第014話:カランダイオという男

 続いて、スフィーリアの賢者はヴィルフリオに名指しされた宰相モルディーズに問いかける。


「さて、モルディーズ。ヴィルフリオはこのように答えました。何か思い当たる節はありますか」


 思案することもなく、モルディーズは即答で返す。


「私には皆目かいもく見当もつきません。父アレイオーズは、前宰相として先代国王ペルゼン様と共に正しい歴史を後世に残すべく尽力してきました。その父が、明らかに間違った歴史をヴィルフリオ様に語るなど、到底考えられません」


 いったん言葉を切る。


「どうしました。続けてください」


 幾分、逡巡が見られる。これを答えないわけにはいかない。モルディーズは、あくまでも私見だと断ったうえで、改めて口を開く。


「ここ数週間、父の様子がいささか違って見えました。生真面目きまじめで、職を辞した後も、何一つ変わらず規則正しい生活を送っていた父が、起床時間になっても起きてこず、逆に就寝時間になってもとこかず」


 歯切れの悪い言葉に、スフィーリアの賢者が言葉を返す。


「なるほど。その程度の変化なら珍しくもないでしょう。いくら規則正しい生活といっても、アレイオーズは相応の年齢です」


 高齢による日常生活の変化は、ごく自然に起きるものだ。スフィーリアの賢者も、その点について疑問を感じることはない。モルディーズが説明を続ける。


「私も年齢による変化だろうと軽く考えていました。調子はどうかと度々たびたび尋ねてみましたが、父からは何でもないという答えしか返って来ず、それ以上は詮索せんさくできませんでした」


 スフィーリアの賢者はうなづきつつ、レスティーに、どうかと無言で尋ねてみる。


「幾つか確かめたい。床に就かずと言ったが、その者が深夜に動き回ることはあったか」


 隣に立つ男からの問いかけに、モルディーズは不安げな表情を浮かべたまま、まず男に、次いでスフィーリアの賢者に視線を移す。


「彼のことは私が保証します。答えてください」


 スフィーリアの賢者が先を促した。


「承知しました。深夜とは日が変わって以降ということでよろしいでしょうか」

「そうだな。この時期だと、日が変わってから二時前後までぐらいか。その時間帯の具体的な行動は分かるか」


 残念ながら、実の父の行動をそこまで厳密に把握できているわけではない。


「そこまでは分かりかねます。ですが、確かにその時間帯にうろつくことが多かったように思います」


 モルディーズの反応を予測していたのか、レスティーは迷いなく次の質問に入る。


「その者が動いた後に、何か特徴はなかったか」


 驚いた表情でモルディーズが答える。


「はい、ありました。はっきりと覚えています。父が歩いた後、床がかなりれていました。執事たちが清掃に苦労していたようです。私も実際に見てみたのですが、水ではなく、粘度の高い液体のようでした」


 液体の正体が何であるかは、モルディーズに分からない。明らかに話の展開が悪い方向に進んでいる。それだけは分かった。


 スフィーリアの賢者が素早くレスティーの方をうかがう。レスティーは小さく頷きつつ、なおも続ける。


「屋敷内から普段よく見られる小動物類、たとえば厨房ちゅうぼうなどにいるねずみたぐいだ。それらの姿が消えているのではないか」


 モルディーズの表情が次々と変わっていく。不安、困惑、驚愕、いずれにしても、よくない兆候に違いない。


 屋敷で厨房を任さている料理長からの言葉を口にする。まさに、レスティーの言葉どおりのことが起きていた。


 レスティーは最後となる問いを投げかけた。


「今、その者はどこにいるのだ」

「そ、それが」


 口ごもってしまうモルディーズだった。


「姿が、見えないのですね」


 代わって答えのは、スフィーリアの賢者だ。


「いつからだ」

「それが、実は父は三日前から屋敷に戻っていないのです」


 これまで我慢していたイオニアが思わず口をはさんでしまう。当然のことだった。


「モルディーズよ、そのような異変があったのなら、なぜ余に報告しなかったのだ」


 問題視されるべき事案だ。宰相たる者が異変を感じていながら、しかも自身の父アレイオーズの行方が知れない状況下で、国王への報告をおこたっていたのだ。


「陛下、誠に申し訳ございません。我が屋敷内での出来事、それに何ら被害も出ていなかったため、報告を怠っておりました」


 イオニアに向かって深謝するモルディーズを横目にしつつ、スフィーリアの賢者もレスティーも、もはやこれ以上聞く必要がなくなっていた。


 明白な結論が出ているからだ。


「よく分かりました。やはり、なのでしょうか」


 最初の言葉はモルディーズ、後に続く言葉はレスティーに向けてのものだ。


「賢者殿、余にも分かるように説明してくれぬか」

「もちろんです。その前に」


 スフィーリアの賢者の指先がヴィルフリオに向けられる。


「何だ、何をするつもりだ」


 ゆっくりと詰め寄るスフィーリアの賢者を前に、ヴィルフリオはなかば恐慌状態だ。


「これから貴男に魔術を用います。大人しくしていなさい」


 無力なヴィルフリオがわめき立てながら、後退あとずさる。彼の周囲に護衛の者は誰もいない。


「やめろ、我を抹殺するつもりだな。賢者よ、そのような横暴が許されるのか。お前たちによる勝手な言論統制を、我は決して許さぬぞ」


 既に言動が支離滅裂だ。スフィーリアの賢者は、それらを一切無視して歩み寄っていく。


「待ってくれ、賢者殿。愚息ぐそくは、余が責任をもって」


 イオニアをも無視して、スフィーリアの賢者が詠唱に入る。ヴィルフリオはなさけない姿で怒鳴り散らしている。


「宮廷魔術師団、何をしているのだ。我を、我を守らぬか」


 玉座の間に最大の緊張感が走る。それぞれの思いが入り乱れて交錯しながら、やがて一つに収束していく。


「モルディーズ殿、いかがなさいますか」


 距離を置いて立つ七人の宮廷魔術師団の中から、一人の男が淡々とモルディーズに問いかけていた。


 目の前で起きていることに関心がないのか、冷静そのものだ。決めるのはモルディーズであり、その答えを待つのみという態度だった。


 決断すべきモルディーズにとっては、苦渋の二者択一でもある。


 王国に仕える者の義務として、皇太子ヴィルフリオの側に立つべきなのは重々理解している。本音は別のところにある。調停裁定者クアラメディタたるスフィーリアの賢者の側に立つことこそが、王国の将来のためになるからだ。


 どちらを選んでも、茨の道であることに違いはない。


 選択肢はもう一つある。モルディーズはそれを選ぶことにした。


「動くでない。我らはただ静観せいかんするのみ」

「ふむ、動くなと。いずれにもくみせず中立を貫くということですか。では、私の一存で勝手をしましょうか」


 モルディーズの命令を無視するつもりか。カランダイオと呼ばれた男は、既に動き始めていた。


「おい、待て、勝手な」


 宮廷魔術師団を率いる男、カランダイオはモルディーズの言葉をさえぎるように瞬時に移動、ヴィルフリオを守る形でスフィーリアの賢者の前に立ちはだかった。


「邪魔をするつもりですか、カランダイオ」


 カランダイオは言葉ではなく、不敵な笑みをもって応えた。すかさず身体を反転、ヴィルフリオに向けて右手をかざす。


「おお、カランダイオ。我を守ってくれるのだな」


 馬鹿につける薬はないとばかりに、カランダイオは嘲笑を浮かべるだけだ。


「愚か者が。今すぐ眠るがよい。睡消微誘リ=アーンデラ

「お前、いつの間に、詠」


 そこでヴィルフリオの意識は途絶えた。崩れ落ちる身体を、カランダイオがいやいやながらにかかえ上げる。


「ここに移動する直前にですよ。と言っても、もう聞こえていませんか」


 イオニアが、怒気どきをはらんだ言葉を投げつける。


「カランダイオ、どういうつもりだ」


 どこ吹く風とばかりに、カランダイオは意に介さない。ヴィルフリオを抱えたまま、ゆっくりと歩を進める。


 この状況下で堂々としたものだ。彼にしてみれば当然のことだった。次の言葉が、それを示している。


「我が主、ご帰還を心待ちにしておりました。また、我ら一同、臣下の礼が遅くなったことを心よりお詫び申し上げます」


 ヴィルフリオを無造作に投げ捨て、カランダイオはじめ宮廷魔術師団一同は等しく、うやうやしく片膝かたひざをついたのだ。


 その行動を前に、主と呼ばれたレスティー以外の誰もが驚嘆きょうたんの声を上げている。


「ど、どういうことだ、カランダイオ、説明しろ。お前たちは、ラディック王国に仕える宮廷魔術師団であろうが」


 カランダイオが一蹴する。


「異なことをおっしゃる。我ら一同、いつラディック王国に仕えるなどと申したでしょうか。我らが永遠の忠誠を誓うのは目の前の御方、レスティー・アールジュ様ただ御一人。主のために働くことこそが、臣下の務めでありましょう」


 モルディーズはもちろん、イオニアも言葉を失っている。スフィーリアの賢者も同様だ。すぐさま立ち直ったモルディーズが畳みかける。


「今まで、我らをあざむいてきたというのか」


 常に冷静さを失わないよう、己を律しているモルディーズでさえ、我慢の限界だった。


「認識の相違というものでしょう。欺くも何も、もとよりイオニア殿に忠誠を誓ったことなど一度もありませんよ。我らは、利益が反しない限りにおいて、その務めを果たしてきたまで」


 モルディーズは怒り心頭だ。宰相として、カランダイオの思惑に気づけなかった自身の不甲斐なさも痛感している。


「よくも、そのようなことが言えたものだな。国王陛下より受けた恩義を忘れたとは言わさぬぞ」


 説得力のない言葉だとは十分に認識している。それでも、モルディーズは言わずにいられない。


「もちろんです。当時、くすぶっていた我らに声をかけてくださったイオニア殿には感謝しておりますよ。だからこそ、その恩義に報いるだけの協力はしてきたつもりです。そうではありませんか、モルディーズ殿」


 ぐうの音も出ないとはこのことだ。モルディーズは二の句を継げなかった。そこに、助け舟を出したのはイオニアだった。


「もうよい、モルディーズ。カランダイオの言うとおりだ。確かに、宮廷魔術師団として働いてはもらったが、この者たちとは臣下の儀を執り行っておらぬ。従って、我らとこの者たちとは対等の関係なのだ」


「さすがは、イオニア殿です。今後のことは後ほど話をするとして、まずはこの馬鹿者の処遇です」


 立ち上がったカランダイオが、微動だにしないヴィルフリオに近寄る。頭部に手を添え、詠唱を始める。


「エ・グルー・ヴァ・イーロ

 アレイ・ジェロ・マラーハ

 光輝きとなりて全てをここに照らさん

 記憶を覆いし暗き影を消し去りたまえ」


 スフィーリアの賢者は身構えることさえしていない。害意ある魔術でないことは、詠唱の瞬間に分かったからだ。ただ黙って見守るだけだ。


解眠放影光輝ヴェレンシーア


 発動と同時、ヴィルフリオの後頭部がわずかにきらめいたかと思うと、光が拡散、すぐさま覚醒かくせいを迎えた。


 カランダイオは無造作に彼の首根っこをつかむと、強制的に起き上がらせる。


「さっさと起きろ、この愚か者が。いつまで寝ているのだ」

「な、何だ、お前、カランダイオか。この無礼者が。臣下の分際で」


 目覚めた途端にこの態度だ。ヴィルフリオにはいささかのぶれもない。


「黙れ。我が主の御前である。控えよ」

「我が主だと、何をほざいている」


 カランダイオは力を込め、うるさく騒ぐヴィルフリオの首をゆっくりと締め上げていく。


「く、苦しい」

「無駄口を叩けば、首を締める。心得ておけ」


 告げてから、力をゆるめた。


 カランダイオは再びレスティーに視線を向け、こうべを垂れるのだった。

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