第227話:セレネイアの目覚めとグレアルーヴの実力

 脳裏に雑音が広がっていく。神経の一つ一つに異なる高さ、大きさの音が染み込んでいくかのようだ。


 奥深き底から始まり、表面に向かって次第に音量が大きくなっていく。


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアを手にしたセレネイアのもとまで辿たどり着けるのだろうか。けながら、セレネイアの脳内は大音響で埋め尽くされていった。


 意識が遠のく。


 セレネイアは暗闇の中で目覚めた。意識は途絶えたままだ。


 感覚だけが戻っている。五感のうちの一つだけだ。


 視覚は閉ざされている。周囲にはただ無限とも言うべき闇が広がっている。嗅覚、味覚もない。手は動く。闇の中で動かしたところで、何もとらえられない。すなわち、触覚がないも同然だ。


 あるのは聴覚だけ、遠くから何かが聞こえてくる。比例して、脳内を埋め尽くす大音響が少しずつ弱まっていく。次第に大きくなって、近づいてくる何かが、自分の声だと気づくまで、相当の時間を要した。


 鏡がひび割れるがごとく、硬質な音が光となってほとばしる。


≪お帰りさない、セレネイア。いい夢は見られたかしら。それとも≫


 聴覚以外の三感も戻ってくる。視覚だけが、淡い靄がかかったままだ。


 セレネイアは、自分に起こったこと、今起きていることに理解が全く追いつかない。呆然ぼうぜんと立ち尽くす。


≪いつまでほうけているつもりなの。全てが動き出すわよ≫


 セレネイアは訳が分からないまま、しきりにかぶりを振っている。声は聞こえてくる。確かに自分の声に違いない。先ほどまで見えていた、もう一人のセレネイアの姿がない。なぜかは分からない。


≪どうして、私、何が起こったの。それに、手にしているのは≫


 確かに右手に持っているのだ。皇麗風塵雷迅セーディネスティアつかをしっかり握り締めた状態で。


ときが動き出すわよ。守りたい者がいるのでしょう。力が欲しいのでしょう。覚悟を示しなさい≫


 閉ざされていた心の扉が、少しずつ開いていく。セレネイアは脳裏に自身の声を受けながら、実感していた。


 力だ。奥底からき上がってくる。しかも、これまでのセレネイアが持ち得なかったものだ。それはすなわち、負の感情に他ならない。


 それが心の中から解き放たれ、全身へと巡っていく。セレネイアは凄まじいまでの感情の波に押し流されそうになり、耐えるだけで精一杯だ。負の感情は、容赦なくセレネイアを追い立ててくる。


≪駄目、受け入れられない。今の私でなくなってしまう。怖いの、誰か、助けて≫


 助けを求めるセレネイアの心に浮かんだのは誰だっただろうか。


あらがわないで。身体と心で受け入れなさい≫


 簡単にできるなら苦労しないし、そもそもはなから受け入れている。


≪無理よ。それに、貴女はいったいどこから語りかけてきているの≫


 混乱に拍車がかかる。いまだに声はすれど、姿はなし状態なのだ。いい加減にしてほしいと思いつつ、どうにもならない状況に苛立いらだちがつのっていく。


 それが功を奏したのだろう。


≪そうよ、苛立ち、怒りなさい。貴女、一度でも負の感情を爆発させたことがあるの。ないでしょう≫


 馬鹿にしているかのような口調で、声だけのセレネイアがあおってくる。


 これこそが、セレネイアの最大の欠陥なのだ。ディグレイオが見抜いたとおりだった。本来、正と負、両方の感情が詰まってこそ器は満たされる。


≪見せてみなさい。怖がらずに。本当の貴女の全てを。刻が満ちていくわ≫


 脳裏に響く声が遠ざかっていく。そして、全てが明瞭になった。


 セレネイアが皇麗風塵雷迅セーディネスティアでシルヴィーヌとトゥウェルテナを同時に貫いた凄惨せいさんな光景は、全ての者に尋常ならざるを衝撃を与え、その動きを封じてしまっていた。


 彼らの目には、宙に浮かんでいるセレネイアなど映るはずもない。だからこそ与えた影響は大きかった。


 唯一、動じないのは、真実が見えているフィアのみだ。


 その中で、この状況を最もたくみに利用した者がいる。言わずもがな、ジェンドメンダだ。


 彼も他者同様、釣られて視線を一瞬、セレネイアに向けざるを得なかった。魔剣士たる彼でさえもこのざまなのだ。対峙たいじしているグレアルーヴが遅れを取るのは仕方がないことだった。


 仮想戦闘が続く中での、この刹那せつなとも言えるすきは致命的でもある。ジェンドメンダはそれを確実に狙える男なのだ。


 ジェンドメンダが音もなく左脚を素早く踏み込む。ツクミナーロ流は、せんが基本の型だ。その彼が初めて先に仕かける。


 誰もが視線を奪われる中で、その動きを視界のすみに捉えられたのはグレアルーヴとザガルドアだけだった。


 既にジェンドメンダは左手一本で握る妖刀を豪速で突き入れている。グレアルーヴに回避する余裕はない。切っ先が眼前に迫る。迎撃する時間もない。


(心臓か。ならば)


 一直線に突き進む切っ先の狙いは、間違いなく心臓だ。グレアルーヴの選択肢は一つしかない。


「終わりだ。奥義華沫血襲裂壊ムアラサグナ


 切っ先が触れた瞬間、グレアルーヴの皮膚は文字どおり、鮮血の花を咲かせ、皮膚が五枚の血花弁に沿って五筋に裂けていく。


 さらに肉をえぐり、心臓へと到達する。ジェンドメンダは切っ先を通じて手応えを感じ取っていた。


 確実に穿うがった。グレアルーヴが屈強な獣人族とはいえ、心臓は一つしかない。あらゆる人型種にとって、心臓は揺るぎなき弱点の一つだ。それを潰されて、生きていられる者など存在しない。


 致命の一撃がグレアルーヴを仕留めた。


「我の奥義が真の意味で恐ろしいのは、これからだぞ」


 勝利を確信してまないジェンドメンダが見せた、初めての隙だった。達人と言えども、油断はするのだ。特に勝利を決めた攻撃後こそ、最も警戒しなければならない。


 心臓を破壊され、動けないはずのグレアルーヴの両手が、ジェンドメンダの妖刀を捉える。爪の能力と自身の膂力りょりょくをもって、完全に封じたのだ。


「油断したのは、お前の方だったな」


 ジェンドメンダの顔にあせりが見える。そして、異変に気づく。奥義によって心臓を穿ったのだ。当然、発動すべきものが発動していなければならない。


(なぜだ。なぜ発動せぬ)


 ジェンドメンダが急ぎ、妖刀に魔力を注ぎ込む。


 はじかれた。剣身のやや根元部分だ。グレアルーヴは残された全ての爪を用いて握り締めている。


「無駄だ。いくら魔力を注ごうとも、俺の爪が全て遮断する」


 そうとなれば、ジェンドメンダの取るべき道は限られる。一度、妖刀を引き抜き、態勢を整えるか。あるいは、強引に突き入れたまま多段奥義を用いるか。


 奥義には魔力が必要だ。グレアルーヴの言を信じるなら、いくら魔力を注ごうとも遮断されてしまう。ジェンドメンダは迷いなく前者を選択した。


「馬鹿な」


 妖刀が全く動かない。まるで分厚ぶあつい筋肉にからめ取られたかのようでもある。ジェンドメンダは魔霊人ペレヴィリディスだ。その膂力をもってしても微動だにしない。


 グレアルーヴが戦闘に入って、初めて笑みを見せる。そこに見える色は、何だろうか。


「この時を待っていた。二つの意味でだ。お前に、分かるか」


 ジェンドメンダの表情に浮かぶ焦りは、次第に恐怖へと変わっていく。


(我は魔霊人ペレヴィリディスなるぞ。その我が恐れをいだいたのか。あり得ぬ)


「貴様の心臓は、確かに穿った。なぜ生きているのだ。なぜ動けるのだ」


 ジェンドメンダの剣身から白煙が上がっている。鋼で形成されたそれが崩れていく。


「剣身が。貴様、腐食の能力をも」


 左手薬指の爪が触れた部分から、またたく間に鋼が腐り落ち、立ち上がる白煙とともに剣身を完全に破壊していった。心臓を穿っていた切っ先も消え失せる。


「無傷だと。そうか、貴様の血縛術サグィリギスか。抜かったわ」


 グレアルーヴとジェンドメンダの戦いも、いよいよ終幕を迎えようとしている。


「そろそろ幕引きといこう。お前には聞きたいこともある」

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