第013話:調停裁定者

 ヴィルフリオには、眼前の光景が悪夢にしか見えなかった。その原因たるレスティーがゆっくりと近づいてくる。


「く、来るな。我を誰と心得こころえる。我は、ラディック王国皇太子にして次期国王なるぞ。下賎げせんの者の分際で、我に歯向かおうというのか」


 どこまでも愚かな男だった。いい加減、この口をふさがなければ最悪の事態になりかねない。


 スフィーリアの賢者には、レスティーの怒りがひしひしと伝わってきている。直接触れているわけでもないのに、肌が痛くなるほどだ。


 レスティーは決して主物質界に生きる者の命を刈り取ることはない。彼が自身に課しているおきての中で、最も重要な制約、すなわちかせだからだ。


 命を刈り取らずとも、それに近い恐怖を与える方法なら幾らでもある。スフィーリアの賢者は、それを恐れていた。


「レスティー、大変申し訳ございません。全ては私の責任です。ヴィルフリオがここまで愚かだとは、予想だにしていませんでした。見抜けなかったのは私の落ち度です」


 スフィーリアの賢者が深々と頭を下げる。レスティーは無言のまま右手を軽く上げて、そのようなことは無用だと示す。


「掛け替えたのは、いつのことだ」


 ヴィルフリオは、恐ろしさのあまり固まってしまっている。レスティーが言葉を発したのは分かった。内容が全く頭に入ってこない。過呼吸気味に息をするのが精一杯の状態だ。


(何なのだ、此奴こやつは何なのだ。賢者があそこまでして頭を下げる者など、見たこともないぞ)


「ヴィルフリオ、絵画を掛け替えたのはいつなのです。今すぐに答えなさい」


 幾分、冷静さを取り戻したヴィルフリオが何とか口を開く。


「そ、その方が、ここを訪ねた翌日だ。わずか二日で献上されてきたのだ。王国随一と言われる画家に、我が特別に描かせたのだ。すぐに掛け替えたわ」


 レスティーがスフィーリアの賢者に視線を向ける。


「六日前です」

「遅かったかもしれないな」


 ヴィルフリオは虚栄心きょえいしんかたまりのような男だ。この期に及んでも、横柄おうへいな態度を崩すことはなかった。


「何のことだ。何が遅いのだ。我に分かるように説明するのだ」


 ヴィルフリオだけではない。スフィーリアの賢者も、レスティーの言わんとしていることが分からなかった。何が遅いのか見当がつかない。


「貴男は黙っていなさい。これ以上、その無駄な口を開くというなら、相応の覚悟をしてもらいますよ」


 まさしく威嚇いかくだ。スフィーリアの賢者がヴィルフリオをにらみつける。


「む、無駄な口だと。貴様」

「これは、いったい何事だ。ここは玉座の間ぞ。ヴィルフリオ、お前も騒々しい」


 玉座の右後方、国王のみに使用が許された扉を開け放ち、ようやくイオニアが姿を見せる。


「来ましたか」


 同時に、玉座の間の正面扉からは宰相モルディーズと宮廷魔術師一団も足並みを揃えて入ってくる。ヴィルフリオは、父イオニアのもとへ転がるようにけていった。この男、逃げ足だけは早い。


「父上、我は玉座の間で不敬を働く狼藉者ろうぜきものに処罰を与えようとしたのです。ところが、この男が怪しげな術か何かを用いて、我が騎士たちをこのようにしてしまったのです」


 倒れた騎士たちを身振り手振りで示しながら、肝心の正確な説明は全て飛ばしている。


 イオニアは、破壊された壁面を見やった後、ヴィルフリオが元凶と指差す男と、その横に立つスフィーリアの賢者に視線を移す。男には見覚えがなかった。


「スフィーリアの賢者殿、来訪を心より歓迎しよう。その横の御仁ごじんとは、初対面であるな。して、この惨状について説明はしてもらえるのだろうか」

「ええ。もちろんですよ。その前に私の問いに答えていただきましょう」


 スフィーリアの賢者が何を言おうとしているのか、賢明なイオニアにはすぐに理解できた。壁面の惨状が全てを物語っている。


「貴男は、この正面の絵画がヴィルフリオによって掛け替えられたことを知っていましたか。あるいは、そういった話を事前に聞いて、承諾しましたか」


 イオニアは迷いなく即答する。


「いや、知らぬし、聞いてもおらぬ。ましてや、承諾など、余がするはずもなかろう」


 イオニアの口調には、様々な感情が込められている。中でも、最も大きかったのが怒りだ。


「掛け替えたとは、どういうことなのだ」


 問いはヴィルフリオに向けられている。


 イオニアは今、最大の危機を迎えていると言っても過言ではない。正面の絵画を掛け替えたという時点で、既に詰んでいる状況だ。あまつさえ、この息子はスフィーリアの賢者と敵対している。大袈裟ではなく、国家存亡にも関わる一大事なのだ。


「我が制作を命じた、強健王と宰相の絵画が完成したのです。それこそが正面に飾るに最も相応ふさわしい絵画なのです。あのような謀反むほんを起こし、処刑された女の顔を毎日見続けることなど、我には到底耐えられませぬ」


 ヴィルフリオの言葉に、イオニアはかつてないほどの衝撃を受けていた。衝撃、そんな生温なまぬるいものではない。深い闇に吸い込まれていきそうな絶望感が全身を包み込む。


 同時にいぶかしむ。いったい、このとんでもない知識を誰に吹き込まれたのか。


「何ということをしでかしたのだ。これが何を意味するか、お前には分かっているのか」

「もちろんです。そもそも、父上たちが信じてきた歴史認識が間違っているのです。これまで語り継がれてきたこと、それが全て嘘だったのです」


 二人とも既に頭に血が上っているのか、口調は次第に激しさを増していく。


「余に無断で絵画を掛け替えたこともだが、真実たる歴史を嘘呼ばわりなどと、お前はどこまで愚かなのだ」

「我は、何一つ間違ったことはしておりません。全てはラディック王国のためです」


 もはや、どちらも止まらない。激高状態だ。


「これのどこが王国のためなのだ。お前は、まさに王国崩壊の引き金を引いたのだぞ」


 レスティーが激論を交わす二人を無視して、スフィーリアの賢者にうなづいてみせる。それを合図と承知したか、おもむろに言葉を発する。


「親子喧嘩は別の場所でやりなさい」


 静謐せいひつの中にも威厳を含んだ言葉に、イオニアとヴィルフリオはその動きを止めざるを得ない。


「ヴィルフリオ、魔術高等院ステルヴィア三賢者が一人、スフィーリアの名をもって問いただします。貴男のゆがんだ歴史認識は、誰の入れ知恵ですか」


 イオニアが再び口を開こうとするも、スフィーリアの賢者は強い視線だけで封じた。


 魔術高等院ステルヴィアにあって、院長と三賢者のみが有する権限、それが国家間の紛争に対する調停裁定者クアラメディタだ。


 シャイロンド公会議を機に、絶対中立性を誇るステルヴィアが、その任に当たることを院長ビュルクヴィストが宣言、五大国に認めさせた。ステルヴィアにはそれだけの力があるのだ。


 当時のビュルクヴィストは、最強の魔術師とも称され、院長就任前の彼は、賢者として長年に渡って多大な功績を残してきた。院長就任後も、その活躍ぶりに変わりはない。ある意味、迷惑この上もないほどにだ。


 余談だが、彼の愛弟子がエレニディール、現在のスフィーリアの賢者だ。


「それは、調停裁定者クアラメディタとしての命なのだろうな」


 おごそかにうなづく。


「ならば、答えねばならぬな。我に歴史を、ああ、正しい歴史を詳細に語ってくれたのは先の宰相アレイオーズ、そこにいるモルディーズの父だ」

「あり得ません」


 叫んだのはモルディーズだ。明らかに狼狽ろうばいしている。


「嘘偽りなく、真実を語りましたね」

「ああ、ああ。当然だ。我も調停裁定者クアラメディタの命に従わぬほど、愚かではない」


 ここにいる総勢が、それ以前の問題として、十分すぎるほどに愚かだろうと突っ込みを入れたのは言うまでもない。もちろん心の中でだが。


「アレイオーズから、その話を聞いたのはいつのことですか」


 問われたヴィルフリオは、記憶を呼び起こすかのようにかぶりを振りつつ、しばし考え込んだ後、ようやく答えを返す。


「確か、我がアレイオーズに聞いてからしゅんは過ぎておらぬと思う。なぜかは分からぬが、かすみがかかったように記憶が曖昧あいまいなのだ」

「もう少し具体的に思い出しなさい」


 スフィーリアの賢者は一抹の不安を感じている。記憶に霞がかかる、それはすなわち、その部分だけ意図的に操作されている可能性が高いということだ。


「駄目だ、無理だ。思い出そうとしているが、頭が割れるほどに痛いのだ」


 うめき声をあげるヴィルフリオを見て、スフィーリアの賢者は質問の内容を変えることにした。


「絵画を架け替えたのが六日前、その納品がわずか二日ということでした。では、アレイオーズの話は絵画の発注前のことですか」


 ヴィルフリオは、それぐらいは覚えている、馬鹿にするなと言わんばかりの表情を浮かべている。


「当然であろう。アレイオーズの話を聞いて、それからすぐさま絵画制作工房ボルザイコの責任者を呼び出したのだからな」

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