第173話:初心に帰ってこそ

 複数の魔力が生み出す波が激しくぶつかり合っている。中心部に設置された晶瑪玉カルツァトは、まさしく重要な方陣構成要素で、一際ひときわ特殊な仕掛けがほどこされていた。


 性質の異なる複数魔力による重層化は、単に解除を難しくしているだけではない。その裏側に隠された秘密を見つけられるか、それが肝だったのだ。


 結論から言うと、解封は失敗した。正確に言うなら、完全に失敗したわけではない。刻一刻と方陣崩壊に向かっているものの、まだこの段階でなら間に合う。


 四人の焦燥しょうそう錯綜さくそうする。


 まず、ワイゼンベルグだ。もはやお手上げ状態で、しきりにコズヌヴィオに視線を向け続けている。そのコズヌヴィオは対処方法がないかをしきりに考えているものの、短時間のうちに妙案が浮かんでくるはずもない。


 ヨセミナは何もできない自分を呪いつつ、動かないオントワーヌをいぶかしげに見つめている。最後にオントワーヌだ。動くべきか、動かざるべきか。彼もまた迷いの最中にあった。


≪オントワーヌ、迷っているようだな。そなたに任せると言った以上、私は口出しせぬ。たとえ魔術方陣が暴走の果て、崩壊したとしてもだ。そなたの力をもってすれば、復元もできよう≫


 レスティーの声が脳裏に届く。まさに、そのとおりなのだ。


 任された以上は、責務を果たさなければならない。そして、自身は弟子であるコズヌヴィオに解封を任せたのだ。途中でコズヌヴィオが投げ出したのなら、取って代わって自ら解封を行う。準備も整っている。


≪レスティー殿、迷ってはいます。ただ、コズヌヴィオの目は、まだ死んでいません。考えがあるようです。弟子を信じて、もう少しだけ待ちたいと思います≫


 オントワーヌには解決方法が分かっている。それを伝えるような真似は、決してしない。介入まではわずかながらに時間が残っている。


 最後の最後まで、コズヌヴィオに背負わせる。師匠として、口を出すのは簡単だ。それがよい結果を生み出すこともあれば、逆効果の場合もある。今はどちらだろうか。


「ワイゼンベルグ殿、いまだに私には糸口が見つかっていません。しかし、このまま手をこまねいていては、確実に魔力が暴走し、坑道を完全に崩落させてしまうでしょう」


 暴走を始めた魔力の波が吹き荒れ、方陣内をけ巡っている。近寄りがたい状況で、今の二人に何ができようか。ワイゼンベルグが大声で叫ぶ。


「我らの手に負える段階は過ぎてしまった。かくなるうえは」

「なりません。私にも、貴男にも、意地があります。最後の最後まであきらめてはならないのです」


 コズヌヴィオが珍しく声を荒げた。


「意地、か。そうだな。貴殿の言うとおりだ。ここで諦めては我が女神に申し開きもできぬ。最後の足搔あがき、見せようぞ」


 ワイゼンベルグは残った力を振り絞り、方陣内で荒れ狂う魔力の奔流ほんりゅうに目を向けた。魔術付与師としてできる最大のことをする。特大晶瑪玉カルツァトからあふれ出す魔力の一つ一つを見極める。


 初めて目の当たりにする異常事態だった。魔力の本質は、行使する術者に左右される。術者が真っすぐな心の持ち主なら、魔力もまた真っすぐだ。じれた、ひずんだ心の持ち主なら魔力もまたそのようになる。


 ワイゼンベルグの目に映る魔力は、そのいずれでもなかった。


(これは。コズヌヴィオ殿の魔力をぶつけたことで、変質をきたしているのか。なじませたとはいえ、くだんの術者の魔力とは同一ではない。しかも、拮抗した魔力ゆえに、いずれもが打ち消せないままだ)


 拮抗した力は互いを打ち消し合おうとする。ゆえに衝突を繰り返した挙げ句、行き場を失った力が暴走を始めてしまったのだ。


 ワイゼンベルグの中で方針が立った。推論が正しいとは限らない。代案を探している時間もない。速やかに自身の考えをコズヌヴィオに伝える。


「コズヌヴィオ殿、浸透させた魔力を解除なされよ」


 漠然ばくぜんと同じことを考えていた。しくも、二人の意見が合致した。コズヌヴィオは迷わず魔力制御を手放す。


 単純にしたわけではない。おだやかな引き潮のごとく、自然にゆっくりと制御を弱めていったのだ。


「魔力暴走が、止まりつつある。成功したのか」


 見た目だけは穏やかになりつつある。


「まだです。これでは溢れた魔力が晶瑪玉カルツァトに充当され、魔術方陣を再構築してしまいます。何としても打開策を見つけなければ」


 コズヌヴィオの異質な魔力が消え去った。方陣内で荒れ狂っていた魔力の波が落ち着きを取り戻す。それはすなわち特大晶瑪玉カルツァトへの魔力還元かんげんを意味する。


(どうする。方陣が再構築されてしまえば、元の木阿弥もくあみだ。また一から解除をしていかねばならない。もはやその力は残っていない。考えろ、考え尽くせ。見落としはないのか。考えろ)


 焦燥が思考をさまたげる。当代ルプレイユの賢者に就任してからおよそ十余年、最大の危機に直面している。


 オントワーヌの言葉がふいに記憶によみがえる。悩んだり、迷ったりした時は、常に初心に帰りなさい。


(オントワーヌ様、有り難うございます。私はまだまだ未熟です。賢者としての小さな意地など無用なのですね)


「ワイゼンベルグ殿、今度こそ任せてください。今、私の目の前に広がっているのは、魔術という名の宝箱です。それを開ける楽しみを、今の今まで忘れていました」


 言葉の意味は分からなかった。コズヌヴィオの目に力強さが戻っていることだけは分かった。


 コズヌヴィオは方陣再構築まで刻一刻と過ぎ去っていく時を前に、平静さを取り戻していた。力溢れる両の目がゆっくりと閉じられる。


(ああ、何と美しい魔力の波だろう。繊細せんさいで、しかも複数にえていた魔力質は、全て同一なのですね。この方陣を構築した方は、私など到底足元にも及ばない偉大な魔術師です。貴男に、最大限の敬意を表します)


 魔力を通じてコズヌヴィオの脳裏に浮かぶ光景、それは複数の糸に視えながら、実は一本の糸で構成された魔力だった。魔力の揺らぎが錯覚を起こさせていた。


 まさにそれは、子供の頃、妹とよく遊んだジュドゥフィエだ。


 眼前に立ちはだかる方陣は、いわばジュドゥフィエの完成形だ。いくら完成形が複雑極まりない形であろうと、作り上げた順と全くの逆順で解いていけば簡単に一本の糸に戻る。


 コズヌヴィオには、その逆順が全て視えていた。


(妹にさんざんつき合わされたおかげですね。まさか、このようなところでジュドゥフィエの知識が活きることになろうとは)


 コズヌヴィオは空間上で、両手の間に特大晶瑪玉カルツァトはさみ込むようにして立つ。


「コズヌヴィオ殿、何をするつもりだ」


 コズヌヴィオは静かにうなづいてみせる。言葉はなかった。器用に左右の指を一本ずつ巧みに動かしていく。時には指一本、また時には複数の指を同時に動かす。


「魔術方陣内の魔力が消えていく。晶瑪玉カルツァトの輝きもだ」

 

 ヨセミナが感嘆かんたんの声を上げている。真横に並んだオントワーヌは笑みを浮かべている。解封の成功を確信したがゆえだった。


「これで、最後です」


 両手の人差し指を真っすぐに立て、最後の糸を引っ張り出すかのように、ゆっくりと左右に開く。特大晶瑪玉カルツァトまばゆいばかりの発光を残し、尾を引くようにして光が去っていく。


 魔術方陣は完全に沈黙した。解封は、ここに成功した。


 コズヌヴィオは光の散乱の中、確かに聞いた。


なんじ、見事なり。よくぞ我が魔術方陣を解封した。汝の姿を見ることはかなわぬが、汝を誇りに思う。いっそうの魔術の探求を願ってやまぬ。我が使命もこれで終わりを迎えた。ようやく安らかに眠れる。汝に感謝する≫


 いつしかコズヌヴィオの瞳から涙がこぼれていた。自然と頭が下がる。


 背後から遠慮がちに声がかかる。


「見事にやりげましたな。全ては貴殿のおかげ、心より感謝いたす」


 ワイゼンベルグが馬鹿丁寧なほどに身体を折り曲げ、感謝の意を告げてくる。コズヌヴィオは涙を隠すと、彼に応えた。その肩に両手を添え、折り曲げている身体をもとに戻す。


「ワイゼンベルグ殿、私の方こそ貴男には感謝しかありません。貴男が半分以上解除してくれたおかげで、私は最後まで魔力を保てたのです」


 互いに力強い握手を交わす。二人の間に友情が芽生えた瞬間だった。


「ひやひやさせてくれる。何とか解封に成功したな。あの二人、意外と気が合いそうだ。互いに互いを高める関係になればよいのだがな。うん、どうした、オントワーヌ。心配事か」


 ヨセミナの問いに、オントワーヌはただ首を横に振るだけだった。ヨセミナにはヨセミナの考えがあるように、オントワーヌも同様だ。


(解封に成功した事実はめても構いません。それまでの過程、対処法、いずれも及第点とはいきませんでしたね。まだまだですよ)


 そうは思いながらも、オントワーヌはコズヌヴィオの成長を確かに感じ取っている。この先、当代ルプレイユの賢者として、さらなる研鑽が必要なのは言うまでもない。


 何よりもコズヌヴィオはまだ若い。吸収できるものは、全て吸収していかなければならない。ワイゼンベルグとの出会いも、その一つだろう。


 魔術方陣が消え去った大地に、坑道へと続く入口が《こつぜん》と姿を現していた。四人の視線が注がれる。内部に待つものとは、いったい何か。


 それは四人のあずかり知るところではなかった。

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