第228話:精霊の理からはぐれたもの

 グレアルーヴの血縛術サグィリギスが発動する中、ジェンドメンダは戦いとは別の、不思議な光景を目の当たりにしている。いやが上にも視線が動かされてしまう。


(何だ、これは。まさか、これが)


 今の今まで目に映っていた光景が一変している。目の錯覚ではない。


 グレアルーヴの血縛術サグィリギスの影響なのか。それも断じて違う。優劣はともかく、ジェンドメンダも血縛術サグィリギスの使い手なのだ。もたらす効力の限界は肌で知っている。


「戦いの最中さなか、どこを見ているのだ」


 グレアルーヴの言葉も耳に入ってこない。妖刀の剣身部分は既に崩れ落ち、グレアルーヴの右手の爪がつかを握り締めている。すぐにでも離れなければならない。


 視線を戻さないジェンドメンダをいぶかしく思ったグレアルーヴも、目を向けた途端に同様の感覚に襲われる。


 二人は、まるで戦いを忘れたかのように立ちすくんでいる。二人だけではない。フィアを除く、全ての者が同じ反応を示しているのだ。


「幻か。それとも現実か。どちらだ」


 ザガルドアのつぶやきが、皆の心を代弁している。


 心の扉を開ききったセレネイアが、声にならない絶叫を発していた。それは紛れもなく魔気まきだ。


 これまでの彼女では考えらえない、あふれんばかりの魔力が弾け飛び、天を貫いていった。


 魔剣士だからこそ魔力に敏感に反応する。ジェンドメンダの視線が真っ先に動いた理由だった。


 絶叫の中に様々な感情が入り交じっている。正と負、双方の感情は複雑に絡み合い、拮抗きっこうしている。


 今ようやく、セレネイアの器は満たされたのだ。まだ安定はしていない。辛うじて拮抗を保っている程度だからだ。どちらかに揺れ動けば、再びセレネイアは一方の感情のみに支配されてしまう。


≪ようやく受け入れてくれたわね。それもこれも全ては、言ったところで詮無きことね≫


 もう一人のセレネイアが、心の中から訴えかけてくる。確かに、身体は紛れもなく自身のものだ。その中に一つの器のはずが、二つあるように感じられてならない。すなわち、もう一人の自分がそこにいることを感じ取っている。


 正しくは、器は一つしかない。あくまでセレネイアの身体は一つだからだ。その中に別々の器が入った状態で満たされている。


 二つはほぼ対等で、不安定なまま維持されている。二つの器が融合し、完全に混じり合った時、初めて本来の己自身を取り戻せる。セレネイアにもそれが薄々理解できている。


ときが動き出すわ。最後の試練よ。私の全てを受け入れなさい、もう一人の貴女自身を≫


 右手に皇麗風塵雷迅セーディネスティアを握り締めたまま、セレネイアが左手を天に向けて伸ばしていく。漆黒しっこくに包まれた何かをつかみ取らんとするために。その何かが、次第に明瞭になっていく。


 さらに先へと手を伸ばす。そこにある。セレネイアには分かった。


 迷いなく触れる。触覚を通じて、掴んだものの形が分かる。嗅覚が刺激される。独特の甘くもさわやかな香りがする。次いで視覚に映る。浮かんでいる姿はまぎれもない。聴覚に再び訴えかけてくる。


≪長かったわ。やっと会えたわね。はじめまして、もう一人の私≫


 そこに立つのは己自身、気味が悪いほどに瓜二うりふたつの姿だった。左手がもう一人の自分の右手を握っている。セレネイアは無意識のうちに力を入れてしまう。


≪痛いわよ。そんなに必死にならなくても、私は逃げないわよ≫


 彼女が見せる妖艶ようえんな笑みは、決して自分にはないものだ。それが何だか悔しくもあり、うらやましくもある。


≪それでよいわ。少しずつ負の感情を学んでいきなさい。貴女はこれまで半身でしかなかった。本当の貴女はこれからよ≫


 詳しく聞きたい。教えてもらいたい。その言葉が、なぜか口をついて出てこない。それとは別のことを尋ねてしまう。いまだ混乱が収まらないのだ。


≪貴女は、これからどうなってしまうの≫


 もう一人の自分があきれ返っている。何を馬鹿なことを聞いているの、といった表情だ。


≪二つが混じり、溶け合って一つになるだけよ。本来であれば、あの時にそうなっていたの。随分と時間がかかってしまったわ≫


 意図しない質問だったものの、聞きたいことが増えた。


≪よく聞きなさい。貴女は私であり、私は貴女なの。正と負の感情、その意識は別々に存在するものではないわ。一つで当然なの≫


 少なくとも、言いたいことは理解できる。セレネイアはうなづきつつ、さらに問いかけようとしたところで、別の声が響いてくる。


≪セレネイア、そこまでよ。尋ねるのはなしよ。まずはすべきことがあるでしょう≫


 割って入ったのはフィアだ。


 溶け合えば、いずれ意識は一つとなり、知ることになる。そう、全てをだ。まだその時ではない。


 今、知れば、セレネイアは完全に壊れ、もはや使い物にならなくなるに違いない。それを危惧きぐしたうえでの判断でもあった。


 フィアの視線が動く。もう一人に向けられたそれは、これまで見た中で最も苛烈かれつなものだ。多分に怒りが含まれているのが分かる。


≪フィア様≫


 セレネイアの言葉を待つまでもなく、フィアの右手がしなやかに振られる。足元から風が立ち上がる。渦を巻く風が、セレネイアの逃げ場を断つようにして内包していく。


≪私は逃げも隠れもいたしません。貴女様に到底敵うはずもありませんし、愚かな真似もいたしません。ですから、このまま≫


 振った右手が、もう一人のセレネイアに突きつけられる。その動作で言葉を封じた。意識をも閉ざした。今、生殺与奪せいさつよだつ権はフィアが一手に握っている。


≪お前をどうこうするつもりはないわ。向こうの戦いもしかり、血の力は強いものね。許せないのは、束の間とはいえ、私の愛しのレスティーをあざむいたことよ≫


 セレネイアは耳慣れない言葉を聞いている。主物質界の共通言語ではない。精霊語なのだ。もちろん、セレネイアは精霊語など全く理解できない。


 それがなぜか意味の分かる言葉となって脳裏に響いてくるのだ。思わず口を挟んでしまう。


≪貴女は、精霊なの≫


 フィアとしては拙速せっそくすぎた。セレネイアの中で、既に二人の意識は繋がっている。だからこそ、会話の意味も伝わって当然なのだ。


≪私としたことが、しくじったわね。言うつもりはなかったけど、もう隠しても仕方がないわね≫


 フィアは向き合っているセレネイアに対し、頷きをもって承諾を与える。自身で答えなさい、ということだ。


≪ええ、そうね。精霊、厳密に言えば元精霊といったところかしら。精霊のことわりからはぐれたもの。夢魔マレヴモンと呼ばれているわ≫


 セレネイアは精霊の存在こそ知っているものの、理からはぐれたものがいるなど聞いたこともない。


夢魔マレヴモンは特別な存在なのよ。なぜなら、ファーレフィロス家の血の中でのみ生きられるから。しかも、女に限るわ≫


 今度はフィアが答える。


 ラディック王国を支える四大貴族にあって、最大の力を有する筆頭貴族、それがファーレフィロス家だ。そして、その血統にセレネイアの亡き母リュシエンシアがいる。


 すなわち、セレネイアたち三姉妹、それにヴィルフリオもまた、ファーレフィロス家の血を継ぐのだ。


 夢魔マレヴモンはファーレフィロス家の血の中で、かつ女の中でのみ生きられるとフィアは説明してくれた。では、セレネイアだけではない。二人の妹の中にも。そう思ったところに、フィアの言葉が来る。


夢魔マレヴモンがどのように生まれるか、私も知らないわ。ただ、もう一つだけ条件があるの。それは、長女にのみ発現するということよ≫


 フィアは詳しくは語らない。今のセレネイアに必要がないからだ。


 夢魔マレヴモンの発現条件は次となる。まず、ファーレフィロス家の血であり、女であり、長女であるということだ。


 これらの三つは、あくまで発現の因子を有する条件にすぎない。因子を有したとしても、必ずしも覚醒するとは限らないのだ。


 現にセレネイアの母リュシエンシアは長女であったにもかかわらず、因子は眠ったまま覚醒しなかった。セレネイア以前の覚醒ともなれば、十代以上もさかのぼらなければならない。


≪二人の妹は、そもそも因子さえ持たないわ。心配無用よ≫


 セレネイアを包んでいる風が遠のいていく。用事が終わったということだ。フィアの表情がいささかくもっている。


≪そう、今は駄目なのね。ええ、仕方ないわね。不問に付すしかないのね≫


 わずかに寂しさを残し、切り替えたフィアの視線が夢魔マレヴモンに突き刺さる。


 夢魔マレヴモンは平身低頭とばかりに頭を下げている。大きなため息の後、フィアが最後の言葉を口にした。


≪刻が動き出すわ。備えなさい。皇麗風塵雷迅セーディネスティアを振るいなさい。今ならば≫

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