第187話:トゥウェルテナの秘密

 ディリニッツが陰にもぐると同時、カイラジェーネは細い指先をセルアシェルに向けた。


生娘きむすめの血と肉は、さぞかし美味びみでしょうね。お前たち、存分に味わいなさい」


 興奮のせいか、一際眩ひときわまばゆい輝きを残し、光蠢蟲フルヴドゥがいっせいに移動を開始する。


 セルアシェルとの距離は五メルク程度だ。光蠢蟲フルヴドゥの移動速度は、お世辞せじにも速いとは言いがたい。その分、群れとなって迫り来る恐怖を実感するには十分すぎた。


 身体の震えが止まらない。対抗魔術を唱え続けている場合でもない。即座に次なる手段を講じなければ、光蠢蟲フルヴドゥ餌食えじきとなるだけだ。


 対抗魔術を止めた途端、眠りに意識が持っていかれる。思考がおぼつかない。セルアシェルは限界を迎えていた。


「私が行くわ。ホルベント、待っていてね。必ず戻るから」


 ホルベントを含む騎兵団の者たちが眠りに落ちた中、唯一、トゥウェルテナだけが動けていた。


 彼女も間違いなく、カイラジェーネの魔術詠歌の影響下にある。不思議なことに、その影響は微々びびたるものだった。


 ひとえに彼女の特性か。あるいは別の要因か。


 トゥウェルテナはホルベントのひたいを軽くでると、素早く立ち上がり、光壁の外へと駆け出した。背にある一対の湾刀を抜く。


「セルアシェル、動かないで。私が、る」


 セルアシェルの後方から、天井すれすれまで跳躍ちょうやくする。トゥウェルテナは身体を小さく折り曲げ、軽々と前方宙返り、落下する速度のままに湾刀を光蠢蟲フルヴドゥの群れめがけて投げつける。


 一対の湾刀が高速回転しながら急降下、光蠢蟲フルヴドゥに接触するや、さらに回転力を高めつつぎ払っていく。豪快に吹き飛び、そのたびに光のきらめきが失せていく。


 トゥウェルテナの持つ湾刀は両刃もろは仕立てだ。りの強い主刃しゅはに対し、裏側に潜む副刃ふくはには、此度こたびの戦いに備えて強力な神経毒が付与されているのだ。


 刃にかすかでも触れただけで、毒がき散らされる。光蠢蟲フルヴドゥは一体一体が極小のため、刃で切断するのは不可能だ。群れとなって押し寄せていたことがあだとなった。


「さすがは師匠ね。こうなることを見越していたのかしら。光蠢蟲フルヴドゥはもう終わりよ。次は貴女の番ね。十二将が一人、このトゥウェルテナがお相手するわ」


 師匠とは、もちろん三剣匠が一人、ルブルコスだ。トゥウェルテナは湾刀使いとして超一流とは言えない。湾刀をたくみに扱うには、筋力は言うに及ばず、敏捷びんしょう性、俊敏しゅんびん性、柔軟性など多彩な力が要求される。


 トゥウェルテナに圧倒的に欠けているのは筋力だ。それを補助するための道具こそが魔術だった。ツクミナーロ継承者たるルブルコスは魔剣士、彼がトゥウェルテナをきたえたのは必然なのだ。


笑止しょうしね。毒ごときで光蠢蟲フルヴドゥが全滅するとでも。残念だったわね」


 トゥウェルテナが一対の湾刀を左右に振った。大気に撒き散らされていた神経毒が意思を持ったかのごとく、光蠢蟲フルヴドゥを覆っていく。


「そうね、ただの神経毒ならね。だから、こうするのよ」


 通常の神経毒は人族に対してのみ有効だ。光蠢蟲フルヴドゥのような異質な生物には効果がない。


こわしなさい。蟲壺絶毒無零カファレディラ


 毒をもって毒を制す。光蠢蟲フルヴドゥはそのものが一種の毒だ。その毒をさらに強力な毒で上書き、無効化してしまう。それがトゥウェルテナに授けたルブルコスの魔術毒だ。


 蟲壺絶毒無零カファレディラが発動する。光蠢蟲フルヴドゥを覆う神経毒が変性、透明なつぼ状と化し、その内へ閉じ込めていく。壺そのものが光蠢蟲フルヴドゥを滅ぼしうる毒で構成されている。


 光蠢蟲フルヴドゥが中から抜け出そうと暴れている。無駄な足掻あがきだった。自ら毒の中に突っ込んでいるのだ。触れるやいなや、極小の光蠢蟲フルヴドゥが壊れていく。すなわち、完全なる死だった。


 蟲壺絶毒無零カファレディラは、あらゆる対象物を組織から完全破壊してしまう猛毒、逃れるすべはない。


「何なの。何なのよ、それは。私でさえ知らない魔術よ。女、教ええなさい。いったい、どのような魔術を用いたの。早く教えなさい」


 カイラジェーネがすさまじい形相ぎょうそうで迫ってくる。戦闘欲以上に、知識欲がまさった状態なのだろう。


 自分の知らない魔術の存在が、彼女を突き動かしている。応えるトゥウェルテナではない。


鬱陶うっとうしいわね。私たちは急いでいるの。これ以上、邪魔立てするなら、斬り刻むわよ」


 一対の湾刀を逆手さかてに持ち替える。


 ここからがトゥウェルテナの本領発揮だ。しなやかな細身の身体が踊る。狭小空間であろうと関係ない。優雅な舞いは、死へのいざないだ。


 前後左右への不規則な足運び、さらに回転を交えての目にも止まらない動きが敵のみならず、見ている者さえ翻弄ほんろうしていく。


 死環白流葬雨舞ニエティリオと呼ばれる。砂漠の民の巫女の踊り手シャルハストウにのみ伝わる舞踏ぶとうだ。舞いの行きつく先は、確実なる死しかない。


 トゥウェルテナが必殺の間合いに入った。見えない位置から、一対の湾刀がカイラジェーネに迫る。


 狙うは首筋と太腿ふとももだ。斬るべき二本の剣軌けんきが描かれている。トゥウェルテナはそれをなぞるだけだった。


「斬ったわ。でも、この手応えは」


 死環白流葬雨舞ニエティリオじょの舞いが終わった。


 湾刀は確実に首筋と太腿をとらえ、正確に断ち斬っている。その証拠に、盛大に血が噴き出している。血色は、赤と緑が混じり合っていた。


 トゥウェルテナは舞いを開始した位置まで戻っている。


 序の舞いで倒しきれるとははなから思っていない。死環白流葬雨舞ニエティリオ伍舞ごぶ、すなわち序、ついなかついの舞いで構成されるのだ。可能ならば、次で仕留しとめたい。


 トゥウェルテナは対の舞いの動作に入ろうとした。


 空気が明らかに変わった。これまで余裕の態度を一切崩さなかったカイラジェーネに異変が起こっていた。


「くそ、くそ。女、その舞いは。お前、砂漠の民の生き残りか。忌々いまいましい、忌々しい。ああ、頭がぐちゃぐちゃになる。くそ、くそ、あの女の幻影が。またも私の前に立ちふさがるのか。殺してやる。今度こそ絶対に」


 これまで以上の狂気、さらに膨大な黒きもやがカイラジェーネの全身からき上がる。あるのは純粋な殺意のみだ。


 トゥウェルテナは、カイラジェーネの言葉にただただ混乱していた。


(今、何と言ったの。生き残り、砂漠の民の生き残りって。私たちは、かつて滅ぼされたってことなの。どういうこと)


「くそ、くそ、この女があの女と重なる。なぜだ。あの女は、とっくの昔に死んでいる。それがなぜ瓜二うりふたつの姿で、再び私の前に現れるんだ。くそ、くそ」


 カイラジェーネが唾液だえきを垂らしながら、咆哮ほうこうにも似たののしりを上げている。トゥウェルテナには、彼女の言葉の意味が全く理解できない。


「あの時、けがらわしい砂漠の民どもを皆殺しにする寸前だった。楽しい虐殺ぎゃくさつのひと時になるはずだったのよ。でも、ただ一人、一対の湾刀を持った女が私の前に立ちはだかった。私の最凶さいきょうかつ最強魔術をもかわして、その女は」


 再びカイラジェーネの絶叫が耳朶じだを震わせる。


≪トゥウェルテナ、心して聞くがよい≫

≪師匠、いったいどこから、って、聞くまでもないわね。神出鬼没しんしゅつきぼつの師匠のこと、遠くから見守ってくださっていたのでしょ≫


 ルブルコスがげんなりした顔を浮かべているのは内緒だ。トゥウェルテナと話をしていると調子が狂って仕方がない。そうは言いつつ、一度だけとはいえ自ら鍛えた弟子的な存在だ。


 ルブルコスは、十二将のうち彼女を含めて、グレアルーヴ、ソミュエラ、セルアシェルの面倒を見た。今、この坑道に入っているのは二人、トゥウェルテナとセルアシェルだ。


 実は、この二人こそが最も手のかかった者だった。ルブルコスは意外にも心配性だ。だからこそ、二人の動向を遠くから観察していた。


≪お前という奴は。師匠と呼ぶのはめろと言っておいたはずだ。それはさておき、やはり死環白流葬雨舞ニエティリオが引き金になってしまったか≫


 カイラジェーネの言葉に間違いはない。なぜなら、カイラジェーネこそが、砂漠の民を滅亡寸前まで追いやった張本人の一人だからだ。


≪話せば長くなる。お前がこの戦いを生き延びたら褒美ほうびに全てを語ってやるが、今はこれだけ知っておけ。およそ二千余年前の話だ≫


 ルブルコスが告げた内容が頭に入ってこない。それほどまでに衝撃的だった。


 破壊の魔術師として恐れられていたカイラジェーネを倒した、その女の名をエレトリティアという。砂漠の民を束ねていた当時の族長の一人娘だった。


 そして、エトリティアこそ、トゥウェルテナの遠祖えんそに当たる者なのだ。

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