第328話:花びらは華となりて炎と踊る

 対峙たいじしておきながら、無視されたままの状態が続くニミエパルドにとって、ヒオレディーリナは敵以外の何者でもない。その想いは初めて出逢った時からいささかも変わっていない。


 最高位キルゲテュールの核を埋めこんでいる者同士の同種意識は皆無だ。それほどまでにヒオレディーリナは異質すぎる。あり得ないことに自らを実験体と称して根核を受け入れ、さらには人としての生を維持している。


 全くもって相容れない存在なのだ。三姉妹の抹殺命令以上に、ヒオレディーリナが対象であるなら、躊躇ちゅうちょなく即実行に移すだろう。


「ねえ、ニミエパルド。ヒオレディーリナが憎いの。あの女は強いよ。でもね、私たち二人なら勝てるよ。ニミエパルドが憎い者は、私も憎いもの」


 ケーレディエズの瞳があやしく輝いている。そこに浮かぶのはあふれんばかりの憎悪と殺意だ。ニミエパルドは優しく微笑むと、ケーレディエズの頭をでながら言葉をかける。


「そうだね。私たちが力を合わせれば負けるはずはない。ヒオレディーリナは私が叩くから、ケーレディエズは向かってくるあの女を仕留めてくれるかな」


 満面の笑みをもってケーレディエズが応える。


「うん、いいよ。私、ニミエパルドの役に立つから。任せておいて」



 全く動こうともしないニミエパルドとケーレディエズにヒオレディーリナが言葉を落とす。


「なぜ攻撃を仕かけてこない。いくらでも機会はあった。その機会を与えてもいた。すきを突かずして、お前たちごときが私を殺せるとでも想ったか」


 ルシィーエットたちとの会話とは打って変わって、無慈悲で冷酷な言葉を投げつけていく。真の意味で、敵を前にした際のヒオレディーリナの恐ろしさを知るのはルシィーエットただ一人だ。その彼女をしても身体に震えが生じている。


(おとろえるどころか、さらに強くなっているね。あの力の影響も大きいだろうさ)


 ルシィーエットの瞳はヒオレディーリナと共に、ザガルドアの手を離れた花びらにも注がれている。不規則に揺らめきながら上昇する一枚のそれは輝きを帯び、紅緋の色を散らしている。


 ヒオレディーリナの真正面に辿り着いた刹那だ。


「ジェ・ロアトー・アウルゥ・ヌィエ・ヒウェーレラ」

<訳:ヒオーレアの魂を分かち束ねて華と成せ>


 ヒオレディーリナの唇が震え、つむぎ出された言霊ことだまをもって一枚の花びらが無数に分裂、空一面に咲き誇った。


 一枚の花びらは極小、それでいて数千にも折り重なって空に広がる無限の花びらはまさしく大輪、さらにそれらのことごとくが美しい炎を身に宿す。


「な、何なんだ、あの凄まじいばかりの炎の花びらは」


 ザガルドアの唖然あぜんとしたつぶやきもうなづけるだろう。尋常ではない数の花びらが大輪と成し、散っては集いを繰り返しながら互いの炎を次々と結びつけていく。


 その度に炎は活性化、今や真昼の陽光かと錯覚をいだくほどの輝きで周囲を染め上げていく。


「さあ、千魔剣の女王ミレヴルティアの真骨頂、久方ぶりにせてもらおうじゃないか」


 ルシィーエットの言葉も耳に入ってこない。セレネイアは無論のこと、ザガルドアでさえそれ以上の言葉を失い、眼前の光景をひらすらに見つめるだけだ。


 その中にあって、一人興奮しているのがマリエッタだった。目を輝かせてヒオレディーリナが展開した炎の花びらを凝視している。その愛くるしい表情も、シルヴィーヌに言わせればこうなる。


(またマリエッタお姉様の悪い癖です。炎に関わることとなると、すぐにこの有様ですからね)


すごい、凄いです。私の創り出す華焔翼かえんよくと比較するのはあまりにおこがましいのですが、あの花びら数百枚、いえ数千枚を束ねてようやくといったぐらいでしょうか。何という繊細で緻密な魔力出力、さらには魔力制御、美しいです。うらやましすぎます」


 宙に咲き誇る大輪同様に、どうやらマリエッタの瞳にも炎華が咲いているようだ。シルヴィーヌが完全にあきれ返りながら、マリエッタの横腹をいい加減にしろとばかりに小突こづいている。


 ルシィーエットが聞いていたら、確実に拳骨が頭の上に落ちていただろう。マリエッタのあまりのはしゃぎように、セレネイアもザガルドアもようやく我に返ったか。


「マリエッタ第二王女、さすがに炎の申し子だな。その気持ち、俺も十二分に分かるぞ。こんな光景を眼前で見せつけられたらな」


 まさしく炎をまとった花びらが踊っている。規則性がないように視えて、全てはヒオレディーリナの意のままだ。


 炎は明らかに魔術による産物であり、そしてヒオレディーリナは炎を産み出すための魔術を一切行使していない。その源はヒオレディーリナの右手下方にある。魔剣イェフィヤがもたらす炎だ。


「ディイェ・リィ・ロメーレェ」

<訳:ここに解き放ちなさい>


 ヒオレディーリナが唇からこぼす言霊を理解できるのはルシィーエットのみだ。もちろん一時的な主従関係にある三振みふりの魔剣アヴルムーティオも同様、ヒオレディーリナしか扱えない言語であろうとも、互いの意思は確実に通じ合う。


≪我らが仮初かりそめの主殿の命を受諾するわ。本当に大丈夫なのね≫


 魔剣アヴルムーティオの力は大別すると、振るう者の魔力量と魔力同調量によって左右される。


 魔力量はその大きさに比例して魔剣アヴルムーティオの力も大きくなる。魔力同調量は振るう者と魔剣アヴルムーティオ、互いの魔力が衝突した際の同調性であり、いくら魔力量があろうとも親和性が低ければ魔剣アヴルムーティオは力を発揮できない。


 マリエッタが暴走するセレネイアを助けるための道を切り拓く際、迷わずイェフィヤの力を借りたのは正解だ。マリエッタの魔術は炎、イェフィヤも炎だ。互いの魔力は炎を通じて溶け合い、同調率も必然的に高くなる。


 マリエッタが皇麗風塵雷迅セーディネスティアに上手く魔力を流しこめなかったのはこういう理由による。


≪私の剣界内なら問題ないわ。本来なら真名まなをもって解き放ってあげたいところだけど、あの御方の意思に反する行為など論外ね≫


 ヒオレディーリナの言葉を受けたイェフィヤは沈黙を守る。代わってカラロェリが応える。


≪我受諾。自明。真主絶対。姉妹最大力。界内発揮≫


 今度はヒオレディーリナが沈黙だ。応えたのは末妹まつまい皇麗風塵雷迅セーディネスティアだ。


≪姉様たち、よいのかしら。この界の制約をいくら受けようとも、私たち三姉妹が全力を発揮すれば想像を絶する破壊を生み出しかねないわ≫


 ヒオレディーリナは三振りの魔剣アヴルムーティオとの対話を楽しみつつ、先ほどから敵愾心てきがいしんを隠しもせずにぶつけてくるニミエパルドが鬱陶うっとうしくなってきている。


 問答無用で叩き潰そうかと考えたところで、わずかに逡巡しゅんじゅん、すぐさま方針を変更する。


「ルー、その男、ニミエパルドは任せるわ。ちょっと纏っているよろいが面倒なの。だから、よろしくね」


 ヒオレディーリナ、圧倒的強者のわりに面倒事をとことん嫌う。そういう時にしわ寄せを受けるのは決まってルシィーエットなのだ。今回もまさしくその流れのとおりとなった。


「そういうところも全く変わらないね。ディーナ、また貸し一つだよ。これでいったいいくらになったんだろうね」


 大きなため息を一つ、ルシィーエットは仕方がないとばかりに向かい合っていたケーレディエズを無視して、標的をニミエパルドに定め直す。必然的にヒオレディーリナがケーレディエズの相手をする形だ。


「ケーレディエズ、この美しいお姉さんが遊んであげるわ。来なさい」


 ヒオレディーリナの言葉と同時、ケーレディエズが目にも止まらぬ速度で振り返る。両手は頭上、勢いよく振り下ろすと十本の指を個別に動かし、縦横無尽に鋼糸を走らせる。


≪トゥラウ・ピュリィア・オディクエ・ウェルゥ≫

<訳:三姉妹の力を我が前に示したまえ>


 ヒオレディーリナの言霊が解き放たれる。これをもって三振りの魔剣アヴルムーティオは完全解放された。


 もはや、ヒオレディーリナが動く必要はない。三振りの魔剣アヴルムーティオ、すなわちイェフィヤ、カラロェリ、皇麗風塵雷迅セーディネスティアの自由意志をもって、ヒオレディーリナが敵と定めたものを駆逐くちくしていくだけだ。


 ケーレディエズの無数の鋼糸がいくら不可視ふかしかつ縦横無尽の攻撃を仕かけてこようとも、魔剣アヴルムーティオの力にあがなえる道理などない。しかも魔剣アヴルムーティオは三振り、そして三姉妹なのだ。


≪もうどうなっても知らないからね。姉様たち、やるわよ≫


 イェフィヤとカラロェリに異論は全くない。


 真っ先に動くのはイェフィヤだ。ケーレディエズの鋼糸と同数の炎糸を即座に創り上げる。


 続くのはカラロェリだ。イェフィヤが生み出した炎糸に熱を纏わせて超高熱と化す。


 最後は皇麗風塵雷迅セーディネスティアの出番だ。二人の姉が創り上げた超高熱炎糸を風嵐をもって操り、ケーレディエズの鋼糸全てを内包していく。


≪やっちゃえ、姉様たち≫


 よほど二人の姉との共闘が嬉しいのか、皇麗風塵雷迅セーディネスティアがはしゃいでいる。


 風嵐はすなわち意思を持った竜巻だ。その内側に閉じこめられたケーレディエズの鋼糸は、もはや行き場を失い、何もできない。鋼糸で風をり刻むなど、それこそ不可能だ。凄まじいばかりの竜巻を前にして、逆に細切れに寸断されていく。


 ケーレディエズがわめきながら必死に鋼糸を操ろうとしている。このままでは、すぐさま加勢に入らなければケーレディエズの命が断たれる。ニミエパルドが誰よりも理解している。


 それができない。させてもらえない。目の前に立つ一人の女だ。


(いったい何者ですか。既に肉体は老いている。にもかかわらず、これほどまでの圧を私に与えてくる者がいようとは)


 まるでニミエパルドの心を読み取ったかのごとく、空から言葉が降ってきた。

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