第071話:それぞれの戦いへの準備

 ディリニッツは、ヴェレージャから情報を聞き出す前に、まずは状況説明をしておくべきだと考え直していた。そこで、レスティーから聞かされた顛末てんまつについて、一言一句違えることなく正確に伝えたのだ。


 聞き終えたヴェレージャは、しばし無言を貫いている。驚愕と憤激ふんげきが混じり合い、感情が混乱している。表情がそれを如実に物語っていた。


 ラナージットのかたわらにゆっくりしゃがみ込む。一度だけそのほおを優しくでた。


「ディリニッツ、操影術そうえいじゅつで今すぐ私をフィヌソワロに連れていきなさい。この私の手でクヌエリューゾを抹殺します」


 なぜか、ディリニッツ以上に激高している。


「待て、ヴェレージャ。お前こそ落ち着け。連れていくこと自体、異論も問題もない。先にその男、クヌエリューゾと言ったか、について教えてくれ。行動はそれからだ」

「じれったいですね。あまり時間もないのですよ」


 今まで一言も発しなかったレスティーが、ここで初めて口を開く。


「その男、次期フィヌソワロの長老になるのではあるまいな」


 ディリニッツもヴェレージャも、もはや驚きはしない。


「レスティー様、おっしゃるとおりです。クヌエリューゾは次期長老筆頭候補であり、私の許嫁いいなずけロズフィリエンと争っている最中です」


 ヴェレージャの知りうる限りでは、クヌエリューゾが優勢のようだ。現長老派をしっかりと自陣営に取り込んでいるからだ。


 実はこの二人、異母兄弟の関係で、ロズフィリエンが弟になる。


「もしかして、父親は現長老なのか」


 ヴェレージャはただちに首を横に振って、否定の意を示す。


「今の長老には六人の子供がいるわ。いたわ、と言うべきね。生きていたら、当然のこと、六人の誰かが長老になっていたでしょう」


 彼らの死因は謎のままだ。真実は闇の中、クヌエリューゾ一派の仕業しわざだという噂も聞こえてくる。


「随分ときなくさい奴のようだな。肝心の力はどうなのだ」


 ディリニッツが矢継ぎ早に質問を繰り出していく。ヴェレージャは知っている限りの情報をできる限り正確に伝えていった。


 クヌエリューゾ自体、戦闘面での力はさほどない。エルフ属のごく平均といったところだ。それを補っているのが彼の取り巻き四人衆だった。魔術にひいでた者が二人、剣に秀でた者が一人、弓に秀でた者が一人という内訳だ。


 仮に一対一で戦ったなら、ロズフィリエンが圧勝するだろうとヴェレージャは考えている。


「クヌエリューゾの本当の力はその頭脳よ。フィヌソワロが有する学術書や古文書の類は全て解読しているらしいの。それに、非常に珍しい香術師こうじゅつしでもあるわ。どこで会得してきたのかは知らないけど」


 香術師の存在は知っている。ヴェレージャはもちろんのこと、ディリニッツも実際に戦ったことなどない。


「香術師なのか。厄介やっかいだな。奴が使う香術の種類が特定できるなら、策もあるだろう。今からだとさすがに難しいか」


 ヴェレージャは、お手上げよと言わんばかりに、両の手のひらを上向きに持ち上げてみせた。表情がいかにも苦々にがにがしい。


「長老代替わりの儀式は次の新月だ。すなわち、そなたたちの決戦の日と同日でもある。真の意味での新月ではないが、同義と考えてよいだろう」

 

 二人にとって、それが一番の問題なのだ。どちらを優先すべきか、いまだに決めかねている。


「そなたたちの意思を最優先にすればよい。香術師については、キィリイェーロが知っている。フィヌソワロに乗り込む際には、エレニディールを連れていくとよい」


 ディリニッツにもヴェレージャにも異論はなかった。借りられる手、それも強力な手なら何でも歓迎だ。


「レスティー様、そろそろパレデュカルが戻ってくる頃です。退出した方がよろしいかと」


 ディリニッツが何かの気配を感じ取ったか。


「そのようだ。そなたたちの準備が整ったら知らせてほしい。どちらの道を選ぶにしろ、健闘を祈っている」


 三人の視線が静かに眠るラナージットに向けられた。ヴェレージャが再びそばに寄り、ほつれ髪をゆっくりと指でいていく。


「ラナージット、貴女の不安は私たちが取り除いてあげる。また来るわね」


 レスティーが魔術転移を発動、三人の姿が瞬時に消える。


 同時に扉が開いた。パレデュカルが戻ってきたのだ。室内に入るや、強烈な寒気に襲われていた。慌ててラナージットの部屋へとける。


「ラナージット、無事か」


 ラナージットは敷布を胸元までかぶって眠っている。いつもの様子と変わりはなさそうに見える。


(何だ、これは。先ほどまで誰かがここにいたような感覚、だがその兆候は見られない。魔術行使の痕跡こんせきも見当たらない。俺が感じたこの寒気は何だというのだ)


 しきりにかぶりを振りながら、部屋の中を行ったり来たりする。異変はないかと室内をつぶさに観察するも、何も見つからない。魔操人形トルマテージェにも動きは見られない。


 当然だろう。レスティーは魔術転移発動前、ディリニッツ、ヴェレージャ、さらには魔操人形トルマテージェと、ここで行われたあらゆる痕跡を完全に消し去っていたからだ。


 いくら探したところで、何も分からないし、見つからない。パレデュカルはあきらめるしかなかった。大きなため息が出る。


「ラナージット、もう少しの辛抱だ。まもなく戦いになる。それが終われば、お前をシュリシェヒリに、お前を待ちびている両親のもとに連れ帰る」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 セレネイアはとにかくあせっていた。焦りは禁物だと頭では分かっていても、身体が言うことを聞いてくれない。


 昨日は、皆の前で何とも無様な姿をさらしてしまった。恐怖にえることなど、できようはずもなかった。


 セレネイアは第一王女でもあり、第一騎兵団団長でもある。周囲からは聡明で強い王女として見られているものの、彼女はまだ十五歳だ。


 カランダイオから聞かされたあまりに耐え難い事実は、彼女の心の防波堤を木っ端微塵こっぱみじんくだいてしまった。大事なところで倒れた自分を、誰も責めてこない。それどころか心配される一方だった。


 たとえるなら、あわれみという言葉が最も相応ふさわしいだろう。セレネイアは自分自身が恥ずかしく、情けなく思えてならなかった。


(私は弱いです。それは分かっているのです。私は弱いままでは嫌なのです。守られるだけの存在にはなりたくありません。では、私にとっての強さとは何なのでしょう。私は何を求めるべきなのでしょう)


 いつわらざる、セレネイアの本心だ。


 弱さそのものは悪ではない。己の弱さを知って、なおそれを放置してしまうことが悪なのだ。


 守られることも決して悪ではない。セレネイア自身、レスティーに守られていた時の、何よりの安心感を覚えている。守ってくれる者が常に己のそばにいるとは限らないのだ。その時、己の身を守るすべがなければ死に直結する。


(今の私にはまだ答えを導き出せません。もっと、もっと己と向き合って、考えなければならないのです)


 セレネイアはいつむき加減で、思案しながら目的地に向かって一人歩いている。


 王宮を抜け出す時はいつもこうだ。いかにも王族らしい衣装は一切身につけていない。街中の娘という恰好かっこうに徹している。従者や警護の者の同行も禁じている。


 今の彼女は、ひざが隠れるぐらいの灰黄色かいこうしょく外套がいとうを頭からかぶっている。


 セレネイアは第一王女でありながら、市井しせいに暮らす民と気さくに交流することから王族の誰よりもしたわれている。顔を見られたら、すぐに彼女だと分かってしまうゆえ、外套で隠しているのだ。


 さらには、左腰に吊るした剣を隠す目的もある。外套の下には腰辺りで絞られた白色の長袖中衣ちゅうい淡青色たんせいしょくの編み上げの胸当て、そしてレスティーから贈られた羽織という服装だ。


 終始一貫、動きやすさを重視した恰好で、靴は外套と同色の膝下まである柔らかなものを履いている。


 セレネイアが向かっているのはカヴィアーデ流の剣術道場だ。そこで師匠ソリュダリア・ギリエンヌが待っている。


 道場を目前にして、それは突然起こった。


 ふらふらとこちらに向かって歩いてきた男三人とすれ違いざま、ほんのわずか、右端の男と肩が触れ合ったような気がした。


 どちらかといえば、向こうから当たってきたような感触だ。セレネイアは気にも留めず、歩を進めようとした矢先、その男が急にうずくまった。


「痛っ、痛いぞ。これは骨が折れたかもしれないな」


大声でわめきたてている男に、セレネイアは深いため息をつくしかなかった。

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