第360話:追い詰められていく騎兵団

 バンデアロが馬をゆっくりと進めてくる。その気配はタキプロシスに伝わっている。


「何をしに来た。余計な真似はするな」


 突き放すような口調で言い放ちつつ、内心ではどこか安堵あんどする部分があるのだろう。ほおわずかにゆるんでいる。


 バンデアロは気づいていながら、気づいていないふりをしている。いつもの二人の関係値がそのまま表に出ている。



「団長、俺はいつもどおりですよ。それに、団長は俺がいないと駄目でしょう」


 場にそぐわない子供のような笑みを浮かべている。


(気づかないなら、それはそれで好都合というもの。それにしても、この魔霊鬼ペリノデュエズは)


「団長、一メルク後退」


 内心の声を閉じ、すかさず指示を飛ばす。タキプロシスも慣れたもので理由も問わず、言われるがままに愛馬ロジノネクシェスと共に飛び退すさる。


 そこへ数フレプト遅れで、ネシェメリィーレのすさまじい右腕によるぎが襲いかかってきた。あのままとどまっていたら、間違いなく胴体が真っ二つに断ちられている。


「さすがだ、バンデアロ」


 タキプロシスは礼を述べると、静かに息を整え、再び右手で片刃長剣を構え直す。


「お前は絶対に近づくな。奴の手がかすっただけでお陀仏だぶつだからな」


 バンデアロは馬上に留まったまま、表情を引き締め直すとくちびるを細くして息をゆっくりと吐き出す。


「団長は団長の役割を、俺は俺の役割を果たすまで」


 馬を前進させるのではなく、後退させることでタキプロシスとの距離を大きくする。


 第二騎兵団の戦い方は独特だ。最前線で剣を振るうタキプロシス、最後方で支援に回るバンデアロ、これが団長と副団長の関係でもある。


「一フレプト後、真上」


 鋭い声が飛ぶ。


 そこから正しく一フレプト後だ。ネシェメリィーレの右腕が目にも止まらぬ速度で真上から落ちてくる。


 高位ルデラリズ膂力りょりょくははるかに己を上回っている。だからこそ真正面から受けきるような無謀むぼうな真似はしない。


 タキプロシスは愛馬ロジノネクシェスの手綱たづなを操り、たくみな左真横移動をもって攻撃をかわした。


「ほうほう、実に面白い。そのような能力があろうとはな」


 ネシェメリィーレは大地をえぐり取った右腕をすかさず引き戻すと、タキプロシスとバンデアロを威圧的な眼力をもって睥睨へいげいする。


「ならば、これならどうだ」


 タキプロシスの眼前からネシェメリィーレの姿が突如消え失せる。刹那せつなの間、次にその姿を現したのはバンデアロの後方だ。


 豪速の右腕が左からの薙ぎで襲い来る。


えていましたよ」


 薙ぎよりも一瞬間早く、バンデアロは馬をって前方へ飛び出している。再びネシェメリィーレの右腕が空をり、騒々しい雑音を周囲に響かせる。


「愉快だ。愉快だぞ。もっと我を楽しませるのだ」


 えつりながらも、ネシェメリィーレの顔には嘲笑ちょうしょうの色が濃く浮かんでいる。


 明らかに弱者をいたぶって楽しむ態度だ。人など所詮しょせんえさにしかならないという高位ルデラリズ傲慢ごうまんさが浮かび上がっている。


余興よきょうだ。こちらも面白いものを視せてやろうぞ」


 剣のように鋭利に変質していたネシェメリィーレの右腕が粘性液体に戻っていく。


 元どおりになった右腕の粘性液体はなおも蠢動しゅんどうを続け、あわせて左腕も同様の変化を生じている。


「何をするつもりだ」


 タキプロシスが油断なく剣を構えつつつぶやく。


「団長、大きく後退」


 先ほど以上の絶叫に近いバンデアロの激しい声が飛ぶ。


「頼む、ロジノネクシェス」


 手綱を操作している余裕はない。バンデアロの声とほぼ同時だ。ネシェメリィーレの両腕から振るわれた鋭い攻撃が左右から急所を寸分違すんぶんたがわずに狙って襲来する。


「団長」


 間一髪のところでタキプロシスを乗せたロジノネクシェスが飛び退り、攻撃をしのぎきる。いや、完全に凌げたわけではない。


 ロジノネクシェスの鞍上でタキプロシスもまた身体を最大限後方に倒していたにもかかわらず、かとった軽量鋼鎧けいりょうこうよろいの前面に二筋の深い傷が走っている。


「ほうほう、やるではないか。身体を真っ二つに断ち斬ったつもりだったのだが」


 直後、音もなく軽量鋼鎧が見事なまでに切断され、大地にがれ落ちていった。


 その切断面の何と美しいことか。いったい何で斬ったらこのようなことになるのか。タキプロシスは全く理解できない。


「次は確実に断ち斬るぞ。せいぜい足掻あがいてみせよ」


 ネシェメリィーレの雰囲気が先ほどまでとは変わっている。禍々まがまがしさが一段と増している。タキプロシスは思わず生唾なまつばを飲み込んだ。


 ネシェメリィーレの姿形は粘性液体が身体を構築している点を除けば、あくまで人に近しい状態だ。


 唯一異なるのは、両の手に一対の剣が握られていることだけだ。それらの剣は通常のはがねで創られたものではない。


「これらが珍しいか。我の液体で創り上げた剣だ。ゆえにこのようなこともできる」


 液体の剣身はどちらもおよそ一メルク、右手に握るは片刃長剣、左手に握るは長細剣だ。


 ネシェメリィーレは無造作に右手の片刃長剣を軽く斜めに走らせる。ただただ空を斬るだけの剣軌けんきだ。そのはずだった。


「ば、馬鹿な。剣身が、伸びただと」


 剣でありながら、まるでむちでもある。およそ五倍程度にまで伸びた鞭状の剣は、鋼では絶対にあり得ないしなやかな弾性をも有している。


 空を斬るはずの剣軌は、縦横無尽の剣軌へと変わり、恐るべき破壊力をもって断崖だんがいの岩肌を易々やすやすと斬り裂いていく。


 破砕はさいされた途端、一部の岩石が凄まじい炎を発し、勢いよく燃えていく。


「これは。蛍燐翆岩アピアタスリか。モルディーズ様がおっしゃっていたとおりだ」


 タキプロシスの呟きはネシェメリィーレにも届いている。


博識はくしきだな。我にとって、この程度の炎など何でもない。だが、お前たち人にとってはどうであろうな」


 狡猾こうかつな笑みが満面に広がっていく。今度は右だけではない。左もそろっての一対による攻撃だ。


 わざわざ先に実演してみせたのだ。タキプロシスたちをいたぶろうという意図は明白た。


「我を失望させるなよ。無様に転がっているそこの魔術師のようにな」


 仲間を侮辱ぶじょくされて、平然としていられるほど達観たっかんしていない。


「アメリディオを侮辱するな」


 心底怒りが湧いてくる。タキプロシスは静かに憤怒の感情を吐き出した。


 ネシェメリィーレの攻撃の手はなおも緩まない。一対の剣が振り乱れ、次々と岩肌を抉り取っていく。


 そのたび蛍燐翆岩アピアタスリが発火する。強い衝撃を与えるだけで炎を生じる岩石の特徴をもれなく活かした攻撃を前に、タキプロシスもバンデアロも防戦一方だ。


 大量の火の粉が舞い、辺り構わず降り注ぐ。


 幸いなことに、そこまでの高温ではない。付着しても短時間で消え去るため、被害は少ないものの、間断なく降り続く火の粉は人よりも騎馬を恐慌状態におちいらせていた。


「バンデアロ、何とかならないのか」


 タキプロシスが大声で叫ぶ。


 必死に手綱を操り、火の粉におびえる愛馬ロジノネクシェスを何とか最小限の被害に留めるべく適所へ誘導し続けている。


 ネシェメリィーレは両腕を振り回しながら、時間をかけて獲物を追い詰めつつある。


「さすがに限界か。お前の能力は先読みであろう。ここまでの状況をかんがみるに、およそ一フレプト程度か。今、我は三フレプト先を行っている」


 ネシェメリィーレの指摘どおりだ。バンデアロの能力は先読み、いわゆる未来視みらいしとも呼ばれる魔術に頼らない先天的固有能力だ。


 発現確率は極めて低く、数百万人に一人といった程度でしかない。恐らく、リンゼイア大陸で先読み能力を持つ者はバンデアロ一人のみだろう。彼とて何故なにゆえにこの特殊能力が発現したのか知らないでいる。


(わずかこれだけの回数で見破られるとはな。確かに俺の先読みは常時一フレプトが限界だ。これを超える方法が一つあるにはあるが。それを使えば)


「どうした。逃げ回ってばかりでは興覚きょうざめではないか。それでは到底、我に勝てぬぞ」


 ネシェメリィーレは獲物を殺さない程度に手加減している。


 対峙たいじしているタキプロシスとバンデアロはけるのに必死で、局面がよく視えていない。


 後方に控えたままのケイランガ、ランブールグ、そしてシステンシアには明けけなネシェメリィーレの意図が十分に視えている。


「ケイランガ団長、このままではタキプロシス団長もバンデアロ副団長も殺されてしまいます。それにアメリディオ団長も」


 アメリディオは依然として動けず、胸部から血を流し続けている。


 システンシアの悲痛な声を聞くまでもない。ケイランガは残された団長として、まさに苦渋の決断に迫られていた。

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