第188話:対の舞い

 トゥウェルテナの頭の中は、さらなる混乱をきたしていた。カイラジェーネに続き、ルブルコスの言葉が反芻はんすうしている。


≪トゥウェルテナ、聞いているのか。いや、済まない。配慮が欠けていたな。お前の心中を思えば、だった≫


 心配してくれているルブルコスに対し、トゥウェルテナはわざとらしく陽気に振る舞ってみせる。


≪あらあ、師匠らしくないですわね。確かに、カイラジェーネが砂漠の民を滅ぼしかけ、それを阻止したのが私の遠祖えんそだなんて聞かされたら、混乱しますよ≫


 トゥウェルテナにしてみれば、カイラジェーネが自分と遠祖に当たるエトリティアを重ねているなど、知ったことではない。


 混乱していた頭をすぐさま切り替える。立ち直りの早さこそが、トゥウェルテナの持ち味でもある。ルブルコスが手のかかる彼女を気に入っている理由の一つだ。


≪ここでカイラジェーネを倒すことこそ、お前の責務だ。事実、まともに動けるのはお前だけだからな≫


 そのとおりだった。セルアシェルはディリニッツが救出したものの、カイラジェーネとの戦いで役に立たないことは立証済みだ。


 トゥウェルテナの敗北は、すなわち坑道組の全滅を意味する。だからこそ、ルブルコスは特別に一つだけ助言を与えた。


≪舞え。そして湾刀の主刃しゅは副刃ふくは、その両刃もろはを輝かせることだけを考えろ≫


 いつものごとく、けむに巻くような言葉しか発しないルブルコスを向こうにして、トゥウェルテナは苦笑を浮かべるしかない。


≪えっと、ということは、師匠は助けてくれないのかしらあ≫


 今度はルブルコスが苦笑する番だ。トゥウェルテナには見えないものの、その姿がはっきりと頭の中に浮かんでいる。


≪甘えるな。ここで死ぬなら、それまでの者だということだ。トゥウェルテナ、お前は私の修業に耐え抜いた。砂漠の民たるお前がカイラジェーネを倒さねばならぬ。ているぞ≫


 ルブルコスの厳しくも、信頼に満ちた言葉を受け取り、トゥウェルテナは一対の湾刀を構え直す。呼吸を深くし、全身を巡る舞気ぶきを高めていく。


「この私をほうむった、あの女に借りを返す時がようやく訪れたわ。まずは女、お前をむごたらしいまでになぶり殺し、その後に砂漠の民の生き残りを皆殺しにしてくれる。あの時と同様、私の最強魔術をもってしてね」


 カイラジェーネの詠歌が始まった。


 トゥウェルテナも死環白流葬雨舞ニエティリオついの舞いに入る。序の舞いに比べて、緩急の緩が主体となる対の舞いには一つの特徴がある。


 なかの舞いへのつなぎとなる舞いは、ごく短時間で、緩でありながら強、湾刀がもたらす幻惑へのいざないだ。


 およその者は対の舞いの幻惑にからめ取られ、知らないうちに斬られ、絶命する。


 果たして、人ではなくなったカイラジェーネに通用するかは分からない。


 トゥウェルテナの両手が合わさった。一対の湾刀もそれに応じて重なり合う。緩やかに揺れ、舞いが流れるように動き出す。


「ラファーメ・セイレズ・フィ=エルネオ

 スー・ウィカ・ヴェレーオ・モイリーソ

 ゼロノー・グネメ・ヴィス=ドローヴド」


 カイラジェーネの魔術詠歌がなも続く。


 詠唱と同じく、詠歌もまたいんを踏んでいくことで、魔術の威力が格段に高まる。それでなくとも、本命の前に複数の別魔術を織り込んでくるのだ。初見のトゥウェルテナにとっては、圧倒的に分が悪い。


(それでも構わない。行くわ)


 対の舞いが続く。トゥウェルテナの足運びは、ゆったりとして、見る者の心を落ち着かせる。一対の重なり合った湾刀が、下方から上方へと静かに運ばれ、美しい半円を描き出す。


 さながら、それは弧月こげつ、闇をかすかに照らして浮かび上がる、さめざめとしたきらめきが幻想的だ。


(この女、私の詠歌をものともせず、なおも舞い続ける。ならば、これでどうだ)


 魔術詠歌の抑揚よくようが変わった。トゥウェルテナの緩の舞いに対して、カイラジェーネは急の詠歌をもって対抗する。舞いの動きを阻害するためだ。


 湾刀でいくら肌を斬られようとも、核にさえ届かなければ何の影響もない。カイラジェーネは、決して見つけられない位置に核を隠している。


 それこそが、ギリエンデスたち魔人族の目を出し抜いた秘密だった。そして、彼女たちが神と崇めるジリニエイユが、長年の研究成果によって編み出した秘策でもある。


(私は、あの時とは違う。心臓を持たぬゆえ、いくら斬られようとも私は倒せない。それでも、この女は向かってくる。忌々いまいましい。あの女以上とでも言うのか。断じて認めはせぬ。勝つのは、この私だ)


 カイラジェーネの詠歌は高低を繰り返しつつ、急の旋律となって、トゥウェルテナの四方へ素早く広がっていった。旋律がもたらす一つ目の魔術がトゥウェルテナの肌を焼く。


 炎ではない。腐食だ。


 舞いを続けるトゥウェルテナに、魔術を防御するすべはない。既に、エランセージュの付与した魔術防御光幕は効力を失っている。そこへ腐食魔術が容赦なく襲いかかった。


「トゥウェルテナを傷つけさせないわ」


 トゥウェルテナの舞いの動きを見極めつつ、動いたのはヴェレージャだ。手にした一本の魔術巻物を開く。


「追いなさい。慈翠水雨シェヴルーイ


 舞い続けるトゥウェルテナのはるか頭上より、ほのかな翠水りょくすいが雨となって優しく降りそそぐ。まるで青葉を生き生きと成長させるかのような、いつくしみの雨となって、腐食で焼けただれたトゥウェルテナの肌を癒していく。


「そのままトゥウェルテナを守りなさい」


 魔術巻物最大の欠点は、一度発動させたら、それで終わりということだ。その大半は攻撃または治癒に用いられる。魔術効果の継続を求める防御には不向きと言えるだろう。


 それを承知で、ヴェレージャは魔術巻物を使ったのだ。独自に改良した治癒と防御、二面を備えた持続性魔術を書き込んだうえで。


 カイラジェーネの腐食魔術と、ヴェレージャの治癒魔術が衝突を繰り返す。さすがに魔術詠歌だ。カイラジェーネの歌には大きな高低があり、高い音の時は腐食の勢いが強く、低い音の時は弱い。音の高低が、腐食の浸食速度と規模を支配しているのだ。


 ヴェレージャによる翠水の雨は、残念ながら腐食を完全に相殺そうさいできているわけではなかった。トゥウェルテナの顔が苦痛にゆがむ。


(駄目だめだわ。腐食規模の大きな浸食だけは相殺できているけど、それ以外はトゥウェルテナの肌を焼いている。私の魔力を注げば、翠水の雨の勢いを増すことはできる。一方で坑道そのものを破壊する危険も。どうすればよいの)


 顔をゆがめながらも、トゥウェルテナの対の舞いに変化は見られない。優雅な緩の舞いが続き、カイラジェーネとの距離を次第に詰めていく。


 一対の湾刀がトゥウェルテナとともに舞う。宙に描かれるは、冷涼たる弧月だ。美しくも、はかない舞いだった。


 翠水の雨に優しく打たれながら、これまで重なり合っていた湾刀が初めて離れた。右手は頭上、左手は足下にある。


 対の舞いの終着は、一対の湾刀による円舞だ。


 右手の湾刀は上から下へと弧を描き、左手は逆の弧を描く。


「対の舞いゆい満静月水涼鏡プラネリューレ


 一対の湾刀が描き出すは、右の半弧月と左の半弧月だ。湾刀の位置が入れ替わる。緩でありながら、強たる舞いの結びは、ここで満月となった。


 月に手を伸ばしたところで、捉えられるはずもない。カイラジェーネは己が斬られたことさえ分からなかった。


 両腕と両脚が同時に飛ぶ。身体がくずおれる。


(また同じことを繰り返すのか。不覚にも、この私が、二度も心を奪われたとでも言うのか。こんな小娘の舞いごときで。くそ、くそ、あの女よりも)


 カイラジェーネは、それでも死なない。四肢ししを斬り落とされても、時間の経過とともに再びつなぎ合わさる。


 既に粘性液体が切断された四肢を呼び寄せていた。


 対の舞いを終えて、呼吸を整えたトゥウェルテナが四肢を失ったカイラジェーネの前に立つ。


「残念だったわね。私がただの人なら、今の一撃で終わっていたでしょう。でもね、お前に私は殺せないわよ。決して致命ちめいの一撃を私に与えることはできないのよ。まもなく、四肢も元どおりよ。今度こそ、お前を殺してあげるわ」


 カイラジェーネは憎しみのこもった目で、トゥウェルテナをにらみつけた。


「悲しい人ね」


 トゥウェルテナのこぼした一言に、カイラジェーネがこおりついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る