第191話:真実の中の真実

 カイラジェーネの左手から湾刀が落ちる。身体に力が入らない。


 先ほどまで見えていたエトリティアの姿はもうない。確かに今、自分を抱き締めているのは戦っていた女、トゥウェルテナだ。


「な、何を言っているの、お前は。まるで全てを知っているかのような語りね。そんな戯言たわごとで私がだまされるとでも思ったかしら」


 頑ななカイラジェーネを言葉だけで納得させられるとは思わない。見せた方が早い。


「カイラジェーネ、聞いて。エトリティアは私の遠祖えんそなのよ。彼女から託されたの。もうあまり時間も残されていないわ。だから、これを見て」


 カイラジェーネを抱き締めていた両手を離し、トゥウェルテナは右手のひらを開いてみせた。


 かつては美しかっただろう宝珠ほうじゅが一つ乗っている。もはや完全な球体ではない。色はくすみ、半分以上が失われ、無数のひびが入っていた。


「何よ、このみすぼらしい宝珠は。こんなもので私に何を見せようと」


 カイラジェーネは苛立いらだまぎれに、差し出してきたトゥウェルテナの左手を払いけようとして、慌てて止めた。


「ま、待って。これはまさか真愛の宝珠ロイントレペ。あの時、私が」


 恐る恐るカイラジェーネの手が宝珠に向かって伸びてくる。指が触れる寸前で止まった。震えている。


「そうよ。エトリティアに友情の証として貴女が手渡したものよ。貴女の父上は砂漠の民ではなかった。そして高名な魔術師でもあった。まだ幼かった貴女は真愛の宝珠ロイントレペの効力を知らなかったでしょ」


 トゥウェルテナの顔を、言葉を、信じられない思いで見て、聞いている。カイラジェーネは訳が分からないとばかりに何度もかぶりを振っている。


「ど、どうしてそれを。なぜ、知っているのよ。それに真愛の宝珠ロイントレペの効力って」


 黒きもやの力が弱まっていく。それにともなって、攻撃意識も次第に薄れていった。


 カイラジェーネの震える指が、いとおしげに真愛の宝珠ロイントレペに触れた。ひびの割れ目に沿ってゆっくりとでる。まるで当時を思い出しているかのように。


「その効力とは、持ち主の記憶を封じることよ。半分欠けてしまったのは、その記憶を私に伝えたから。貴女とエトリティア、貴女の母上が砂漠の民から受けた仕打ちは全て知っているわ。今こそ、エトリティアが貴女に伝えられなかった真実の中の真実を教えるわ」


 カイラジェーネの大きく揺れる瞳を力強く見つめ、トゥウェルテナは断言した。


「そのようなことがあってたまるものですか。私が原因だったなんて。エトリティアは私を守るためにそばにいなかった。どうして、そのようなことになるのよ」


 カイラジェーネは明らかに混乱していた。トゥウェルテナが言葉にした真実とはこうだ。


「貴女の母上は、当時の砂漠の民をべていた一族によって殺害されたの。そして、彼女の子供たる貴女に標的が移ったわ。それを知ったエトリティアは貴女を守ろうと必死になった。貴女はえのない親友、何としても守りたかったのよ」


 トゥウェルテナの説明がなおも続く。


「エトリティアの一族は当時、第二位だった。表立っての行動は砂漠の民を真っ二つにした全面戦争に繋がりかねない。それでなくとも常に勢力争いはあったから。だからこそ、彼女は影に徹したのよ」


 影となったエトリティアは、ひそかに一族の腕利うでききを動かし、隠密おんみつのうちにカイラジェーネの警護に当たらせたのだ。


 理由はもう一つある。カイラジェーネを殺した後の標的こそがエトリティアだったからだ。エトリティア殺害は完全に権力闘争の余波よはにすぎない。


 カイラジェーネとエトリティア、そろって殺害できるなら、敵にとってこれ以上の好都合はない。まさに一挙両得となる。


 それゆえ、エトリティアはカイラジェーネの傍にいられなかったのだ。彼女がいくらそれを望んだとしても。


 トゥウェルテナが真愛の宝珠ロイントレペをカイラジェーネの手に握らせる。その上から自分の手で彼女の手を包み込んだ。


「エトリティアから貴女への最後の言葉よ。たった一度きり、聞いたが最後、真愛の宝珠ロイントレペは砕け散るわ。二度と聞けなくなるの。覚悟ができたら、耳に当てて」


 トゥウェルテナの言葉が身体にみわたるまで、相応の時間を要した。


 ここまでの説明を聞いて、エトリティアに対しては逆恨さかうらみに近いものであったことを痛感している。それも影響したのか。エトリティアの最後の言葉を聞くのが怖かった。


 どうしようもなく怖かった。真愛の宝珠ロイントレペを握る手を見つめていたカイラジェーネの視線が持ち上がる。


 トゥウェルテナは確かに見た。彼女の両の瞳に涙が浮かんでいる。トゥウェルテナは右手でカイラジェーネの瞳の涙を静かにぬぐった。


「温かい涙ね。カイラジェーネ、貴女は魔霊人ペレヴィリディスではないわ。人よ。いやだろうけど、半分は砂漠の民の血を引く人なの。エトリティアが残した最後の言葉を聞いてあげて。貴女だけに聞く権利があるの」


 躊躇ためらいが消えない。視線が何度もトゥウェルテナと真愛の宝珠ロイントレペの間を行ったり来たりだ。


「私が、私が聞いて、よいの。エトリティアの、最後の言葉を」


 トゥウェルテナは笑みをもってうなづいてみせた。カイラジェーネの右手を握っていた左手が静かに離れる。


 手のひらを開く。欠けた真愛の宝珠ロイントレペを見つめ、ゆっくりと耳元に持っていく。


 少しの間があり、一番聞きたくない、そして正反対に一番聞きたい声が響いてきた。


(ああ、エトリティア、間違いないわ。彼女の声)


 カイラジェーネは瞳を閉じ、一方通行で流れてくるエトリティアの声に耳をませた。


≪カイラジェーネ、私の最後の言葉を聞いてくれているのね。心の底から嬉しいわ。私がこの世を去ってからどれぐらいっているのかしら。そう遠くないことを願っているわ≫


 記憶の保存は難しいのだろう。ところどころで聞きずらくなる。それでもカイラジェーネは、ひたむきにエトリティアの声に耳をかたけている。


≪さぞ私をにくみ、うらんでいるでしょうね。貴女を止めるためとはいえ、この手で貴女をあやめてしまった。分かっているわ、カージェ。私は本当に不器用ぶきようで、融通ゆうづうかない女だった。もっと素直に何でも貴女に話ができていれば≫


 今はいないエトリティアの言葉に、カイラジェーネは何度も首を横に振った。


≪母上カミリエーレ殿のことにしてもそう。砂漠の民の一部の者に不穏ふおんな動きがあることは察知していたの。心の中では、同族の民を殺害することなどあり得ないだろうとたかくくっていたわ≫


 実際に悲劇は起きてしまった。エトリティアにとっても、まさに青天の霹靂へきれきであり、痛恨つうこんきわみだったのだ。


≪それからは誰も信じられなくなった。私がすべきことは貴女を守ること。そのためだけに、ない頭をひねって懸命に策を打っていったわ。所詮しょせんは素人の真似事だったのよ≫


 当時のエトリティアには、砂漠の民を動かすような力もなかった。彼女の知らないところで事態は刻一刻と動いていたのだ。すぐそこまで敵の手が迫っていることに彼女は気づけなかった。


≪貴女を守るどころか、今度は私自身の身を守る必要性にられたわ。その最中さなか、私の護衛は一人、また一人と殺されていった。それでも貴女だけは守らなければ、その一心だけで生き抜いてきたの≫


 そして、最大の悲劇が起こる。


 エトリティアはあの日、配下の者に隠密でカイラジェーネへの伝言を託した。最も信頼できる巫女頭たる己の補佐を務める女にだ。


≪この地から避難して、安全な場所で身をひそめていて。事が全て片づいたら、必ず私自身が貴女を迎えに行くからとね≫


 補佐の女は確かに言ったのだ。カイラジェーネに伝えたと。だからこそ、エトリティアは心の荷が下りたとばかりに安心しきっていた。


 彼女は知らなかったのだ。その女は既に敵側に寝返っていた。相応の地位を得る見返りとして、カイラジェーネとエトリティア、二人の身を差し出すことを条件にして。


≪形勢は私たち一族が圧倒的に劣勢れっせいだった。そんな中、私は幸運にも、とある御方おかたの力をお借りすることができたわ。それを機に一気に形勢が逆転した≫


 ようやくのこと、長年の因縁いんねんに決着、エトリティアたちの一族が第一位となった。すなわち、新たな砂漠の民の支配者が誕生したのだ。


≪ようやく貴女を迎えに行ける。そう確信していたわ。裏切り者は、まだ他にもいたの。喜び勇んで迎えに行った洞窟にカージェ、貴女の姿はなかった。代わりにいたのは、あの女だった≫


 女の行動は首尾一貫していた。エトリティアを見るなり、短剣で襲いかかったのだ。そして、手にした短剣を躊躇ためらいもなく、エトリティアではなく、自分の胸に突き刺したのだった。


今際いまわきわに、こう言ったわ。『カイラジェーネはもうここにいないわよ。貴女が殺しに来るからとおどしてあげたら、すぐに逃げ出したわ』と≫

 

 エトリティアは気が動転してしまったいた。冷静に判断していれば、全て見抜けていただろう。その余裕さえなかったのだ。女の亡骸なきがらをそのままにして、エトリティアはすぐさま洞窟から逃げ出してしまった。


≪恐慌状態におちいった私には正常な判断が下せなかった。それからというもの、私は方々ほうぼう駆けずり、貴女を探し回ったわ。一月ひとつきち、半年が経ち、いっこうに貴女を見つけ出せなかった≫


 運命のあの時を迎えることになる。


 およそ一年が経ったあの日、カイラジェーネは変わり果てた姿でエトリティアの前に姿を現す。その手には短剣が握られていた。見間違いもしない。あの洞窟で自害した女の胸に突き刺さっていたものだった。


≪貴女に会った瞬間にさとったわ。あの洞窟内にひそんでいたのね。あの女は、私が殺害したと見せかけるため、あえて死角に誘いこみ自害したのよ。私を裏切り者に仕立て、貴女の心を完全に壊すために≫


 氷が割れるような音が鳴り渡る。


 既に半分に欠けていた真愛の宝珠ロイントレペが、さらに半分に砕けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る