第189話:カイラジェーネとエトリティア

 カイラジェーネの目の奥に宿った憎しみがいっそうつのる。エトリティアがあの時かけた言葉と全く同じだったのだ。


 トゥウェルテナは気づいてしまった。憎しみのさらに奥、そこに宿るものをたがために。だからこその言葉だった。


「どこまでも私の邪魔をするというのね、エトリティア。死んでも、なお私の前に。忌々いまいましい影め。お前が寂しくないよう、この女を殺して送り届けてあげるわ」


 四肢ししを失っても、魔術詠歌に支障はない。口さえ動けばよいのだ。カイラジェーネは先ほどまでの魔術詠歌の仕上げに入った。


「この一節で最後よ。死ぬがよいわ」


 カイラジェーネの詠歌が、低音部から一気に高音部までけ上がる。


「エメーリエ・シュレオ・ポーリネ・スウ・レダント」


 最凶かつ最強魔術が成就じょうじゅした。


闇無球位対滅破ピルジュグエンダ


 発動とともに、闇の小球体が振動をともなってトゥウェルテナの直上に出現する。次第に大きさを増しながら、それはトゥウェルテナをまたたく間に飲み込んでいった。


「トゥウェルテナ」


 背後から見守っていたヴェレージャが叫ぶ。翠水りょくすいの雨ごと完全に飲み込まれたのだ。


 慈翠水雨シェヴルーイの制御はもはや不可能、新たな魔術を唱えることもできない。迂闊うかつに発動させようものなら、どうなるか分からない。何もできない自分がもどかしい。


「私は大丈夫よ、ヴェレージャ」


 二筋の鋭い閃光せんこうが走る。それは球体内から外へ向かって発せられていた。トゥウェルテナが一対の湾刀をもってったのだ。


 球体は半円ずつ左右から斬り落とされ、真っ二つに割断された。闇が崩れていく。


 カイラジェーネが放った最強魔術は、トゥウェルテナに届かなかったのだ。


「どうして。これも同じなの。球体内は超重力場なのよ。閉じ込めれたが最後、脱出はできない。あり得ないわ。また敗れるというの、エトリティアに。私は、私は」


 粘性液体が密着、四肢の再構築が終わっていた。ゆっくりとカイラジェーネが立ち上がる。


 彼女からただよう気は、それまでの魔霊人ペレヴィリディスとしての邪気が薄まり、魔気が色濃くなっている。


「カイラジェーネ、どうしてそこまで砂漠の民を、エトリティアを憎むの。それに貴女の憎しみのさらに奥には」

「言うな。それを口にすることは誰であろうと許さない」


 苛烈かれつな言葉でさえぎられた。今のカイラジェーネを支配しているのは、明らかに人として持っていた憎しみ、それに怒りだ。


「それでも、あえて言うわ。カイラジェーネ、どうして泣いているの。貴女の心には、絶えず悲しみの雨が降り続いているわ。私には、えるのよ」


 黒きもやき上がる。それはまるで火山の爆発を見るかのようだった。憎しみの炎が瞳に宿っている。


 心の奥底に悲しみの雨を抱えながら、どうしてここまで憎しみを募らせるのか。トゥウェルテナには到底理解ができない。理解しろと言う方が無理だった。


「よくも、ずけずけと私の心の内まで入り込んできて、挙げ句は哀れみの言葉とは、涙が出そうだわ。でもね、そんなことで私がだまされるとでも思ったかしら。私はね、あの時に誓ったのよ」


 魔霊人ペレヴィリディスたる邪気が再び活性化していく。


「この命が尽きようとも、必ず砂漠の民を根絶やしにする。だから、お前も、必ず殺す」


 両手に集った黒き靄が、一対の湾刀を作り上げていった。


「私の力が魔術だけだと思ったら大間違いよ。湾刀使いはお前だけではないの。真の湾刀使いがどういうものか、これから見せてあげるわ。そして、死になさい」


 黒き靄が作り上げた一対の湾刀は、切っ先を奥にしてカイラジェーネの両肩の上にある。両手を胸前で交差させた姿勢だ。


「行くわよ」


 一気に湾刀が落ちてくる。


 トゥウェルテナは逆手に持った湾刀の主刃を、カイラジェーネの湾刀にみ合わせた。金属の刃と黒き靄の刃がこすれ合い、周囲をざわつかせる。


 互いの力が拮抗きっこう、互いの刃を弾き飛ばした。


「やるじゃない。これなら、どうかしらね」


 カイラジェーネの構えが変わった。右の湾刀は下段、左のそれは上段に位置する。


「そちらもね。ならばこちらも遠慮しないわよ。なかの舞いおこり


 死環白流葬雨舞ニエティリオさんの舞いに当たる、中の舞いは緩急を織り交ぜた文字どおり中間部の舞いだ。


 対の舞いに比して長時間、身体への負担は大きいものの、湾刀と一体となった攻防一体の舞いとなる。


 トゥウェルテナの死環白流葬雨舞ニエティリオは、カイラジェーネにとっても脅威だ。あの時、エトリティアが舞って見せたのも、この死環白流葬雨舞ニエティリオだったのだ。


(死環白流葬雨舞ニエティリオ巫女みこにのみ許された舞い。エトリティアがそうだったように、この娘もまた巫女の力を宿すというのね)


 カイラジェーネは一対の湾刀を振るいながら、遠き日の記憶を呼び覚ます。エトリティアと対峙たいじした時にまで一気にさかのぼった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 魔力を使い切ったカイラジェーネが大きく息をつきながら、ひざを落としている。ついの舞いを舞い切ったエトリティアも体力の限界に来ている。


 悲しげな瞳でカイラジェーネを見つめる。


「もう終わりにしましょう。これ以上、私に貴女を傷つけさせないで。貴女の母上に対して砂漠の民が行った仕打ちは決して許されるものではないわ。一族を代表して謝罪するわ。民をべる者の長女として、巫女頭みこがしらとして、このとおりよ」


 深々と頭を下げて謝罪するエトリティアに、カイラジェーネからの言葉はない。


「私が全責任をって対処するわ。かかわった者は、一人残らず厳罰に処し、貴女が望むなら死さえ与えましょう。その程度で貴女の気が晴れるとは思わないし、ましてや亡くなった母君が戻ることもない」


 エトリティアの悲痛な声はカイラジェーネにも届いていた。彼女の言っていることは頭では理解できる。そのとおりだろうと自身も思う。


「でもね、私と貴女がこれ以上、戦う理由はないでしょう。あの頃のカージェに戻って」


 感情が決してそれを許さない。激流に翻弄ほんろうされ続ける心が、決して砂漠の民を許すなと執拗しつように訴えかけてくる。


「エトリティア、あの日、あの時、私の心は壊れてしまったのよ。私の目の前で、無残にも殺された母に誓ったの。私から母を奪った砂漠の民を必ず根絶やしにすると」


 カイラジェーネにとって、自身の命が尽きようとも、さねばならないことなのだ。親友だったエトリティアと命を懸けて戦うのも定めだったのだろう。


「私の息の根を止めるのが貴女の刃であっても、私は止まらないわ。もう後戻りなどできないのよ」


 言葉とともに口から血があふれる。限界まで魔力を出し切った反動か。


「どうしてこんなことに。いえ、悪いのは砂漠の民の方よね。カージェ、幼かった私にできた最初の友達、そしてたった一人の親友、本心では私は貴女を止めたくはないの。だから、お願いよ。貴女から引き下がって」


 二人の視線が深いところで絡み合う。


 全てはカイラジェーネの母カミリエーレが砂漠の民たちが住まう地から離れ、伴侶たる強き者を求めて外界に出たことから始まる。


「エトリティア、答えて。私の母は砂漠の民の一員だったわ。その母がなぜ同族に殺されなければならなかったの。どうしてなのよ。貴女は、その理由を知っているのでしょう」


 もちろん知っている。エトリティアは顛末てんまつを聞かされている。だからこそ、なおさらカイラジェーネには真実を伝えられない。葛藤しながらも、エトリティアは答えた。


「知らないわ。私にも分からないのよ。ごめんなさい」


 苦痛に顔をゆがめながらも、カイラジェーネはわずかに笑みを浮かべてみせた。彼女の視線が自分の左手に注がれている。それを見て、エトリティアはしくじったことを悟った。


「嘘をつく時のくせ、相変わらずなのね。何だか安心したわ。話して、リティ。どんな内容でも聞く心づもりはできているから」


 事ここに至っては隠し立てもできない。幼少期のあだ名で呼んでくれたのだ。エトリティアは覚悟を決めて、真実を告げるのだ。

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