第156話:マリエッタの救出

 天と地より発生した陣によって、妄念塊もうねんかいはその動きを完璧に封じられている。先端から根元まで全ての幹が微動だにしない。


 両陣内に複雑極まりない紋様もんようが刻み込まれていく。ほのかなきらめきを残し、陣内に定着すると同時、天の陣より冷気が、地の陣より熱気が妄念塊を浸食していった。


 さらに両陣が鳴動、直径およそ五メルクの小円陣を構築していく。完成した小円陣がすぐさま移動を開始する。


 吹き出す冷気、熱気とともに妄念塊の幹を伝い、ほぼ中間点で停止する。そこは一際ひときわ異質、妄念塊の細い幹が幾層にも折り重なって作り上げた繭玉まゆだまだ。


 マリエッタはこの繭に包み隠されているのだった。繭の上下を小円陣がはさみ込む。


 浸食していく冷気と熱気が妄念塊の幹を凍てつかせ、熱していく。不思議なことに小円陣の内側、すなわちマリエッタを包む繭だけは何ら影響を受けていない。


 二つの小円陣は、冷気と熱気を霧散させるためのもの、繭を傷つけないための防御陣になっているのだ。


≪今です。確実に、仕留めるのですよ≫


 カランダイオの声は確実にセレネイア、シルヴィーヌに届いた。


「セレネイアお姉様、参ります」


 セレネイアの背に両手を軽く添えたシルヴィーヌが深呼吸、自らの魔力を妄念塊に向けて放出する。


 標的は動かない。カランダイオの四つの魔術陣にからめ取られた妄念塊の幹を、シルヴィーヌの薄く引き伸ばした魔力が覆い尽くしていく。その様子は、シルヴィーヌを通じてセレネイアの脳裏にも映し出されていった。


 シルヴィーヌの魔力網が、全ての幹をとらえた。内部まではっきりと視認できる。これによって、おのずと断つべき正確な軌道も確認できる。


「セレネイアお姉様、完璧に捉えました。断つべき軌道をお見せいたします」


 無数の幹があるように見えて、実は根幹は一本しかない。他のものは、全てそこから派生したものだ。


 根幹内には、三筋の通り道がある。まるで、人の血管のごとく脈動している。外から取り込んだ妄念を吸収、消化、さらに妄念塊そのものを動かすための魔力の通路になっているのだ。


 これほどまでに激しく動けていたのは、マリエッタの魔力を奪い続けていたからだろう。マリエッタの魔力が完全に失われる前に、何としても救出しなければならない。今なお妄念塊は抵抗をあきらめていないのだ。


 マリエッタから魔力を吸い上げ、必死に動こうともがいている。それが分かるだけに、セレネイアはあせる気持ちをなだめなければならなかった。


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアを握る右手にも自然と力が入る。その力に呼応して風が不自然に巻き上がり、次第に強さを増していく。


≪冷静になりなさい。そのようなことでは制御に失敗しますよ。失敗が何を意味するかは、言わずとも分かるでしょう≫


 カランダイオの言葉でセレネイアが己を取り戻す。まだまだ未熟だ。自戒しながらも、セレネイアは深呼吸を繰り返す。


「お姉様、導きます」


 シルヴィーヌが背に触れていた右手を離し、セレネイアの右手に重ねた。


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアが淡緑の輝きを四方に放つ。シルヴィーヌの魔力を受け入れた証でもあった。肉眼による視界は不要だ。むしろ、邪魔でしかない。


 冷静さを取り戻したセレネイアは、ゆっくりと両の瞳を閉じた。視覚を封じることで、残された感覚がいっそうぎ澄まされていく。道場での鍛錬の賜物だ。


 ここにセレネイアの準備が整った。


「有り難う、シルヴィーヌ。はっきりえているわ。もう大丈夫よ」


 名残惜なごりおしそうに、シルヴィーヌの右手が離れる。セレネイアは皇麗風塵雷迅セーディネスティアを高々とかかげた。


「何なの、あの剣は。吹き荒れる風に飛ばされそうよ。フォンセカーロ、大事を取ってもう少し離れるわ」


 フィリエルスの指示が飛ぶ。フォンセカーロも同様の思いだ。二頭のアコスフィングァがさらに距離を取って、妄念塊から離れていく。


「団長、あれは間違いなく魔剣アヴルムーティオです。すさまじいまでの大気の力を内包しています。それだけではないように思いますが、ここからでは何とも言いがたいですね」


 フィリエルスはうなづくだけだ。マリエッタを見た時にも感じた。あの若さで並外れた魔力量を有し、先代賢者に教えをう魔術師、恐ろしい存在だと。


 今また屋上に立つ二人の娘を見て、その考えを改めて実感している。恐らくは、あれが噂に聞く第一王女と、背後に立つのは第三王女だろう。


(ラディック王国が誇る三姉妹、ここまでとは想像していなかったわ。まさに、あなどれない存在ね)


 フィリエルス率いる空騎兵団が最強かつ常勝無敗となった要因は、ひとえに彼女の戦術にある。つまり、本番の戦闘前に行う頭脳を使った複雑な仮想戦だ。


 十二将筆頭ザガルドアことイプセミッシュの高速思考には及ばないものの、彼女もまたそれに匹敵するぐらいの能力を持っているのだ。


(あの三姉妹に加えて、カランダイオ殿を敵とした場合、空騎兵団総がかりで戦ったとしたら、有翼獣の大半を失ってしまうわね。多大な犠牲を払う価値など全くないわ。決して戦いたくない相手ね。いえ、それ以上に)


 フィリエルスは、そこで思考を中断せざるを得なかった。


皇麗風塵雷迅セーディネスティア、私に力を貸してください。マリエッタのために」


 剣身に渦巻く風が上昇気流となって天に駆け上がっていく。


 セレネイアはまだ動かない。瞳を閉じたまま、その時を待ち続けている。つかを握る右手からは、無駄な力が抜けている。セレネイアそのものが自然体、あるがままのカヴィアーデ流における神髄しんずいを具現化しているのだ。


 すさまじい速度で天まで達した上昇気流が白雲を裂き、下降気流へと転じる。千切れた白雲が再び集い、次々と雷雲を形成していく。


 天が高らかに鳴動、上空にとどまるアコスフィングァがおびえるほどの轟音ごうおんが響き渡る。


 時が、満ちた。


「行きます」


 掲げた皇麗風塵雷迅セーディネスティアを一気に振り下ろす。


 雷雲が弾け、皇麗風塵雷迅セーディネスティアに導かれて三筋の雷撃が妄念塊をつ。それはまさに雷光矢、瞬時に根幹内の三本の通り道を駆けくだっていった。


 一発にしか聞こえない三発の轟雷ごうらいをもって、全てが終わっていた。


 小円陣に挟まれた妄念塊の繭だけを残し、それ以外の全てが跡形もなく木っ端微塵こっぱみじんに砕け散っていった。


≪見事でしたよ≫


 ねぎらいの言葉だけを残して、魔力が完全に枯渇した。もはや飛翔魔術は無論のこと、構築していた魔術陣も維持できない。結果として、カランダイオは重力の法則に従ってはるか上空より落下した。


「カランダイオ」


 セレネイアとシルヴィーヌが同時に叫ぶ。いち早く動いたのはフォンセカーロだ。即座にアコスフィングァを急降下させ、落下していくカランダイオの真下まで飛ぶと、その身体を受け止める。


 胸をで下ろす姉妹をよそに、カランダイオの魔力枯渇がもたらす影響がもう一つあった。


 小円陣が消えたことで、宙に浮かんだ状態の繭も急降下を始めたのだ。根幹が滅んだ結果、繭を構成している幹が次々とがれ落ちていく。繭内に包み込まれたままのマリエッタの身体が次第に視認できるようになる。


 このままだと地上へと一直線、叩きつけられてしまう。その姿は決して想像したくないものだ。


「マリエッタ」


 再びセレネイアの絶叫が風に乗って広がっていく。シルヴィーヌはあまりの衝撃に声も出ない。


「私に任せなさい」


 フィリエルスは、こうなるであろうことを予想していた。フォンセカーロが動いたと同時、いつでもアコスフィングァを急降下できるよう準備していたのだ。


 アコスフィングァを駆るフィリエルスが垂直落下、強力な羽ばたきの力も加わって、またたく間にマリエッタに追いつく。真下に入った瞬間、急上昇に転じた。まさに地上に激突する寸前だった。


 マリエッタの身体はフィリエルスにしっかりと抱き止められ、その腕の中にあった。


「私の出番は、ありませんでしたね」


 ファルディム宮玉座の間から一連の様子をつぶさに観察していたビュルクヴィストが、誰にも聞こえないようにつぶやいていた。


「これでは、私の活躍の場が減る一方ですよ」


 どこまでいっても、ビュルクヴィストはビュルクヴィストだった。

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