第296話:護る者たちの戦い

 ニミエパルドの腕の中からケーレディエズが今にも飛び出さんとしている。セレネイアのき出しの敵意に当てられているからだ。


 ニミエパルドはケーレディエズをなだめつつ、右腕一本でより強く抱き止める。


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアが指摘したとおり、ケーレディエズは自身に向けられた害意を明確に認識していた。幼心おさなごころのケーレディエズにとって、害意はすなわち純粋な悪意だ。それをもたらす者は殲滅せんめつすべき対象でしかない。


(まずいですね。このままではケーレディエズが)


 これから殺そうとしている相手に塩を送るつもりはない。ケーレディエズを制止する方が大切だ。そのためにもセレネイアが放っている敵意を消し去るしかない。


 力づくなら容易たやすい。それでも、ニミエパルドはまず言葉を用いる。


「今すぐ発散している敵意をしずめてください」


 忠告、いや警告だ。回りくどいやり方だと分かっている。この方法こそがニミエパルドにとっての最適解なのだ。


「さもなくば、死にますよ」


 あまりに特殊なヒオレディーリナを除けば、ニミエパルドは魔霊人ペレヴィリディス最強だ。一方で魔霊鬼ペリノデュエズならではの衝動、むやみやたらと殺戮さつりくを行うような真似は決してしない。


 彼と共に行動するケーレディエズも同じく、二人にとっての殺戮対象は、敵愾心てきがいしんをあからさまに向けてくる者、そしてあるじたるジリニエイユの命による者のみだ。


 此度こたび抹殺まっさつは後者、ニミエパルドの本音からすれば、三姉妹は殺戮から最も遠い位置にいる存在と言える。


(抹殺することに変わりはありません。ならば、最も苦痛を生まない方法で)


 ニミエパルドの配慮をよそに、セレネイアの敵意は全く収まらない。夢魔マレヴモンと一体になったからと言って、易々やすやすと負の感情を制御できるはずもない。懸命に敵意を抑えようとすればするほど、制御が難しくなっている。


 セレネイアの行動は、かえって裏目に出てしまっていた。強い抑圧は同等の反発を食らうだけなのだ。それが理解できないセレネイアに制御は不可能だった。


「何をしているのですか。早く制御するのです。このままでは」


 ニミエパルドがまずいと思ったその時だ。ふくれ上がるばかりの敵意を前に、我慢の限界を迎えたのだろう。強引にニミエパルドの腕を振りほどいたケーレディエズが素早い動きで仕かけたのだ。


「ケーレディエズ、いけません」


 ニミエパルドが止めることさえできないほどの迅速じんそくな動きだった。ケーレディエズにしてみれば、自身のみならず、大切なニミエパルドにまで害が及ぶ。その判断のもとで下した至極しごく当然の行動だ。


「私だけじゃなく、ニミエパルドまで」


 美しい青紫せいしの長い髪を振り乱し、ケーレディエズが絶叫する。たがが外れてしまっている。こうなった以上、もはや言葉は通じない。魔霊人ペレヴィリディスとして、魔霊鬼ペリノデュエズの本能のおもむくままに殺戮が続く。


「できうる限り距離を取りなさい」


 ケーレディエズは決して止まらない。ニミエパルドにできるのはセレネイアに退避をうながすことだけだ。


「みんな死んでしまえ」


 ケーレディエズの両腕が勢いよく振られる。あたかも指揮者のごとく、闇空に音楽をかなでるための軌跡きせきを描いているようでもある。


「あれは。まさか、あの攻撃は」


 闇がこうを奏したのか。全くえていなかったケーレディエズの攻撃手法が分かったような気がする。


 わずかに差し込む月光によって、ケーレディエズの描く軌跡が刹那せつなきらめきを発しているのだ。


「俺の剣技なら、もしかしたら。だが、一歩間違えば」


 考えても仕方がない。


 正面から来るケーレディエズの攻撃は絨毯じゅうたん爆撃さながらの全方位殲滅型せんめつがただ。剣による迎撃となれば、己の身体そのものを危険にさらさなければならない。


 迷っている時間もない。セレネイアは皇麗風塵雷迅セーディネスティアを必要以上に強く握り締めたまま、退却することはおろか、完全に硬直こうちょくしてしまっている。


 このままでは確実に餌食えじきだ。それはそのまま死を意味する。


「死なせるわけにはいかないな。グレアルーヴ、ディグレイオ、援護しろ」


 いきなり飛び出していくザガルドアに対して、グレアルーヴもディグレイオもいささかの遅滞ちたいも見せない。さすがに十二将、獣騎兵団団長と副団長だ。二人は必ずザガルドアが動くであろうことを見越し、すぐさま反応できるよう備えていたのだ。


 ザガルドアは既に抜剣ばっけん、セレネイアの前に敢然かんぜんと立ちはだかる。


「乱暴をするが許せ。ディグレイオ、受け止めろ」


 言うなり、硬直状態から抜け出せないセレネイアの腹部ふくぶに左手のひらを添え、一気に後方へと突き飛ばした。あたかも掌底波しょうていはを放ったかのような見事な体術だった。


「お任せを、陛下」


 ディグレイオが軽やかに一歩踏み出す。後方へ、ではない。前方へ、だ。


 まずは、同じく棒立ち状態のシルヴィーヌを、例によって例のごとく左腕で軽々とかつぎ上げ、即座に後退する。さらに、ザガルドアによって吹き飛ばされてきたセレネイアを、勢いをぐ形で静かに、やわらかく右腕で受け止める。


 いわば両手に花といった状態でディグレイオは音もなく着地した。二人をゆっくり大地に下ろす。


「さすがです。ディグレイオ殿」


 同じことをされたマリエッタが喜びの声を上げている。ディグレイオは軽く手をげてこたえた。


 ザガルドアは右手の剣を左ななめ下段に置くと、切っ先をもって素早く、鋭く円を描き出ていく。それだけではない。剣を通じて己の魔力をせ、円内に充填じゅうてんしていくのだ。


 ザガルドアが最も得意とするのは風の魔力だ。性格からすれば炎と思われがちのザガルドアは、なぜか炎を嫌っている。


 吹き荒れる嵐は円内を完璧に満たし、さらに円周を押し広げていく。ここに風嵐剣界ふうらんけんかいは完成を見た。


「長くはもたんぞ。今のうちに立て直せ」


 振り返らない。その余裕すらない。


 風嵐剣界を維持するだけで相当の力を消費するのだ。少しでも気を抜けば、根こそぎ持っていかれそうになる。


 ましてや、ザガルドアの剣は切れ味鋭いとはいえ、ただのはがねの剣だ。魔力は一方通行のまま決して循環じゅんかんせず、何よりも耐久力がない。


 過度な力をかけた瞬間、粉々こなごなに破壊されるだろう。そうなれば風嵐剣界も消え去る。


(この剣でどこまで持ちこたえられるか。後ろを信じるしかないな)


 一人離れてほむらまとうマリエッタを除き、全ての者は風嵐剣界でまもられている。


 ケーレディエズの攻撃が風嵐剣界と激突を繰り返す。そのたびに硬質で鋭利な金属音が鳴り渡る。


「なるほど。陛下のおかげでようやくえた。あの女は鋼糸術師こうしじゅつし


 鋼糸とは文字どおり、目に見えないほどに細く鋭くきたえ上げたはげねを糸状にした武器を差す。


 指に専用鋼糸具を装着し、腕を自在に動かすことで鋼糸を操る。扱いに慣れるまでは敵はおろか、術師自身をきざんでしまう危険な武器でもある。


 そうやって熟練度を増しつつ、必殺の殺人術へと昇華させるのだ。


 鋼糸の恐ろしさは幾つかある。まずは常人の目ではとらえられないほどの細さでありながら、容易たやすく人体を斬り刻める点だろう。


 次に応用度だ。鋼糸は何も一本とは限らない。達人ともなれば、数十から数百に及ぶ鋼糸を自在に操り、さらにはある程度の遠距離攻撃もを可能にする。また鋼糸は広範囲設置罠せっちわなとしても重宝されている。


「団長、俺たちではが悪いですね。鋼糸術師が最も恐れる高位魔術師もいない」


 ディグレイオの言葉どおりだ。鋼糸術師が一人いるだけで、有能な剣士百人分ぐらいの働き手となる。一方、肉体的には訓練された平均的な騎士程度と言ってもよいだろう。中距離以上から強力な魔術を放てる魔術師を相手にした場合、圧倒的劣勢に立たたされる。


 ザガルドアが展開している風嵐剣界は、いわば魔力による結界と同義だ。それゆえにケーレディエズの鋼糸を造作ぞうさもなくはばんでいる。


 風嵐のやいばが無数の鋼糸と激しくぶつかり、悲鳴を上げている。星々の煌めきのごとく光が散っていく。


「きりがない。あの女は魔霊人ペレヴィリディス、体力も無尽むじんだ。して、陛下の剣は限界を迎えようとしている」


 さすがに百戦錬磨れんまのグレアルーヴもあせりを隠せない。


 剣が限界を迎えたそのとき、ケーレディエズの攻撃は確実にこちらをとらえる。鋼糸の直撃を受けることはすなわち即死だ。今、この状況下で仕かけるしかない。


「セレネイアたちは絶対にここを動くな。嬢ちゃん、任せたぞ」


 ディグレイオが健気けなげにもセレネイアを護ろうとしているシルヴィーヌの頭を優しく叩く。そこには揺るぎない信頼がめられている。


 グレアルーヴもディグレイオも風嵐剣界外に出るべく、即座に行動に移る。それを制したのはニミエパルドだった。


「そこから出るということは、ケーレディエズを攻撃するということ。それを私が黙って見過ごすとでも」


 ニミエパルドのまと漆黒しっこくの鎧からすさまじい気がき上がる。おぼろだったものが、今でははっきりと視認できる。生き物のごとくうごめく朧は濃度を増し、ある形を作り上げていく。


 そして、響き渡る破裂音、遂にザガルドアの剣が粉々に砕け散った。魔力供給を断たれた風嵐剣界は風前ふうぜんともしびだ。残存魔力が尽きた瞬間、消滅する。


 万事休すだった。


≪使いなさい。私の可愛い坊や≫


 脳裏に響く。その声は確かに聞き覚えがある。


 突如、闇をきながら垂直に光が降ってくる。ザガルドアは無意識のうちに右腕をかかげた。

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