第380話:藍碧と紅緋
対岸の
「何をしているのだ。当代スフィーリアの賢者、やはりビュルクヴィストとは比べるまでもないな」
文句を垂れながらも、ルブルコスの意識は別方向から接近する二つの影に注がれている。
「珍客万来だな。これもまた因果というものか」
ルブルコスは同じ剣匠でも、ロージェグレダムやヨセミナと異なり、そこまでの戦闘狂ではない。
レスティーの命令だけは絶対視しているものの、それ以外においては、たとえ剣匠の務めであろうと、気が乗らなければ適当に流してしまう。今までは、突出した実力
ここからは様相が一変する。
ルブルコス最大の力が
「私は楽をさせてもらおう。あの二人、さらにはあの者たちが控えているなら問題などなかろう」
表情には笑みさえ浮かんでいる。
その様子を背後に立つイプセミッシュと、上空から降り立ったばかりのフィリエルスが興味深く
ルブルコスも二人の視線に気づいたのだろう。振り返るなり、飾りなく言い放つ。
「女、命拾いしたな。少しでも遅れていたら、あ奴の
フィリエルスも想像できたのだろう。身震いしている。隣で控えるアコスフィングァも明らかに落ち着きがなく、
「案ずるな。お前たちも気づいているであろう。あの者たちが来る。
イプセミッシュもフィリエルスも
フィリエルスが上空、アコスフィングァに騎乗している際に感じたあの気持ち悪さが、肌を刺すようにつき
「何を聞きたいのだ。いや、私に聞く前に、直接本人に尋ねればよかろう」
ルブルコスは誰よりも早く二つの
いつの間にここまで接近していたのだろう。イプセミッシュもフィリエルスも全く気づけなかった。
「この二人が暗殺者なら、お前たちは声すらあげる間もなく、ここで死んでいたな」
ルブルコスからの厳しい
「相変わらずだね、あんたは。随分と久しぶりじゃないか、ルブルコス」
氷と焔は対極ながら、大局を見据えて一点集中とばかりに最大の力を一気に振るう二人ならでは、といったところかもしれない。
「ああ、久しいな、ルシィーエット。
ルシィーエットと並び立つもう一人に目を転じる。
「ここに来て初めて感じた魔気、やはり貴男だったのね。何年ぶりになるかしら」
イプセミッシュもフィリエルスも間違いなく初対面だ。にもかかわらず、初めて会った気がしない。
フィリエルスの顔が雄弁に物語っている。まるで絵画の中で出てくる絶世の美女そのものだ。同じ女として
「ああ、私も気づいていた。敵意がなかった
イプセミッシュもフィリエルスも彼女の名前だけは知っている。歴代剣匠の中でも最強と
二人が言葉を失うのは至極当然でもあった。
ヒオレディーリナが右手を差し出しくる。握手を求めているわけではない。
「あれを返してもらうわ」
ルブルコスもヒオレディーリナが何を言っているのか、即座に理解したのだろう。
「そうだな。あの時に返し忘れていたものだ。確かに返したぞ」
ルブルコスが取り出したのは一枚の金貨だった。
受け取ったヒオレディーリナが空中に放り上げ、回転しながら落ちてくる金貨を手のひらに包み込んだ。
手のひらを開き、表裏に刻まれた異なる三種の
「間違いないわね。確かに返してもらったわ」
失礼を承知で、イプセミッシュはヒオレディーリナの手のひらに乗った金貨を
「まさか、その金貨は」
イプセミッシュの
「見たことがあるのですか」
イプセミッシュはただ首を横に振るだけだ。
「いや、見たことはない。もう昔の話だ。ザガルドアから一度だけ聞いたことがある。彼が話した特徴と合致している」
ザガルドアの名前が出て、反応しないヒオレディーリナではない。
ルブルコスは既にこの不毛とも思えるやり取りに飽きているのか、会話に入ろうとさえしていない。視線は対岸、ロージェグレダムに向けられている。
「坊やは何と言ったの。詳しく話しなさい」
いきなりヒオレディーリナに話しかけられ、イプセミッシュは明らかに戸惑っている。それに何より、ヒオレディーリナの口から不思議な言葉が聞こえてきたからだ。
「ぼ、坊や」
イプセミッシュとフィリエルスの声が見事に重なっている。
「あんたたちが気にする必要はないさ。それに二人の認識に間違いはないよ。ディーナが言うところの坊やは、あんたたちの今の主で友人でもあるザガルドアだよ」
尋ねる前に明確にルシィーエットに断言されてしまった。二人には
「イプセミッシュと言ったかしら。見違えるほど大きくなったわね」
ヒオレディーリナの口調には何の感情も乗っていない。目に映ったそのままを言葉にしているだけだ。
「もう一度聞くわ。坊やは何と言ったの」
イプセミッシュは困惑しながらも、記憶の中からザガルドアの言葉を拾い上げていった。
「『表は分からないけど、裏は矢が三本だ』と。また『美しいお姉さんに意味を尋ねようとした時には既に姿を消してしまっていた。それ以来、一度も会っていない。会って、俺の成長した姿を見せたいんだが』とも言っていました」
ヒオレディーリナの視線が下を向いている。彼女に向かって、イプセミッシュはさらに言葉を
「ザガルドアがシェルラを失って以来、初めて見せる悲しみと寂しさに満ちた表情に私は何も言えませんでした」
「そう。坊やがそんなことを。イプセミッシュ、有り難う。聞かせてくれて」
「ディーナ、いいのかい。あんたは」
ルシィーエットの言葉はこれだけで封じられる。ヒオレディーリナは人差し指をそっと唇に
(全く不器用なんだからね。話せば楽になることだってあろうさ。それをしない。ディーナ、あんたらしいよ)
瞬時に対応できたのは三人だけだ。ルブルコスは動く気配さえ見せない。
「当然さね。皆既月蝕が始まった以上、あんたの力は
ルシィーエットも例外ではない。先代賢者とはいえ、魔術師である限り、皆既月蝕のくびきからは決して逃れられない。
「心配など無用だよ。私にはとっておきの秘策があるからね」
ヒオレディーリナも既に
「私の
ルシィーエットとヒオレディーリナの視線が
「こそこそと隠れていないで姿を見せなさい」
ヒオレディーリナが
無数の光の
割れた虚空の中から巨大な腕だけが飛び出し、同時に
ヒオレディーリナの
さらには、もう一つの特徴だ。
「
上段へと振り上がった
ヒオレディーリナは虚空より姿を現した
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