第016話:焔となりて天に還る

 身体の膨張が頂点に達してからというもの、粘性液体の内部で何かが不気味にうごめき始めている。


 あたかも、血管を流れる血液のごとく脈動している。次第に色を変化させながら、定められた場所に集いつつあった。


「結界に全ての魔力を注ぎ、衝撃に備えよ」


 レスティーの声が明瞭な音として、この場の全ての者に浸透していく。


 白濁の液体は、今や四色に染め分けられている。


 左右の上腕部は紫、心臓部は緑、腹部は青、左右の大腿部は紅だ。それらが不規則に見る者の心臓を揺さぶるかのような、重低音の拍打はくうちを続けている。


 吐き気をもよおすほどのいとわしさだった。


 ヴィルフリオは吐き気をおさえるため、必死に口元を腕で覆っている。この光景から完全に目を背け、結界内で縮こまっている。


 拍打ちが、おもむろに止まった。


「対毒防御」


 静かに告げる。無論、スフィーリアの賢者とカランダイオ、二人に向けたものだ。


 他の者にはえずとも、レスティーには全て視えている。


 蠢めいている四種の液体まりは、強力な毒からる。だからこその対毒防御なのだ。


 全くもって容易ではない。


 大雑把おおざっぱに言うと、防御方法は二つある。一つは毒に侵された者から、それを抜き去る魔術だ。もう一つは毒そのものを無効化あるいは遮断する魔術だ。


 用いられる毒が分からない以上、二人には後者しか選択肢がない。


「対処は全てするが、毒を浴びた者がいたらその救助をということですか。貴男らしいと言えばそれまでですが」

「さすがは我が主、しびれますね。最高のご指示です」


(どこが痺れるのですか。どれほど強力な毒かも分からないのですよ。無茶ぶりというものでしょう。それでも、友のことです。万が一もないのでしょう)


 それ以上に、スフィーリアの賢者には分からないことがある。カランダイオの存在だ。彼がレスティーの配下にあることなど、一度も聞かされていない。どちらからもだ。全くもって予想外の展開だ。正直、嫉妬心さえ覚えてしまう。


(今は、そのようなことを考えている場合ではありませんね)


 思わず、自分自身に内心で突っ込みを入れてしまうスフィーリアの賢者だった。


「カランダイオ、この結界で防御は可能なのですか」

「どうでしょうね。しかしながら、我が主があのようにおっしゃったのです。問題ないに決まっています」


 四色に染められた各部位が、今度は一気に圧縮した。


糜爛腐朽瘴葬トキジネーリオ


 限界点を超えた瞬間、すさまじい初速をもって一気にはじけ飛んだ。


 レスティーを覆い尽くすかのように、全方位に散った液体が意思をもって、その角度を自在に変えていく。


「全方位からの毒雨弾どくうだんだ。これならけようもあるまい。全身に浴びて、ち果てるがいい」


 四種の猛毒が粒子状と化し、豪雨のごとく降り注ぐ。


 今度こそ、直撃はまぬかれない。勝利を確信した低位メザディムの雄叫びが空間を揺るがす。


 毒雨弾の余波は、当然ながら、スフィーリアの賢者やカランダイオたちにも牙をいた。


 期待どおり、光絶結幕隔壁ポーレダントは有効に機能した。守護された者は毒を浴びることなく、無事に護られている。


 天井、壁、床など、結界範囲外の場所は、毒雨弾が触れるやいなや、見る見るうちに朽ちていく。


 宮廷魔術師団が展開した光絶結幕隔壁は、その性質上、玉座の間の壁面、すなわち破壊された絵画の位置を中心に展開されている。天井や床など、全てをまもりきれるものではないのだ。


低位メザディムでは、やはりこの程度か。仕方がない」


 レスティーの身体がかすみのように揺らめく。


 それは陽焔かげろう、姿が幾つにも重なって見えたのもつかの間だ。レスティーを中心に、半径一メルクほどの炎円柱えんえんちゅう轟音ごうおんと共に真下より立ち上がった。


「これは炎熱系最上級魔術、しかも最高難度の烈焔熱波無浄獄ログウェ=ニルヘムですか」


 スフィーリアの賢者がなかあきれ気味につぶやく。


 魔術高等院ステルヴィアでも、いまだ誰一人として成功したことのない高難度魔術の筆頭だからだ。


「我が主におかれては、この程度の魔術行使など造作ぞうさもありません」


 カランダイオの言うとおりだ。スフィーリアの賢者もレスティーの力は重々承知している。比較すること自体が無意味でもある。


「何という熱量、そして暑さなのだ」


 イオニアも呆然ぼうぜんとなっている。結界を通してなお、すさまじい熱を感じている。既に全身が汗まみれだ。


 赤を含んだ白い炎が渦を巻きながらそびえ立っている。熱の余波が周囲に満ち、低位メザディムが膨張時にこぼした粘性液体を、ことごとく蒸発させていく。それはすなわち超高熱を意味する。


 無限とも言える数の毒雨弾が衝突した。いや衝突はなかった。炎円柱に触れる前に、全て終わっていたのだ。


 ことごとくが無害化されたうえ、またたく間に気化していく。


 刹那せつなのうちに五千ルシエにまで達した圧倒的熱量を前にしては、致死性の猛毒であろうが、液体である以上、その存在は一切許されない。状態を維持し続けることなど、できようはずもなかった。


「何なのだ。いったい何が起こっているのだ」


 雄叫びが悲鳴に変わる。


「十分に、た」


 炎円柱が形を崩し、一つどころに集っていく。レスティーの姿が徐々にあらわになっていった。


 胸前で右手をわずかに開く。手のひらに向かって、全ての白赤炎が急速に収縮されていく。


 手のひらの内に収まるほどに圧され、浮かび上がった白赤炎球は弾ける時を待つかのように、まばゆいばかりの光を四方に散らしている。


(まずい。何か分からぬが、あの炎はまずすぎるぞ。あれをらえば、いかな俺様とて。かくなるうえは)


 危険を察知した低位メザディムの判断は素早かった。すぐさま、行動に移す。間髪をいれず、アレイオーズの姿へと変化していったのだ。


「ああ、モルディーズ、我が息子よ。全身が痛くて、痛くてたまらぬのだ。今すぐ、私をもとの姿に戻してくれまいか。頼む。どうかこの父をあわれと思って助けてくれ」


 懇願こんがんをぶつけられたモルディーズは、心を激しく揺さ振られていた。


「ああ、父上、何とおいたわしや。今すぐにでも私が」


 思わず光壁の外に出ようとするモルディーズだった。押し止めたのはスフィーリアの賢者だ。


「動いてはなりません。精神の最も弱い部分につけ込み、そこから籠絡ろうらくしていく。魔霊鬼ペリノデュエズ常套じょうとう手段です。気の毒ですが、あれはアレイオーズではありません。心を強くたもちなさい」


 スフィーリアの賢者の言葉であっても、にわかには信じられない。信じたくないのだ。


「で、ですが、賢者様、声も口調も父アレイオーズそのものなのです。それでも、あれは父ではないとおっしゃるのですか。私には、私には」


 モルディーズの悲痛な叫びに答えたのは、スフィーリアの賢者ではない。レスティーだった。


魔霊鬼ペリノデュエズ依代よりしろとして取り込んだ者を吸収し尽くすと、その者が有していた記憶を自在に操れるようになる。言葉遣いや口調、癖までもな。だからこその同化なのだ」


 レスティーが告げるのは、事実のみだ。そこに感傷や同情といったものはない。


「ああ、それではもう、父上は。何ということだ。ああ、神よ」


 モルディーズはそれ以上の言葉をつむげない。イオニアもスフィーリアの賢者も、彼の気持ちが痛いほどに理解できた。


「残念だが、もはやあの低位メザディムから分離させることはかなわぬ」


 レスティーが、おもむろに手のひらを握る。


「終わりだ」


 閉じた指の隙間から白赤炎球の燦然さんぜんたる輝きが四方にあふれ、急速に拡散していく。


 次の瞬間、爆音を伴って低位メザディムの足元から一気に滅炎めつえんが噴き上がった。


「こ、この、俺、様が」


 それが、低位メザディムの残した最後の言葉だった。


 全身を白赤炎に貫かれ、飲み込まれた身体がたちまちのうちに昇華していった。


 勢いを衰えさせることなく、上空へとけた炎が白と赤に分かたれていく。白炎は火焔鳥かえんちょうへ、赤炎はアレイオーズの姿へと再構築されていった。


「別れの言葉を、伝えるがよい」


 レスティーは赤炎から転じたアレイオーズに対して、一時ひとときの猶予を与えたのだ。


「我が息子よ、迷惑をかけたな。済まぬ、許してくれ。私が愚かだったのだ。心の隙間すきま魔霊鬼ペリノデュエズに突かれてしまった」


 炎と化したアレイオーズが、息子に語りかけている。モルディーズは驚愕の眼差しをもって、炎の父を見つめている。


「父上、父上なのですか。これは何ということか。信じられない」


 レスティーがモルディーズの心に直接語りかける。


(時間はない。言い残すことがないよう思いを伝えるのだ)

(は、はい、有り難うございます)


「私は父上の息子であったことを誇りに思っています。これまで有り難うございました。父上のやり残したこと、できなかったことは私が責任をもってやり遂げてみせます。だから、だから、どうか私を見守って」


 涙にむせぶあまり、続きは言葉にならない。


 アレイオーズが赤炎の腕を伸ばし、モルディーズの頭に優しく触れる。炎の熱さは皆無だ。そこにあるのは、父の愛とぬくもりだけだった。


 頭をで続けながら、柔和にゅうわな表情で息子モルディーズを見つめ続ける。


「父上」


 涙があふれて、止まらない。


 アレイオーズは息子から手を離すと、イオニアに身体を向けた。


「イオニア陛下、御子息ヴィルフリオ様にも多大なご迷惑をおかけしてしまいました。心より謝罪申し上げます」


 イオニアはうなづくと、最後の言葉、別れの言葉をアレイオーズにかける。


「謝罪を受け入れよう。アレイオーズ、愚息のことは気にするでない。この者にも責任があるのは明白だ。何より、そなたには先代の頃より随分と世話になった」


 アレイオーズが深謝すると同時、火焔鳥が哀愁あいしゅうに満ちたき声を玉座の間に響かせた。


 永遠とわの別れのときが来たのだ。


「私を解放してくださった貴男様にも、心よりの感謝を」

「礼には及ばぬ。さらばだ。安らかに眠れ」


 レスティーの言葉を最後に、アレイオーズを構築していた赤炎がもとの炎へと戻っていく。


 今一度、息子に向けてアレイオーズが手を伸ばす。何とか触れようと手を伸ばすモルディーズの姿に、誰もが心を打たれていた。


「我が息子モルディーズよ、あとは頼んだぞ」


 その言葉を最後に、アレイオーズの姿は完全に消え去った。


 何かが落ちる音がしたが、レスティー以外に気づいた者はいなかった。


「父上、さようなら、父上」


 白炎の火焔鳥が空中で停止、羽ばたかせる。


 レスティーが静かにうなづいた。


 火焔鳥が急降下する。レスティーの周囲を一回り、そして美しいひと啼きの後、旋回せんかいしながら、徐々にその姿を溶け込ませつつ、天へとかえっていった。


 火焔鳥の姿が消えてからも、その啼き声は長らく残響ざんきょうとなり、ここにいる者たちの胸内に余韻よいんを残し続けた。

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