲撃されたあの時、アフネサヴィアもミジェラヴィアと共に戦ったのだ。二人の立場の差異が命運を分けてしまった。


 ミジェラヴィアは長老補佐として最後まで長老と神殿をまもり、アフネサヴィアは魔弓警備隊の一員として魔霊鬼ペリノデュエズの侵入をはばまんと戦った。


 そして、姉ミジェラヴィアは命を落とし、恥知らずにも自身はこうして生き長らえている。どうせなら姉と一緒に死にたかった。それ以来、その想いを胸に抱きながら生き続けてきた。


「殺してやる」


 アフネサヴィアはなかば狂乱気味に叫ぶ。


 標的視認化の効能で狙いをつける必要もない。ただ素早く指を離すだけだ。ゆえに言葉どおり実行に移した。三種の魔術が付与された矢がパレデュカルの心臓を射貫かんと疾駆しっくする。


「面倒くさい女だ。その程度で俺を殺せるとでも思ったか」


 心底いやそうな表情でパレデュカルがため息をついている。


 速度強化をせた矢が心臓に届かんとしたその時だ。またたく間に矢の速度が減衰げんすいやじりが心臓の一セルク手前で静止してしまった。


 速度を完全に失った矢は、重力に引きずられて大地に落ちる。それが自然の法則というものだ。


「馬鹿な」


 矢は落下することなく、その場にとどまったまま微動びどうだにしない。


 まだ二つの付与の効能が未発動だ。効能が失われていなければ、鏃が到達すると同時に魔術が発動、射貫きながらにして標的を風雷の攻撃が襲う。そして揚力制御によって矢は放った者のもとへと再び帰ってくる。そのいずれもが発動しない。


 しかも、パレデュカルは対抗のための魔術さえ詠唱していない。本来であれば、防御できるはずがないのだ。アフネサヴィアが呆然唖然ぼうぜんあぜんとするのも無理はなかった。


 パレデュカルは無造作に右手を伸ばすと鏃を指でまみ、ゆっくりと矢筈やはずに向かってすべらせていく。指が通過した部分から漆黒のもやおかされ、無残むざんにも崩壊していく。


「腐食か。パレデュカル、お前自身が」


 トゥルデューロは言葉をみ込む。その先を続けてはいけない気がしたのだ。


「アフネサヴィア、お前ごときの力など所詮しょせんこの程度だ。理解できたな」


 跡形もなく朽ち果てた矢の次はアフネサヴィアだ。生かしておく価値はない。パレデュカルは彼女の顔に向けて右手をかざす。


「待ってくれ、パレデュカル。約束が違う。ここにいる者は助けて」


 途中でさえぎられる。


「俺はこの地から立ち去ることを条件に助けると言ったんだ。だが、あの女は去るどころか、俺に攻撃を仕かけてきた」


(その方が俺にとっても好都合だ)


 トゥルデューロが咄嗟とっさに振り返り、アフネサヴィアに視線を移す。その彼女は何かに耐えるかのように唇をみ締めている。


「アフネサヴィア、返事はどうした。俺は理解できたかと聞いたんだ」


 執拗しつようにアフネサヴィアを責めるパレデュカルの狙いがトゥルデューロには全く分からない。アフネサヴィアはうつむいたまま無言を貫いている。


「その前にだ。あの時の魔霊鬼ペリノデュエズどもの侵入で俺を責めるのはお門違かどちがいだな。お前は責任転嫁てんかしたいだけだ。それはお前自身が一番よく分かっている」


 トゥルデューロの視線が二人の間をせわしく行ったり来たりしている。渦中かちゅうにいながら話についていけない。たまらず声を荒げる。


「パレデュカル、いったい何の話をしているんだ。俺がお前のもとに行く。そして残った者は即座にこの場を離脱する。それで話は終わりじゃないのか」


 口をはさむなと言わんばかりのけわしい顔でにらみつけるパレデュカルは、気が変わったのか、表情を幾分ゆるめると言葉をつむぎ出す。


「トゥルデューロ、里に魔霊鬼ペリノデュエズが侵入した際、お前も必死に戦ったな。おかしいと思わなかったのか」


 何が言いたいのだろうか。トゥルデューロは首をひねりつつ、あの時の状況を嫌々いやいやながらに思い返してみる。


 シュリシェヒリがほぼ壊滅状態におちいったのは、結界が無効化され、なりそこないセペプレの侵入を容易たやすく許してしまったことだ。


 よもや神殿最奥に安置されている銀麗の短剣スクリヴェイロがすり替えられていたとは気づくはずもない。しかも、皆既月食という最悪の条件が重なってしまったことで、里のおよそ七割の者が死んでいった。まさしく悪夢だった。


 その元凶を作り出したのはジリニエイユだ。たぐいまれなる頭脳を有する彼だからこそ、計画を練りに練って完璧に遂行した。


 果たしてそうだろうか。あの時、ジリニエイユは里にいなかった。何十年も前に離れて以来、一度も戻っていない彼があそこまで用意周到な襲撃が可能だっただろうか。


「何が言いたいんだ。まさか、お前、里の中に」


 頭が混乱する。パレデュカルはいったい何を知っているのだろうか。


 これまでシュリシェヒリの里内でも、ジリニエイユただ一人が引き起こした大惨事とだけ伝えられてきたのだ。それが覆されるのか。


 考えるのが苦手なトゥルデューロの脳内は混乱を通り越して、今にも爆発しそうだ。


「結界が無効化されたとはいえ、里内にはシュリシェヒリの目を持つ者が数多あまたいた。狩りの経験がない者など、ほとんどいなかっただろう。しかもだ。結界出入口は魔弓警備隊が常時監視している」


 パレデュカルの視線がトゥルデューロからアフネサヴィアに移される。その動きを見た瞬間、トゥルデューロはさとってしまった。


「教えてもらおうか、アフネサヴィア。あの時、お前はいったいどこにいたんだ」

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