第380話:藍碧と紅緋

 対岸の崖下がいかでは、ルブルコスが忌々いまいましそうに上空を見つめている。風雪吹き荒れる中でも、彼の魔眼まがんをもってすれば、微細びさいな魔力でさえも見落とすことはない。


「何をしているのだ。当代スフィーリアの賢者、やはりビュルクヴィストとは比べるまでもないな」


 文句を垂れながらも、ルブルコスの意識は別方向から接近する二つの影に注がれている。


「珍客万来だな。これもまた因果というものか」


 ルブルコスは同じ剣匠でも、ロージェグレダムやヨセミナと異なり、そこまでの戦闘狂ではない。


 レスティーの命令だけは絶対視しているものの、それ以外においては、たとえ剣匠の務めであろうと、気が乗らなければ適当に流してしまう。今までは、突出した実力ゆえに、流していても事を済ませられていた。


 ここからは様相が一変する。


 ルブルコス最大の力が皆既月蝕かいきげっしょくによって封じられてしまうからだ。剣匠にあって、魔術より剣術の力がはるかにまさるロージェグレダムやヨセミナと違って、ルブルコスはまさしく真逆だ。


「私は楽をさせてもらおう。あの二人、さらにはあの者たちが控えているなら問題などなかろう」


 表情には笑みさえ浮かんでいる。


 その様子を背後に立つイプセミッシュと、上空から降り立ったばかりのフィリエルスが興味深くうかがっている。


 ルブルコスも二人の視線に気づいたのだろう。振り返るなり、飾りなく言い放つ。


「女、命拾いしたな。少しでも遅れていたら、あ奴の餌食えじきになっていたかもしれぬ」


 フィリエルスも想像できたのだろう。身震いしている。隣で控えるアコスフィングァも明らかに落ち着きがなく、おびえた声をあげている。


「案ずるな。お前たちも気づいているであろう。あの者たちが来る。うれいなど何もない」


 イプセミッシュもフィリエルスもそろって聞きたそうな顔をしている。あの者たちのうち、一人は分かっている。問題はもう一人の方だった。


 フィリエルスが上空、アコスフィングァに騎乗している際に感じたあの気持ち悪さが、肌を刺すようにつきまとって離れない。少なからず、イプセミッシュも同様だった。


「何を聞きたいのだ。いや、私に聞く前に、直接本人に尋ねればよかろう」


 ルブルコスは誰よりも早く二つの魔気まきとらえていた。イプセミッシュとフィリエルスの後方を指差す。


 いつの間にここまで接近していたのだろう。イプセミッシュもフィリエルスも全く気づけなかった。


「この二人が暗殺者なら、お前たちは声すらあげる間もなく、ここで死んでいたな」


 ルブルコスからの厳しいいましめが一瞬にしてイプセミッシュとフィリエルスの心を折っていた。


「相変わらずだね、あんたは。随分と久しぶりじゃないか、ルブルコス」


 藍碧らんぺきのルブルコス、紅緋べにひのルシィーエット、力の根源は無論のこと、性格も真逆な二人は実のところ、最も相性がよかったりする。


 氷と焔は対極ながら、大局を見据えて一点集中とばかりに最大の力を一気に振るう二人ならでは、といったところかもしれない。


「ああ、久しいな、ルシィーエット。息災そくさいで何よりだ。そして」


 ルシィーエットと並び立つもう一人に目を転じる。


「ここに来て初めて感じた魔気、やはり貴男だったのね。何年ぶりになるかしら」


 イプセミッシュもフィリエルスも間違いなく初対面だ。にもかかわらず、初めて会った気がしない。


 フィリエルスの顔が雄弁に物語っている。まるで絵画の中で出てくる絶世の美女そのものだ。同じ女として嫉妬しっとさえき上がってこない。


「ああ、私も気づいていた。敵意がなかったゆえ、放任したがな。あれ以来だな。かつての三剣匠にしてヴォルトゥーノ流元継承者、紅緋べにひたるヒオレディーリナ」


 イプセミッシュもフィリエルスも彼女の名前だけは知っている。歴代剣匠の中でも最強とうたわれるエルフの魔剣使い、姿を消して久しく、生存さえ疑われるほどだったヒオレディーリナが、今目の前に立っている。


 二人が言葉を失うのは至極当然でもあった。


 ヒオレディーリナが右手を差し出しくる。握手を求めているわけではない。


「あれを返してもらうわ」


 ルブルコスもヒオレディーリナが何を言っているのか、即座に理解したのだろう。


「そうだな。あの時に返し忘れていたものだ。確かに返したぞ」


 ルブルコスが取り出したのは一枚の金貨だった。


 受け取ったヒオレディーリナが空中に放り上げ、回転しながら落ちてくる金貨を手のひらに包み込んだ。


 手のひらを開き、表裏に刻まれた異なる三種の紋様もんようを見つめる。


「間違いないわね。確かに返してもらったわ」


 失礼を承知で、イプセミッシュはヒオレディーリナの手のひらに乗った金貨をのぞきこむ。


「まさか、その金貨は」


 イプセミッシュのつぶやきにフィリエルスが即座に反応した。


「見たことがあるのですか」


 イプセミッシュはただ首を横に振るだけだ。


「いや、見たことはない。もう昔の話だ。ザガルドアから一度だけ聞いたことがある。彼が話した特徴と合致している」


 ザガルドアの名前が出て、反応しないヒオレディーリナではない。


 ルブルコスは既にこの不毛とも思えるやり取りに飽きているのか、会話に入ろうとさえしていない。視線は対岸、ロージェグレダムに向けられている。


「坊やは何と言ったの。詳しく話しなさい」


 いきなりヒオレディーリナに話しかけられ、イプセミッシュは明らかに戸惑っている。それに何より、ヒオレディーリナの口から不思議な言葉が聞こえてきたからだ。


「ぼ、坊や」


 イプセミッシュとフィリエルスの声が見事に重なっている。


「あんたたちが気にする必要はないさ。それに二人の認識に間違いはないよ。ディーナが言うところの坊やは、あんたたちの今の主で友人でもあるザガルドアだよ」


 尋ねる前に明確にルシィーエットに断言されてしまった。二人にはうなづく以外にできることはない。


「イプセミッシュと言ったかしら。見違えるほど大きくなったわね」


 ヒオレディーリナの口調には何の感情も乗っていない。目に映ったそのままを言葉にしているだけだ。


「もう一度聞くわ。坊やは何と言ったの」


 イプセミッシュは困惑しながらも、記憶の中からザガルドアの言葉を拾い上げていった。


「『表は分からないけど、裏は矢が三本だ』と。また『美しいお姉さんに意味を尋ねようとした時には既に姿を消してしまっていた。それ以来、一度も会っていない。会って、俺の成長した姿を見せたいんだが』とも言っていました」


 ヒオレディーリナの視線が下を向いている。彼女に向かって、イプセミッシュはさらに言葉をつむいだ。


「ザガルドアがシェルラを失って以来、初めて見せる悲しみと寂しさに満ちた表情に私は何も言えませんでした」


 わずかに視線を上げたヒオレディーリナの表情に変化は見られない。


「そう。坊やがそんなことを。イプセミッシュ、有り難う。聞かせてくれて」


 かぶせるようにしてルシィーエットが口を開く。


「ディーナ、いいのかい。あんたは」


 ルシィーエットの言葉はこれだけで封じられる。ヒオレディーリナは人差し指をそっと唇にえてみせた。


(全く不器用なんだからね。話せば楽になることだってあろうさ。それをしない。ディーナ、あんたらしいよ)


 刹那せつな、空気の流れが変わった。


 瞬時に対応できたのは三人だけだ。ルブルコスは動く気配さえ見せない。


「当然さね。皆既月蝕が始まった以上、あんたの力は減衰げんすいしきってしまう。仕方がないね。ルブルコス、一つ貸しだよ」


 ルシィーエットも例外ではない。先代賢者とはいえ、魔術師である限り、皆既月蝕のくびきからは決して逃れられない。


「心配など無用だよ。私にはとっておきの秘策があるからね」


 ヒオレディーリナも既に覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェを抜剣、右手で軽くつかを握っている。


「私の魔剣アヴルムーティオを甘く見ないことね。覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェはそこらに転がっている魔剣アヴルムーティオとは歴然とした差があるのよ」


 ルシィーエットとヒオレディーリナの視線が交錯こうさく、互いに頷く。ルシィーエットは先手をヒオレディーリナにゆずった。


「こそこそと隠れていないで姿を見せなさい」


 ヒオレディーリナが覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェを下段から逆袈裟ぎゃくけさり上げていく。


 無数の光のきらめきが四方に散り、虚空こくうを軽々と裂いていった。


 割れた虚空の中から巨大な腕だけが飛び出し、同時にすさまじい絶叫が響き渡る。


 覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェによってち斬られた腕は、魔霊鬼ペリノデュエズといえど再生はかなわない。


 ヒオレディーリナの覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェ魔剣アヴルムーティオ最強の一振ひとふり、光の粒子があらゆる細胞を高速で分解してしまうのだ。


 さらには、もう一つの特徴だ。


覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェ魔剣アヴルムーティオでありながら、魔力を一切使わずして真の力を発揮できる唯一の剣なのよ」


 上段へと振り上がった覇光極奏玖龍滅デュマレアリージェを、今度は先ほどの逆袈裟の剣軌けんきを正確になぞって超高速で振り下ろす。


 ヒオレディーリナは虚空より姿を現した魔霊鬼ペリノデュエズという醜悪な汚物を情け容赦なく斬り裂いていった。

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