第172話:魔術方陣の解封

 詠唱が成就じょうじゅ、即座に魔術が発動する。


還地始原皇熱廻ツィオニグヴィレ


 方陣内をコズヌヴィオの魔力が満たしていく。外から内に向かってゆっくりと浸透を始め、晶瑪玉を包んでいく。


 ワイゼンベルグが用いたのは、晶瑪玉カルツァトに込められた魔術を内部から取り除く術だ。対するコズヌヴィオは、自らの魔力を外部から晶瑪玉カルツァトに染み込ませ、もともとあった魔力を押し出す術だ。


 当然、後者の方が高度な技術を要する。これ以上に高度な技術となれば、魔術の上書きしかない。


「コズヌヴィオにはまだ無理ですね。しかも、方陣を構築している魔力は並大抵ではありません。相当の高位魔術師によるものですね」


 ヨセミナにも、方陣が高度な魔術で構成されていることは分かった。二人がかりで、これだけの時間を要してなお半分程度しか解除できていない。


 コズヌヴィオに交代してから解除の速度は上がっているものの、中央に陣取る特大晶瑪玉カルツァトに近づくにつれ、また減速し始めている。


 ようやくのこと、解除は残すところ一つとなった。最大の難関、特大晶瑪玉カルツァトだ。ここまでは二人の推察どおりに進んでいる。


 正しい解除の順番を見抜き、そのとおりにやってのけてきた。必ず最後まで、失敗なくやり遂げる。二人の思いは同じだ。


 魔力操作に集中するコズヌヴィオの額には、玉のような汗が幾つも浮かんでいる。集中力を切らせたら終わりだ。コズヌヴィオは深呼吸を繰り返す。


「ワイゼンベルグ殿、最後の仕上げに入ります。異常を感じ取ったら、すぐさま声を上げてください」


 ワイゼンベルグの了解の言葉を受け、コズヌヴィオが解除に入る。流し込んだ全ての魔力を特大晶瑪玉カルツァトの周囲に集め、静かに包み込んでいく。


 内部に魔力を浸透させるにはまだ早い。ここまでの解除は罠もなく、とどこおりなく進んだ。それがかえって不気味さを招いている。慎重に当たる必要がある。コズヌヴィオは時間をかけて、解析を進めていく。


「何かがおかしいです。これではあまりに簡単すぎます」


 解析を続けながらも、コズヌヴィオには迷いが生じている。このまま魔力を内部へ浸透させ、いまだに蓄えられたままの魔力を外へ放出させてよいものなのか。


 迷いは魔力に影響を及ぼす。ワイゼンベルグはその揺らぎを感じ取った。慌てて振り返る。


「コズヌヴィオ殿、いかがされた。問題が生じたであろうか」


 ワイゼンベルグはもどかしかった。最後の難関は自分の手に負えない。己の力量でどうにかできる代物しろものではないのだ。


 一か八かの賭けで、運がよければ魔力を吸い出せるかもしれない。特大晶瑪玉カルツァトに込められた魔力は、明らかに他とは異なっている。複数の魔力を重層化しているのだ。これを正しい順で解除していかなければならない。


 コズヌヴィオが解析に時間をかけているのは、それが理由であり、正しい手法だった。


「重層化された魔力を正しい順番で解除していく。本当にそれだけでよいのでしょうか。私には、なお隠された秘密があるように感じられてなりません」


 迷っている時間があるなら、オントワーヌに助言をあおぐべきか。コズヌヴィオの脳裏を一瞬よぎる。師匠なら、このからくりを既に見抜いているに違いない。思わず視線を向けそうになるところを何とかこらえる。


(駄目です。ここで頼っては。オントワーヌ様は、私に頼むとおっしゃったのです。早々に根を上げて、助力を仰ぐなどできようはずもありません)


 さりとて残された時間もない。急ぎ、最善の決断を下す必要がある。


「ワイゼンベルグ殿、危険を承知のうえで解除にかかります。私の考えでは、重層化のどこかに罠が仕かけられている可能性が強いです。晶瑪玉カルツァト内部の魔力をじっくり観察してください。貴男の目に期待しています」


 とんでもない一言を最後に繰り出したコズヌヴィオに、ワイゼンベルグはただただ目を丸くするばかりだ。今この瞬間、すさまじい重圧がのしかかった。


「恐ろしいことをさらりと言ってくれる。だが、ドワーフとしての意地もある。託されたからには、期待に応えてみせよう」


 コズヌヴィオはかすかに笑みを浮かべ、うなづく。覚悟を決め、魔力を慎重に晶瑪玉カルツァト内部へと浸透させていった。


「おい、オントワーヌ、本当に」


 さすがに不安な気持ちを消せなくなったか。ヨセミナが振り返り、オントワーヌに尋ねようとしたところで言葉を切った。


 オントワーヌは既に魔術行使の準備を整えているのだ。ヨセミナにはえる。膨大な魔力が限りなく薄く引き伸ばされ、彼の全身を覆っている。


(ふふ、親馬鹿なのは同じなのだな。さあ、やってみせろ。たとえお前たちが失敗しても、後始末は我らがしっかりつけてやる)


 浸透したコズヌヴィオの魔力が、まずは最下層を構成する高位魔術師の魔力と衝突した。互いに拮抗きっこうしている。


 これまでなら、魔力を流し込むことで簡単に外部へ押し出せたものが、一筋縄ではいかなくなっている。拮抗は激しい抵抗に変わり、逆にコズヌヴィオの魔力を排除しようと攻撃を始めている。


「魔力が逆流を。コズヌヴィオ殿、危険だ。今すぐに」

「大丈夫です。異物排除の原理です。私の魔力をなじませていきます。少し時間をください」


 信じるしかない。仮にも当代ルプレイユの賢者なのだ。いざとなれば、先代賢者、そして女神がついている。ワイゼンベルグは再び目を開き、晶瑪玉カルツァト内部をのぞき込む。


 わずかの時をて、コズヌヴィオの魔力は最下層から放出される魔力となじんだ。抵抗が次第に弱まっていく。ゆっくりと魔力を伸ばし、網を広げるがごとく取り込むと、晶瑪玉カルツァトの外部へと誘っていった。


「まずは、最下層を突破です。残るは四層です」


 コズヌヴィオは慎重に魔力を動かし、続けざまに下から二層分の魔力を外へ押し退けた。ここまではよい。問題は残った二層だ。


 コズヌヴィオもいまだ判断がつかない。どちらを先に解除すべきか。閉じ込められていた魔力質から見るに、下から順に解除していくのが正しいように思える。


 本当に正しいのだろうか。最上層の魔力に違和感しかいだかない。なぜなら、最上層の魔力だけが絶えず揺れ動いているのだ。他に影響を及ぼしているとは考えにくい。直感が危険だと告げてくるのだった。


「どちらを先に解除しますか。コズヌヴィオ、魔力の本質を見極めなさい」


 ささやきは、当然ながらコズヌヴィオに届かない。聞かせるつもりがないからだ。ヨセミナが小さな笑みを浮かべている。


「厳しいな。教えてやらないのか。失敗するかもしれないのだぞ」


 自分のことは棚上げして、ヨセミナが問いかける。


「教えるつもりはありませんよ。この程度、自力で乗り切れないようであれば、賢者失格ですからね」


 コズヌヴィオの集中力が一瞬、途切れる。何事かと振り返るワイゼンベルグが、心配そうに見つめてくる。コズヌヴィオが先ほどから迷っていることは察知していた。


「失敗を恐れず、信念に従ってやるがよろしかろう。もしもの時は、私も一緒に責任を取ろう。死なば諸共もろともと言うではないか」


 豪快に笑いのけるワイゼンベルグに救われた。


 コズヌヴィオが意を決し、魔力を動かす。最後の最後で、思いがけない行動に出たのだ。


「私の推察が正しければ、これしかありません。二層同時解除です」


 全神経を集中、コズヌヴィオの魔力が二層を構成する魔力を覆い尽くしていく。果たして、解封はったのか。


「まだですよ。本当の意味での解封は、これからなのです」


 もちろん、オントワーヌの声は聞こえていない。


 魔術方陣が凄まじい発光を残して、暴走を始めた。

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