第245話:雪氷嵐に哀情を載せて塵と還る

 静寂だけが支配している。


 ロージェグレダムもゴドルラヴァの姿をまと高位ルデラリズも微動だにしない。動けないのか、あえて動かないのか。


 無音となった空間に再び音が戻ってくる。息を忘れていた雪氷嵐せっぴょうらんもまた呼吸とともに舞い始め、次第にうなりをとどろかせていく。


 先に動いたのは、残心ざんしんを保持しているロージェグレダムだ。星煌剛玉破晶剣シュディネハーヴェンの切っ先が雪深い大地に食い込み、吹きすさぶ氷の結晶が剣身をにぎやかにきらめかせている。


 二人の動作とはまさに対照的な光景だった。


 やいばは静まり返っている。炎熱はもはやその役割を果たし切ったか、沈黙したままだ。


 ロージェグレダムがゆるやかに右手首を返し、星煌剛玉破晶剣シュディネハーヴェンの切っ先を雪中から浮かび上がらせる。


 氷雪嵐はさらに勢いを増し、動いたロージェグレダム、動かぬ高位ルデラリズ凍氷とうひょうが容赦なく撃ちつけていく。静かに残心を解いたロージェグレダムの視線がゴドルラヴァの姿の高位ルデラリズに向けられる。


 まるで身も心もこおりついたかのようだ。当然の帰結だった。


 槐黄青炎竜雨ユブラムラドついの剣技、決して視覚でとらえられない剣閃けんせん青白ルブレーシュの竜と化した時、全てが終わっている。高位ルデラリズは核を失ったことにさえ気づいていない。


 七つの核はけ抜けた青白ルブレーシュの竜に食われ、星煌剛玉破晶剣シュディネハーヴェンの魔力へと即座に変換されていった。


 唯一ゆいいつ残された高位ルデラリズ根核ケレーネルは、今やロージェグレダムの手中だ。全ての核を失った高位ルデラリズの身体がおもむろにちりかえっていく。


「ロージェグレダム殿、感謝する。これで心残りは何も」

「ないわけがないじゃろう」


 好々爺こうこうやとしたロージェグレダムがたかぶった感情をさらけ出している。心残りがあるに決まっている。断定しているにも等しい叫びだ。


「済まぬ。ゴドルラヴァ殿、わしは無力じゃ。お主に何もしてやれぬ」


 両腕が塵となって大気へと運ばれた。次いで両脚が崩れていく。


 分裂したゴドルラヴァの記憶は分解され、高位ルデラリズ本体が有する剣を創り出した最初の核、そして破壊した二つの核、さらには七つの核に融合されてしまっている。その全てを星煌剛玉破晶剣シュディネハーヴェンは食ったのだ。


 結果として、星煌剛玉破晶剣シュディネハーヴェンの中で再び一つとなり、融合されていった。その記憶もときを置かずして失われていく。


 ゴドルラヴァの身体はもはや存在しない。根核ケレーネルがあれば、粘性液体を生み出し、再構築も可能となる。


 ゴドルラヴァはそれを望んでいない。もはや完全なる消滅をただ待つだけなのだ。だからこそ、星煌剛玉破晶剣シュディネハーヴェンは労力をかけ、食った魔力から記憶のみを分離、崩れていく高位ルデラリズの身体に転写した。


≪長くはもたぬぞ≫


 ひとえにロージェグレダムのためを思ってのことだった。


「ロージェグレダム殿、貴殿のおかげで私は今一度一つになれた。この記憶はこれまで生きてきた中で最も心地よい」


 両脚が大気にさらわれ、残るは頭部と胴体のみとなった。胴体が両脚つけ根部分から失われていく。


「貴殿にたくした根核ケレーネルは、記憶の消滅とともに破壊してほしい。私の痕跡こんせきなど残す必要もあるまい」


 がたい悲しみが襲ってくる。これまで数多あまたの別れを経験してきているロージェグレダムにとっても驚くべきことだった。


 ゴドルラヴァは人ではない。魔霊鬼ペリノデュエズなのだ。その彼との惜別せきべつがここまで辛いものになろうとは想像もできなかった。


 胴体が完全に失せた。頭部を残すのみだ。ゴドルラヴァの顔を持つそれは、わずかにみを浮かべたように見えた。


「もし、生まれ、変わ、れる、なら」


 途切れ途切れの言葉がこぼれる。既に頭部も崩壊を始め、あごの先からゆっくりとちりになっていく。この瞬間だけは雪氷嵐も優しく包み込むかのようにゴドルラヴァの顔をでていった。


「人に、そうだ。人に、なり、たい、もの、だ」


 口が、鼻が、目が失せ、そしてゴドルラヴァの全てが塵に還る。最後の言葉とともに雪氷嵐に抱かれ、空に舞い上がっていく。


≪私の記憶は永遠に貴殿とともに。さらばだ、ただ一人の友よ≫


 声ではない。直接心に響く音となってはっきり伝わってくる。ゴドルラヴァの最後の意思は、しかとロージェグレダムの心にみ込んでいった。


 胸内に大切に仕舞いこんでいたゴドルラヴァの根核ケレーネルを取り出す。星煌剛玉破晶剣シュディネハーヴェンを大地に突き刺すと、根核ケレーネルを両の手のひらにせ、高々と持ち上げる。


 その姿は、塵となって流されていったゴドルラヴァに対する祈りのようでもあった。


「儂からの手向たむけじゃ」


 両の手のひらから炎が噴き上がる。それは三つの炎、すなわち赤灼アルドゥル白麗エレヴロン青白ルブレーシュだ。根核ケレーネルに寄り添うかのように三つの炎が溶け合い、焔輪フルラーロを作り上げていく。


「ゴドルラヴァ殿よ、受け取るがよい」


 ロージェグレダムは自ら創り出す炎熱を完璧なまでに制御する。低温から高温まで、形状も炎熱を注ぐ範囲も自由自在、だからこそ槐黄えんこうの剣匠と言われるのだ。


 ゴドルラヴァの根核ケレーネルを包む焔輪フルラーロは、根核ケレーネルとほぼ接する部分が最低温、外に行くにつれ温度が上昇していく。すなわち根核ケレーネルまもりつつ、外部からの攻撃や干渉といった全てをはじくのだ。


「お主の心は儂の炎熱で清浄せいじょうと化す。全てのうれいを忘れ、安らかに眠るのじゃ」


 焔輪フルラーロに囲まれた根核ケレーネルがゆっくりと宙へと浮かび上がっていく。ロージェグレダムは開いた両の手のひらを静かに重ね、そしてとなえる。


「儂の心は常にお主のそばに。さらばだ、永遠の友よ。清永魂眠浄穏ピュレムソワユ


 宙に浮かぶ根核ケレーネルまばゆいばかりの発光を散らし、溶け合った炎の中で最も低温の赤灼アルドゥル根核ケレーネル内へ浸透していく。


 次いで白麗エレヴロンが表面を覆い尽くし、最高温の青白ルブレーシュが渦を巻きながら二つの炎と根核ケレーネルみ込んでいった。


 美しくもはかない輝きが宙をいろどる。さながら死者の魂をなぐさめるかのように、あるいは浄化された魂を祝福するかのように、三つの炎はそれぞれの輝きを保ち、また溶け合っていく。


(魔霊鬼ペリノデュエズだった者の魂、混沌にかえることができようか。儂には分からぬ)


 根核ケレーネルを覆う炎が一つとなり、大音響とともにぜる。その響きの何と悲しげなことか。雪氷嵐に哀情あいじょうせて大気を渡っていく。


 それはどこまでも続く余韻となって、ロージェグレダムの心の内に刻み込まれていった。


(済まぬな、友よ。儂には、これぐらいしかできぬ)


 天高きところでゴドルラヴァの顔がかすかに浮かんだように見えた。もちろん錯覚に違いない。


≪貴殿からは既に十分なものを頂戴した。これ以上に望むものはない≫


 まさしく忸怩じくじたる思いだ。


 魔霊鬼ペリノデュエズとは、混沌の輪還バーニュラーディよりはぐれた存在、通常ならば決して混沌に還ることはない。


 ゴドルラヴァは魔霊鬼ペリノデュエズとはいえ、その存在自体が異質だった。生まれてから一度たりとも人を食わず、依代よりしろともせず、なのだ。可能性があっても不思議ではない。


≪ロージェグレダム、かの者の魂が混沌に還るかいなかは私にも分からぬ。全ては母上様のご意思による。強く願うしかあるまい≫


 レスティーの言葉にうなづきつつ、別の意味でロージェグレダムは驚愕きょうがくするしかなかった。


 三剣匠にとっての大師父ことレスティーは、できぬことなど何もないというほどの、まさしく神のごとき存在だ。そのレスティーをもってしても、見通せないことがあるなどとは信じられない思いなのだ。


 あわよくばすがりたいと一瞬でも考えた己を恥じるしかない。


 何よりもレスティーにとって、いかなる境遇であろうと魔霊鬼ペリノデュエズは滅ぼす対象でしかない。そこに情けなどが入る余地は皆無だ。ロージェグレダムはそれを理解したうえで丁重に頭を下げた。


≪私とて万能ではないのだ。そなたたちから見ればそのように見えるだろうが、できぬことの方が多いであろう。そなたの願いもその一つだ。私の力をもってかなえられるなら叶えてやりたい。許せ、ロージェグレダム≫


 何と浅はかだっただろうか。大師父たるレスティーにこのようなことを言わせてしまうとは何たる不敬だ。無礼にもほどがある。


 ロージェグレダムは慌ててその場に両ひざをつくと、深々と身体を折り曲げ、平身低頭の姿勢を取った。全身が雪に埋もれるのもお構いなしだ。


≪立つがよい。何度も言っているが、私にそのようなことをする必要はない≫


 言葉の向こうで苦笑を浮かべているレスティーが見え隠れする。


 染み込んだくせというものは早々に抜けるものではない。レスティーに心酔しきりのヨセミナほどではないにしろ、ロージェグレダムも似たようなものだ。


 許しを得たロージェグレダムが立ち上がる。その姿を確認したレスティーの意識が消えていく。


 雪氷嵐の中に黙したままたたずむロージェグレダムに星煌剛玉破晶剣シュディネハーヴェンが問いかける。


≪貴様、泣いておるのか≫


 ロージェグレダムは笑って答える。


「儂が泣くはずもなかろう。これは、そうじゃ、汗じゃな」


 この強がりめが。


 星煌剛玉破晶剣シュディネハーヴェンはその言葉をみ込み、聞かなかったことにした。


 何かともめることも多いロージェグレダムと星煌剛玉破晶剣シュディネハーヴェンは、やはり心の深いところでしっかりとつながっているのだ。


「さて、仕上げといこうか」

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