第329話:ニミエパルドを殺せる存在

 ニミエパルドは振り返らない。振り返れば、その時点で命を刈り取られる。それほどまでの圧が前方に立つ女から発せられている。


「ニミエパルド、お前の相手は私の相棒よ。死ぬ前に紹介しておいてあげる。名はルシィーエット、先代レスカレオの賢者にして最強の炎の魔術師よ。せいぜい楽しみなさい」


 ニミエパルドの表情が一瞬にして蒼ざめていく。魔霊人ペレヴィリディスとなって蘇った直後、ジリニエイユに告げられた言葉を今さらながらに想い出す。


「今のお前は主物質界において、最強の一角を占めるであろうな。ただしだ。私を除き、お前を殺せる者が少なくとも三人いる。一人は言わずもがなだな。残るは人族の魔術師だ。スフィーリアの賢者ことビュルクヴィスト殿、レスカレオの賢者ことルシィーエット殿、この二人に出逢ったら、迷わず逃げるがよい」


 己にとって神にも等しいジリニエイユの言葉であってもにわかに信じられなかった。


 根核ケレーネルを埋めこんでいるヒオレディーリナならまだしも、たかが人族の魔術師が魔霊人ペレヴィリディスを殺せるなどあり得ない。いくら最強の魔術師たる賢者であろうともだ。


 そのうちの一人が己が目の前に立っている。


(この者がレスカレオの賢者ことルシィーエット殿、ジリニエイユ様のお言葉は誠でした。あの老いからして現役を退しりぞいているでしょう。にもかかわらずです。私の命はここまでかもしれません。せめてケーレディエズだけでも護らなければ)


 ニミエパルドは覚悟を決める。迷わず逃げろと告げたジリニエイユの言葉であろうと、ここは譲るわけにはいかない。命に代えてでもケーレディエズを護ってみせる。


 その意思だけでルシィーエットと対峙たいじする。ヒオレディーリナを除き、六人の魔霊人ペレヴィリディスの中で最も人間らしさを残している。それがニミエパルドだ。


(ジリニエイユ様の左腕を機能不全に追い込んだ強大な魔術の使い手、敵を前にして一切の情けを持たぬ苛烈な性格の持ち主でもある。三人の中で最も恐れるべき相手がルシィーエット殿です。果たして交渉の余地はあるでしょうか)


 これが目の前の者を餌としてしかとらえていない魔霊鬼ペリノデュエズとの決定的差異だ。魔霊人ペレヴィリディスは大なり小なり理性を残し、それを働かせることできる。


 ニミエパルドはまさにこの瞬間、ルシィーエットを強者と認めたうえで交渉の可能性を探っているのだ。


「何だい、突っ立ったままかい。ならば、こちらから行くよ」


 互いに立ち止まって相対あいたい、その距離およそ十メルクだ。静から動へ、ルシィーエットが距離を詰めるべく歩み出そうとする。


「ルシィーエット殿、待っていただきたい。私に攻撃の意思はありません」


 ルシィーエットは不思議な感覚にとらわれている。


 魔霊人ペレヴィリディスだろうが魔霊鬼ペリノデュエズだろうが関係ない。敵として立ちはだかるなら、容赦なく最大の一撃をもって叩き潰す。それこそがルシィーエットの根幹なのだ。


(この男、ニミエパルドと言ったか。ろくでもない鎧をまとっている以外、まるで人そのものだね。さて、どうしたものか)


 ヒオレディーリナに尋ねたところで返答は聞くまでもなく決まっている。ヒオレディーリナとの共闘においては絶対的な決め事が存在する。己が信念に基づいて自由にしろ。これだけだ。


 かすかに視線を上向きにしてみる。ヒオレディーリナは宙に浮かんだまま、三振みふりの魔剣アヴルムーティオが奏でる炎、熱、風の競演を表情一つ変えずに眺めている。


 まさしく絶対的強者たる余裕なのだろう。魔術は無論のこと、いまだに剣さえ振るっていない。


(千魔剣の女王ミレヴルティアここにり、だね。ディーナが相手とは、あの娘も気の毒だよ)


 敵ながら哀れに感じてしまう。それほどまでにヒオレディーリナとケーレディエズとの間にはあまりに大きな、それこそ天と地ほどの隔たりがある。


 竜巻内部に閉じこめられたまま無力さをみ締めているケーレディエズがニミエパルドに助けを求めて絶叫している。


 うなりをあげて逆巻く風嵐を創り上げている皇麗風塵雷迅セーディネスティアもまたルシィーエット同様の想いをもってケーレディエズを見下ろしている。


≪姉様、この状態のままとどめ置くだけでいいのよね。決して殺しては駄目なのよね≫


 確認を求めてくる皇麗風塵雷迅セーディネスティアにカラロェリが簡潔に応じる。


≪是。只維持。唯在内≫


 決してケーレディエズを殺してはならない。三振りの魔剣アヴルムーティオに与えたヒオレディーリナ唯一の条件だ。


≪仮初の主殿であろうと命は絶対よ。殺さない程度に無力化してしまいなさいね≫


 イェフィヤが事もなげに言い放つ。


≪姉様、知ってて言ってるでしょ。それができたら苦労しないわよ≫


 皇麗風塵雷迅セーディネスティアが完全にねている。


 時には荒れ狂う暴風のごとく気性が激しく傲慢、時にはいだ無風のごとく穏やかで静謐せいひつ、両極端な末妹まつまい皇麗風塵雷迅セーディネスティアが姉のイェフィヤもカラロェリも可愛くて仕方がない。


≪それにしてもこの女、飽きないわね。無駄な足掻あがきでしかないのに、どうしてここまでするのか理解できないわね。あの娘にしても同じだわ≫


 あの娘が誰を指すのか、イェフィヤにもカラロェリにも分かっている。


≪母上様がご創造なされたという点において、我らも人もあまねく同じよ。我らはほぼ不死の中で変化を好まない。一方で人は短い生の中で変化を好む。その差異こそが互いの理解を拒んでいるものなのよ≫


 今日はやけにイェフィヤが饒舌じょうぜつだ。イェフィヤとカラロェリに比べれば、皇麗風塵雷迅セーディネスティアは創造されてからの時間が極端に短い。人に対する理解度は到底姉たちに及ばない。


 魔剣アヴルムーティオとは意思を備えた特殊な剣のみを指す。それを手にできるのはごく限られた、選ばれた者のみだ。


 余談だが、一部の魔術後進国の中には、魔術師によって魔術付与されただけの出来の悪い剣を魔剣アヴルムーティオと称して法外な価格で売買していたりする。


 ヒオレディーリナは宙に滞留しながら、三振りの魔剣アヴルムーティオの会話の全てを聞いている。もちろん口出しなどと無粋な真似はしない。ケーレディエズを殺すな。それさえ守れば彼女たちの自由意思の赴くままで何ら支障はない。


 ヒオレディーリナが動くとすれば、ケーレディエズを殺しかねない状況になった時か、あるいは万に一つもないだろうがルシィーエットが絶体絶命におちいった時のみだ。


(もう一つだけあるわ。私の可愛い坊やに危害を加えようとした時よ。もちろん私がそれを許すはずもない。そうなれば情け容赦なく速やかに排除する)


 現状、ケーレディエズは三振りの魔剣アヴルムーティオに任せておいて大丈夫だ。その確信をもって視線をルシィーエットに傾ける。


(ルーは随分と丸くなったわね。昔なら迷わず真っ先に攻撃を仕かけていたでしょう)


 ヒオレディーリナの表情がわずかに緩んでいる。老いを知らず、悠久の時を生きるヒオレディーリナにとって、レスカレオの賢者時代のルシィーエットは心を許せる数少ない友であり、妹のような存在でもあった。


(ルーの好きなようにすればいいわ。私はルーの意思を尊重するのみ)


「ルシィーエット殿、私は貴女に勝てないでしょう。私にとって神にも等しいジリニエイユ様にも言われております。貴女と対峙したなら、迷わず逃げろと」


 意外そうな表情を浮かべたルシィーエットがすかさず尋ねる。


「そうかい、あのジリニエイユがね。それで、あんたはどうするつもりなんだい」


 あらかじめ用意していたのかのごとく、ニミエパルドが即答をもって返す。


「無益な戦いは望みません。ヒオレディーリナとルシィーエット殿を相手に勝てる道理もありません。そこで私からの提案です」


 ニミエパルドが語った内容は、三姉妹から完全に手を引き、今後一切関わらない。そのもとでケーレディエズの命だけは保証してほしい。対価が必要なら、己の命を差し出す、というものだった。


「随分といさぎよい提案だね。こちらが対価を要求すれば、あんたは応じて、自らの命を差し出すと言う。いいかい、ニミエパルドとやら。そんなことをして、そこの娘が納得するとでも想ったのかい」


 ニミエパルドが悲しげに首を横に振っている。納得する、しないの問題ではない。あの事件以来、ニミエパルドはケーレディエズのためだけに生きていこうと誓ったのだ。彼女さえ生き残れるなら、己の命など惜しくもない。


「あんたは全然分かってないね。魔霊人ペレヴィリディスなんてものになって、ぼけてしまったのかい」


 辛辣しんらつな言葉を遠慮なく投げかける。ニミエパルドも予想外だったのだろう。完全に呆気あっけに取られた状態だ。


「ディーナ、この娘からいったん魔剣アヴルムーティオの力を退けてくれないかい」


 ヒオレディーリナが小さく頷くのが見える。右手が軽く振られる。


 最初に竜巻を構成している風嵐がまたたく間に勢いを失い、皇麗風塵雷迅セーディネスティアへとかえっていく。


 次に無数の炎糸を超高温状態にしていた熱がカラロェリへと還り、最後に炎糸の源たる炎が上空に散り、再びヒオーレアの花びらへと姿を変えていった。


 空を覆う炎のヒオーレアは今やヒオレディーリナの周囲に集い、次なる指示を待っている。


 いくら暴れても決して破壊できなかった竜巻のおりが嘘のように消え去り、風の唸りに代わって、ケーレディエズの叫声が岩肌にぶつかって反響を起こしている。


「ニミエパルド、ヒオレディーリナがいじめるの。私を閉じこめて、あの男が、あの男が私にしたように。憎い、憎い、あの男が、ヒオレディーリナが憎い」

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