第295話:決して巻き戻せない刻

(以前に比べて感情の起伏きふくが豊かになっています。お姉様の中で何があったのでしょうか)


 二人の妹には理由が分からない。夢魔マレヴモンの秘密はセレネイア自身でさえ知らなかったのだから。


 セレネイアも己の変化に戸惑とまどっている最中さなかだ。どちらかと言えば慎重、剣技においてもそれは変わらない。相手の出方を見定めたうえで対応を考える。


 ビスディニア流がせんの剣技ならば、ヴォルトゥーノ流は明らかにの剣技だ。セレネイアは王族の剣としてビスディニア流を、一個人の剣としてヴォルトゥーノ流を学んでいる。彼女にとっての主は後者だ。


(どうしてこれほどに気持ちがはやるのでしょう。皇麗風塵雷迅セーディネスティアを持つ右手が)


 小刻こきざみに右手がふるえている。恐怖からか、あるいは他の感情からか。微妙な揺れは魔剣アヴルムーティオにも伝わっていく。当然のごとく、すぐさま文句が飛んでくる。


≪何やってんのよ。揺れ過ぎて気持ち悪いじゃない。よいこと、貴女の感情はそのまま、この私に伝わるのよ≫


 直接脳内に響き渡る皇麗風塵雷迅セーディネスティア怒声どせいはなおも止まらない。セレネイアはあまりの激しさに小さな苦悶くもんの声を上げ、空いた左手で頭を押さえる。


 シルヴィーヌが思わずけ寄ろうとするところを、あわてて制する。言葉はない。仕草だけで十分だ。


≪ついでに言っておくと、敵意を発散しているわね。しかもき出しのままよ。言っていること、分かるわね≫


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアの指摘どおりだ。セレネイアは無意識化でニミエパルド、ケーレディエズを敵と認識、皇麗風塵雷迅セーディネスティアを構えている。


 彼女の制御が及ばないところで全身から敵意があふれ出しているのだ。その敵意を見逃すような二人ではないこともまた明らかだった。


 ニミエパルドは先ほどから三姉妹、とりわけセレネイアの様子を注視している。あまりに不安定だ。魔力も感情も、そして行動も、何もかもだ。


 ニミエパルドはジリニエイユに命じられたことを今さらながらに頭の中で反芻はんすうしていた。


「お前たちはあの三姉妹を何としてでも殺せ。恐るべき力を手にしておる。さらには多くの者にもまもられておる」


 ジリニエイユはそう口にした。


 恐るべき力とは、セレネイアがまさに手にしている魔剣アヴルムーティオのことだ。多くの者に護られているのも間違いない。


 現にザガルドアをはじめとする者が、彼我ひがの戦力差を理解したうえで、彼女たちを護ろうとしている。ニミエパルドからすれば、彼らの行動は明らかな自殺行為だ。


(愚かとは言いません。それこそが人であることのあかし、取るべき正しい道ですから)


 かつての己もそうだった。ニミエパルドは信念に基づき、間に合わないと分かっていながら、ケーレディエズ救出のために命をけた。


 彼らを見ていると、当時の記憶が走馬灯そうまとうのようによみがえってくる。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ニミエパルドとケーレディエズは十日後に結婚式を控えていた。幸せ絶頂期と言っても過言ではないだろう。


 共に下級貴族出身の二人は幼馴染おさななじみとして、小さな村で幼少の頃より仲睦なかむつまじく暮らしていた。さも結婚するのが当たり前といった感覚だっただろう。ゆっくりと愛をはぐくんでいった。


 周囲の全ての者が祝福する中、ただ一人、怒りに打ち震える男がいた。


(あの時、領主様の命を受けて遠征にさえ行かなければ。断ってでもケーレディエズのそばにいてやれたら)


 ニミエパルドは剣の達人として名をせていた。辺境都市を治める上級貴族、すなわち領主からの信頼も厚く、いわば懐刀ふところがたなという存在でもあった。


 どこで歯車が狂ってしまったのか。たった一人の男の出現がこれほどまでに事態を悪化させるとは誰に想像ができただろう。


 領主には目に入れても痛くないほどの息子が一人いた。ありがちなことだ。甘やかされて育った一人息子は考えられないほどの俗物ぞくぶつだった。


 しかも、大の女好きときている。領主という権力にものを言わせ、美しいと噂される女をことごとく館に引っ張り込み、手籠てごめにしてきたのだ。


 父でもある領主は見て見ぬふりを決め込む。いずれ妻をめとり、新たな領主となれば悪癖あくへきも消えるだろう。その程度の甘い考えしか持ち合わせていなかった。


 ニミエパルドたちは領主が住まう都市から遠く離れた小さな村で暮らしていた。それでもケーレディエズに魔の手が伸びるのは時間の問題でしかなかった。


 辺境都市随一とさえ言われるほどの眉目秀麗びもくしゅうれいなケーレディエズの噂が、この馬鹿息子の耳に入らないはずがない。


 遂に噂を聞きつけた馬鹿息子は即座に行動に出た。策を練りに練る。こういうところだけは頭が回るのだ。


 まずは、ケーレディエズに呼び出しの書状を送りつける。目的は一切記されていない。領主の息子の悪評判は当然聞こえてきている。ケーレディエズはかたくなに応じない。不毛な書状のやり取りがかれこれ十数回と続く。


 断られても執拗しつように送り続けてくる努力を、領地経営に向ければ。思ったところで意味もない。そもそも、この男に領地経営などできるはずもない。全く興味がないのだ。


 どこから調べ出したのか。ケーレディエズに幼馴染の許嫁いいなずけがいて、まもなく結婚式だという。相手も判明した。ニミエパルドという下級貴族だ。


 さらに、ニミエパルドが父の剣、実質的な懐刀であることを知るに至り、この男の命運はここで尽きたかと思われた。


「辺境随一の女をこの手にするまであきらめてたまるか。何としてでもあの女、ケーレディエズを手に入れてみせる」


 女に対する執着心だけは誰にも負けない。最大の障害はニミエパルドだ。でも、彼を遠ざけておかなければならない。


「妙案を思いついたぞ。これでケーレディエズは俺のものだ。どうやってなぐさみ者にしてやろうか。婚姻直前の女、考えただけで興奮してきたぞ」


 下衆げすはどこまでいっても下衆だ。こうしてさらなる姦計かんけいが張り巡らされる。


 下衆が言うところの妙案とはこういうことだ。


 領地内の一都市で反乱が巻き起こった。これを鎮圧ちんあつする必要がある。そのためにも領主直下の精鋭部隊を派遣しなければならない。当然、指揮をるべきは剣の達人ニミエパルドこそが最適だ。


 もちろん、全てが嘘偽うそいつわりのみで塗り固められている。実際に暴動など起きてはいない。従って、ニミエパルドが領主の館を起点にして、真逆の位置にある一都市まで出向く必要も皆無だ。


 この嘘八百の情報をでっち上げたうえで、父をきつけたのだった。


 領主在任中、一度も反乱など起こったことはない。その事実が父の判断をにぶらせたのは間違いない。さらには、一人息子が領地内の出来事に気を配っているという、親馬鹿的な幻想も拍車をかけてしまった。


 かくして、領主は息子の言葉を鵜呑みにし、ニミエパルドを館に召喚する。その場で、すぐさま反乱鎮圧部隊を率いて出動するよう命を下したのだ。


 呼び出された時点で、結婚式まであと七日を残すばかりだ。反乱の起こった都市まで片道二日、制圧にほぼ一日、後始末は任せるとして領主の館まで戻るのにまた二日を要する。報告を済ませ、すぐさまケーレディエズの待つ村まで急ぎに急いで一日半といったところか。何とか間に合いそうだ。


 ニミエパルドは頭の中で計算しつつ、領主の命に逆らうなど考えもしていない。甘いと言われればそれまでだ。


 村を出る前にケーレディエズからかけられた言葉が今でも頭から離れない。彼女はニミエパルドに懇願こんがんしていたのだ。


「私を一人にしないで。お願い、そばにいてほしいの」


 領主の息子から執拗なほど誘いが来ていることは聞いていた。だからこそ、この機会をとらえ、度を越した行為の顛末てんまつを訴え出るつもりだったのだ。


 結果、訴えを聞き入れてくれた領主には感謝しかない。今でもその気持ちに変わりはない。ただ、厳しく対処するという約束が反故ほごにされたことだけが心残りとなり、己を責め続けている。


 その苦痛からは決してのがれられない。自らまねいたことでもある。甘んじて受け入れるだけだ。ニミエパルドにできる唯一とも言える贖罪しょくざいだからだ。


 反乱の地に出向いて、ようやくニミエパルドは現実を直視する。広がる光景はどこをどう見渡しても平和そのものだ。暴動があった痕跡こんせきさえ見当たらない。


 ことここに及ぶに至り、ニミエパルドはようやくだまされていたことに気づくのだ。後悔先に立たず。あの時、どうしてケーレディエズの懇願をもっと真摯しんしに受け止めてやれなかったのか。


 領主の息子にそこまでの姦計かんけいを巡らす知能があるとは思いもしなかった。甘やかされただけの坊ちゃんだとたかをくくっていた部分もある。


 ニミエパルドは取りも直さず反転、急ぎ領主の館に馬を走らせる。途中で何度も馬を乗り換え、不眠不休でり続けた。疲労困憊こんぱいの中、ケーレディエズの安否を考えるたびにそれらは吹き飛んでいく。


 ときは無情にも過ぎ去っていく。片道二日はかかる道程みちのりを走りに走って半日ばかり短縮した。およそ一日半で戻ったニミエパルドは一目散に領主の館に駆け込んでいく。


 領主から聞かされた事実に、彼は再び打ちのめされることになる。


「済まぬ、ニミエパルド。息子は幾人かの供を引き連れ、私の許しもなく、そなたの故郷へ」


 なすすべもなく立ち尽くす。それもつかの間のことだ。怒髪どはつ、天をかんばかりに激しく身を震わせたニミエパルドはきびすを返すと、再び馬にまたがった。


 この時ほど魔術師の力をうらやましく思ったことはない。魔術師には転移という高等魔術があると聞く。転移門を創り出すことで、目的地に一瞬で辿たどり着ける魔術だ。


 それさえあれば、言ったところで詮無せんなきことだ。ここから生まれ故郷たる村までどれだけ急いでも一日を要する。


「ケーレディエズ、助けに行く。待っていてくれ」


 それがはかない望みだと薄々は感じつつも、ニミエパルドは決してあきらめなかった。

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