第015話:低位の魔霊鬼

「二日前のことです。見つけ出すまでに時間を要したため、精神の牢獄に封じるのが精一杯でした。我が主のお役に立てず、申し訳ございません」


 丁寧に頭を下げるカランダイオに、レスティーは軽くうなづく。


「そうか。その者は」


 目の前でいつくばうヴィルフリオを指しながら、カランダイオが答える。


「我が主のご推察どおりかと。この愚か者は、脆弱ぜいじゃくな精神ゆえに、容易たやすくつけ込まれただけでしょう」


 彼の言葉に満足したのだろう。レスティーがねぎらいの言葉をかける。


大義たいぎであった。そなたたちも。務めを果たしてくれたこと、感謝する」


 レスティーは思案するまでもなく、すぐさま次なる行動に移る。それぞれに的確な指示を与えていく。


「カランダイオ、精神の牢獄より封じた者を解き放つのだ。そなたたちは持てる力で防御結界を展開、余波が外にれ出ぬよう全力を尽くせ」

「我が主のおおせのままに」


 カランダイオをはじめとする宮廷魔術師たちは、等しくこうべを垂れ、速やかに準備にかかる。


「エレニディール、そなたにはここにいる者の保護を頼みたい。特にこの男だ」


 エレニディールことスフィーリアの賢者は不安げな表情を隠しきれないまま、レスティーに尋ねる。


「レスティー、貴男が相対するということは、アレイオーズは」


 最悪の状況だ。レスティーがいるとはいえ、スフィーリアの賢者は緊張の色を隠せないでいる。


魔霊鬼ペリノデュエズだ。あの者の話、この者の精神汚染状態から見ても間違いない。カランダイオが精神の牢獄に封じたことが何よりのあかし


 玉座の間が水を打ったかのように静まり返る。


 モルディーズは、今にも卒倒そっとうしそうなほどに立っているのがやっとという有様だ。イオニアも似通にかよった反応しかできないでいる。


「済まない。余の聞き間違いであろうか。アレイオーズが、あの魔霊鬼ペリノデュエズだと言われたか」


 イオニアにしても、モルディーズにしても魔霊鬼ペリノデュエズという言葉は知っている。それがいったいどういう存在なのか、二人だけでなく、ほとんどの者が何も知らないのだ。


 スフィーリアの賢者も、単純に知識として有しているだけだ。実際に遭遇そうぐうしたことは、これまで一度もないのだ。


「そう言った」


 レスティーの後を引き取って、スフィーリアの賢者が説明を加える。


「アレイオーズの行動を見る限り、間違いありません。活動している時間帯、痕跡こんせきとして残している粘度の高い液体がそれを示しています」


 魔霊鬼ペリノデュエズの中で力の弱いものは、主物質界において、その姿形を維持するのが非常に難しい。そのため、環境に慣れるまでは保護膜として粘度の高い液体を全身にまとう性質があるのだ。


 液体は粘性があるとはいえ、動けば当然にこぼれ落ちていく。粘度を高めるためには、乗っ取った者を消化していかなければならない。


 消化には大量のにえが必要だ。それこそが先ほどの話に出てきた小動物類になる。


魔霊鬼ペリノデュエズは、生きている者を手当たり次第に食らい尽くしていきます。そして、乗っ取った者を完全消化してしまうと、液体を零すことなく自由に動き回ることができるようになるのです」


 この状態を同化と呼ぶ。一度ひとたび同化を果たすと、今度は小動物類程度では済まない。人を襲い、さらに力を吸収、完全体へと近づいていく。


「今の状況をかんがみるに、残念ですが、もはやアレイオーズは手遅れでしょう」


 残酷な最後の一言に、モルディーズは耐えきれずひざから崩れ落ちる。イオニアは痛々しい思いで彼を見つめた。


「我が主、それでは解き放ちます」


 レスティーのうなづきを合図に、カランダイオは両手をかかげ、精神の牢獄から解放するための言霊ことだまを唱えた。


封牢放界精縛グイ=リエンデ


 漆黒にいろどられた立方体のおりが空中に出現、直後、上下真っ二つに割れた。


 大量の液体をき散らしながら、それが地上に降り立つ。

 

「ほうほう、ようやく解放ときたか。俺様を封じたこと、めてやろう。だが、お前の魔力も尽きたようだ。相応の覚悟はできているのだろうな」


 人の形はしている。依代よりしろとなったアレイオーズの姿形すがたかたちとは似ても似つかぬ、おぞましい姿に変貌している。


 顔は完全に崩れ、目や口などもあるにはあるのだろう。どこについているのか、見当もつかない。かろうじて、手足は二本づつある。それらは、もはや人の動きを見せていない。


 粘性液体に覆われた手足は完全に独立し、あり得ない角度で幾重にも折れ曲がっているのだ。


 イオニアは思わず叫び出しそうになるところを必死に口を押さえ、こらえていた。


 モルディーズも同様だ。彼はこらえきれなかった。このような姿形になろうとも、どこかに父アレイオーズの面影が見て取れたか。


「あああ、父上、父上」


 彼の口から出たもの、それはまさに慟哭どうこくだった。


「これは、これは、心地よいな。もっと泣き叫べ。それが俺様のさらなる活力となるのだ」


 スフィーリアの賢者も緊張の面持ちで対峙たいじしている。初めて魔霊鬼ペリノデュエズと直接あいまみえているのだ。


 知識と実体験は全く異なる。今まさにそれを痛感している。


 レスティーがいるから戦いそのものへの心配はない。魔霊鬼ペリノデュエズの攻撃から、イオニアたちを守り切れるだろうか。一抹の不安は消せないままだ。


(友から託されたのです。こたえないわけにはいきません)


「エグゼン・ブレーヴァ・レーケ・イーナ

 ヴァラヌ・スウィディー・オウリ・ジェーピ

 邪を退しりぞけし偉大なる光の力よ

 悪しきものをはばみしたけき盾となりたまえ」


 スフィーリアの賢者がイオニアたちを守るため、同時に宮廷魔術師たちが玉座の間を守るため、防御結界を展開していく。


光絶結幕隔壁ポーレダント


 双方が唱えたのは結界魔術だ。


 同じ魔術でも用途は異なる。


 スフィーリアの賢者のそれはイオニアたち個々を守るための局所型結界で、三重の光壁で強度を高めて対象を保護する。守るべき対象者が多いため、スフィーリアの賢者の力をもってしても三重光壁が限界だ。


 宮廷魔術師団のそれは多重詠唱による広範囲結界だ。薄く伸ばした光幕を二重にして、玉座の間全域を保護する。多重詠唱のため防御能力は高まっている。それでも、六人では二重光幕が精一杯だった。


「これは賢者殿の魔術か」

「イオニア殿、決してその場から動かぬように。皆もです」


 結界に触れようとするイオニアを制しながら、スフィーリアの賢者は自身がまもるべき対象者の様子を確認していく。


「ほうほう、これは見事な結界だな。しかし、油断していたとはいえ、俺様を封じたあの男の結界の方が強く見えるぞ。いいのか、俺様とやり合うのにこの程度で」


 魔霊鬼ペリノデュエズが多重展開された結界を睥睨へいげい、見下すように吐き捨てる。


「まずは俺様を封じたお前からいたぶるとしよう。じわじわと苦痛を与えた後、餌として吸収、残った者どもも等しくにえとしてくれようぞ」


 魔霊鬼ペリノデュエズの敵意がカランダイオに向けられた。彼の正面にも、スフィーリアの賢者によって光壁が展開されている。


 魔霊鬼ペリノデュエズは歯牙にもかけず、右腕とおぼしき粘性液体状のかたまりを真上から無造作に振り下ろした。


「それは無理というものです。なぜなら、お前の相手は私ではないのでね」


 鋭利な錐状すいじょうの塊が三重の光壁と激突した。音と光が飛び散り、周囲を騒がせる。


「これは、少々まずいですね」


 カランダイオは咄嗟とっさに大きく飛び退くと、さらに五重の光壁を急ぎ展開した。


 三重の光壁がいとも簡単につらぬかれていく。耳障みみざわりな硬音を響かせながら、次々と砕け散り、さらには新たに展開した五重の光壁にも襲いかかる。


「三重では防ぎきれません。賢者殿、貴男がているなら対応できるでしょうが、老婆心までに」


 魔霊鬼ペリノデュエズの攻撃は、五重の光壁のうち四枚を完全に砕き、最後の五枚目を貫く寸前でかろうじて止まっていた。


「承知していますよ、カランダイオ。忠告は、有り難くいただいておきます」


 スフィーリアの賢者は、魔霊鬼ペリノデュエズの繰り出す攻撃から、一時ひとときたりとも目を離さず観察を続けている。


「ほうほう、防ぎきったか。咄嗟の判断で、新たに結界を展開したのは見事だったな。俺様も加減を間違ったようだ。では、次」


 言葉をげなかった。背筋、いや全身をけ上がるすさまじいばかりの冷気に硬直してしまったのだ。


(何だ、この異常なまでの冷気は。この俺様が動けないだと。まさか、俺様が恐怖、ありない。人族にここまでのことができる者など、いようはずもない)


「遊びは、終わりだ」


 一瞬の硬直をいて、魔霊鬼ペリノデュエズが反転する。問答無用とばかりに、声の主めがけて先ほどと同様の攻撃を仕かける。


 違うのは、左右の腕を同時に用い、全力に等しい威力を込めていることだ。魔霊鬼ペリノデュエズとしての本能が、この男は危険だと告げている。


 レスティーの正面に結界はない。魔霊鬼ペリノデュエズの攻撃はけようもなく、直撃だと思われた。


 魔霊鬼ペリノデュエズも確信している。一撃必殺だ。確実にったと。


「やはり、人族など俺様の敵にならぬな」

「これが全力か。そうであるなら、児戯じぎに等しいと言わざるを得ない」


 レスティーは微動だにせず、ましてや指一本すら動かしていなかった。


 カランダイオは満面の笑みをもって、当然の結果だと大きくうなづいている。


 スフィーリアの賢者は、無意識のうちに止めていた息を吐いた。レスティーの力を知っているがゆえ、この程度の魔霊鬼ペリノデュエズが相手なら取るに足らないだろう。


 レスティーには彼なりの戦いの流儀がある。戦いにおける彼の原則は、スフィーリアの賢者もなかなか理解できない。圧倒的強者たるレスティーにこそ、可能なものだ。ある意味、周囲にいる者にとっては誤解を与えかねない、迷惑な戦い方でもある。


(相変わらずの流儀ですが、いつもながら心臓に悪すぎます。魔霊鬼ペリノデュエズとはいえ、あわれみさえ覚えてしまいますね。これから起きるであろうことを考えると、気の毒としか言えません)


「馬鹿な。直撃したはずだぞ。なぜ、平然と立っているのだ。そのうえ、俺様の攻撃を児戯とほざくか」


 魔霊鬼ペリノデュエズは信じられない思いで、目の前に悠然と立つ男を見つめている。己にとって、人などは恐れるものではない。単なる餌だという認識でしかないからだ。


「出し惜しみするなら、すぐに滅する。そうなりたくなければ、全身全霊、持てる力を出し尽くせ。低位メザディムとはいえ、魔霊鬼ペリノデュエズであろう。この程度ではあるまい」


 きょかれる魔霊鬼ペリノデュエズは、この一言でかえって冷静さを取り戻す。


「ほうほう、ほうほう、久しぶりに聞いたぞ。我を低位メザディムと知るか。貴様は、何者だ。いや、その前に望みどおり、見せてくれよう。俺様の最大最強の攻撃をな」


 低位メザディムの身体が膨張していく。全身を覆う白濁の粘性液体も膨張に合わせて広がりつつ、激しく床にこぼれ落ちていく。


 レスティーはなおも動かず、その様子をただているだけだ。


「膨張が止まった。何と、おぞましい姿なのだ」


 うめいたのはイオニアだ。


 もとの姿形に比べて、およそ三倍程度にまで膨れ上がっている。眼前で繰り広げられている光景がいまだに信じられない。


 魔霊鬼ペリノデュエズの出現もそうだが、その攻撃を受けて平然としている男にもだ。


 この先の展開を想像して、イオニアはたまらなく身体が震えるのだった。

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