第297話:谷底におけるもう一つの戦い

 耳障みみざわりな硬質音を響かせながら、空間が切り取られていく。


 最初に飛び出してきたのはエランセージュだ。


 ちょうど今頃の時季になると初雪が降り始める。夜中に積もった真新しい処女雪がエランセージュの小さな足を静かにみ込んでいく。


 彼女は慣れたもので、雪に足を取られることなど気にもしていない。生まれ故郷の地たるシャラントワ大陸に数年ぶりに降り立ったのだ。懐かしい空気を肺いっぱいに吸い込んでいる。


 次いで、ゼーランディアとガドルヴロワ姉弟していの二人がゆっくりと姿を現わす。二人はエランセージュとは好対照、ゆっくりと慎重に雪の上に足を降ろしている。その仕草はまさしく人だ。魔霊人ペレヴィリディスとは思えない。


 最後に出てきたのが魔術転移門を開いた張本人、右手に時空の王笏ゼペテポーラスを握るビュルクヴィストだ。


 座標はヒオレディーリナに教えられたとおり、地下深くにまで根を伸ばすイエズヴェンド永久氷壁の真上だった。


「ビュルクヴィスト様、ここなのですね。奴が身をひそめている場所は」


 ガドルヴロワの問いかけに、ビュルクヴィストはただ首を縦に振るだけだ。何か心配事でもあるのか、いつになく厳しい表情を浮かべている。


「ヒオレディーリナは言いました。『一切の魔術を遮断しゃだんしている』と。それが意味するところは」


 姉弟が見守る中、ビュルクヴィストは表情をゆるめると、おもむろに言葉をつむぐ。


「考えても仕方がありませんね。会いに行くしかありません」


 姉弟に異論はない。もとより、そのつもりでここまで来ているのだ。力強くうなづく。


 二人が魔霊人ペレヴィリディスになってまで生き続けてきた理由は、ひとえかたきつためだ。


 二人が、とある事件に巻き込まれ、悲惨ひさんな死をげたことは既に述べた。全ては一人の裏切り者によって仕組まれていた。


 魔霊人ペレヴィリディスと化した姉弟は、ようやく真実を知るに至る。それは悲しくも残酷なまでの現実を突きつけることになる。


 なぜなら、裏切り者こそ、両親に捨てられ路頭ろとうに迷っていた自分たちを引き取り、育ててくれた恩人だったからだ。生き抜くための力、ゼーランディアに魔術を、ザガルドアに剣術を与えたのもその者だった。


 一方でビュルクヴィストも長年にわたって、その者を探し続けてきた。魔術高等院ステルヴィア院長の力たる彼の力をもってしても、見つけ出せない。考えられることは唯一だ。


 そうなると、もはやお手上げ、この状況を打破できる人物はビュルクヴィストの知る限り二人しか存在しない。一人は言わずと知れたレスティー、もう一人は旧友ヒオレディーリナだ。


 残念ながら、二人ともに接触することさえ難しい相手ときている。不幸中の幸いとでも言うのか、此度こたびのアーケゲドーラ大渓谷における決戦において、一連の事件にまつわる全ての関係者が集うことになった。


 あまりにも偶然すぎると思いつつも、ビュルクヴィストは改めて考えるのだ。


(全てはレスティー殿の手のひらの上、ということなのでしょうね。神のごとき領域から全てを俯瞰ふかんされている)


 まさしく、そのとおりだった。姉弟が魔霊人ペレヴィリディスになっていること、そこにヒオレディーリナも関与し、数百年ぶりに姿を見せたこと、さらにはレスティーがわざわざ谷底の戦いにおいて、ビュルクヴィストに時空の王笏ゼペテポーラスの使用さえ許可したこと、これら全てが結果的に一つにつながっている。


 そして、ビュルクヴィストにも彼なりの理由がある。姉弟も承知するところだ。


(モレイネーメ、貴女の真意をたださねばなりませんね)


「聞くまでもないでしょうが、あらかじめ確認しておきます。かたきと対面したら、どうしますか」


 姉弟が顔を合わせ、互いにうなづいて見せる。共に迷いの一切ない顔だ。


「理由を問いただしたうえで、最終的にあの女の息の根を止めます。それこそが私たち姉弟の悲願ですから」


 ビュルクヴィストは予想どおりの言葉に安堵あんどする一方、悲哀ひあいを感じずにはいられない。


 復讐ふくしゅうすえに待つのは、達成感よりもむしろ虚無感きょむかんの方が大きい。ビュルクヴィストは過去、その事実をいやというほど見てきている。


 姉弟の気持ちをおもんばかれば、仇の息の根を止めるという悲願をかなえてやるべきだろう。その後のことまでを考えると、悲哀しか残らないのだ。


 ましてや、姉弟は魔霊人ペレヴィリディスと化している。最悪の場合、今度は自らの手で命を奪わねばならない。あの二人を二度も殺さなければならないのだ。人として許されるべき行為なのだろうか。


(それが私の宿命なのであれば、この両手を血で染めてでも)


 ビュルクヴィストは時空の王笏ゼペテポーラスを握る右手を、からの左手を静かに見つめる。葛藤がよぎったのは一瞬、すぐさま消し去る。


「では、行きましょう。時間を無駄にはできません」


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ゼーランディアによる魔術結界で分断されたもう一方、十二将のブリュムンド、セルアシェル、ラディック王国のハクゼブルフト、ペリオドット、ノイロイド、エヴェネローグ、都合六人は七体の中位シャウラダーブを相手に苦戦をいられていた。


 戦術は至って単純明快だ。セルアシェルの魔術、ノイロイドとエヴェネローグの弓による遠距離攻撃で中位シャウラダーブの接近をはばむ。そこから抜け出したものをブリュムンドの戦斧せんぷ、ハクゼブルフトとペリオドットのやり各個撃破かっこげきはする。


 現状、ようやく二体をほうむり去ったものの、前衛的な位置に立つブリュムンド、ハクゼブルフト、ペリオドットは身体に少なからず傷をっている。


 対して、中位シャウラダーブはいくらっても、えぐっても、つらぬいても、いかなる攻撃を加えようとも、たちどころに再生をげてしまう。


 当然だろう。彼らには魔霊鬼ペリノデュエズの弱点たる核の位置が分からないのだ。二体の中位シャウラダーブは三人による強引な波状はじょう攻撃によって、偶然にも核を破壊できたにすぎない。


「このままでは先に体力が尽きてしまいます。打開策を考えなければ」


 ハクゼブルフトの言葉は、ここにいる者たちの代弁でもある。いくらきたえようとも、いずれ限界がおとずれる。


 先ほどから魔槍まそうを繰り出し続けているハクゼブルフトやペリオドットは、肉体的には一般的な騎士とさほど変わらない。特別な能力がそなわっているわけではないのだ。


 十二将と言えど、それは同じだ。ラディック王国の騎兵団に比べれば数段上かもしれない。それだけのことだ。


「団長、残念ながら打開策などありません。ラディック王国第三騎兵団の意地とほこりにけて、死ぬまでこの槍を振り続けるだけですよ」


 本気とも冗談とも取れるペリオドットの言葉に何度救われてきたことか。ハクゼブルフトは苦笑を浮かべるしかない。


「ペリオドット、そのとおりですね。私が弱気になっては駄目だめですね。さあ、続けますよ」


 ブリュムンドは脳裏に愛する妻と子供たちの姿を描きつつ、二人の様子をすぐそばで眺めている。


(気持ちのよい男たちですね。彼らを死なせるわけにはいきませんね)


 せま中位シャウラダーブにいきなり背を向けたブリュムンドが言葉を発する。


「セルアシェル、あれをやりますよ。ディリニッツの右腕の貴女です。よもや、できないとは言いませんね」


 思いもよらない言葉を前に、セルアシェルの動きが一瞬止まる。


 ディリニッツの操影術そうえいじゅつを組み込んだブリュムンドの攻撃はすさまじいの一言にきる。多対一での戦いに部類の強さを発揮する戦術は、無数の両刃戦斧もろはせんぷを影を通じて全方位から仕かける。


 ブリュムンドが有する戦斧のやいばには、もれなく魔術が付与されている。それが視覚でとらえられない様々な方向から多面的に飛び出してくるのだ。


 さらに、そこへブリュムンド自身が突っ込んでいく。刃をかわした者、魔術などで抵抗した者をほふるために。


 レスティーの前に呆気あっけなく敗れ去ったものの、それまでは最上段からの一閃いっせんをもって、ありとあらゆる敵を殲滅せんめつしてきたのだ。


「無茶を言ってくれますね、ブリュムンド。私にディリニッツ団長の操影術が使えるはずもないでしょう」


 セルアシェルは抵抗してみせるものの、彼女もまたれっきとした十二将の一人、ディリニッツの頼れる副団長だ。無策むさくであるはずがない。


 ブリュムンドは無言のまま、できるだろう、といった表情を崩さず、ただただみを浮かべている。


 深いため息をつきつつ、セルアシェルは言葉をつむぎ出す。


「もう分かりましたよ。全滅だけはけなければなりませんしね。団長のようにはいきませんが、たよられたからには全力をもってこたえます」


 セルアシェルは深い呼吸を繰り返しながら瞳を閉じる。詠唱が始まる。


「フォーヴ・ルフ・リディ=エ

 ラヴァウ・ジュクウ・ラエンデ

 暗き底に眠りし貪欲どんよくなるものよ

 無明むみょうの闇の内へと汝らがにえを捧げたてまつ

 闇よりなお暗き冥獄みょうごくより来たれ」


 セルアシェルのみ渡った美しい声がけていく。


 坑道でカイラジェーネに対して見せた魔術の一つだ。闇で満たされた空間はセルアシェルの完璧なる領域と化す。セルアシェル以外の全ての力を減衰させる高度な魔術を、ここでは改変する。


 だからこそ、そのための詠唱を付加ふかする。


「我が声を受けし闇につる力よ

 減衰げんすいから増幅ぞうふくへと転じて全てをみ干したまえ」


 セルアシェルの瞳が開かれる。詠唱が成就じょうじゅしたのだ。


「セルアシェル、やはり貴女は素晴らしい。私も負けてはいられませんね」


 今度はブリュムンドの番だ。大きく両腕を開く。空間がうなりを上げ、幾重いくえにもけていく。


 虚空こくうより現出げんしゅつするのは十の両刃戦斧もろはせんぷだ。全ての刃に異なる魔術が付与された、ブリュムンド最強の武具が等間隔で宙に浮かび上がっている。


 セルアシェルの魔術が解き放たれる。


冥獄満深有尽増闇バディジェリヴィフ


 セルアシェルの魔術によって塗り替えられていく深き闇の中に、ブリュムンドは迷うことなく十の両刃戦斧、その全てを投擲とうてきした。

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