第359話:残された騎兵団の総力戦

 システンシアの絶叫が響き渡る。高位ルデラリズによる非情極まりない仕打ちを前に、誰もが動けなくなっている。


 大小様々な岩が散らばる大地で、アメリディオは仰向あおむけ状態になったまま微動だにしない。


 胸部は鮮血に染まり、息をするたびに止めどなくあふれ出してくる。このままでは失血死もまぬかれない。


他愛たわいもない。これほどの強者であろうと、肉親の情愛には勝てぬか。がっかりだ。貴様との戦いも、我を高揚させるには至らなかった」


 口調が完全に変わっている。ネシェメリィーレの右腕が高く振り上げられる。


「ひと思いに楽にしてくれようぞ」


 ネシェメリィーレの瞳には何の感情も浮かんでいない。もはや眼前に転がるのは肉のかたまりにすぎない。とても母が子をるような目つきでもない。


「早く、早く、アメリディオ団長を助けなければ」


 それ以上、言葉にするのが怖い。


 システンシアの声は様々な感情が入り乱れ、極度に震えている。声だけではない。剣を握る手も、そうでない手も、大地に立つ両足もだ。


 突如、静寂と緊張を叩き割って、後方から憤怒ふんぬに満ちた怒鳴り声がとどろく。


「何をほうけているのだ。我らはラディック王国騎兵団が誇る猛者もさなのだぞ」


 ただ一人、途切れることなく声を上げ続けながら、猛然と馬をって突進していく。


 これまで何もしなかった、できなかった第二騎兵団団長のタキプロシスだった。


 予想外にも程がある出来事に、ケイランガとランブールグが信じられないものを視たとばかりに驚きの表情で顔を見合わせ、強くうなづく。


「ごくまれですが、よいことを言いますね。わずかばかり見直しましたよ、タキプロシス」


 緊張の糸が切れたことで立ち直ったか、ケイランガとランブールグが各々の弓を即座に構える。それを確かめたシステンシアも走り出そうとする。


「待ちなさい、システンシア。貴女は動いてはなりません。しかるべきときまで体力の回復に努めなさい」


 有無を言わさぬケイランガの命令にも等しい言葉だ。システンシアはくちびるみしめるしかできない。


 他団であろうと、上位者の命令は絶対だ。もしここでケイランガの命を無視でもしようものなら、明白な規律違反であり、それは重罪でもある。そうなればシステンシアは騎兵団での居場所を失うだろう。


「システンシア、先達せんだつとして一つだけ言っておきます。チェリエッタとムリディアの団を希望した貴女が何にあせりを感じているのか、薄々は理解しているつもりです」


 システンシアは黙したまま、ケイランガの言葉に耳を傾けている。彼女もまたケイランガが次期第一騎兵団団長有力候補の一人であることを知っている。


「己を強く、厳しく律しなさい。行動において、先走りと用心深さは紙一重、他者の命がかかっているならなおさらです」


 短期間で副団長まで上がってきたシステンシアは、ケイランガの視点からすれば経験不足がいなめなさい。それを差し置いても、思考よりも先に身体が反応してしまう悪いくせが抜けていない。


 言葉がシステンシアの心にみこむまでしばし待つ。


「今や貴女は第九騎兵団副団長なのです。アメリディオがなぜ貴女は抜擢したのか、よく考えてみなさい」


 ケイランガは構えたプルフィケルメンに二本の矢をつがえる。


「下がっていなさい」


 システンシアはケイランガの言葉を心の中に仕舞い、今度は素直に動く。すれ違いざまに告げる。


「ケイランガ団長、アメリディオ団長を、必ず救ってください。お願いいたします」


 深々と頭を下げてくるシステンシアにケイランガは頷き返す。


 ランブールグもまたシステンシアに声をかけ、即座にジュラドリニジェを空に向かってかかげる。それぞれの指と指の間に二本の矢をはさみこんでいる。


「貴女の出番は必ず来ます。そなえておいてください」


 タキプロシスの駆る騎馬がまもなくネシェメリィーレの間合いに入る。


 なおも騎馬を減速させず、さらにむちを入れて加速をうながす。馬上のタキプロシスは抜剣ばっけん状態、左手一本で騎馬を制御している。


 団を問わず、下位の者からの評判が悪いタキプロシスが、何故なにゆえに第二騎兵団団長でり続けているのか。それは騎兵団最大の特徴たる馬上での戦いにおいて、部類の強さを発揮するからだ。


 両足を大地に下ろした武具のみの戦いでは、タキプロシスは下から数えた方が早い位置にいながら、一度ひとたび馬にまたがれば一気に立場が逆転する。その強さは第一騎兵団元団長だったクルシュヴィックに匹敵する。


「絶対にアメリディオを殺させはせん」


 怒号をあげながら突っ込んでいく。手綱たづなを握る左手を解放、愛馬に進路をゆだねる。彼が名づけたロジノネクシェスは六歳になる駿馬しゅんめだ。


 脚が命の騎馬には強力な耐久魔術が付与されている。タキプロシスは大の馬好きとしても有名で、ロジノネクシェスが産まれた刻から世話を続けている。まさに人馬一体の披露、タキプロシスは両足をあぶみに固定すると、片刃かたは長剣を斜め上段に振り上げた。


 袈裟けさに落とす態勢だ。愛馬はネシェメリィーレの間合い内、それは同時にタキプロシスの間合い内でもある。


「虫けらが何匹いてこようとも結果は同じだ。先に処分してくれよう」


 獲物がアメリディオからタキプロシスへと変わる。最上段に在る右腕もそれに応じて真下に振り落とすのではなく、斜め下方へり落とす形だ。


 タキプロシスがえる。両のあぶみに乗った脚に力をめ、大きく身体を伸ばしながら跳躍、上段の片刃長剣を一気に袈裟に落とす。半身になっているネシェメリィーレの左首筋から右腰へと抜けていく剣軌けんきだ。


「片腹痛いわ。我も随分とめられたものだ」


 うなりを上げながら片刃長剣が狙いどおりに落ちてくる。


 ネシェメリィーレの右腕も動く。片刃長剣の剣軌に合わせるがごとく、首筋に届くおよそ一メルク上空で交差した。


 粘性液体で構成された右腕の半分程度まで片刃長剣が食いこんでいる。そこまでが限界だった。タキプロシスがいくら力を入れようともびくともしない。むしろ粘性液体の弾力性によって押し戻されていく。


 タキプロシスの両脚は愛馬ロジノネクシェスの鞍上あんじょうだ。危険察知能力において、タキプロシスよりも愛馬の方が一枚上手だった。すぐさま両の後脚を振り上げ、前脚を強く踏みしめて後方へと大きく飛び退いたのだ。


 一瞬の攻防、ロジノネクシェスの飛び退きがわずかに早かった。片刃長剣を軽々と受け止めたネシェメリィーレの右腕は攻撃の手をゆるめず、跳ね上げた勢いをもってタキプロシスの心臓めがけて鋭くいでいた。


「ほうほう、動物の直感か。命拾いしたな。お前などよりも、よほどすぐれた馬だ」


 ネシェメリィーレの右腕は空を斬っていた。タキプロシスも痛感している。一筋縄どころか、一人で対応できるような相手ではない。


「タキプロシス、貴男も下がりなさい。この魔霊鬼ペリノデュエズはあまりに危険すぎる。剣での接近戦で勝てる可能性は」


 ケイランガの言葉を強引にさえぎる。


「そんなことなど分かっている。一度ならず二度までも無様な姿をさらすなど、私の矜持きょうじに関わる。ケイランガ、ランブールグ、お前たちはアメリディオを何としてでも助けろ。ここは私が一人で食い止める」


 ケイランガもランブールグも返す言葉が思いつかない。いや、一つだけ確実に言えることがある。


(タキプロシス、死ぬつもりですか)


「うちの団長は、良くも悪くも典型的な貴族の鏡みたいなものなのです」


 いつの間に近づいてきたのか、馬上のバンデアロから声が降ってくる。


「バンデアロ、そうは言うが、あのままでは確実にタキプロシス団長は死ぬぞ。それでよいのか」


 ランブールグは魔弓ジュラドリニジェを構えたまま、視線は宙に固定している。いつでも矢が放てる状態だ。


「ああえて、あの人はすさまじい強運の持ち主ですよ。これまで何十、何百という死線をくぐり抜け、それでも生きている。あれを相手にするのは骨が折れますが、大丈夫でしょう」


 無言のケイランガとランブールグを差し置いて、すぐさま反論を返したのはシステンシアだ。


「バンデアロ副団長、失礼ながら貴男は馬鹿なのですか。大丈夫なわけがないでしょう。今、相手にしているのは人ではないのです。魔霊鬼ペリノデュエズ、それも高位ルデラリズに違いないのですよ。タキプロシス団長一人でどうにかできる相手ではありません」


 まさしく正論だ。その程度のことはバンデアロも理解している。馬鹿と言われても怒りの感情はない。ただ苦笑を浮かべているだけだ。


 熱くなっているのはシステンシア一人だった。さらに言葉を継ごうとする彼女をケイランガが制する。


「システンシア、待ちなさい。バンデアロ、考えがあるのですね」


 視線を向けずとも、馬上で首を縦に振る動作が伝わってくる。


「私が行きます。団長の制御は私に任せてください。その代わり、ケイランガ団長、ランブールグ副団長はアメリディオ団長を頼みます。システンシア副団長、貴女は分かっていますね」


 これによって残った四人の行動が定まった。

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