第273話:パレデュカルが恐れる男

 声はすれど、姿は見えない。パレデュカルの目を、魔力をもってしても見つけ出せないでいる。


 かたやシュリシェヒリの者たちは一種の恐慌きょうこう状態におちいっている。


 この地から離脱するには魔術転移門を使うしかない。しかも漆黒のもやがすぐそばで待ち構えている。もたついていると、いずれみ込まれてしまうだろう。


 魔術転移門を開こうと懸命に魔力を練り上げ、空間を切り取ろうと試みるものの、全てがむなしく無効化されていく。


「誰だ。姿を見せろ」


 たまりかねたパレデュカルが怒鳴り声を上げた。


(俺の魔力探知でも見つけられない。そんな奴がいるとは。それに、この声、どこかで)


「姿を見せろと言われても、既に貴男の目の前にいるのですよ」


 視界が揺らいでいく。パレデュカルはもちろん、トゥルデューロたちも例外なく、その一点を凝視している。


 明らかに周囲と異なる様相をていしていた。空間が何層も重なり合ったかのごとく、複雑な動きを見せながらゆっくりと収束していく。


 空間の揺らぎは風と土によって生じている。土といっても微細びさいな無機物、細礫さいれきと砂だ。それらは魔術をもって透明化されており、風の流れを制御して自身の周囲を包み隠しているのだ。


 風と土が魔術制御を離れ、風は大気へと、土は大地へとかえっていく。


 揺らぎが収まったそこには、一人の男が悠然ゆうぜんと立っていた。身長は優に二メルクを超えている。何よりも目を引くのは筋骨隆々きんこつりゅうりゅうたる全身だ。現役当時と比較しても、いささかもおとろえていない。


 パレデュカルが忌々いまいましげに吐き捨てる。


「オントワーヌ、お前だったか。先代ルプレイユの賢者がわざわざお出ましとはな」


 内心ではあせりを隠せないでいる。


 ビュルクヴィストに誘われるがまま、わずかの間、魔術高等院ステルヴィアで修業していた時のことだ。ビュルクヴィストとは頻繁ひんぱんに、同系魔術を得意とすることから、面倒だと渋るルシィーエットとも一度だけ手合わせをした経験がある。


(オントワーヌとだけは一度もない。得体の知れぬ怖ろしさを感じていたからだ。間違いない。先代三賢者最強はビュルクヴィストでも、ルシィーエットでもない)


 パレデュカルのるような視線がオントワーヌに注がれる。


 先代三賢者は過去、当代含めた中で史上最強とうたわれる。現院長のビュルクヴィスト、一撃必滅を最優先とするルシィーエット、二人の中庸ちゅうようにあるオントワーヌ、いずれも抜きん出た才の持ち主だった。


 では、三人の中で最強は誰か。彼らが赴く先々で議論されてきた、三人にとっては取るに足らぬくだらない話題だ。簡単に結論づけられる問題でもない。


 所詮しょせんは人の中での強さであり、最強と言っても定義によって変わってくるからだ。それだけ三人の実力に甲乙つけがたい部分があったということでもある。


 一対一、単騎ならルシィーエットで間違いない。また乱戦必至の大規模集団戦ならビュルクヴィストだろう。パレデュカルがオントワーヌを最強と推察した根拠は果たしてどこにあるのか。


「先代三賢者最強の男」


 口に出すつもりは毛頭なかった。無意識のうちに言葉が口をついて出てしまっていた。己の迂闊うかつさを呪うしかない。


 これだけは知っている。オントワーヌは現役賢者時代から、誰それよりも上だ、下だと比較されることをみ嫌っている。あまりに調子に乗ってさえずる連中を一週間ほど口がきけなくなるよう、強制魔術を行使したことさえあるのだ。


「言葉の意味を理解して言っているのですか」


 オントワーヌの口調は平静そのものだ。殺気は無論のこと、憤怒ふんぬ侮蔑ぶべつといったものも一切ない。だからこそ、よりいっそう不気味ぶきみさがつのってくる。


「パレデュカル、貴男にとって最強とは何ですか」


 ひどく抽象的な問いかけだ。パレデュカルに対してはこれで十分だった。パレデュカルもそれを十二分に理解している。


「最強へと至れば、己が思うがままに何でもできる。心から望むものも取り戻せる。そう思っているのでしょう」


 寡黙かもくなオントワーヌが珍しく饒舌じょうぜつをふるっている。きょうに乗っている証拠だ。一度ひとたびこうなってしまえば止まらない。この場には制御役とも言えるビュルクヴィストはいない。


「追い求めるのは結構です。その過程における努力は賞賛に値するでしょう。ですが、貴男はその道なかばで踏み誤った」


 何を指して、踏み誤ったと言っているか明白だ。


「何が言いたい、オントワーヌ。はっきり言ったらどうだ」


 売り言葉に買い言葉だ。全く素直になれないパレデュカルにとって、論理的かつ端的に最も触れられたくないところに斬り込んでくるオントワーヌは難敵なんてきでもある。


「貴男自身が一番よく知っているでしょう。私ではなく、自分の胸に聞くことですよ」


(さて、ここまではよいとして、やはり一筋縄ではいきませんね。ここまでじれているとは。色々あったことは容易に想像できますが、それにしても)


 オントワーヌは冷静にパレデュカルを観察しつつ、周囲の状況をつぶさに確認している。


 悲惨そのものだ。過去の事情は事情として、同胞を容赦なく魔霊鬼ペリノデュエズ化している。選別しているとはいえだ。


 オントワーヌにはパレデュカルの心情、その奥深くに根づいたものを理解するにはつき合いが浅すぎた。


 犠牲者はおよそ三十人程度と言ったところか。エルフであったそれらは、既に肉体を失い、もはや核を残すのみとなっている。


 無残にも大地にばらかれた核が悲しげに見えるのは気のせいだろうか。恨みがましく、どうしてもっと早く来てくれなかったんだ、と言っているような気もする。


 実のところ、オントワーヌがこの場に到着するまで、相当の寄り道を余儀よぎなくされていた。


 本来、魔術高等院ステルヴィアからビュルクヴィストたちと共に魔術転移門をくぐってアーケゲドーラ大渓谷までやって来て、そこから各々の進むべき目的地へと向かうはずだったのだ。


 潜る直前のこと、オントワーヌだけが呼び止められた。与えられた用件を片づけるためには、遠く離れた三ヶ所に立ち寄る必要があり、思った以上に時間を費やしてしまった次第だ。


(頼られるのは嬉しいものです。その分、到着が遅くなってしまいました)


 パレデュカルとの激突前にオントワーヌが到着し、この二人が対峙たいじしていたなら結果は変わっていただろうか。それは誰にも分からない。


(こいつらを魔霊鬼ペリノデュエズ化し、挙げ句に消滅させてしまったのはまずかったか。オントワーヌの意図が分からない。何を考えている)


 お互いに腹の探り合いに入っている。パレデュカルにとって、ここでオントワーヌと戦う必要性は皆無かいむだ。仮に戦えば、無事では済まないことを重々承知している。


(私がまずやるべきことは、なるほど、あれですか)


 表情一つ変えないオントワーヌの目が、とあるものをとらえた。彼もまたパレデュカルと戦うことが主たる目的ではない。戦いよりももっと重要な使命があるのだ。


「トゥルデューロ殿、ラディック王国での会議以来ですね。ここは私が引き受けます。貴男は下がっていてください」


 有無を言わせぬ口調だった。オントワーヌの言葉どおり、先代三賢者とは顔合わせは済んでいる。そして、その実力は外界と接触を断っていたシュリシェヒリのエルフたちも熟知している。


 オントワーヌの言葉に逆らうことはできない。これにすかさず異を唱えたのがパレデュカルだ。


「トゥルデューロ、約束をたがえる気か。こいつらはともかく、プルシェヴィアがどうなってもいいんだな」


 恫喝どうかつだ。しかも、トゥルデューロから言い出した条件でもある。


 パレデュカルは左手のひらの上に浮かぶ立方体をトゥルデューロに突きつける。まぎれもなくキィリイェーロとプルシェヴィアが閉じ込められた漆黒の箱だ。


「オントワーヌ殿、やはりここは俺が」


 トゥルデューロにとって、プルシェヴィアは誰よりも大切で、愛する妻だ。己の命と引き換えに彼女が助かるなら喜んで差し出すだろう。その想いがオントワーヌにも伝わってくる。


「私が信用できませんか。パレデュカルは何もできませんよ。この私の前ではね」


 オントワーヌが一歩、二歩と進み出る。背後からトゥルデューロが声をかけてくる。僅かに震えが感じられる。


「プルシェヴィアを、プルシェヴィアをどうかお願いいたします」


 深々と頭を下げるトゥルデューロだった。


「随分と大きく出たものだな。この俺が何もできないかどうか、早速試してみるとしよう」


 パレデュカルが左手のひらの上に浮かぶ漆黒の箱をかかげる。


 オントワーヌはあわてることなく、いったいどこから取り出したのか、一冊の書物を手にすると、羊皮紙ようひしの一部分をなぞりながら指先を走らせていった。


「天高きところより光降りそそぎ、低きところより闇のぼり立たん

 相反あいはんする二つは道標どうひょうをもってまじわり、ここに調和をもたらす

 万物ばんぶつはここに均衡きんこうを保ち、不偏ふへんの力をあまねく与えん」


 朗々と読み上げるオントワーヌの言霊ことだまを前に、パレデュカルは懸命に邪気を制御しようと試みる。


 漆黒の箱を覆う分厚ぶあつ邪気じゃきが目の前で次々と散っていくのだ。集結させようと制御は続けている。全く無駄だった。


 邪気は特殊な力で、誰にでも制御できるものではない。パレデュカルが制御できるのは、ひとえにジリニエイユの力であり、彼の影響下にあるからだ。


「何をした、オントワーヌ。なぜ邪気が俺に従わない」


 必死の形相を浮かべて叫ぶパレデュカルに、オントワーヌは静穏せいおんをもって言葉を返す。


「だから言ったでしょう。何もできないと。まずはそれを返してもらいますよ」


 オントワーヌはそれだけを告げると、再び羊皮紙の一部分に指を走らせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る