第170話:魔術方陣による封印

 剣がひらめき、二筋の軌跡きせきを描き出していく。


 紅緋べにひに輝く剣身より伸びた一つはワイゼンベルグの右ひじ、もう一つは一の太刀たちによって貫かれた腹部と背面部に浸透していく。


 輝きが次第に弱まるにつれ、軌跡も薄れ、肘や腹部などから大量にこぼれ落ちていた血が止まる。そして、患部がゆっくりとふさがれていった。


 ヨセミナがヴォルトゥーノ流現継承者として戦う際にのみ手にする魔剣アヴルムーティオの効力だ。銘を紅輝千櫻覇皇剣フォルエージュランという。


「傷はふさいだ。だが、失った血はすぐには戻らぬ。しばし、安静にしておけ」


 剣をさや仕舞しまいつつ、ヨセミナはそれ以上は言葉にしなかった。ワイゼンベルグの戦いを見終え、改めて痛感しているのだ。


 どの流派も同じ問題を抱えている。三剣匠とそのすぐ下に位置する筆頭とは、あまりに力量が開きすぎている。


 ロージェグレダム、ルブルコス、ヨセミナの三人は、天性とも言うべき素質を持ち合わせ、そのうえでたゆまぬ研鑽けんさんを重ね、豊富な実践経験を経たことで今の地位に就任している。


 三人に共通して言えるのは、決して剣匠を目指していたわけではないということだ。気づいた時には、いつの間にかその地位に立っていたのだ。


(頭の痛い問題だな。この戦いが終われば、そろそろ次期後継者を選ばねばならんというのに)


 ヨセミナは頭を抱えつつ、次なる言葉を発した。


「ワイゼンベルグ、お前をここに連れて来た本来の目的だ。探し出してくれ。お前の目をもって」


 止血が完全に終わったワイゼンベルグが左手で両刃戦斧もろはせんぷを握り、目指すべき場所に視線を移した。


「我が女神ヨセミナ様、既に見つけておりますゆえ、ご案内いたします」


 足早で向かうワイゼンベルグの後をゆったりとした足取りでついていく。ヨセミナの視線は一定方向から動かない。それでいて、彼女の気は全方位に向けられている。


 もう数体の中位シャウラダーブが、願わくば高位ルデラリズが現れないものかと淡い期待を抱いている。残念ながら、擬態ぎたいはおろか、魔霊鬼ペリノデュエズの気配は一切感じ取れない。


 高位ルデラリズともなれば、完璧に気配を断つことも可能だろう。ヨセミナには対処できるだけの自信がある。


 ちなみに、ヨセミナならワイゼンベルグが戦った中位シャウラダーブ程度なら、初撃をもって三つの核を一瞬にして断ち斬っている。この力量差は埋めようがないものだった。


「こちらになります」


 ワイゼンベルグが案内したのは、比較的なだらかな崖縁がけふちに近い一帯だ。大小様々な岩石が転がっているのは同じで、周囲に比べて起伏きふくが緩やかになっている。顕著な特徴はただ一種の岩石のみしか見らないという点だ。


「この一帯のみが、我らドワーフ属の間で晶瑪玉カルツァトと呼ぶ、非常に硬度の高い岩石のみで構成されています」


 ヨセミナは言葉を返すことなく、それで、といった表情をもって続きを促す。


晶瑪玉カルツァトは、このような高地で見られるものではありません。通常、地下深くに眠っており、我らにとっても貴重な岩石の一種なのです」

「なるほど。その晶瑪玉カルツァトが、ここにあるということは」


 ワイゼンベルグが強くうなづく。


「人為的にされたものと推察いたします。しかも、ご覧ください、我が女神ヨセミナ様」


 そうは言われても、岩石の詳しい知識などさすがのヨセミナも持ち合わせていない。形状や色はもちろん、手に取れば重さの違いぐらい分かる。所詮しょせんはその程度でしかない。


晶瑪玉カルツァトの配置です。無造作に転がっているように見えて、ある法則性をもって意図的に並べられています。しかも、この環境下です。硬度の高い晶瑪玉カルツァトとはいえ、全く風化していないなどあり得ぬことです」


 ワイゼンベルグの言葉を咀嚼そしゃくする。ヨセミナは目をらして、晶瑪玉カルツァトの配列に施された法則性を見出そうとした。


 ルブルコスほどではないが、ヨセミナもそれなりの魔力量を有している。肉眼でとらえられないなら、魔力を通してればよいのだ。


「これは。魔術陣か。しかも、通常の円陣ではなく、方陣だな」


 およそ三メルク四方の正方陣が展開されているのだ。陣のかなめとなる四角と対角線の交点に、最も大きな晶瑪玉カルツァトが配置されている。それ以外の部分も規則性をもって並べられている。


「さすがは我が女神ヨセミナ様です。まさしくおっしゃるとおり魔術方陣です。陣を構成する晶瑪玉カルツァトには、大量の魔力をたくわえておくことができます」


 ヨセミナは思案さえせず、即座にワイゼンベルグに命じた。


「この方陣は、内から外ではなく、外から内への侵入をはばむものだな。解封しろ」


 これこそがワイゼンベルグを伴った最大の理由だ。ヨセミナに課された使命は、高度二千メルク地点にあると言われる坑道の入口を探し出すことだった。


 アーケゲドーラ大渓谷を訪れる者がほとんどいないとはいえ、これまで誰の目にも触れず、存在さえ知られていないのは明らかに異常だ。


 恐らくは魔術で隠蔽いんぺいされているに違いない。その考えのもとで、見つけ出したなら、ほどこされた魔術を解封する。そのためにこそ、ワイゼンベルグの力が必要だった。


 彼の岩石を見極める目、魔術付与を施せる技術、両方を兼ね備えた彼こそがまさに打ってつけだったのだ。


「できるな」


 ワイゼンベルグの返答を待たずして、ヨセミナは邪魔にならない位置まで下がった。できない、などとは一切思わない。この分野に関して、ワイゼンベルグの右に出る者はいない。ヨセミナはただ待つだけだ。


「お任せください、我が女神ヨセミナ様」


 早速行動を開始する。まずは要となっている四角からだ。ワイゼンベルグには膨大な魔力が方陣内にそそがれているのが視えている。


 魔術付与師は、単純に特定の物質に魔術を注ぎ込むだけが能力ではない。物質にめられた魔術を抜き取るのも重要な技能なのだ。


 一流と呼ばれる魔術付与師は、この二つができてこそだ。ワイゼンベルグは微動だにせず、意識を四角の晶瑪玉カルツァトに集中させている。表情が次第に険しくなっていく。


「我が女神ヨセミナ様、この魔術方陣を築き上げた魔術師は、途轍もなく性格が悪そうです。晶瑪玉カルツァトに施された魔術は、解封すべき順があり、一つでも間違えば方陣が暴走します」


 結果として、どうなるか。自明の理だ。坑道は崩落、大量の土砂に埋もれ、二度と使いものにならなくなる。それでは、ここまで出向いてきた意味がないのだ。


 一難去ってまた一難か。ヨセミナは大きなため息をつくしかなかった。


「どちらだ」


 単刀直入に尋ねる。できるか、できないか。答えは二つに一つしかない。


 ワイゼンベルグは、忸怩じくじたる思いをその顔に貼り付けたまま、力なく首を横に振る。


 外周は全て解封できるだろう。問題はそこからなのだ。方陣内に描かれた複雑な紋様もんようには、確実にわなが仕かけられている。


 築き上げた魔術師をめるべきだろう。絶対に解封させない、という強い意識が感じられるのだ。たとえ罠を突破できたとしても、最大の難関が待ち構える。


 中央に配置された特大の晶瑪玉カルツァトだ。これだけはワイゼンベルグの目をもってしても、構造が全く視えないのだ。


(困ったことになったな。これでは、大師父様からの依頼を達成できないではないか)


 ワイゼンベルグに無理ならば、それを可能とする人物は、ヨセミナが思いつく限り二人しかいない。一人は大師父たるレスティー、もう一人はルプレイユの賢者だ。


 ヨセミナは、当代ルプレイユの賢者コズヌヴィオの実力を知らない。先代ルプレイユの賢者オントワーヌとは親交も深く、彼の力ならば熟知している。


 オントワーヌがこの場にいたなら、ワイゼンベルグではなく、真っ先に彼に解除を依頼していただろう。


≪ヨセミナ、陣に触れず距離を取るのだ。まもなく、魔術転移門が開く≫


 今、最も聞きたい声が脳裏に響いた。ヨセミナは即座にその場に片ひざをつくと、こうべを垂れる。その姿を見たワイゼンベルグも、慌てて同様の行動を取った。何の疑問も持たずにだ。


≪大師父様、おおせのままに≫


「ワイゼンベルグ、何もするな。今すぐ陣から離れろ」


 ワイゼンベルグにとって、ヨセミナの言葉は絶対だ。理由を問う必要もない。言われるがままに、方陣に向けていた視線を切ると、その場から大きく距離を置いた。


 夜の大気を裂いて空間に亀裂が走る。硬質音を響かせながら、にぶい銀光が四方をいろどり、魔術転移門を作り上げていく。


「お久しぶりですね、ヨセミナ。貴女と会うのは、およそ五十年ぶりでしょうか」


 懐かしい声が門の中から聞こえてくる。くぐり抜け、姿を現したのは、見間違いするわけもない。先代ルプレイユの賢者オントワーヌその人だった。

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