第372話:最高難度の魔術

 残り一ハフブルにも満たない時間の中で、セレネイアは魔力切れを起こし、皇麗風塵雷迅セーディネスティアによる雷層構築は失敗に終わった。


 中途半端な状態で魔力供給を絶たれた雷は、完璧な層を構築できず、一部だけが雷光となって上空で暴れ回っている。


 そこへ間髪入れず、壺蟲天デモゼラルトが降り注いだ。


 結果として、幾重にもわたって衝突が繰り返される。そのたびに爆音が四方をけ巡り、雷光と壺蟲天デモゼラルトの双方が霧散していく。


≪これ以上は無理よ。穴だらけになってしまうわ≫


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアあせりがふくらんでいく。


 失敗の要因は二つだった。セレネイアの最大魔力量を見誤ったこと、一気に大量の魔力を吸い上げたことだ。


 とりわけ、後者が問題だった。


 体内を循環する魔力は、いわば第二の血液であり、それを瞬間的に大量に失えばどうなるか。自明の理だ。セレネイアはいわば重度の貧血状態に等しい状謡におちいっていた。


≪聞きなさい、皇麗風塵雷迅セーディネスティア。私と貴女とでは、魔力の相性が悪い。従って、この場は一時的に私が引き受けます。それまでの時間で、その娘を何とかしなさい≫


 魔力感応フォドゥアを終えるや、つぎはぎ状態と化した雷光を覆い隠すようにして、またたく間に白焔はくえんが広がっていく。


 爆散して死滅した壺蟲天デモゼラルトは、高位ルデラリズ根核ケレーネルが無事である限り、いくらでも生み出されていく。無尽にも等しい。


 新たに発生した壺蟲天デモゼラルトは、雷層が消え失せ、穴になった部分から侵入を図ろうと試みる。


 穴埋めは白焔の仕事だ。即座に隙間すきまがないほどに密にふさいでいく。それは、空全体にふたをする、と言った方が相応ふさわしいだろう。


 カランダイオはひざを落としたままのセレネイアを一瞥いちべつする。見上げたままの頼りなげな視線を受け止め、軽くうなづいて見せる。


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアとの魔力感応フォドゥアを切ると、次なる者に向けて改めて魔力感応フォドゥアを飛ばす。


≪いつまで寝ているつもりですか。自己修復魔術によって、十分すぎるほどに回復したでしょう。つかえるべき王女の危機です。働きなさい≫


 声の影響なのか、眠っていた魔力がほぼ強制的に再始動、全身隅々すみずみにまで行き渡ると同時、あふれんばかりの魔力波が大地を揺るがす。


「やはりそうでしたか。どこかで感じた魔力だと思っていたのです」


 いち早く魔力波を感じ取ったコズヌヴィオが、独り言のようにつぶやいている。


「我が友が知っている者か。あの宙に浮かんでいる男、まぎれもなく飛翔魔術を使っている。ならば、相当の高位魔術師であろう」


 二人の視線は上空で静止している男に注がれている。


「知り合いというほどではありません。私も一度会っただけですからね。彼の名はカランダイオ、ラディック王国宮廷魔術師団長だった男です」


 ワイゼンベルグが視線を外し、わずかに首をかしげる。


「だった男か。今は違うということだな」


「ええ、そのとおりです。私もエレニディールから教えられただけで、詳しくは知りません。ただ一つだけ言えることがあります」


 先ほどまで意識喪失で微動だにしなかったアメリディオが立ち上がっている。しかも、全身の傷が塞がり、魔力循環もとどこおりなく行われている。


「承知いたしました、我が主カランダイオ様」


 上空に向かって深々と頭を下げ、すぐさま仕えるべき、助けるべき王女に視線を動かす。


「セレネイア姫、お待たせして申し訳ございません。上空は私が始末します。第一騎兵団団長として、我らが仕えし第一王女として、どうぞ高位ルデラリズにのみ専念、討ち取ってください」


 アメリディオの黄金の輝く髪が波打ち、逆立つ。両手を上空にかかげ、すかさず呪文の詠唱に入る。


≪何をするつもりなの。余計な魔力を重ねられると相克そうこくを起こすわ。私の邪魔はしないで≫


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアが抗議の声を上げてくる。カランダイオは平然と受け流す。


≪先に言いましたよ。貴女と私たちの魔力は相性が悪いと。だからこそ、私の白焔によって魔力の境界線を創り出したのです。そこにいるアメリディオがこれから行使する魔術は、白焔上層部にのみ効果を発揮します。ご懸念けねんには及びません≫


 にわかには信じがたい。確かに、それなら何の問題もないだろう。半信半疑の皇麗風塵雷迅セーディネスティア苛立いらだちをあらわにして言葉を返す。


≪嘘じゃないでしょうね。少しでも私の魔力に干渉したら、ただじゃおかないわよ。いいわね≫


 既にアメリディオの詠唱はつむぎ出されている。


 ここで唱えるべき魔術は一つしかない。しかも、アメリディオ一人では決して行使できない最高難度を誇るものだ。


「エウェク・セレーヴィ・ヨディザリィ・ウェーネ

 ゼーヴェ・ネディロトウ・イェスゥリ・フェレ=メーレ

 ラジュリ・グルドゥイ・エヴェレン・リザディネ」


 アメリディオによる詠唱第一段階はエルフ語だ。この魔術最大の特徴でもある。


 第一段階終了と共に詠唱が引き継がれる。


 詠唱は長ければ長いほど、魔術の威力が強まる一方で、魔術師にとって最も危険な要素でもある。わずかとはいえ、必ず無防備な時間が生じてしまうからだ。


「我が、詠唱を黙って聞き過ごすとでも思ったか。このすきは致命よな」


 完璧な詠唱があってこそ、完璧な魔術が解き放たれる。


 詠唱は魔術の根幹であり、その乱れは魔術の威力減衰と直結する。一度途切れ、そこから再開したとしておよそ半減、中断したまま未完に終われば暴発確実だ。


 高位ルデラリズ壺蟲天デモゼラルトをセレネイアたちの上空より移動させる。どちらか一人に絞れない以上、二人まとめて始末する。


 カランダイオとアメリディオ、二人の頭上に漆黒の雲状となって壺蟲天デモゼラルトが集結した。


 既にカランダイオの詠唱が始まっている。ここで止めるわけにはいかない。


「メディレーヴェ・パルメティ・オクトゥーヴ

 ザロドヴォー・イェジュ・ジョノー・ペレネデシィェ」


 詠唱第二段階が成就する。


 二人の頭上に押し寄せた壺蟲天デモゼラルトが襲いかかる。


「来たれ我らが下へ黒光死旋球ノワリュモレト


 完璧な魔術行使のための詠唱はまだ終わっていない。


「どういうことだ。詠唱は未完のはず。にもかかわらず、魔術が発動するなどあり得ぬわ」


 高位ルデラリズにとっても未知の領域なのだ。驚愕を隠せないでいる。


「お前が知らなくて当然です。実に特殊な魔術なのですからね」


 虚空を食い破って黒光死旋球ノワリュモレトがカランダイオとアメリディオの直上に現出、すぐさまその恐るべき能力を見せつける。


 共振しながら鳴動、膨大な量となって迫り来る壺蟲天デモゼラルトを凄まじい勢いで吸い尽くしていく。


「何が起きているのだ」


 差し向けた莫大な数の壺蟲天デモゼラルトが、二つの球体になすすべもなく呑み込まれた現実を高位ルデラリズは眼前にしながら、理解できない。


「魔術の原理を完全に無視しています。私には理解できません」


 それは賢者たるコズヌヴィオも同様だった。


 カランダイオの第三段階詠唱がつむがれていく。


「レメレーデ・ヒュミュエ・グレニ・ロウェ・リピュル」


 さらに続けて、アメリディオが最終となる第四段階詠唱を成就させるための言霊ことだまきざみこむ。


が見るは底なき万物の墓場なり

 呑み干し食らい尽くしあまねく無へと導きたまえ

 終焉へといざないて永遠とわに繋ぎ止めたるは超重縛鎖」


 完全なる魔術解放のための詠唱が、ここでようやく成就を迎える。


解き放て煉縛重層鎖死獄ロアシュ=ムティエドゥラル


 カランダイオとアメリディオの解放の言霊が重なる。


 先に具現化していた二つの黒光死旋球ノワリュモレトが二人の頭上にある、ありとあらゆるものを呑み尽くし、さらに拡大を続けながら上昇していく。


 カランダイオの仕かけた魔力境界線を通り越し、そこで黒光死旋球ノワリュモレトは一つに重なり合って白焔上層部を完全に覆い尽くしていった。


ときは満ちました。皇麗風塵雷迅セーディネスティア、約束は果たしました。ここからは貴女たちの出番です。それの始末はできますね≫


 さすがの皇麗風塵雷迅セーディネスティアも声を失っていたのか、反応が返ってくるまでわずかに時間がかかった。


≪あ、当たり前でしょ。誰に言っているのよ。その前に教えなさいよ。どうして、貴男たちが行使できるのよ。この魔術は、私が敬愛する主様の固有魔術のはず≫


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアの金切り音にも近い声が脳裏に響いてくる。相当に興奮しているのが手に取るように伝わってくる。


≪当然ですよ。この魔術は、偉大なる主レスティー様より私が直接伝授されたものだからです。私とアメリディオの二人をもってしても、完璧に行使などできません。我が主レスティー様の威力を百とするなら、私たち二人でせいぜい五も出さればよいところでしょう≫


 それでも十分すぎるほどの威力であることは疑う余地なしだ。


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアは自らの迂闊うかつさを呪うしかなかった。同じ主をいだく身でありながら、全く気づいていなかったのだ。


≪そう、そういうことなのね。ようやく分かったわ。貴男の魔力質、確かにそうね。ここまでの無礼な言、謝罪するわ≫


 カランダイオが面白そうにほおゆるめている。皇麗風塵雷迅セーディネスティアにももちろん伝わっている。


≪な、何が可笑おかしいのよ。まあいいわ。ここからは私とセレネイアに任せなさい。間違いなく片をつけてあげるわ。やるわよ、セレネイア。私を構えなさい≫


 カランダイオとアメリディオのおかげで、セレネイアの魔力は皇麗風塵雷迅セーディネスティアから還元を受けることでほぼ回復している。


 立ち上がったセレネイアが皇麗風塵雷迅セーディネスティアを再び構える。


「カランダイオ、アメリディオ、感謝いたします」


 カランダイオは応えない。代わりにアメリディオが言葉を発する。


「セレネイア姫、既に剣軌けんきえがかれています。姫が手にする魔剣アヴルムーティオには、既にはっきりえているでしょう。ご武運ぶうんを」


 セレネイアは強くうなづき、皇麗風塵雷迅セーディネスティアを左下段に置いて、大きく息をいた。


「行きます」

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