第171話:解封のための共同作業

 オントワーヌの後ろからもう一人、男が姿を見せる。


 全身筋肉のかたまりとレスティーが称した、二メルクを越える身長のオントワーヌに対し、ヒューマン属としては標準、むしろややせ気味の体型だ。身長はそれなりに高いが、オントワーヌと比べてしまうと見劣りする。


 ヨセミナが意外な表情を見せているのがおかしいのか、オントワーヌは小さな笑い声を上げた。


「貴女が何を考えているかは分かりますよ。初対面になりますね。彼は私の弟子にして当代ルプレイユの賢者コズヌヴィオです」


 オントワーヌとほぼ横並び、やや後方に控えめに立ったコズヌヴィオが、剣匠ヨセミナに敬意を表して丁寧に頭を下げる。


「ヴォルトゥーノ流現継承者ヨセミナ様、はじめまして。先ほど紹介にあずかりましたコズヌヴィオと申します。当代ルプレイユの賢者として、まだまだ若輩者ではありますが、どうぞお見知り置きのほどよろしくお願い申し上げます」


 正直なところ、馬鹿丁寧すぎる初対面の挨拶に、ヨセミナは少々引き気味だ。この師にして弟子ありか。そう言えば、オントワーヌも最初はそうだったなと、懐かしく思い出すのだった。


「ヨセミナだ。ご丁寧な挨拶、痛み入る。オントワーヌ同様、よろしく頼む」


 二人のやり取りを横目で見ていたオントワーヌが、早速とばかりに、解封にかかるため魔術方陣に近寄っていく。


「オントワーヌ、すぐにでも方陣の解封かいふうを頼めるか」


 引退したとはいえ、オントワーヌの力がおとろえているわけではない。彼なら文句なしに解封してくれるだろう。ヨセミナは期待の目を向けている。


「もちろんですよ。何よりも、レスティー殿からの依頼でもありますしね。ただし、解封するのは私ではありません。コズヌヴィオにやってもらいます」


 驚きの声が同時に上がった。ヨセミナと、指名された当の本人コズヌヴィオだ。どちらも不安げな表情を浮かべている。


 ヨセミナはコズヌヴィオの実力を知らないがため、何よりもレスティーが既にオントワーヌに依頼していたことにだ。こうなることを見越していた、と思わずにはいられない。改めて畏怖いふの念を強くいだく。


 一方のコズヌヴィオは、はなから師匠たるオントワーヌが解封を行い、自分はその様子を観察するための同行としか考えていなかった。同時に、己の実力を試すには絶好の機会だ。高揚こうようしていく気持ちがきつつもある。


「彼は貴女の弟子ですか。よい目をお持ちのようだ。どうです。この二人にやらせてみては」


 落ち込むワイゼンベルグの挽回ばんかいにもつながる。ヨセミナに断る理由はなかった。視線を向けた先、ワイゼンベルグがうなづく。


「直弟子にして序列筆頭ワイゼンベルグだ。私に異論はない。存分に使ってやってくれ」


 魔術方陣を前にして、コズヌヴィオとワイゼンベルグが頭をかかえている。二人の気が散らないように、距離を取っているヨセミナが尋ねる。


「オントワーヌ、本当にあの二人に任せてよかったのか。それに、大師父様の依頼だ。そなたがやるべきではないのか」


 ヨセミナの疑問はもっともだ。最も確実なのは、やはりオントワーヌが解封することだ。彼の実力を知るヨセミナにとって、それ以外の選択肢は考えられない。


「貴女の疑問は当然ですね。だからこそ、私もレスティー殿に確認したのです。弟子を同行してもよいか。さらに、弟子に解封をゆだねてもよいか、とね」


 それ以上の言葉は不要だった。今、眼前でオントワーヌの弟子たるコズヌヴィオが解封に当たっているのだ。レスティーが承諾した、という事実を、改めて確認する必要もなかった。


たくすしかないな。我らにできるのは、弟子を信じて待つことのみか」


「これは何とも複雑な仕かけですね。慎重に一つずつ時間をかけて解除していくべきですが、オントワーヌ様からは速やかに、との指示を頂戴しています。悠長にやっている暇はなさそうです」


 オントワーヌにもただならぬ魔術方陣だということが感じ取れた。時間をかければ、確実に解封できるだろう。その自信もある。


かなめとなる四角は問題ないでしょう。複雑な紋様もんようも、中心点に向かうおよそ半分程度までなら同様です。しかし、そこからです」


 コズヌヴィオの目をもってしても、幾本かの道はえるものの、正確に中心点の特大晶瑪玉カルツァトに到達する道が確定できないのだ。


 くやしさのあまり、歯ぎしりするワイゼンベルグの気持ちがコズヌヴィオにも痛いほどに分かる。彼もまた同じなのだ。


 コズヌヴィオは、スフィーリアの賢者ことエレニディールのように自在に魔術を使いこなせるわけでもなく、レスカレオの患者ことミリーティエのように最年少で賢者の地位を手にするほどに魔術研鑽けんさんひいでているわけでもない。


 院長のビュルクヴィストに言わせれば、優秀な落ちこぼれ、なのだ。


 ルプレイユの賢者は代々、大地の力、土と熱の魔術を得意としている。コズヌヴィオも例外ではない。最も得意としているというだけで、威力が群を抜いているとか、複数魔術をかけ合わせた多重詠唱ができるわけでもない。


 魔術高等院ステルヴィアでのコズヌヴィオの同期の中には、彼よりも優れた賢者候補が片手で足りないぐらいにいた。


 その中で、最終的に彼が選ばれた理由は、ひとえに彼が大きな挫折を幾度も味わい、そのたびに残り越えてきた成長分が大きく加味されたからだ。


 人の痛みを知らない者は、絶対に大成たいせいしない。ミリーティエのような例外もあるにはあるが、彼女はまさに今、ルプレイユの賢者として大きな壁にぶち当たっている。


「この魔術方陣のもう一つの厄介やっかいな点は、解除を始めたら、間を置かずに続けるしかないということです。解除を終えて、次の解除を始めるまでの猶予時間は、およそ十ハフブルもないでしょう。途中で止めてしまったらその時点で終わります」


(ふむ、よく気がつきましたね。視る目が養われてきたあかしです。ですが、この方陣の罠はそれだけではないのですよ。分かりますか、コズヌヴィオ)


 静かに夜がけていく。二人は解除を始めるまでに、魔術方陣を前に話し合いを続け、相当の時間をかけている。既にアーケゲドーラ大渓谷を照らし出す三連月は、その位置を天頂から傾けつつあった。


「この順番でどうだろうか」


 ようやく指標が定まったか。ワイゼンベルグの問いかけに、コズヌヴィオは同意の頷きを返す。


「では、私が先に解除していきましょう」

「いや、コズヌヴィオ殿、万が一のこともある。貴殿の力は後に取っておいてほしい」


 合意が取れたところで、早速ワイゼンベルグが解除にかかる。最初は四角の要からだ。右下、対角線上の左上、左下、右上と、難なく晶瑪玉カルツァトに込められていた魔力を抜き出していく。


 魔力を全て失った途端、晶瑪玉カルツァトの重量がおよそ半分にまで減った。続けざまに、外周を構成する各辺四個、計十六個の晶瑪玉カルツァトから魔力を吸い上げる。


「手際がよいですね。彼は優秀な魔術付与師なのですね。ドワーフ属にとっても貴重な人材でしょう」


 解封作業を見守りつつ、オントワーヌとヨセミナが言葉を交わす。二人には、それぞれの弟子がどのように映っているのだろうか。


「ああ。ドワーフ属にしては珍しくな。剣の腕前はまだまだだが、成長してくれるものだと期待はしている」


 ヨセミナの性格をよく現した言葉だ。相変あいかわらずの厳しさだと、感慨深かんがいぶかく昔を思い返すオントワーヌだった。


 方陣内に入ったワイゼンベルグは、あちらこちらへと移動を繰り返しながら、二人で定めた道に従って次々と魔力解除を行っていく。彼が自信をもって太鼓判を押す紋様の半分がちょうど終わった。


 ここからが勝負だ。難易度が一気に跳ね上がる。


「代わりましょう、ワイゼンベルグ殿」


 付与も、解除も、等しく力を使う。集中力を欠けば、それだけ雑な付与、解除となり、効果も急激に減少する。ここまでおよそ五十個近い晶瑪玉カルツァトから魔力を抜き取っている。


 この辺りで休息しなければ、もたなくなるだろう。それを見越しての交代だった。


 ワイゼンベルグが一つ一つの晶瑪玉カルツァトを手にしながら、込められた魔力を抜き取るのに対して、コズヌヴィオのやり方は全く性質を異にしている。


 彼はその場所から一歩も動かない。魔術方陣に対して、全方位から魔力を流し込み、晶瑪玉カルツァトたくわえられている魔力を、じっくり観察しているのだ。魔力には魔力だ。


 コズヌヴィオが詠唱に入る。


「カツァリ・ウヴル・ディオエラド

 グレニ・エペリゾ・ピウォ・ラグル

 レヴェー・イグニ・ザラー・ヴァン

 深き大地に眠りし偉大なる力よ

 我が声に応えてここに顕現けんげんせよ

 あまねく元始へと回帰させたまえ」


 コズヌヴィオの魔力が、打ち消すべき晶瑪玉カルツァトの余剰魔力を完璧にとらえた。

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