第155話:姉妹の絆とカランダイオの魔術

 セレネイアとシルヴィーヌは、ファルディム宮左翼の屋上に辿たどり着いていた。


 眼前で繰り広げられる光景に目がくぎづけだ。攻防は目まぐるしく移ろう。二人は一心不乱に見つめ続けている。


 カランダイオの指示どおり、ここまで来たものの、今の自分たちにできることは何もない。セレネイアにはそれ以上に心配事がある。シルヴィーヌだ。


 第三王女として、様々な場面で気丈きじょうに振る舞ってきた彼女の有能さはセレネイアも認めるところだ。シルヴィーヌは十歳、若すぎる。初めて目にする正真正銘、命をけた激戦に圧倒されるのも当然だった。


 戦いはまさに想像を絶している。つた状の妄念塊もうねんかいが地上を根城にして、幾本もみきを伸ばし、有翼獣に、カランダイオに容赦ようしゃなく襲いかかる。


 それらをたくみにかわす有翼獣の背には、会ったことも見たこともない女と男が振り落とされもせず、悠然ゆうぜんと立っている。口に笛のようなものを当てている。それをもって操縦しているのだろう。


 カランダイオに至っては、もはや人の常識外だ。何しろ、ほぼ自在に空を飛んでいる。あり得ない状況が現実のものとなって展開されている。


 シルヴィーヌは、知らず知らずのうちに全身が震えるのだった。恐怖からか、あるいは興奮からか。本人にも分かっていない。その震えが次第に大きくなっていく。シルヴィーヌの前に立っているセレネイアにまで伝わってくる。


 少しの間なら、戦いから目を離しても大丈夫だろう。セレネイアは判断した。振り返り、シルヴィーヌを優しく抱き締める。ゆっくりと言葉をつむいでいく。


「恐ろしいわよね。初めて自ら戦いの場に立った時は、私も震えが止まらなかったわ。自ら振るった剣で、人を殺てしまうかもしれない。逆に、私が殺されるかもしれない。そう思っただけで動けなくなったの」


 シルヴィーヌが眼前の光景を前に震えているのは、人として当然のことなのだ。


 セレネイアは一呼吸置いた。幾分かはシルヴィーヌの震えがやわらいだように思える。


「これだけはしっかり覚えておいて。私たちは王族なの。決して、守られるだけの存在であってはならないの。私たちの義務は、この王国に住まう全ての民たちを守ること、それに尽きるのよ」


 セレネイアが第一王女でありながら、第一騎兵団団長を務めている理由が、まさにそこにある。


 上空をけるカランダイオは妄念塊の攻撃をけつつ、意識の半分は、常にセレネイアとシルヴィーヌに向けている。シルヴィーヌが恐怖にとらわれ、震えていることにも気づいていた。


 シルヴィーヌに対し、カランダイオができることは何もない。彼女を立ち直らせるのはセレネイアにしかできない役目だ。


(強いきずなで結ばれた姉妹ですね。これなら大丈夫でしょう。では、私も仕上げに入るとしましょう)


 もう半分の意識は、魔術行使のために取ってある。


 フィリエルスとフォンセカーロが操縦する二頭のアコスフィングァは、襲い来る妄念塊の攻撃を躱しながら、カランダイオの指示どおりに誘導している。


(見事ですね。あそこまでたくみに操るとは)


 急降下と急上昇を繰り返し、意図を悟らせないように妄念塊を手繰たぐり寄せている。


 地上から伸びた妄念塊の複数の幹は、最初は四方八方に散らばり、縦横無尽の攻撃を繰り返していた。それが今や、散り散りになっていた幾本もの幹が、まるで一本の太い幹のごとく集約されつつある。


 はぐれた幹があれば、アコスフィングァを急降下させてあえて追わせる。ある程度の距離感を取ったら、すぐさま急上昇に転じ、幹の中心部へといざなっていく。


 二頭のアコスフィングァの完璧な頭脳戦、それらを操縦するフィリエルスとフォンセカーロの卓越した技術の賜物たまものでもあった。


 シルヴィーヌはこのような状況下に置かれていることを自認しつつ、いつまでも姉の腕の中にいたいと思わずにはいられない。


(セレネイアお姉様でもそのようなことが。それに、お姉様の鼓動がこれほどまでに早くなっているなんて)


「セレネイアお姉様、私は」


 セレネイアは今一度、シルヴィーヌを強く抱き締める。


「何も言わなくてもよいのよ。貴女を信じているもの。私の可愛い妹、必ず私が貴女を守るわ。そして、安心して背中を預けるわ。貴女の力をもって、私に断つべき正しい軌道をせて」


 優しく頭をで、シルヴィーヌを解放する。セレネイアはその瞳を見つめ、視線を前に戻す。


 離れていくセレネイアに向かって手を伸ばし、シルヴィーヌはそのまま背後から抱きついた。


「シルヴィーヌ、どうしたの」

「セレネイアお姉様、大好きです。愛しています」


 思わず笑みがこぼれる。可愛い妹からの言葉が嬉しくないわけがない。巻きついてきたシルヴィーヌの両手を軽く叩く。


「私もよ、シルヴィーヌ。任せたわよ」

「はい、セレネイアお姉様。このシルヴィーヌにお任せください」


 はるか上空で繰り広げられる攻防戦も、もはや終わりに近づきつつある。準備が整い次第、必ずカランダイオから合図が来る。セレネイアとシルヴィーヌはそれを待つだけだ。


(これを使えば、私の魔力はほぼ枯渇こかつします。セレネイア殿、あえて触れませんでしたが、本当に一撃勝負なのですよ。ここまでお膳立てしたのです。しっかり決めてもらいますよ)


 仕上げの段階だ。カランダイオが詠唱にかかろうとした瞬間、邪魔が入った。


≪カランダイオ殿、手助けが必要ですか。私にできることがあれば、何なりとおっしゃってください≫


 ビュルクヴィストからだった。忌々いまいましい限りだ。詠唱の邪魔をされた挙げ句、手助けなど不要と分かっていながらのこの言動だ。


≪不要ですよ。それよりも、ビュルクヴィスト殿、この事態については後ほどしっかり説明してもらいますよ≫


 強引に会話を断ち切って、今度こそカランダイオが詠唱に入る。


「シュスー・リーウィ・レメイ・ネシエ

 アリュムー・ガドロウ・ゼレネ・イヴフェ

 ロヴァーラ・ディネ・ロヴェーロ・ディニ

 高き天より御下おんくだりて

 冷たき慈悲の陣を構築せよ

 深き地より御上おんのぼりて

 熱き慈愛の陣を構築せよ」

 

 詠唱の成就と同時、天と地に巨大な魔術陣が描き出されていく。見届けたフィリエルスとフォンセカーロが、魔術陣の影響が及ばない距離まで即時離脱する。


 天に描かれた陣はやや青みがかった白色の冷気を真下に吹きつけながら、地に描かれた陣はやや赤みがかった橙色の熱気を真上に噴きつけながら、直径およそ二十メルクの正円をそれぞれ構築していく。


 地の陣はその中心に妄念塊の根元を内包し、完璧に固定している。天の陣は上空よりゆっくりと降下、妄念塊の先端をとらえる。


≪準備は整っていますね。これより魔術を行使します。一度発動すれば、妄念塊は微動だにできません。始末は任せますよ≫


 セレネイアの悲痛な叫びが返ってくる。


≪ま、待ってください、カランダイオ。まだマリエッタがどこにいるのか、私にはえていないのです。そのような状態で皇麗風塵雷迅セーディネスティアを振るえば、マリエッタも≫


 カランダイオはしかめ面を浮かべつつ、淡白に答えを返す。


≪先ほども言いましたよ。私を誰だと思っているのです。既にマリエッタ殿の位置は特定しています。貴女が魔剣アヴルムーティオを全力で振るおうとも、何ら問題はありません≫


 セレネイアが一呼吸置いて答える。


≪分かりました。私は、貴男を信頼しています。その貴男の言葉です。全力でいきます≫


 シルヴィーヌの小さな両手がセレネイアの背に触れた。シルヴィーヌの温もりと力が伝わってくる。二人の準備も万端だ。


天白地橙結透創陣ローディロヴィーレ


 カランダイオの魔術が発動した。

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