第038話:ダナドゥーファとサリエシェルナ

「さすがはラディック王国の頭脳ですね。よい質問です。先にこれを忘れてはいけませんね。貴男にお悔やみを。アレイオーズもまた優秀な宰相でした。本当に残念でなりません。ステルヴィアを代表して謹んで哀悼の意を表します」


 ビュルクヴィストは立ち上がると、モルディーズに深々と頭を下げた。


 亡くなった者への敬意こそ、おろそかにできない。何より追悼の言葉は誠実でなければならない。慌てたモルディーズもすぐさま立ち上がり、同様に礼を返す。


 再び座り直したビュルクヴィストが続ける。


「さて、どこから話せばよいものやら」


 ビュルクヴィストは遠い目をしながら、昔話でもするような口調で語り始めた。


「モルディーズ、この主物質界にエルフの住まう里は幾つあると思いますか」

「三里ではなかったでしょうか。そのように聞いた記憶があります」


 元来、閉鎖的なエルフ属は、今では里同士の交流も希薄で、出身者でもなければ内情を知ることはほとんどできない。


 以前にも述べたとおり、一つは完全に他属との交流を断っている。残り二つも交流はしているものの、そもそもエルフ属の数自体が少ないのだ。


 里の数を知っていたモルディーズは、それだけで大したものだった。


「博識ですね。パレデュカルは三里の中で、最も不可思議なシュリシェヒリ出身でした。不可思議、正しく表現できているのか私もあまり自信がないのですが、これ以上の言葉を思いつきません」


 シュリシェヒリの里は、現長老の方針で内外の行き来を完全に遮断している。里全体を包む形で結界が展開されているため、相当の力のある高位魔術師でもなければ、結界を破ることは不可能だ。


 エルフの里の長老は、一人の場合もあれば、複数人の場合もある。シュリシェヒリは代々一人の長老を頂点に、それを補佐する二名がつき従う体制を取っている。


「パレデュカルは卓越した力を持つ魔術師でした。行く行くは補佐を経て、長老になるだろうとまで言われるほどの逸材でした。しかしながら、そうはなりませんでした」


 誰からも質問の声は上がらない。ビュルクヴィストの話にじっと聞き入っているからだ。


 しばしの静寂が場を支配している。ビュルクヴィストは一区切り入れると、再び遠い目になった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 今からおよそ三百余年前のことだ。


 当時のシュリシェヒリは完全鎖国状態ではなく、里に入ってくる者は厳しく制限していたものの、里内の望む者なら比較的容易に外に出られた。


 結界もそこまで強固ではなく、どちらかと言えば外から見つけにくくするための隠蔽いんぺいが主目的だった。


「長老、なぜだ。なぜ動かない。俺の大切な姉がさらわれたのだぞ。今、ここで警備隊を投入すれば救出できるはずだ。手をこまねいている場合ではないのは分かり切っているだろう。一刻を争う事態なんだ。速やかに出動命令を出してくれ」


 ダナドゥーファは焦っていた。


 絶対に外から侵入される恐れはない。かねがね長老陣が豪語していた結界が、得体の知れない何者かに無効化されてしまった。しかも、ダナドゥーファにとって己の命よりも大事な姉サリエシェルナが連れ去られてしまったのだ。


 賊をめるのは業腹ごうはらだ。これほどまでに鮮やかな手並みは、高位の魔術師が絡んでいるに違いない。それも複数人の可能性が高い。


 サリエシェルナはダナドゥーファには及ばないものの、優れた魔術師の一人だ。一対一なら不覚を取るなどまず考えられない。何よりも彼女が魔術を行使した痕跡こんせきが見つけられない。


 それはすなわち賊は彼女に魔術行使の時間を与えず、拉致らちしたということだ。


「長老、ダナドゥーファの申すとおりです。何者かは分かりませんが、我らが里に無断で忍び込み、さらにはサリエシェルナを誘拐するなど、このような暴挙を許してよいはずがありません。今すぐに警備隊を出動させるべきです」


 長老を動かそうと熱弁をふるうのは、ダナドゥーファの盟友でもあるトゥルデューロだ。二人は幼い頃から切磋琢磨してきた仲で、今では厚い友情で結ばれていた。


 ダナドゥーファの姉サリエシェルナは、トゥルデューロの思い人でもある。奥手のトゥルデューロはいまだ秘めた思いを告げられないでいる。卑劣ひれつな誘拐など、私的感情からしても一切許容できるものではなかった。


「ならぬ」


 よわい一千歳を超える現長老キィリイェーロがおごそかに、拒絶の言葉を口にする。つき従う二人の補佐は言葉にしないながらも、長老に同意する意思をうなづきをもって示している。


「俺の姉をこのまま見殺しにするというのか。そんなこと、この俺がさせるとでも思っているのか」

「長老の前ですよ。言葉を慎みなさい、ダナドゥーファ」


 激高して長老に食ってかかるダナドゥーファを、補佐の一人ミジェラヴィアがいましめる。


「ミジェラヴィア、お前はサリエシェルナの親友ではなかったのか。そのお前が姉を見殺しにしろと言うのだな」


 怒りに燃える目をミジェラヴィアに向ける。ダナドゥーファは、今にも爆発しそうな勢いだ。きっかけさえあれば、ここで魔術を行使することも辞さないだろう。


 ミジェラヴィアも、言葉とは裏腹に苦悩しているのだ。


(許して、ダナドゥーファ。私とて、今すぐにサリエシェルナの救出に向かいたいのです。しかし、私は長老を補佐する立場として里の掟に縛られ、それを最優先にしなければならないのです)


「分かった。お前たちが動かないと言うなら、俺一人ででも姉の救出に向かう」

「ま、待て、ダナドゥーファ。もう少し説得してからでも」


 はやるダナドゥーファを、トゥルデューロが落ち着かせようとした。既に冷静さを欠いているダナドゥーファは、聞く耳を一切持たない。トゥルデューロが伸ばした手を邪見に払いのける。


「トゥルデューロ、お前は俺の姉にれているんだろ。隠していたつもりだろうが、俺が気づかないとでも思ったか。そのお前が、俺の邪魔をしようというのか。もはや一刻の猶予もないんだ。こいつらと押し問答している時間こそが無駄なんだ」


 長老たちをにらみつけるダナドゥーファが、右手に魔力を凝縮し始めた。もはや我慢の限界を超えていた。


「俺の邪魔をするというなら、まずはお前たちから蹴散けちらしくれる」


 一切の感情を廃したキィリイェーロが、右手に持つ背丈ほどの杖をダナドゥーファに突きつけ、静かに告げた。


「どうしても行くというのなら止めはせぬ。だが、ダナドゥーファ、行くのはお前一人だ。里の者の同行は一切認めぬ。我らには与えられし重要な使命があるのだ。それにまさるものはないのだ」


 ダナドゥーファは、怒りと悲しみ、両極の感情をない交ぜにして、右手につづった魔力と共に頭上に放った。


 獣じみた絶叫が樹々の合間を抜けて反響する。魔力は即座にすさまじい炎と化し、里内をけ巡った。


 耐え難い熱を伴った炎は、今のダナドゥーファの心の映し鏡だ。やり場のない怒りの象徴でもある。


 炎は樹々を傷つけることなく、周囲を一際ひときわ輝かせると、その勢いを弱め、やがて霧散していった。


「ダナドゥーファ」


 トゥルデューロのつぶやきも、むなしく空に消えていく。


 既にダナドゥーファの姿はなかった。それ以来だ。シュリシェヒリでダナドゥーファを見た者は誰一人としていなかった。


(済まぬ、ダナドゥーファ。許してくれとは言わぬ。私は長老としての責務を果たすのみ。お前が無事、サリエシェルナを救い出すことを願っている)


 心の中でダナドゥーファにびつつ、長老キィリイェーロはきびすを返すと、二人の補佐に耳打ちした。


「結界強度を最硬度に。これよりシュリシェヒリは厳戒態勢に移行する」

かしこまりました」


 寂しげなキィリイェーロの背中が見えなくなるまで、二人の補佐はその場にたたずんでいた。

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