第379話:エルフの秘術による天敵

 コズヌヴィオたちと別れたエレニディールはサリエシェルナの魂をまもりながら、高度八千メルク、すなわちアーケゲドーラ大渓谷最高地点を目指して進んでいる。


 今、彼がいるのは高度四千メルクをわずかに超えたところだ。


「ここが限界なのでしょう。魔術転移門が開けなくなりました。吹き荒れる暴風雪には、魔術阻害の効力があるようですね」


 スフィーリアの賢者たるエレニディールは魔力を通した目をもって、暴風雪の中の雪に焦点を当てている。もちろん、風を主体とする魔術も得意ながら、エレニディールの最強魔術は師でもあるビュルクヴィスト同様、氷雪系だ。


「主物質界で魔術を行使する以上、必ず痕跡こんせきが残るのです。それを探し出すのみです」


 レスティー以外の者が行使すればね、と心の中でつけ加える。


 痕跡は行使から時間が経過すればするほど薄まっていく。痕跡から行使された魔術へと逆にさかのぼっていくのは至難しなんわざとも言えよう。


「実に巧妙に隠していますね。それでも私の目は誤魔化ごまかせません」


 さすがに当代スフィーリアの賢者だけはある。エレニディールはおのが魔力を暴風雪に溶けこませながら、行使されたる魔術に干渉していく。


「これは。エルフの秘術ですか。エルフ属の中でも、この魔術を扱える者は限られています」


 魔力質から一目瞭然だった。行使したのはジリニエイユではない。太古のエルフの力を具現化している他者の仕業だ。


 エレニディールでさえ、太古のエルフの力は扱えない。知識として知っているにすぎない。


「いったい何者なのでしょうか」


 悩んだところでどうにもならない。エレニディールは長命なエルフ属の中でも、まだまだ若輩じゃくはいにすぎない。


 一千年はおろか、数千年以上生きるエルフ属は数多あまたいる。そういった者に限って隠遁生活を送っていたりするものだ。見つけ出すのは不可能と言ってもよいだろう。


≪エレニディール、どのような魔力質なのですか。今の私の状態では、他者の魔力に触れることが叶いません。もしも貴男の中に取り込めるなら、貴男を通じてそれが可能となります≫


 語りかけてきたサリエシェルナは魂のみの状態だ。魔力の一部には、魂に強く干渉するものもある。肉体を取り戻し、魔力循環を正常に行うまで、他者の魔力に触れるわけにはいかない。


≪試してみましょう。ところで、サリエシェルナ、貴女はエルフ古王国の生き残りでもあります。エルフの秘術には、私も知らないものがまだまだあります。幾つか≫

≪エレニディール≫


 危険を告げるサリエシェルナの声が脳裏に響く。


 暴風雪の勢いが上空で急激に変化した。明らかに意図を持った動きだ。エレニディールの直上、巨大な嵐渦らんかかたまりを生み出し、不気味に蠢動しゅんどうしている。


≪ええ、分かっていますよ。魔力質の変化を私が見逃すはずもありません≫


 エレニディールは即座に左手をかかげる。短節詠唱による防御結界構築は瞬時だった。


 嵐渦から次々と分厚ぶあつく鋭い氷柱つららが降り注ぐ。結界を砕き割らんと氷柱の数と勢いが一気に跳ね上がっていく。


 激しい衝突が止めどなく繰り返され、氷柱が轟音ごうおんを奏でながら破砕はさいされていく。


 一方でエレニディールの結界はひび一つ入ることなく、強固な状態を維持している。


 炸裂さくれつ音がアーケゲドーラ大渓谷を連鎖的にけ抜けていく。エレニディールは完全に防御に徹していた。


≪サリエシェルナ、そろそろしびれを切らして、第二弾が来そうです。衝撃は可能な限り相殺そうさいするつもりですが、貴女の魂に干渉しないとも限りません≫


 エレニディールの言いたいことはサリエシェルナにもしっかり伝わっている。


≪私には賢者というものがよく分かりませんが、少なくとも貴男は古王国の優れた魔術師に匹敵します。貴男を信頼していますよ≫


 エレニディールにとって、サリエシェルナの言葉はあまりに意外すぎた。


≪そこまで信頼される覚えはないのですが。貴女を裏切るわけにはいきませんね。スフィーリアの賢者として、必ず貴女の魂は護ってみせます≫


 第二弾の攻撃が何なのか、エレニディールにもまだ予測がつかない。確実に言えるのは、氷柱の攻撃が児戯じぎに思えるほどに大差があるということだ。


≪サリエシェルナ、来ます≫


 エレニディールは掲げていた左手に右手も重ね、結界の効力を最大化、上空からの未知なる攻撃に備える。


 降り注ぐ氷柱を隠れみのにして、それは来た。


 すさまじい咆哮ほうこうが氷柱はおろか、周囲の暴風雪をも容易たやすく吹き飛ばしていく。漆黒の空が燃えている。


≪あれは、まさか。紅焔狼フグルムージュです。エレニディール、戦ってはいけません。すぐに逃げてください≫


 サリエシェルナの切迫した声が脳裏を刺激してくる。


 天に深紅の顎門あぎとが開く。その中は凶悪なほむらで満たされている。


 き出す超高温の焔が暴風雪を蹴散らし、またたく間に昇華しょうかさせていく。明らかに主物質界の焔ではない。


(最悪ですね。まさか、ここまでとは)


 結界では到底耐えきれない。瞬時に判断したエレニディールは結界を解除、強度を高めるための魔力を全身にまとおうとした。


(魔力が練り上げられません。ことごとくが離散していきます)


≪エレニディール、魔力を使ってはいけません。紅焔狼フルグムージュはあらゆる魔力を食らい尽くすのです。古王国の魔術師たちも、あれの前では無力でした≫


 サリエシェルナの悲痛な思いが伝わってくる。言葉にはしないものの、彼らは紅焔狼フルグムージュと戦い、命を散らしていったのだろう。


≪早く逃げて。あれと戦って、魔術師が勝てる道理はないのです。しかも、皆既月蝕かいきげっしょくが始まります。これからの十メレビル、貴男は丸裸状態になるのですよ≫


 まさしく指摘どおりだ。


 魔力を練り上げられない魔術師ほど役立たずな存在はない。そのうえ、魔術師にとって天敵と呼ぶに相応ふさわしい紅焔狼フルグムージュが上空から迫っている。一刻も早く逃げるしか生き残る道はない。


 全身に纏おうとしていたエレニディールの魔力までもが吸い上げられていく。反対に紅焔狼フルグムージュは開いた顎門あぎとより豪焔ごうえんを吐き出した。


 死が着実に近づいている。絶体絶命の中、エレニディールは命を最優先とした。


 自分一人ならば、スフィーリアの賢者としての矜持きょうじを大切にしていたかもしれない。今はサリエシェルナがいるのだ。血のつながりなどはどうでもよい。護るべき者を護る。考えるのはただそれだけだ。


 エレニディールは失い続ける魔力をかえりみず、魔力循環速度を高めて身体の内部を護ることに注力する。体表面の犠牲はいとわないとの覚悟だ。


 うなりをあげて襲い来る焔の魔の手をかいくぐり、断崖絶壁だんがいぜっぺきを飛び越えると、躊躇ためらうことなく崖下がいかへと身体を投げ入れた。


 魔力阻害のもととなる暴風雪から、さらには紅焔狼フルグムージュから少しでも距離を取れば、皆既月蝕であろうとも、体内に残された魔力を爆発させることで一時しのぎ程度は可能だろう。


 その目論見もくろみだけでエレニディールは落下を選んだ。己自身が傷つくのはやむを得ない。それでサリエシェルナが護れるなら安いものだ。


 既に五百メルク近く落下している。さらに十ハフブル程度落下すれば、高度三千メルク地点だ。


 そこには見知った魔力が両崖りょうがいに集っている。そこまで辿たどり着けば一安心だろう。


 エレニディールが安堵したのも束の間だった。


≪駄目です。紅焔狼フルグムージュが追ってきています。あれは一度食らった魔力の味を覚え、食らい尽くすまで絶対にあきらめないのです≫


 それを先に教えてほしかった。エレニディールは心の中で思いつつ、ここまで落下してきている以上、高度三千メルク地点で迎撃するしかない。


 どちらの崖下を選ぶか、迷っている暇はない。


 紅焔狼フルグムージュは落下速度を上げ、エレニディールに迫りつつある。このままでは確実に追いつかれてしまう。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「面白いことになっておるの。さあ、当代スフィーリアの賢者よ。わしのもとへ導くがよい。この星煌剛玉破晶剣シュディネハーヴェンさびにしてくれようぞ」


 崖下の一方に立つロージェグレダムが、当代スフィーリアの賢者を追ってやって来ている敵との遭遇を待ちびている。


≪貴様、何をほうけたことを言っておる。と奴とでは相性が悪すぎる。奴は異界にひそむ魔力食いぞ。あんなものを召喚するとはな。よほど自殺願望があるようだ≫


 星煌剛玉破晶剣シュディネハーヴェンが嫌味たっぷりに語りかけてくる。


「ほう、それはますます面白いではないか。それにじゃ、お主の力を使うまでもなかろうて」


 それはすなわちロージェグレダムに勝算があるということに他ならない。


 既に大師父たるレスティーからの命は遂行している。


 今、ロージェグレダムが立つ場所には、高位ルデラリズめっし、奪い取った根核ケレーネルによって作動させた結界、漆黒の魔術陣が描き出されている。


 結界発動後に根核ケレーネルは破壊したものの、いまだに禍々まがまがしい邪気をき上げ続けている。


≪よかろう。余は力を貸さぬぞ。貴様一人で何とかせよ≫


 そっぼを向きつつも、星煌剛玉破晶剣シュディネハーヴェンはロージェグレダムの過剰なまでの自信が心配なのだ。だからこそ、自らの持つ知識をさずける。


≪呆けたままの貴様でも、この結界内に奴を引きずり込めば問題なかろう。余はしばし眠っておる。終わったら起こすがよいぞ≫


 場にそぐわないロージェグレダムの高笑いだけが、吹きすさぶ暴風雪をものともせず、崖下に響き渡っていた。

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