第266話:強制魔霊鬼化の恐怖

 淡いもやだけが不気味にうごめいている。


 靄内に取り込まれてしまったデランディズは微動だにしない。遅れて、自ら身体を投げ入れたネイレソワラはかすかに動いているものの、それも次第に弱々しくなっている。


 靄だけが重層となっておおかぶさり、二人の上で停滞しているのだ。


 トゥルデューロをはじめ、シュリシェヒリの者たちの動きも止まっている。二人を救えなかった無力感にさいなまれ、動きたくても動けない。そんなところだろう。


「パレデュカル、お前は本気で俺たちをほろぼすつもりなのか」


 トゥルデューロの振りしぼった声はいささかふるえ気味だ。


 パレデュカルは敵に対して一切容赦しない。それでも彼はかつての親友であり、同郷の者でもある。本気で滅ぼすほどに残酷になれるとは思わないし、思いたくもない。


 トゥルデューロは心のどこかで信じているのだ。かつて、ではなく、今もなお親友であることを。信じたいのだ。


「目を覚ませ、パレデュカル。本当のお前は、俺が知っている」


 パレデュカルの口角こうかくわずかに持ち上がる。明らかに馬鹿にしたような態度だ。表情には表さないものの、眼差まなざしがけわしくなっている。


「俺を知っているだと。お前に、俺の何が分かるというのだ」


 淡々たんたんと告げるその口調は氷のように冷たい。文字どおり、トゥルデューロは凍りつき、二の句が継げないでいた。


「ああ、そうだな、確かにお前は知っている。ここにいる奴らが幼かった俺に何をしてきたかをな」


 睥睨へいげいするパレデュカルの瞳は怒りに燃えている。それは憎悪であり、愛情の裏返しでもある。


 エルフ属は純潔主義、すなわち血のつながりこそとうときものとしている。


 パレデュカルは戦災孤児であり、親兄弟も分からなければ、シュリシェヒリの里の者でもない。暗黒エルフであることも彼へのいわれなき迫害を加速させた。血の繋がりや肌の色で差別するなど愚の極みでしかないにもかかわらずだ。


 シュリシェヒリの者全てが彼を差別、迫害したわけではない。この中にはパレデュカルが里を出てから生まれた者もいるし、心優しい者も少なからずいる。


「そ、それは、だが、そんな理由で」


 そこまで口にして、トゥルデューロは言葉の選択を誤ったことを悟った。顔から一気に血の気が引いていく。


「そんな理由、そんな理由か。お前までが、そう言うのだな」


 心底軽蔑けいべつした眼差しがトゥルデューロの心に突き刺さり、さらに深くえぐってくる。


「いいだろう。どう足掻あがこうとも、お前たちの末路は決まっている。そろそろ頃合いだ」


 パレデュカルはおもむろに右手をかかげ、一度目と同じく、異界の言霊ことだまを空に響かせた。


"Olledes emoniks keperais."


 右手が静かに下りていく。その動きに合わせて、二つ目の靄、すなわち上空に滞留たいりゅうしていた濃い靄がデランディズとネイレソワラを包む淡い靄の上に降り積もっていった。


 濃い靄の効果は即座に現れた。体積を失って、完全にしぼんでしまった二人の身体が急激に膨張を始めたのだ。


「パレデュカル、どうしてそこまで」


 言葉が続かない。もはや一刻の猶予ゆうよも残されていない。トゥルデューロは必死に涙をこらえ、非情な命令を下す。


「スコラローティオ、最大の炎をもって今すぐこの靄を焼き尽くせ」


 いくらトゥルデューロの言葉であっても受け入れがたい。靄の下にはデランディズとネイレソワラがいるのだ。彼にとって、二人は友でもある。今や二人の状態は分からない。生きている可能性は限りなく少ないだろう。それでもだ。


「む、無理だ、トゥルデューロ。私には、私には、できない」


 渦巻く葛藤かっとうが胸を貫き、身体の動きを阻害そがいする。スコラローティオが拒絶したことで、事態はさらに悪化する。それもいたかたがないだろう。


 項垂うなだれるスコラローティオ、さらにはトゥルデューロを尻目に、パレデュカルは表情一つ変えずに言葉を吐き出した。


「これで二つの手駒の完成だ。さあ、立つがよい」


 淡い靄の上に被さった濃い靄が活性化、限界を迎えた膨張が止まるとともに、靄はゆっくりと二つに分かたれていく。


「ああ、デランディズ、ネイレソワラ」


 スコラローティオの悲哀ひあいに満ちた言葉が口からこぼれ出す。淡い靄によって二人の身体は一度くさり果ててしまった。そこへ濃い靄が降り注いだことによって身体が再構築されたのだ。


「どうだ、トゥルデューロ、素晴らしいだろう。これが力というものだ」


 憎しみのこもったまなこを向けるパレデュカルにスコラローティオがたまらず声を上げる。


「同じシュリシェヒリの者として、何故なにゆえにここまで残酷な真似ができるのだ。貴様には慈悲じひの心がないのか」


 わずかにパレデュカルの動きが止まる。衝撃を受けたからではない。あまりに可笑おかしすぎたからだ。


「慈悲の心、慈悲の心ね。お前たちの口からそのような言葉が出るとはな。笑わせてくれる」


 まさしく嘲笑ちょうしょうだった。


 里にいた頃、この慈悲をもって接してくれた最愛の者はもういない。パレデュカルは憎悪をぶつけるがごとく、スコラローティオに向けて右手をいだ。


 いつの間に詠唱していたのか、誰も気づかない。


 空を斬って、闇の刃が疾駆しっくする。けようのない攻撃だった。瞬時にスコラローティオの両膝から下を切断していく。あまりの鋭い切り口に血も吹き出さない。スコラローティオは声を上げる間もなくくずおれていった。


「お前もこの二人の仲間にしてやろう。感謝するがよい」


 切断部位から漆黒の靄がい上がり、たちどころにスコラローティオの全身を浸食していく。


 淡い靄ではない。直接、濃い靄に包まれていく。いずれにせよ結果は変わらない。その過程が違うだけだ。


 スコラローティオの身体は、腐食を経ずして濃い靄によって強制的に作り変えられていく。そこには激しい苦痛と、意識を保ったまま浸食を受けた部分から人としての構造を失っていく恐怖が待ち受けている。


 人としての意識が完全に消え失せた時、一体の魔霊鬼ペリノデュエズとして生まれ変わるのだ。


「トゥルデューロ、こいつらが何なのか分かっただろう。お前だけではないな。ここにいる奴らもだな」


 ゆっくりと動き出したデランディズとネイレソワラに、新たにスコラローティオが加わる。ここに生まれたばかりの三体の魔霊鬼ペリノデュエズそろった。


 ジリニエイユが長年の研究によって編み出した強制魔霊鬼ペリノデュエズ化とその制御術は、しっかりとパレデュカルに伝授されている。


 誕生したばかりとはいえ、なりそこないセペプレではない。既に低位メザディムとしての存在が認められ、しかもその核はなりそこないセペプレから低位メザディムに昇格した魔霊鬼ペリノデュエズよりも強固なのだ。


目障めざわりだ。こいつらを蹴散けちらしてしまえ」


 三体の低位メザディムが思い思いに三方向に散って、シュリシェヒリのエルフたちに襲いかかる。それまでの緩慢な動きからは想像もできないほどの俊敏しゅんびんな動きをもって、両腕を振り回して周囲の者を無造作に殴り飛ばしていく。


「違う。無造作ではないぞ。こいつらの性質を知っているだろう」


 トゥルデューロが周囲の者に向かって声を張り上げる。


「お前たち、覚悟を決めろ。我らシュリシェヒリの者にしかできない使命を果たせ」


 魔霊鬼ペリノデュエズと化してしまった同胞どうほうを狩ることに誰もが忌避きひの気持ちをいだいている。彼らは眼前で魔霊鬼ペリノデュエズに変えられてしまったのだ。当然の気持ちだろう。


 それでもトゥルデューロは心を鬼にして使命を果たせと言う。頭では理解できても、心がついていかない。そこにすきが生じてしまう。


「逃げろ」


 三体の低位メザディムは何も無造作に攻撃していたわけではない。はなから獲物えものを見定めている。そこに向かうに邪魔な要素をはじき飛ばしていただけなのだ。


 獲物は、すなわち弱者たる幼い者や年老いた者だ。容赦なく低位の牙がせまる。


 幼い者たちは初めての魔霊鬼ペリノデュエズとの戦闘、何よりも経験のなさが致命的だ。年老いた者は経験こそあるものの、身体の反応が遅くなっている。いずれも低位メザディムの前になすすべはなかった。


 三体の低位メザディムがそれぞれの腕を尋常じんじょうではないほどに伸ばし、獲物を鷲掴わしづかみにする。


「ドゥーズレン、べーネロッタ、マウラベージェおう


 トゥルデューロの叫びだけがむなしく響く。周囲も凍りついたかのように動きが止まってしまっている。


 幼き戦士ドゥーズレンとべーネロッタに言葉はない。既に覚悟を決めているように見える。代わって年老いたマウラベージェが苦しみながらもトゥルデューロに視線を転じた。


「トゥルデューロ、我らに構うな。こうなることもまた運命、お前は成すべきことを成すのだ」


 末後まつごの言葉を残し、マウラベージェは低位メザディムに捕らえられる中、魔術を行使した。

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