第174話:蘇る太古の死霊

 魔術方陣が解封された坑道内、永久の眠りより目覚めるものがいた。


 熱気と冷気がないぜとなり、よどんだ空間に無数の影が不気味ぶきみうごめく。


「消えた。消えたぞ。我らを永遠に封じ込めたあの忌々いまいましい結界が、遂に、遂にせた」

「自由だ。取り戻したのだ。今こそ地上へとかえる時だ」

「我らを眠りにかせた、あのおろかな魔術師はもはやいない」

「進めねばならぬ。急がねばならぬ。我らが絶対なる復権をな」


 影の口が動き、積年のうらみとともに思い思いの言葉を吐き出していく。


 影は憎悪のかたまりと化し、封印の解かれた入口を目指して移動を開始した。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「私たちは一度ステルヴィアに戻ります。ヨセミナ、貴女たちはどうされますか」


 返答はできなかった。恐ろしいほどの冷気が忍び寄ってくる。触れられたら間違いなく命を奪われる。


 身体がすぐさま反応してくれない。ヨセミナやオントワーヌほどの実力者でさえ、一時的な金縛かなしばり状態におちいっていた。


 うように足元へと近づく冷気は、まず弱者、ここではコズヌヴィオとワイゼンベルグだ、を獲物と定めた。弱いものから狙う。戦術における定石だ。


 ようやくのこと、自身の胆力たんりょくで強引に金縛りを解いたヨセミナとオントワーヌが動く。早いのはヨセミナだ。


 一切の躊躇ためらいなく素早く抜剣ばっけん、下段で振り抜く。


 大地に半円が描き出される。魔剣アヴルムーティオは、大地に触れずして、およそ三十セルクの亀裂きれつを作り上げていった。


 亀裂の底より紅緋べにひ光壁こうへきがそびえ立つ。冷気が光壁と衝突した。


「簡単に帰らせてはくれぬようだ。退屈たいくつしのぎにはちょうどよい。遊びにつき合ってやろう」


 冷気の塊がたちまちのうちに炎に包まれた。紅緋に彩られた炎は、触れたものを無にすまで決して消えない。目にえないもの、実体のないものでもだ。魔剣アヴルムーティオがもたらす効果だ。


「おまえたちは光壁の中でおとなしくしていろ。オントワーヌ、頼めるか」

「承知しました。まずは、このものたちを実体化させます」


 オントワーヌがゆったりとした足取りで光壁外へと進み出る。


「オントワーヌ様」


 これでは自殺行為ではないか。コズヌヴィオは師匠たるオントワーヌの力を十分すぎるほどに知り尽くしている。


 それでもだ。ひたすら光壁と衝突を繰り返し、炎に包まれてもなおあきらめずに侵入しようと試みる異様な冷気の塊を前に、万が一を考えずにはいられない。


「心配は要りません。このものたちの正体は分かっています」


 力強い言葉が返ってくる。その背の何と大きなことか。もとより筋骨隆々きんこつりゅうりゅうとしたオントワーヌが一回りも二回りも大きく見える。


 彼の存在感が乱れた心を静めてくれる。コズヌヴィオは、オントワーヌの弟子たることを心底誇りに思うのだった。


「ゲーレ・ダラム・ゲード・ダリエーロ

 ヴァリ・アーミニ・ピニウェ・リジーア

 ダラー・エイウェ・アグヌスン

 地に影を落としたる汝ら

 狭間はざまひそむものたちよ

 白日の下にその異形なる姿を見せよ」


 オントワーヌの詠唱が成就する。


 詠唱の前後は、魔術師にとって最も危険な時間帯だ。オントワーヌが光壁の外で、安心して詠唱できるのは、ヨセミナがいてこそだった。


 かつて共に戦った仲間として、互いに戦術を熟知している。剣士と魔術師の組み合わせとして、この二人こそ最強と言っても過言ではないだろう。


 現に今も、詠唱中のオントワーヌに対して、冷気の塊は悪意をもって命を奪わんと攻撃を重ねている。そのことごとくをヨセミナは魔剣アヴルムーティオ一振ひとふりで退しりぞけていたのだ。


 オントワーヌの視線をとらえたヨセミナが納剣のうけん、光壁内へ戻る。


(さすがですね。あの頃以上にきれが増しています。私も恥ずかしいところを見せるわけにはいきませんね)


 魔術が発動する。


地光闇明熱照白天ロジェニヴィーレ


 既に足元の大地はオントワーヌの制御下だ。大地のありとあらゆるものがオントワーヌの支配下、魔術の発動とともに影は強制的に光のもとへといざなわれる。


「その姿を見せなさい。太古の死霊たちよ」


 冷気の塊は地の熱にあぶられ、さらに天より降り注ぐ光によって実体化させられていく。


「な、何なのだ、あれは」


 コズヌヴィオが呆然ぼうぜんつぶやく。


「太古の死霊、もともと魔人族であった者たちのなれのてだ」


 背後からの突然の声に、三人がいっせいに振り返る。


 真っ先に反応したのはヨセミナだ。即座にその場で片膝かたひざをつく。


「控えよ、ワイゼンベルグ。我らが大師父様の御前おんまえなるぞ」


 条件反射とでも言うのか、ワイゼンベルグはヨセミナの言葉を受けて、一も二もなく大地にひれ伏した。あまりの唐突な行動だった。


 ここまでするとは思っていなかったのだろう。ヨセミナが苦笑を浮かべている。それはレスティーも同しだ。


「ヨセミナ、私にひざまずく必要はないと以前にも言ったが」

「いえ、大師父様の御前で不敬な真似はできません。私も申しました」


 レスティーもヨセミナも、承知のうえで言葉をわしている。駆け引きでも何でもない。いわゆる言葉遊びに等しいものだ。


「立て、ヨセミナ。そなたの弟子も同様だ」


 言葉遊びと命令は全く違う。ヨセミナはただちに従った。彼女が立ち上がった姿を見て、ワイゼンベルグも真似た。


「千余年前だ。当時、最強と称された魔人族の魔術師ギリエンデスによって封じられた者たちだ。今の主物質界において、魔人族の姿を見るのは難しいだろう。大半が滅びたか、あれになったかのいずれかだからだ」


 レスティーはいったん言葉を切ると、わずかに視線をオントワーヌに向けた。オントワーヌの前で実体化した姿は、とても魔人族とは思えないものだ。


 彼らは一様に黒一色の外套がいとうを深々とまとい、その内側が一切見えない。唯一、ここから認識できるのは、異様な眼光を放つ窪目くぼめだけだ。まるで底なしの闇にとらわれたかのような感覚を受ける。


「当時の魔人族は、七大部族が血で血を洗う戦乱の最中さなかだった。ギリエンデスはその一部族の王であり、最後の最後まで同族による殺し合いに反対を唱えていた。そして、悲劇は起こった」


 ヨセミナには、レスティーの話を聞くまでもなく結末まで想像できていた。愚者はどこまでいっても愚者でしかない。いくら王が英知えいちけていようと、一人では何もできない。従うべき者たちが愚者で、さらに権力闘争の真っただ中ともなれば、結果は自明の理だろう。


「いつの世も、愚者はいるものです。それが単なる愚者ならまだ許せますが、みにくい欲にられた愚者は、始末に負えません。大師父様、魔術師ギリエンデスはその犠牲になったのですね」


 レスティーは静かに首を縦に振った。その瞳が悲しみに満ちている。ヨセミナは胸が締めつけられる思いだった。


(大師父様は、いったいいかほどの悲しみを、その御心に抱えておられるのだ。その一部でも、私が肩代わりできればよいのだが)


 言葉にせずとも、ヨセミナの思いはレスティーに伝わっている。


「ヨセミナ、そなたが気にむ必要はない。これは、私が使命をなす中で、けては通れぬものなのだ。だが、そなたの気持ちは嬉しく思う」

「大師父様、私は何も申しておりません」


 視線を下げたまま、ヨセミナが小声でつぶやく。視線は上げられなかった。上げれば涙がこぼれそうになる。それだけは決して見せたくなかった。


「ああ、そうだな」


 訳が分からないワイゼンベルグとコズヌヴィオが、互いに顔を見合わせている。


「最後まで戦いを渋っていたギリエンデスも、他の六部族による連合軍が目前に迫る段になり、遂にかじを切り直した」


 すなわち、最終手段、戦いを選ばざるを得なくなったのだ。魔人族最強の魔術師ギリエンデスを前に、誰もかなうはずがない。六部族連合軍で生き残っているのは、各王とそれらを守る一部の精鋭のみとなっていた。


「掃討も時間の問題となったその時だ。ギリエンデスの背後から、魔術が放たれた」

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