第267話:零れ落ちていく大切なもの

 低位メザディムは片腕一本で軽々とマウラベージェをとらえていた。


 全身から大量の血が噴き出している。骨も内蔵も破壊されている。なおも握り潰さんと力をめてくる低位メザディムの攻撃から逃れられない。もはや己の命は助からないだろう。それは自明じめいだ。


 他の二体に捕らえられたドゥーズレンとべーネロッタも同じ状況だ。何とか二人だけでも助けたい。その力は自身の内にある。


 レスティーより授かったのはシュリシェヒリの目だけではない。個々のこれまでの経験に基づいた、最大限に目を扱えるようにする固有能力こそがたまわりものなのだ。


 マウラベージェは既にシュリシェヒリの目をもって、低位メザディムの体内に隠された核の位置を見通している。


(えているぞ。あの御方より授かった貴重な力だ。この先も使いたかった)


 マウラベージェの視線がトゥルデューロからドゥーズレンとべーネロッタの二人に向けられた。その視線を感じたのか、二人も同様に目を向けてくる。まだ目は死んでいない。


 二人に与えられた固有能力は分からない。分からないながらも、最大の窮地きゅうちから脱出するための有効な手立てを思いついていないのだ。


(お前たちを死なせはしない)


 マウラベージェの全身が深紅に染まっていく。


「やめてくれ、マウラベージェおう


 トゥルデューロの言葉が嬉しかったのか、マウラベージェはみを浮かべ、すぐに消し去った。


 彼に与えられた固有能力、それは体内で血液を燃やして魔力と合成、標的めがけて撃ち出す熱血線ねっけつせん攻撃だ。


 血液と魔力は似て非なるもの、物理的に二つを混合することは不可能だ。合成するためには、血液を一度体外へ放出しなければならない。


 さらには血液にも魔力にも蓄積できる許容範囲がある。その範囲内でのみ、使用者は己の意思に基づき、威力も距離も自在に制御できる。まさしく命け、諸刃もろはつるぎ的攻撃なのだ。


(私の固有能力、まるでこうなることが。いや、それも詮無せんなきことだ。幼き者を助けるのは老いたる者の務め)


「皆の者、ドゥーズレンとべーネロッタをまもれ」


 声を張り上げる。しんあるいたる者の言葉は重い。各々が動き出す。


 大量出血の影響でマウラベージェに残された血液はわずかだ。ここから一滴たりとも無駄にできない。全てを固有能力たる攻撃に回す。


 マウラベージェは体内で極限まで燃焼させた血液を肌から体外へと放出、高熱をまとった深紅の霧となってき立つ。すかさず魔力を組み込み、己を食わんとする低位メザディムの核にち込む。


「許せ、デランディズ」


 三体の低位メザディムが、どの同胞どうほうれの果てか、見た目だけでは判別できない。唯一、接近すれば分かるものがある。


 通常、低位メザディムの完全同化はおよそ七日を要する。たとえ、ジリニエイユやパレデュカルによる強制魔霊鬼ペリノデュエズ化であっても、即時完全同化は成し得ない。


 デランディズだったものの瞳がうったえかけてくる。身体の制御が全くできないゆえ、マウラベージェを締め上げる力は一向いっこうに弱まらない。だからこそ、ほぼ声帯せいたいを失った中、ざらついた声にならない声で想いをき出す。


「ハザピドゥ・ピムジュス、リィジェ・オディ・ベティエィラ」

<訳:情け、無用、今、すぐ、殺してくれ>


 エルフ語だ。ここにいる全ての者に届き、胸の奥に深くきざみ込まれる。


「私も、すぐに行く」


 マウラベージェの右手指先に凝縮した深紅の魔力霧が細く鋭い一本の熱血線と化していく。


 いささかの躊躇ためらい、強引に振り切り、マウラベージェは己の意思に従って熱血戦を解き放つ。膨大な熱量を伴った深紅の閃光せんこうが宙を裂き、寸分たがわず核を射貫いぬいていった。


 デランディズであった低位メザディム断末魔だんまつまが響き渡る。そこには様々な感情がせられている。最も大きかったものは何だったか。


 熱血線は凄まじい威力を発揮、低位メザディムの核を刹那せつなのうちに昇華しょうか跡形あとかたもなく霧散むさんさせた。


 核を失った低位メザディムの身体が崩壊していく。漆黒のもやは状態を維持できず、大気へと吹き飛ばされ、靄下で身体を構築していた粘性液体が粘度を急速に失っていった。


 マウラベージェを鷲掴わしづかみにしていた腕も崩れ、結果として持ち上げられていた彼の身体は大地に落下、受け身も取れない中でしたたかに打ちつけられていた。


 全身に激しい痛みが走る。意識も朦朧もうろうとしている。一撃必殺の熱血線は多量の血液を要する。


てて残り一射いっしゃか。失敗はできぬな」


 出血が止まらない。回復する時間はない。ドゥーズレンとべーネロッタは低位メザディムの腕につかまれたまま、反撃さえできていない。虫の息といったところだ。


「もういい、マウラベージェ翁。先に貴男が死んでしまう。二人には申し訳ないが」


 トゥルデューロの懇願こんがんにも近い悲痛な叫びだ。マウラベージェはすぐさまさえぎる。


「トゥルデューロ、指揮官としてその決断は正しくもあろう。一方で私にも意地がある。既に死にていのこの身だ。二人の命を救うに、十分な対価であろう」


 シュリシェヒリの里において、ダナドゥーファことパレデュカルの師がジリニエイユなら、トゥルデューロの師こそがマウラベージェなのだ。


 里内で長老キィリイェーロ以上に尊敬する人物、そして厳しくも温かく成長を見守ってくれた大恩人でもある。プルシェヴィアとの結婚を誰よりも、そして我がことのごとく喜んでくれたのも彼だった。


 本心を言えば、絶対に死なせたくない。失いたくない。それもかなわない。マウラベージェの瞳が雄弁ゆうべんに物語っている。


(ああ、パレデュカル、お前の言っていることが少し分かる気がする。大切な者の命が、この手からこぼれていく)


「二体の動きを封じつつ、マウラベージェ翁の射線から距離を取れ」


 涙を必死にこらえ、それだけの言葉を振り絞るのが精一杯だった。力の入らなくなった身体に鞭打って、マウラベージェは先ほどと同じく、右手を持ち上げる。


「私の命に代えて二人を助ける。残された全ての血よ、ここに燃え上がれ」


 体内に残された全ての血液を燃焼させる。これが本当の意味で最後の一射となる。燃焼、さらには深紅の霧状にする時間が惜しい。無理矢理にでもやるしかない。


「マウラベージェ翁、無茶すぎる」


 体内を流れる血液を最短で燃やす方法、それは魔力をもって己自身を燃焼させることだ。マウラベージェは迷わず究極の自殺行為的手法をった。


 またたく間に全身が炎で包まれていく。体表に溢れ出した血液も、体内を流れる血液も関係ない。高温の炎があらゆる血液を魔力霧と変え、すみやかにマウラベージェの右手の指先へ凝縮させた。


 ドゥーズレンとべーネロッタを掴んで離さない二体の低位メザディム、それぞれの核の位置はえている。相手が低位メザディムで幸いだった。複数核を持つ中位シャウラダーブ以上なら、間違いなく二人を助けられなかった。


 マウラベージェは瞬時に射線を確定させる。熱血線を撃ち出すとともに、二筋にして二体の核を同時に破壊する。


「今、助ける。待っていろ」


 一筋の熱血線が解き放たれる。宙をけながら二筋に分かたれた熱血線は複雑な軌道を描き、核を射貫かんと襲いかかる。


 ドゥーズレンを掴む低位メザディムに対する一筋の熱血線は、左腰下部を射入口しゃにゅうこうとして即座に核を破壊、昇華し、右肩付近を射出口しゃしゅつこうとして空へけ抜けていく。


 一方のべーネロッタを掴む低位メザディムに対するもう一筋の熱血線は真逆だ。左肩上部を射入口として核を瞬時に昇華、右腰下部を射出口として大地を穿うがった。


 二体の核は間違いなく昇華した。マウラベージェは確信をもって見届けた。ドゥーズレンとべーネロッタが大地へと落下していく。そこまでだった。


「私の命も、ここまでか。こういう終わり方も、悪くない、な」


 うつ伏せで静かに倒れ込んでいく。なおも炎に包まれたままのマウラベージェの身体が急速に炭化していく。


「すぐさまドゥーズレンとべーネロッタに治癒魔術をほどこせ。急ぐんだ。マウラベージェ翁の命をした救出を無駄にするな」


 トゥルデューロはそれだけを命じると、炎に包まれたマウラベージェのもとへ駆け寄っていく。


 既に何人かの者がマウラベージェを助けようと魔術を行使している。大きくは消化と治癒の二つだ。すぐさま炎は消し止められ、さらに炭化の進む身体に治癒を施していく。


 炭化した部分の復元はこの場では難しい。今できるのはこれ以上の炭化を食い止めることだけだ。


容体ようだいは、容体はどうなのだ」


 魔弓警備隊隊長のアフネサヴィアに声をかける。彼女は亡きミジェラヴィアの妹、妻プルシェヴィアの姉で、四姉妹の次女だ。


 弓の腕前は里内随一、魔術も水氷系を得意とする。倒れたマウラベージェのもとに真っ先に駆けつけ、炎を消し去り、そのうえで治癒魔術を施しているのも彼女だった。


 ようやく治癒魔術を終えたのだろう。ゆっくりと立ち上がる。その瞳が悲哀ひあいに満ちている。


「アフネサヴィア」


 それ以上の言葉が出てこない。彼女の瞳に宿るものを見た瞬間、最悪の結果だということが分かったからだ。


 感傷かんしょうひたる時間も与えられず、背後から言葉が投げつけられる。


「トゥルデューロ、油断しすぎじゃないのか。いくらマウラベージェがお前の師とはいえな」

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