第190話:エトリティアの記憶

 カイラジェーネの速度がさらに増した。湾刀を振るう力に、一切の無駄むだはない。


 膂力りょりょくだけなら、今のところトゥウェルテナとほぼ互角だ。刃と刃が触れ合い、そのたびきらめきが散る。


 なかの舞いの最中さなかにあるトゥウェルテナにとって、カイラジェーネの湾刀を受けることは造作ぞうさもない。幾度となく、左右の湾刀がぶつかり合う。


 トゥウェルテナの舞いに乱れは一切見られない。カイラジェーネも、トゥウェルテナ以上の速度をもってりかかり、打ちかかる。二人は互いの位置を目まぐるしく入れ替え、何度も刃を交わし合う。


 トゥウェルテナは緩急をもって刃に刃を当て、いや自ら当てにいっているわけではない。あくまで受け身だ。カイラジェーネの繰り出す刃を待ち、柔らかな羽のごとく、彼女の刃を自らの刃に触れさせ、その反動をもっていなしていく。


「美しい舞いだわ。まるでエトリティアの舞いを見ているよう。でもね、私はついの舞いまでの伍舞ごぶ、全て見て知っているのよ。舞いには長所と短所があるわ。中の舞いの短所はね」


 カイラジェーネが一瞬にして肉薄にくはくする。一対の湾刀は背に隠されている。


「舞いの中へ自ら入っていくなんて。何をするつもりなの」


 悪い予感がする。カイラジェーネの言葉を聞く限り、死環白流葬雨舞ニエティリオの全てを体感していることになる。そのうえで、自ら身体を寄せてきているのだ。


「トゥウェルテナ、すぐに離れて」


 ヴェレージャの声が届く前だ。カイラジェーネは背の湾刀を素早く頭上に投擲とうてきした。


 中の舞いを舞いながらも、トゥウェルテナは気ががれたか。視線がわずかだけ持ち上がった。


 そのせいだろう。なめらかな足運びに、刹那せつなほころびが生じた。中の舞いのかんかすかなぶれが起きる。


 その一瞬のすきをカイラジェーネが見逃すはずもなかった。背にしたままの右手が音もなく動く。


「もらったわ」


 前方へと進み出していたトゥウェルテナの左足にすさまじい激痛が走った。


「な、何てことを」


 ヴェレージャでさえ絶句していた。捨て身でも何でもない。カイラジェーネは魔霊人ペレヴィリディスだ。痛みなど感じない身体だからこそ、大胆な攻めに転じられる。


「緩と急を繰り返す舞いはね、その切り替わりの瞬間こそが隙になるの。さらに舞いの後半、次第に動きがおろそかになるわ。それはエトリティアもお前も同じだったわね」


 じょの舞い、ついの舞いをての中の舞いは長時間、かつ型どおりの美しい舞いだからこそ、その流れから僅かでも離れてしまうと、致命傷につながる。


 いったい何が起こったのか。


 そう、カイラジェーネは右足をもって、トゥウェルテナの左足を踏みつけ、舞いの動きを阻害そがいした。


 それだけではない。さらに右手の湾刀を振りかざし、己の足ごと刺し貫いていたのだ。二人の足が重なり合い、大地にいつけられる。


 トゥウェルテナの口から苦痛の声がれた。


「よくこらえたわね。大したものよ。絶叫していても不思議ではないわ。どうかしら、湾曲した刃で足をえぐられた気分は。直刀ちょくとうで貫かれる以上の痛みでしょう。ねえ、痛いでしょう」


 カイラジェーネは凄絶せいぜつな笑みをもって、さらに右手に力を込めていく。湾刀の刃が根本まで押し込まれる。


 あまりの痛みにトゥウェルテナは意識が飛びそうになった。刺し貫かれた左足から、血が大量にあふれ出している。


「勝負あった、かしらね。舞いを封じられた今、お前に勝ち目はないわよ。それでなくても、黒き靄で作り出した湾刀で貫かれたのよ。傷口からじっくりとお前を浸食していくわ。成れの果ては、どうなるか分かるわよね。ああ、ぞくぞくするわ」


 恍惚こうこつとした表情でトゥウェルテナの苦しむ顔を見つめる。カイラジェーネは勝利を確信した。


「私をここまで追い込んだことはめてあげてもよいわ。痛みを長引かせるのは趣味でもないし、すぐに首をねて楽にしてあげるわね」


 頭上に投擲したもう一本の湾刀は、既にカイラジェーネの左手に収まっている。その左手が持ち上げられた。


 大地と平行だ。軽くぐだけで終わる。魔霊人ペレヴィリディスの力をもってすれば、トゥウェルテナの細い首を斬り落とすなど容易たやすい。左手が動く。


「カイラジェーネ」


 心臓など持たぬ彼女が、二つの意味で驚愕の眼差しを向けてくる。


 一つは失ったはずの心臓が跳ねたことだ。もう一つはトゥウェルテナの瞳からあふれるものだった。


「あらあら、泣いているの。土壇場に来て、死ぬのが怖くなったのかしら」


 カイラジェーネの顔から笑みが消え去っていた。自分の目を疑った。


「違う、これはいったい。そんなことがあってたまるものですか。私はあの女と戦っていたはずよ。なのにエトリティア、どうして貴女がここにいるのよ。死してなお私を苦しめるというの」


 カイラジェーネと対峙たいじしているのは間違いなくトゥウェルテナだ。断じてエトリティアではない。


 左手にした湾刀がトゥウェルテナの首の皮一枚をいて、そこで止まった。トゥウェルテナは首筋から血が流れ出すのも構わずに、両手を広げておもむろにカイラジェーネを優しく抱き締める。


「カイラジェーネ、終わりにしましょう。貴女の悲しみや苦しみは、全て私が背負っていくわ」


 抱きすくめられたことで固まってしまったカイラジェーネの身体が小刻みに震えている。


「ふざけたことを言わないで。エトリティア、私は貴女のそういうところが昔から大嫌いだったのよ。全部自分で背負い込んで、私には何も話してくれなかった」


 カイラジェーネにとって、エトリティアは掛け替えのない親友に違いない。それでも、時折見せる達観たっかんしたかのような態度に寂しい思いを抱きつつ、どこか遠い存在でもあったのだ。


「貴女は、貴女は、私が必要とする時にいつもそばにいてくれなかった。あの時だって、約束を守ってくれなかったじゃないの」


 カイラジェーネの悲痛な叫びが胸を打つ。


 トゥウェルテナの双肩そうけんに淡い光が覆い被さっている。カイラジェーネには見えない光だ。その光がトゥウェルテナに語りかけた。


≪トゥウェルテナ、強引に貴女の身体を借りてしまってごめんなさい。貴女なら私が封印していた魂の欠片かけらを宿すに相応ふさわしいと思ったの。私に残された時間はほとんどないわ。だから、貴女の口からカイラジェーネに伝えてほしいの≫


 いきなりの展開にトゥウェルテナは全くついていけない。自分の身体を優しい光のようなものが包んでいる実感はある。それが、まさか人の意識だとは想像外だ。


≪私があの時、カイラジェーネに語れなかった真実の中の真実を≫


 混乱しながらも、トゥウェルテナは問い返す。


≪ちょっと待って。エトリティアなの。どうして直接、貴女の言葉でカイラジェーネに伝えてあげないの。彼女はそれを望んでいるわ。貴女とカイラジェーネは親友だったのでしょ≫


 光の中に見えるエトリティアは、悲しげな瞳で静かに首を横に振った。


≪親友だったわ。今でもとても大切な親友よ。だからこそ、期待に応えられず、挙げ句に彼女の命を奪った私を憎み、恨んでいるわ。私の言葉など信じるはずもないし、聞く耳も持たないわ。だから、こうして貴女に頼んでいるの≫


 すがるような瞳で見つめてくる。逡巡するのも束の間、トゥウェルテナは答える。


≪分かったわよ。ご先祖様の尻拭しりぬぐいをするのは私の務めよね。それに何より、砂漠の民が引き起こした不始末でもあるもの。教えて。その真実の真実とやらを≫


 必要最低限をカイラジェーネに伝える。トゥウェルテナがするのはそれだけだ。本当に大切な言葉は、エトリティアこそが語るべきであり、譲るつもりもない。


 トゥウェルテナには、エトリティアが引きつった笑みを浮かべるのが見えた。強引に進めなければらちが明かない。これまで二人は親友とはいえ、互いに引け目を感じて、遠慮している部分があったのだろう。


≪カイラジェーネは本音を口にしたわよ。それに、あの時の約束って≫


 エトリティアの記憶が洪水となってトゥウェルテナの脳裏に流れ込んでくる。膨大な波は時にぎ、時に荒れ狂い、トゥウェルテナをる。


 魂の欠片にひびが入る。双肩の光も弱まりつつあった。今、トゥウェルテナは真実の全てを知った。


≪こんなこと、許せるはずがないわ。エトリティアに時間がないように、私にもあまり時間が残されていないようね。必要最低限とはいえ、私にカイラジェーネを説き伏せられるかしら≫


 既に黒き靄の浸食が膝上ひざうえにまで来ている。全身が覆われた時、トゥウェルテナは魔霊鬼ペリノデュエズと化す。


≪トゥウェルテナ、負担をかけてしまったわ。本当にごめんなさい。頼れるのは貴女だけなの。大丈夫、貴女ならきっとできるわ≫


 ちょっと無責任じゃないの、という言葉をみ込む。トゥウェルテナはカイラジェーネを抱き締めたまま、ゆっくりと言葉をつむいでいった。

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