第175話:千余年前の後始末

 魔力が底を突きかけている。それでも十分だった。


 ギリエンデスは居並ぶ六部族の王たちを睥睨へいげいしながら、確信を込めて言い放つ。


「我に残された魔力は上級魔術を一発唱えられる程度だろう。だが、ここにいるお前たちれ者どもを全滅させるには十分だ。これで最後にしてやろう」


 たじろぐ一同を前に、王の一人コーニゲレイが進み出てくる。


「ギリエンデスよ、もはや決着はついた。これ以上の殺戮さつりくは無用にしてほしい」


 形ばかりに頭を下げてくる。ギリエンデスは怒りに身を震わせた。


 殺戮とは、どの口が言うか。仕かけてきたのはこちらではない。自身の命欲しさからの嘆願たんがんとしか思えない。許せるはずもない。


 一方で、思うのだ。戦いを終わらせることができるなら、それもやむをまい。怒りを腹にみ込みギリエンデスは応じる。


「よかろう。我も、これ以上の無益な殺生せっしょうは望まぬ。お前たちがいさぎよく敗北を認め、早々に軍を引き上げるなら、これで手打ちとしよう」


 後悔先に立たずだ。ギリエンデスは非情になり切れなかった。禍根かこんを残すことになろうとも、全滅させておくべきだった。


かたじけない。感謝する。このとおりだ」


 ようやく終わった。ギリエンデスは緊張をく。いささかの気のゆるみがもたらした結果だった。


「ギリエンデス、そなたの」


 頭を上げたコーニゲレイが続ける。その目に宿る光を見たギリエンデスは、己の甘さを痛感するのだ。


「敗北だ。やれ」


 わずかの善意と油断、それが死を招くことになろうとは。


 背後より放たれた魔術が、ギリエンデスの胸部を正確に穿うがった。口から、心臓から、大量の血が飛び散る。


「お、お前たち」


 言葉とともに吐き出される大量の鮮血が、大地を染め上げていく。


「これからの魔人族に、貴男は不要なのだ。貴男の強大な魔術は、脅威以外の何ものでもない。ここで眠るがよい」


 魔術を放ったのは、ギリエンデスの右腕として長年にわたって彼を支えてきたベンドゥガムだった。義弟でもある。


 ギリエンデスは亡き妻の弟ベンドゥガムを重用し、己の持つ知識を惜しみなく伝えてきた。それが亡き妻の遺言でもあったからだ。


(レ、レスティー様、我は貴男様の言葉を最後まで信じられませんでした。その結果がこれなのですね。こうなった以上、もはやこ奴らを止めるすべはありません。貴男様を信じなかった我の罪は地獄でつぐないましょう)


 万が一の時のために、レスティーより預かっていたものがある。最後まで使いたくなかった。あまりに悲惨な結果になることが分かっているからだ。


(この宝玉を使うご無礼をお許しください。さらばです。我の心の師レスティー様)


「お前たちの好き勝手にさせると思うか。共に地獄に落ちるがよい」


 最後の力を振り絞り、ギリエンデスは宝玉を握り締めた右手をかかげた。


「ベンドゥガム、何をしておる。奴を止めよ。早く殺してしまえ」


 コーニゲレイが絶叫している。


 心臓に大穴が開き、なおも血が噴き出しているのだ。この状態で身体を動かせるなどあり得ない。ベンドゥガムの表情は恐怖で引きつっている。


「ば、化け物だ。この男は、あまりに危険すぎる」


 掲げた右手から、漆黒のもやが四方に広がっていく。ここにきて、ベンドゥガムもようやく危険を察知したか、すぐさま詠唱にかかる。時、既に遅しだ。


 右手に力がめられた。薄い鏡が割れるがごとく、甲高い音と共に宝玉が粉々こなごなに砕け散る。


「お前たちに、未来は訪れぬ」


 最後の言葉を残し、ギリエンデスの身体がゆっくりとくずおれていった。


 宝玉より解き放たれた漆黒のもやは、即座に二種の効果を生み出した。


 ギリエンデスの前に立つ者たちは、靄に触れられた瞬間、黒き灰となって崩れ落ち、跡形もなく風に流されていった。


 悲惨なのはギリエンデスの背後にいる者たち、すなわちベンドゥガムをはじめとした裏切り者の末路だ。


「た、助けてくれ。貴男を裏切ったのは、俺たちの間違いだった。だから、頼む、助けてくれ」


 漆黒の中に漆黒を塗り込めた最凶の靄が、裏切り者たちに容赦なく降りかかる。手にした武器や身にまとった鎧などが溶け失せ、さらに衣服を通し、強烈な痛みを伴って皮膚へとみ渡っていく。


「嫌だ、嫌だ、死にたくない。ああ、身体が腐る、腐っていく」


 痛みは腐食となり、皮膚が重力にかなわず大地へとこぼれ落ちていく。見るも無残な、おぞましい光景だった。


 僅かのうちに、総勢百五十人を超える裏切り者たちは骨だけと化していた。


「ギリエンデス、兄上、どうかご慈悲じひを。欲に目がくらんだ我らが愚かでした。兄上、お助けください」


 もはや懇願こんがんは届かない。ギリエンデスは既に息絶えていたのだ。自業自得、この結果を覆すなど不可能だった。


 肉を失い、骨だけとなっても死ねない。そこには絶望しかない。


「ギリエンデス、使ってしまったのだな」


 静まり返った大地に、一人の男が降り立っていた。


 骨と化した一群は、己の成れの果てに呆然としながらも、突然現れた男に戸惑いを隠せない。


 男の手が軽く振られた。淡い光がギリエンデスの亡骸なきがらそそがれていく。


「ああ、レスティー様、最後にご尊顔を拝すことができました。我もまた混沌にかえるのですね」


 光の幕に包まれたギリエンデスが立ち上がっている。大穴の開いた胸部は、何事もなかったのようにふさがっている。


「母上様に承諾を頂戴した。そなたを混沌に還すのはまだ先だ。かの死霊どもを、このアーケゲドーラの地に封じる。封印のための魔術を授けるゆえ、監視者として守っていってほしい。やがて訪れるであろう真の解封者のために」


 思いがけない言葉に二つの感情が湧き上がる。一つは驚き、もう一つは嬉しさだ。


「承知いたしました。最後の大役、立派に務めてみせます。我にお任せください」


 レスティーの指が動き、ギリエンデスの足元に魔術陣が描かれる。同様に、骨の一群が立つ大地にも刻まれていった。


 魔術陣は全く異なる色をしている。前者は白、後者は黒だ。白と黒は拮抗色、互いに作用し合う。


 レスティーはうなづくと、今度は骨の一群に身体を向けた。


「お前たちに永遠とわの死は与えぬ。えた肉と血の痛みを永劫えいごうに味わいながら、おのが罪を悔い改めよ」


 黒の魔術陣が発動した。陣内より黒獄炎こくごくえんが立ち上がる。凄まじい熱をたたえた炎が大地をえぐり取り、さらに岩石をも蒸発させていった。


 上昇する黒獄炎が巨大な炎柱えんちゅうと化す。


"Azlla-Vjaanuma."


 レスティーが唱えた言葉は誰にも理解できない。その必要性もない。


 そびえ立った炎柱が抉り取られた大地の穴に沈み込み、地中を形成するあらゆる岩盤を瞬時に溶かしていく。


「もはや、熱さ、寒さを感じることもかなわぬ。ギリエンデス、封じよ」


 黒の魔術陣内にとらわれた骨の一群は、空洞となった深き地中へと強制的にいざなわれた。陣の消滅によって、次々に空洞へと投げ捨てられていく。


 骨の一群の頭上に輝くのは白の魔術陣だ。彼らに抵抗の余地など残されていない。高々と上げたギリエンデスの両手が振り下ろされた。


 白の魔術陣がふたとなって大地を覆い尽くしていく。これによって未来永劫ともいえる封獄ふうごくが完成したのだ。


「我が心の師レスティー様、我にこのような使命を授けていただけたこと、心より嬉しく、また深く感謝いたします」


 レスティーの瞳にわずかながらに悲しみが見える。それは錯覚だったのだろうか。ギリエンデスはゆるやかに首を横に振り、それから深く頭を下げた。


「ギリエンデス、この封を解く者が現れた時、そなたもまた解放される。混沌へと還るのだ。それまで、そなたに託す」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 骨と化した太古の死霊が、呆然自失ぼうぜんじしつといったていで立ち尽くしている。実体化させられたことさえ気づいていない。


「ギリエンデス、残念だ。そなたのかけた最後の恩情も無意味に終わったようだ」


 レスティーが一歩踏み出し、オントワーヌと並ぶ。


「レスティー殿、彼らがあの魔人族なのですか。絶滅したと聞いていましたが、このような形で遭遇するとは」


 レスティーが頷き、説明を続ける。


「数千年前までは主物質界でも当たり前のように姿が見られた彼らも、千余年前のあの悲劇によって滅んだ。その一部がこれだ。後は私がやろう」


 オントワーヌは黙って頭を下げると、光壁の中へと戻っていった。

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