第012話:第一王子ヴィルフリオ

 レスティーの前には、武具を粉々に砕かれ、身動きできなくなった騎士たちが倒れ伏している。


 背後に立つスフィーリアの賢者は言葉を失っていた。全く動けなかった。


 こうなった責任の一端は自分にある。彼らを、いやラディック王国そのものを監視するのは自らの責務だったからだ。


 ほんのわずか、時間をさかのぼる。


 スフィーリアの賢者が、レスティーと共に幾つかの見ておくべき場を巡った後、再びファルディム宮玉座の間に魔術転移門を開いた。


 前回の突然の訪問から一週間と置かずのことだ。エレニディールに続き、レスティーも降り立つ。


 突如の魔術転移門出現に、戸惑いを隠せないまま、玉座の間を守護する騎士たちは慌てることなくけつけてくる。前回の経験が役立ったということだ。


「スフィーリアの賢者様、ファルディム宮にようこそおいでくださいました」

「出迎えは無用ですよ。それよりも、イオニア殿はまだ戻っていませんか」


 時間が勿体もったいないとばかりに、スフィーリアの賢者はすぐさま本題に入る。


「たった今、衛兵より報告がありました。国王陛下並びに宰相様、宮廷魔術師団は、レヴェレンダからの定例巡回視察から戻られ、建国門をくぐられたとのこと。まもなく、玉座の間にお越しになるかと思われます」

「少し、早すぎ」


 スフィーリアの賢者は思わず言葉をみ込んだ。レスティーの視線が、玉座の先に向けられている。自分もはっきりと認識した。なぜ、転移してきた際、すぐに気づかなかったのか。


「ありません。なぜなのです。あれは、どういうことです」


 まさに、血の気が引くとはこのことだ。口調も柔和にゅうわで丁寧なものから一転、詰問調きつもんちょうに変わる。


「玉座の真後ろです。最も重要な絵画が、入れ替わっています。なぜです。誰が、許可したのです」


 騎士たちは、スフィーリアの賢者の言わんとしていることを即座に理解した。


 答えにきゅうする。互いに顔を見合わせている。彼らが何も知らないはずはないのだ。知らないでは済まされない。何しろ、彼らは玉座の間を守る騎士たちなのだ。


「答えよ」


 冷静でありながら、怒気どきを多分に含んだレスティーの言葉に、場が凍りつく。聞いた者は心臓が止まってしまうかのような感覚を抱いていた。


「スフィーリアの賢者様、こちらの御方は、いったい」

「私の古くからの友です。あなたたちは彼の問いに答える義務があります。いつわりなく、答えなさい」


 迷いを振り払い、答えようとする騎士の後ろから、別の騎士が心配そうに声をかける。


「おい、よいのか。許しもなく、我らの一存でしゃべってしまって」

「もう一度だけ言う。答えよ」


 彼らはまさにへびにらまれたかえる状態だ。話すも地獄、話さずも地獄といったところか。


「玉座の間で、何を騒いでいる」


 甲高かんだかい声を上げながら姿を見せたのは、華美な宮廷衣装を身にまとった小太りの男だ。騎士たちは目の前の出来事から逃げ出すかのように、慌てて男の方へと駆け寄る。すぐさまひざまづいた。


「ヴィルフリオ殿下、申し訳ございません」

「ああ、よい、よい」


 ヴィルフリオと呼ばれた男は鷹揚おうよううなづき、おもむろにスフィーリアの賢者と向き合う。


「久しいではないか、スフィーリアの賢者よ。先日は所用で出ていてな。その方に会えず残念であった。此度こたびは何用で参ったのだ」


 イオニアの第一子にして、長男ヴィルフリオ・アレアス・フォン・エーディエムだ。十八歳という年齢のわりに子供じみていて、世間一般の評判もかんばしくない。


 現国王イオニアに比べて暗愚あんぐ、側近たちに甘やかされ、おだてられて育ったためか、傲慢ごうまん傍若無人ぼうじゃくぶじんなところも目立つ。


 ゼンディニア王国との昨今の関係悪化も、彼が交換留学時代に起こしたとある事件が要因だったとも言われている。


 第一王女セレネイアを次期国王にという勢力が多いのも、納得できるというものだ。


「久しぶりですね、ヴィルフリオ。つい先日、立太子りったいしの儀を執り行ったのでしたね」

「そうとも。父イオニアは、我を皇太子として内外に宣明なされた。その我に対して、ヴィルフリオと呼び捨てか。いささか無礼ではないか、賢者よ」


 傲慢な態度だ。さらに増長しているようだ。スフィーリアの賢者はもはやため息しか出ない。


「ああ、失礼いたしましたね。ヴィルフリオ殿下、でよろしかったですか」


(面倒くさい男ですね。このような者が皇太子とは世も末です。この事態を招いたのも、この男が)


 三賢者の中で、最も強大だと言われているスフィーリアの賢者を前に、王族とはいえ、この態度はいかがなものか。見守る騎士たちは冷や汗が止まらない。そんな彼らをよそに、スフィーリアの賢者は涼しい顔を浮かべている。


「用事を済ませる前に。殿下に一つお尋ねしたいのです」

「何なりと尋ねるがよい。我が答えられることなら、何でも答えようではないか」


 尊大な態度はどこまでも変わらない。


「恐れ入ります。では、お尋ねします。あの正面の絵画が入れ替わっていますね。理由をご存じですか」


 視線を正面の絵画に向けて、スフィーリアの賢者が尋ねる。一見、沈着冷静だ。本心はそれどころではない。


(実にまずいです。この馬鹿皇太子の返答次第で、ここはおろか、王宮そのものが破壊されかねません。今は我が友が動かぬよう、私が何とか収めるしかありません)


「ああ、あれか。何、簡単なことだ。我がこの者たちに命じ、玉座の間に最も相応ふさわしい絵画に掛け替えさせたのだ。どうだ、素晴らしいであろう。そう思わぬか。我が、最も」


 続きの言葉はすさまじい破壊音によってさえぎられる。何が起きたのか、誰も思考が追いつかない。ただ一人、スフィーリアの賢者を除いて。


 ヴィルフリオも騎士たちも、驚愕きょうがくの表情を張りつかせ、恐る恐る正面の絵画に視線を移す。そこに見えたのは木っ端微塵こっぱみじんに破壊され尽くした残骸だけだった。


「な、何が起こった、誰だ、誰がやったのだ」


 ヴィルフリオの悲鳴にも近い甲高い叫び声が耳障みみざわりだ。答えられる者など、どこにもいない。スフィーリアの賢者なら答えられるが、その彼も茫然自失ぼうぜんじしつ状態だ。


 止めようがなかった。止められるはずもなかった。自分が収めるとは、何とおごった考えだっただろうか。それを痛感しているところなのだ。


 破壊が魔術行使の結果だとは承知している。魔術をることはおろか、発動すら感じ取れなかった。


 ようやくにして立ち直ると、スフィーリアの賢者は力を振り絞って、言葉をつむぎ出す。


「何と愚かなことをしてくれたのか。ヴィルフリオ、貴男は我が友の怒りを買ってしまいました。もはや、私にはどうすることもできません」


 冷静に告げる。最後通告にも近い。全身が怒りに包まれる中、ヴィルフリオをにらむ目だけが、凍てつきそうなほどに冷たい。


「何を訳の分からぬことを言っているのだ。此奴こやつか。此奴が、やったのだな」


 顔を真赤に染めながら、ヴィルフリオは無謀にもレスティーを指差し、怒鳴り散らす。騎士たちは、ヴィルフリオから慌てて距離を取っていた。


「この無礼者が。我を、いや我が最も尊敬する強健王きょうけんおう侮辱ぶじょくするとは何たることだ。反逆罪で処刑してくれるぞ」


 及び腰のヴィルフリオが騎士たちを振り返り、すぐさま命令を下す。


「何をしている。さっさと騎士としての役目を果たすのだ。此奴を取り押さえろ。抵抗するなら、り捨てても構わぬ」


 命を受けた騎士たちは、明らかにひるんでいる。いくら皇太子の命であろうとも、スフィーリアの賢者が友と呼んでいる男を相手にするなど、自殺行為以外の何ものでもない。


 元凶を招いたのはヴィルフリオ本人だ。責任は彼自身が取るべきだ。そう思わずにいられない。


「何をしている。皇太子たる我の命なるぞ。我の言葉に従わぬのなら、お前たちも反逆罪とみなすぞ」


 あまりに滅茶苦茶な命令だ。そこまで言われたところで、躊躇ためらいは一向に消えない。彼らとて命は惜しいのだ。


 一方で、騎士は国王に仕えるもの、次期国王となる皇太子の命令は絶対でもある。彼らは嫌でも動かざるを得ない。


 スフィーリアの賢者には、彼らの葛藤が伝わってくる。だからこそ、彼らのため、自身のため動こうとした。


 またも間に合わなかった。騎士たちが仕方なく剣を手に、前に踏み出そうとした瞬間だ。


「やはり、あの愚か者と共に王家の血そのものを滅ぼしておくべきだったか」


 背後に立つスフィーリアの賢者が、彼らを制止しようとしたその前に事が全て終わっていた。責任の一端は自分にある。彼らを、いやラディック王国を監視するのは、自らの責務だったからだ。


 レスティーの前には、武具を粉々に砕かれた騎士たちが倒れ伏している。致命傷は負っていない。しばらく動けないだろう。


「次は、お前だ」

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