第192話:すれ違う二人の思い

 カイラジェーネは手のひらに残った真愛の宝珠ロイントレペ欠片かけらを握り締め、耳元から遠ざけた。


 ここから先の話は、エトリティアから聞くまでもない。顔を突き合わせて、一対一で戦ったのだ。


 エトリティアが語るとしたら、戦いが終わり、自分が息を引き取った後のことだろう。


「ああ、エトリティア、何てことなの。貴女が殺したと思っていたあの女が、まさか自害だったなんて」


 カイラジェーネは天をあおいだ。


 黒きもやが周囲に浮き上がり、彼女をしきりにり立てている。目の前の者を皆殺しにしろと。カイラジェーネは意思の力で強引に押さえ込んだ。


「あの女は私に言ったのよ」


 巫女頭エトリティアの補佐を務めていた女は、言葉巧みにカイラジェーネを騙していた。真の裏切り者はエトリティアだと吹聴し、彼女とその一族こそが諸悪の根源だと力強く語った。


 全ては砂漠の民を我がものとせんがため、カイラジェーネの母を抹殺するようそそのかしたのもエトリティアの仕業しわざで、ひとえに彼女とその夫の力を恐れてのことだった。


 カイラジェーネは女の甘言かんげんに惑わされ、自身で真実を見抜くことを放棄してしまった。もっと慎重に考えれば、だまされずに済んだはずだ。エトリティアと接触は難しくとも、何らかの手段もあっただろう。


「あの女は、これから何が起こるか奥に隠れて、その目で見ておきなさいって。だから、私は死角となる岩場の陰に隠れ潜んだのよ。そして、リティ、貴女はやって来た。その姿を見て、私はどれほど飛び出していきたかったか。でも、真実を知ることが先だった」


 カイラジェーネは手のひらに握った真愛の宝珠ロイントレペに静かに語りかけている。トゥウェルテナは黙って見守っていた。


「貴女が巫女頭補佐を私利私欲で殺害するはずがない。絶対に私を助けに来てくれるに違いないと信じていたわ。でも、私はこの目で見てしまった」


 カイラジェーネは記憶の中の光景を思い浮かべていた。


 あの時、女は仰向けに倒れていった。その胸には短剣が深々と突き刺さっていた。実際に刺されたところを見たわけではない。直感的にエトリティアが刺殺したと思い込んだのだ。


 女の言葉がカイラジェーネの脳裏に刻み込まれていたからだ。


「真の裏切り者は貴女だったのだと確信してしまった。この瞬間、私の心の中で何かが壊れてしまったのよ」


 様々な外的要因に支配され、エトリティアとカイラジェーネ、二人の思いはすれ違うばかりだった。


 出会ってすぐに意気投合、仲睦まじい二人は成長しても一緒にいるものだと思われていた。それが一つの出来事をきっかけにたもとを分かち、真逆の方向に進むなど、誰に想像ができただろうか。


 全ては人の欲がせるわざだ。最終的に、二人が命のやり取りをする事態におちいったのも、突き詰めれば欲が原因と言っても過言ではないだろう。


「リティ、もっと貴女と話がしたかった。お互いに忌憚きたんなく話ができていたなら、変わっていたのかもしれないわね。私も意地になっていたのよ」


 後悔が表情に現れている。黒き靄は執拗なまでに、戦いに身を投じるよういざなう。カイラジェーネは必死であらがっていた。


「貴女がそばにいなくても、私一人で生きていけるようになる。最後は一人なのよ。頼れるのは己の力だけ。貴女に頼ってばかりでは駄目だとね」


 カイラジェーネはエトリティアの力になりたかった。それが幼き頃からの願いだったからだ。


「私は父上の血にけたわ。私の中には、父上の血が色濃く伝わっていたから。魔術こそが私の力、それを極めんと決心したのよ。貴女の隣に立って、この力を役立てる時が必ず来ると思ったからなの」


 切ない思いが言葉になってあふれ出てくる。ここにいる者たちに聞かせるためではない。心の中にいるエトリティアだけに向けられている。


(この二人が、どうしてここまで悲しい思いをしなければならないの。ほんの一握りの人の欲がこんな悲劇を招くなんて)


「エトリティア、あなたの最後の言葉を聞かせて」


 再び、手のひらの真愛の宝珠ロイントレペを耳に当てた。


 真愛の宝珠ロイントレペの欠片が跡形もなく砕け散った。手のひらから魔力で作られた粒子りゅうしこぼれ落ちていく。


 カイラジェーネは必死に掴み取ろうとした。次々と手の隙間すきまから逃げていく。開いた手のひらには何も残されていなかった。


「ああ、エトリティア、エトリティア。私のために」


 カイラジェーネがその場に泣き崩れる。


「カイラジェーネ、駄目よ」


 人と魔霊鬼ペリノデュエズの力を併せ持つのが魔霊人ペレヴィリディスだ。圧倒的な力を有する反面、人であることの欠点もある。


 精神状態に大きく左右されてしまう。一方で、黒き靄は純粋な魔霊鬼ペリノデュエズの力、欲望にただただ忠実だ。


 精神的に弱体しているカイラジェーネの身体を黒き靄が包み込んでいった。完全に覆われる寸前、彼女の視線がトゥウェルテナにそそがれる。


 唇が動いた。トゥウェルテナが息をむ。


(私に、私にできるの。今のカイラジェーネを見て)


 脳裏に声が響く。


≪トゥウェルテナ、この因縁いんねんに決着をつけられるのはお前だけだ。カイラジェーネの願いをかなえてやれ。核を破壊するのだ≫


 ルブルコスの言葉を受けてなお躊躇ためらわずにいられない。


≪で、でも、師匠、どうやって。私には核の場所がえないもの。それに、あの靄がある限り、容易に近づけないわ≫


 離れたところで盛大なため息をついているルブルコスの姿がまざまざと脳裏に映し出されている。トゥウェルテナには喜ぶべきか、悲しむべきか、よく分からなかった。


≪助言はしておいただろう。仕方のない奴だ。特別にもう一つだけだ。これで最後だぞ。核は視えずとも、お前なら分かるはずだ。砂漠の民のお前にならばな。トゥウェルテナ、悲しみの連鎖れんさを今こそ断ち斬れ≫


 ルブルコスの言葉はそれで終わりだった。やはりトゥウェルテナには甘かった。


≪さすが師匠だわ。でもね、直接教えてくれてもよいようなものよね。カイラジェーネが核をどこに隠しているのか、私には見つけ出せない。そのうえで、砂漠の民の私なら分かるということよね≫


 何かひらめきそうなのに、そうならない。トゥウェルテナはもどかしさを抱えつつ、背の湾刀を抜いた。


 完全に黒き靄の支配下に置かれたカイラジェーネも立ち上がっている。先ほどまでの人としての気配は完全に失われていた。あるのは魔霊鬼ペリノデュエズとしての本能、殺して食らう、その執着心だけだ。


 戦いはいよいよ佳境に差しかかっていた。

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