第084話:王宮内の粛清と回復の秩序

 リーゲブリッグの炎爆熱火焦球ペセロフィグルを、至近距離から浴びたイプセミッシュは一瞬気を失っていた。


 彼を包んでいた炎は、強烈な冷気によって消えている。身体は一切傷ついていなかった。火傷やけどすらもない。


 ふらつきつつ何とか起き上がったイプセミッシュは、広がる光景に目を見張った。周囲の状況があまりにも激変している。


 まず目に入ったのは、氷の彫像となって立ち尽くす継母ままははたち三人の姿だ。視線を玉座の方向に移す。


「リーゲブリッグ」


 なぜか、哀れみの感情しか出てこない。リーゲブリッグは腹部に大きな穴が開いたまま、氷漬けにされていた。絶命していることは明白だ。


「ザガルドアは、無事か」


 イプセミッシュは、すぐさまザガルドアのもとへ駆け寄ろうとして、足を止めた。見知らぬ男が、彼のすぐそばに立っている。


「誰だ。ザガルドアから、今すぐ離れろ」


 男はザガルドアの傷口に、切っ先を当てていた。


さえずるな、小僧」


 左腕に装着した剣が、何とも禍々まがまがしい。その様子を見たイプセミッシュが勘違いしても、何ら不思議ではない。


 騎士たちに突き刺された右脇腹と左胸やや下から大量に出血している。一刻も早く治療しなければ、確実に命を落とす。はやる気持ちを抑えられないイプセミッシュが、またも男に突っかかっていく。


「貴男が何をしているかは知らないが、すぐに治療をしなければザガルドアが死んでしまう。そこをどいてくれ、頼む」


 イプセミッシュの懇願こんがんをあっさり無視して、男はなおも切っ先を当て続け、一歩も動かない。同じく、イプセミッシュも動けなかった。


 男が発散しているすさまじいばかりの圧を前に、身体が意思に反して、動こうとしないのだ。しばしの後、男がようやくザガルドアから剣を離した。


「小僧、終わったぞ。傷口は全てふさいでおいた。少なくとも、七日は安静にさせておけ。動けば、またすぐに傷口が開く」

「あ、貴男は、いったい」


 呆然ぼうぜんたたずむイプセミッシュに、男はようやくにしてわずかの笑みを見せた。その視線がイプセミッシュの奥、玉座のウェイリンドアに向けられる。


「お前の父ウェイリンドアは、私の知己ちきだ。彼奴あやつのたっての頼みゆえ、この十年間、お前を陰から見守ってきた」


 イプセミッシュには思い当たるふしがあったようだ。


 裏路地でのおよそ十年に及ぶ生活で、死に直面したことは一度や二度どころではない。もう駄目かと思った瞬間もある。そんな時に限って、何かしらの幸運が訪れ、命からがら生き長らえてきたのだ。


「では、これまでの数々の幸運は、貴男が」

「どうであろうな。一つだけ言えるのは、お前も、お前の友も死ぬべき運命にはなかった。それだけだ。私が何かしたかなど、どうでもよい。結果として、お前たちは生きている。それが全てだ」


 イプセミッシュに最後まで言わせることなく、男は肯定も否定もせず、淡々と語るのみだ。


 先ほどから父ウェイリンドアに向けられている視線が、何とも力強く、それでいて優しさにあふれている。イプセミッシュは、父とこの男が真の友情で結ばれていることを実感していた。


「助けた礼を返せと言うつもりは毛頭ない。そのうえで、私からお前に頼みがある。その男、リーゲブリッグを丁重にほうむってやってほしい」


 詳しい経緯の説明は一切ない。むしろ、イプセミッシュ自身に調査しろ、と言っているようなものだった。


「あの女どもは何とも狡猾であった。一人娘を人質に取られていては、リーゲブリッグも言いなりになるしかあるまい。娘を無事に解放する条件は、聡明なお前のことだ。言うまでもなく分かるであろう」


 リーゲブリッグの放った炎爆熱火焦球ペセロフィグルは、殺傷能力が高い火炎系魔術の一つだ。それがイプセミッシュを一切傷つけていない。本来ならばあり得ないことだった。


「魔術発動時、衝撃以外の威力を無効化していたのだ。リーゲブリッグは最後の最後まで、お前がここに戻り、ウェイリンドアの後を継ぐことを心より願っていた」


 男の言葉に胸を打たれた。


「そう、だったのか、リーゲブリッグ」


 氷漬けのまま絶命しているリーゲブリッグに視線を移す。彼のりし日の姿を思い出しながら、イプセミッシュの目からは涙があふれていた。


「リーゲブリッグは、貴男が」

「それが約束であったからな」


 イプセミッシュが理解するには、あまりにも情報がとぼしすぎる。聞いたところで、きっと答えてくれないだろう。イプセミッシュは喉元のどもとまで出かけていた言葉をみ込んだ。


 男がきびすを返す。


「待ってください。せめて、命の恩人たる貴男の名前だけでも聞かせてください」


 背を向けたまま答える。


「名乗るほどの者ではない。小僧、いやイプセミッシュ、お前の父ウェイリンドアを大切にな。後継ぎとして立派な国王になれ。いずれ会う機会もあるであろう。その時まで、さらばだ」


 男の姿が揺らぎ始めた。まるで大気に溶け込んでいくかのように、ゆっくりと色を失いつつある。


「貴男のおかげで生き延びることができました。有り難うございました」


 深々と頭を下げたまま、イプセミッシュが男を見送る。やがて、大気の揺れが収まり、色も完全に失せた。


 男の姿は、そこにはなかった。


 あれから五日が経った。


 イプセミッシュは疲労困憊の中、精力的に動き回った。翌日遅くには、王国周辺に住まう貴族たちをこぞって集め、玉座の間になかば監禁状態で閉じ込めた。


 味方も敵も一緒、まさに呉越同舟ごえつどうしゅう状態だ。玉座に座るべき、ウェイリンドアの姿はない。その横にただ一人、イプセミッシュが立つ。


 彼は一同を睥睨へいげい、国王ウェイリンドアの玉璽ぎょくじが入った宣言文を突きつける。そして、高らかに読み上げていく。


 もはや、王者の貫禄、十分といったところだ。自らの身分と、これまでの境遇、さらには今後、王位第一継承者として国王を補佐、王国内の諸侯を束ねていくといった内容を滔々とうとうと語った。


 仕上げとして、継母ままははたちがこれまで王宮内で重ねてきた悪事の数々を暴いた。


 対して、継母派貴族たち、つまりは不穏ふおん分子だ、は当然のごとく猛反対、あらゆる罵詈雑言ばりぞうごんが浴びせかけた。


 イプセミッシュはその全てを平然と受け流す。彼には最大の切り札があるからだ。イプセミッシュの命を受けた側近四人が、それを慎重に運んでくる。


「国家の転覆を図った愚か者どもの成れの果てだ。この氷像は、見せしめとして王宮広場に一年間野晒のざらしとする。我が王国の恥をさらすものだ。これは全ての者へのいましめとする。異議ある者は今すぐ申し出るがよい」


 恐怖と絶望の表情を貼りつけて絶命した継母たちのあわれな氷像を前に、文字どおり、一同が凍りついたのは言うまでもないだろう。


 継母派貴族は完全に沈黙した。イプセミッシュは、王宮内に巣食っていた彼らを、すみやかに要職から追放した。無論、恩赦おんしゃという甘いえさも忘れてはいない。


 そして、何を置いても優先されるのが、実父でもある国王ウェイリンドアの治療だ。信頼できる治癒術師数名が力を合わせ、精神干渉状態から脱却させるべく、昼夜を問わず治療に当たった。


 その甲斐あってか、三日目にしてようやく意識を取り戻し、イプセミッシュと会話ができるところまで回復したのだった。


 後で父から聞いた話では、リーゲブリッグの精神干渉魔術は不完全だったとのことだ。間違いなく、意図的に彼がそうしたのだ。


 この一件だけでも、命の恩人たる男が告げた内容が真実だったと分かる。リーゲブリッグは最後までウェイリンドアの、さらにはイプセミッシュの味方だったのだ。


 ザガルドアの治療も迅速に行われた。傷は全て氷によってふさがれ、出血の心配もなかった。剣による内臓損傷は思ったほどに深くなく、重要な臓器は全て無事だった。まさに不幸中の幸いだ。


 しかし、戦いで失った体力と精神力、さらには大量の出血が回復を遅らせていた。命の恩人からは、少なくとも七日は安静に、と言われている。


 その七日目を二日後に迎える中、ザガルドアが目覚める気配は全くない。イプセミッシュは焦っていた。


(昔、リーゲブリッグから聞いたあの話はどういう内容だったか。思い出せ。私の記憶を全て掘り起こしてでも、思い出すのだ。そう、記憶の魔女の話だ)


 翌日、イプセミッシュの姿が王宮から消えていた。新たに側近となった二人の文官、さらにはいざという時に備えて二人の騎士を呼び出し、事細かく指示を与えた。


「どんなに遅くとも今日中に戻る。私の留守の間、頼んだぞ」


 向かうは王国領土内、ゼンディニア王国王都ポルヴァートゥから馬を走らせて、およそ三ハフブルだ。


 ダリニディー森林、そこに記憶の魔術が住んでいるはずだ。


(待っていろ、ザガルドア。お前は、私が必ず助けてみせる)

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