第268話:トゥルデューロの決断

 トゥルデューロがパレデュカルの声に振り返る。


 声には多分たぶん嘲笑ちょうしょうの感情が含まれている。ここでパレデュカルに対して切れたところでどうにもならない。冷静になることが肝要だ。


 歯を食いしばり、周囲の状況をあわせて確認する。現状、デランディズの破壊された防御結界以外は有効に機能しているようだ。シュリシェヒリの目で視通みとおしても、他に魔霊鬼ペリノデュエズは存在しない。


「マウラベージェ、いい奴だった。俺にも優しく接してくれた。気の毒だったな」


 どの口がと思わず叫びそうになる。トゥルデューロはくちびるを強くみ、パレデュカルの挑発を瀬戸際せとぎわで受け流す。


(胸中は分かる。冷静をよそおっているが、あと一歩だ。ここでお前の心を完全に折り切る。そうすれば)


 パレデュカルの今の目的はトゥルデューロのみだ。他の者は、言ってみれば有象無象うぞうむぞうにすぎない。


 誰を殺そうと、誰が死のうと、パレデュカルには関心がない。マウラベージェについても、昔の思い出が気の毒だと言わせたにすぎない。


「パレデュカル、人の命をもてあそんで楽しいか。お前が愛するサリエシェルナ、そしてきミジェラヴィアも泣いているぞ」


 パレデュカルがトゥルデューロを挑発してくるなら、こちらも同じことをすればよい。トゥルデューロも揺さ振りをかける。


 シュリシェヒリの里で、プルシェヴィアが告げた言葉をそのままパレデュカルにぶつけたのだ。今の彼にとって、サリエシェルナとミジェラヴィア、この二人こそが最大の弱点なのは明白だ。


 パレデュカルの意図がどこにあるのか、もはやトゥルデューロには全く理解できない。一つだけ分かっているのは、このまま手をこまねいていたら全滅する、ということだ。


 パレデュカルの表情がゆがむ。それもつかの間のこと、すぐさまもとの表情に戻したパレデュカルが右手を前方に突き出す。


むくわれぬ愛に何の価値があるというのだ。答えてみろ、トゥルデューロ」


 右手にいざなわれた漆黒の二種のもやがマウラベージェの死体を覆い尽くしていく。


「ま、まさか死者を、魔霊鬼ペリノデュエズに」


 デランディズたち三人は生きたまま強制魔霊鬼ペリノデュエズ化されている。魔霊鬼ペリノデュエズには依代よりしろとなる生きた人が必要だ。


 それが主物質界で考えられている魔霊鬼ペリノデュエズの常識であり、まさか死者を魔霊鬼ペリノデュエズ化できるとはトゥルデューロはじめ、誰も思っていない。


 そして、彼らは魔霊人ペレヴィリディスの存在を知らない。知っていたなら、マウラベージェの死体をもっと慎重に扱っていただろう。誰も責めることはできない。


「言ったはずだ。油断しすぎだとな」


 今やマウラベージェだったものの身体は淡い靄により腐り果てている。マウラベージェは死者だ。彼の心臓は既に止まっている。核化は不可能ということだ。


 その常識をくつがえし、死者の心臓を核と変える。ジリニエイユが編み出した秘術の最も怖ろしいところであり、これによってあまねく死者を強制魔霊鬼ペリノデュエズできる。


 いわば人が死ねば死ぬほど、魔霊鬼ペリノデュエズを大量に生み出せるのだ。


「死者への冒涜ぼうとくだ」


 たまらず声を荒げるトゥルデューロを一瞥いちべつ、パレデュカルは意にも介さず、右手をたくみに動かして淡い靄の上に濃い靄をかぶせていく。


しゃくだがジリニエイユに感謝だな。お前たちの死体があれば、いくらでも魔霊鬼どもを量産できる」


 濃い靄がマウラベージェの腐った身体をおもむろに立ち上がらせる。両腕が持ち上げられ、左右の人差し指を突きつける。


 撃ち出されたのはまさしく熱血線だ。人であった時の証拠、すなわち深紅に染まった血が、魔霊鬼ペリノデュエズと化した今、濃緑の血へと変貌している。


「逃げろ」


 トゥルデューロの焦燥しょうそうられた声が飛ぶも、遅すぎる。それほどまでに唐突な、目にも止まらぬ攻撃だった。


 濃緑の熱血線に心臓を射貫いぬかれた二人のエルフは、何が起こったのか理解できないままに仰向あおむけに倒れ込でいく。絶命した二人の上から、すかさず漆黒の靄が降りそそぐ。


 パレデュカルは表情一つ変えず、右手をもって漆黒の靄を的確に誘導していく。もはや防御結界は何の役にも立っていない。


 マウラベージェの時と同様、死体となった二人がたちまちのうちに魔霊鬼ペリノデュエズ化、うつろなまなこでゆっくりと立ち上がった。


「お前たちには絶望しかない。これで俺の溜飲りゅういんも下がるというものだ」


 その言葉が引き金となった。


 マウラベージェの指が突きつけられる。今度は二本ではない。十本全ての指が攻撃の準備に入る。魔霊鬼ペリノデュエズの核を破壊するための固有能力なのだ。人が耐えられるはずもない。容赦なく撃ち出された十筋の熱血線が宙をける。


 もはやシュリシェヒリの者たちの戦意はいちじるしく低下している。当然だろう。


 彼らは長老キィリイェーロのもと、最大の怨敵おんてきジリニエイユを倒すべく、意気揚々いきようようとアーケゲドーラ大渓谷にやって来た。それがふたを開けてみれば、かつての同胞パレデュカルの秘術で仲間が殺害され、そのうえ強制魔霊鬼ペリノデュエズ化だ。


 魔霊鬼ペリノデュエズとなった者が今度は敵として立ちはだかる。運悪く死んでしまえば、今度は己自身が魔霊鬼ペリノデュエズと化し、同胞どうほうを狩る側に回るのだ。絶望しかないだろう。


 既に数人が背を向けて、この場から逃げ出そうとしている。それを見逃すパレデュカルではなかった。


「背を向けた者から始末しろ。役立たずはどこにいようと役立たずだ。殺せ」


 完全なる狂気が場を支配している。


 マウラベージェの十筋の熱血線は確実に十人のエルフの命を刈り取り、三射目の用意に入っている。彼らの死体は漆黒の靄で覆われ、魔霊鬼ペリノデュエズ化が始まっている。


 真の意味で怖ろしいのはここからだ。マウラベージェ自身が低位を倒したように、熱血線は彼の意思において分裂する。十筋は二十筋に、いや三十筋にさえできるかもしれない。


 そうなるとわずか一射の攻撃をもって二十、三十のエルフを一気に殺害できるのだ。そして殺された彼らはパレデュカルの秘術によって、たちまちのうちに魔霊鬼ペリノデュエズにされていく。


 シュリシェヒリの者が全て殺されて魔霊鬼ペリノデュエズとなるか、あるいは彼らが全ての魔霊鬼ペリノデュエズを倒し、なおかつパレデュカルをも倒すか。考えるまでもなく、結末は自明じめいだ。


 背を向けて走り出した者たちに向かって、マウラベージェの一射目で殺害され、魔霊鬼ペリノデュエズへと変えられた二体が襲いかかる。腰に吊るしていた長細剣ちょうさいけんを抜くと、無造作に投擲とうてきする。


 想像を絶する速度で放たれたそれは、標的たるエルフの背を完全貫通、巨大な穴を開け、なおも勢いを失うことなくはるか遠くまで飛んでいってしまった。


 これでさらに二体の死体が手に入った。すぐさま漆黒の靄が死体を包み込んでいく。マウラベージェに殺された十人、さらにこの二人、都合十二体の魔霊鬼ペリノデュエズが新たに立ちふさがる。


 マウラベージェたちが有する固有能力、さらにはパレデュカルによる漆黒の靄、これらがもたらず相乗効果はトゥルデューロたちの戦意を根こそぎ奪い取るに十分すぎた。


「どうした、トゥルデューロ。このままでは全滅必至ひっしだな」


 なおも数十人が戦意を失わず、弓や魔術で反撃を試みているものの、事ここに至っては焼け石に水でしかない。肝心の指揮官たるトゥルデューロがなかあきらめかけている。


「トゥルデューロ、もう一度言う。報われぬ愛に何の価値があるというのだ」


 こうしている間にも同胞の命が次々と奪われていく。奪われるだけではない。魔霊鬼ペリノデュエズと変えられ、敵となって襲いかかってくる。


(この手から全てがこぼれ落ちていった。零れ落ちないようにするにはどうすればよい。簡単だ。奪う側に回ればよい。そのために力が必要だった。それも手にした。目的を達するまで、あと僅かだ)


 パレデュカルの中では首尾一貫しゅびいっかんしているのだろう。そこに矛盾むじゅんがあることに自身気づいていない。気づいていて、あえて気づかないふりをしているのかもしれない。


 いずれにせよ、パレデュカルは唯一の目的を達するために、それ以外の全てを犠牲にするつもりでいる。トゥルデューロの心を折るのも、その一つでしかない。


「まだまだ雑魚ざことはいえ、三十を超える魔霊鬼ペリノデュエズだ。壮観だろう。こいつらがお前たちを滅ぼす。覚悟するのだな」


 まさしく蹂躙じゅうりんと呼ぶに相応ふさわしい。


 逃げまどうエルフたちを情け容赦なく殺し、反撃を試みる者も圧倒的な魔霊鬼ペリノデュエズの数と力を前に防戦一方に追いやられている。


 魔霊鬼ペリノデュエズの身体には常に漆黒の靄がまとわりつき、いっそう強固にしている。どう足掻あがこうとも勝ち目はない。全滅は時間の問題となっている。トゥルデューロも覚悟を決めるしかなかった。


 パレデュカルの右手が静かにかかげられる。


 振り下ろされると同時、魔霊鬼ペリノデュエズたちの総攻撃が開始となる。


 パレデュカルとトゥルデューロ、二人の視線が複雑に交差した。


「頼む、パレデュカル、もうめてくれ。お前の意思に従おう。俺がお前のもとに行く。だから、だから、ここにいる者たちは助けてくれ」

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