第273話:パレデュカルが恐れる男
声はすれど、姿は見えない。パレデュカルの目を、魔力をもってしても見つけ出せないでいる。
かたやシュリシェヒリの者たちは一種の
この地から離脱するには魔術転移門を使うしかない。しかも漆黒の
魔術転移門を開こうと懸命に魔力を練り上げ、空間を切り取ろうと試みるものの、全てが
「誰だ。姿を見せろ」
たまりかねたパレデュカルが怒鳴り声を上げた。
(俺の魔力探知でも見つけられない。そんな奴がいるとは。それに、この声、どこかで)
「姿を見せろと言われても、既に貴男の目の前にいるのですよ」
視界が揺らいでいく。パレデュカルはもちろん、トゥルデューロたちも例外なく、その一点を凝視している。
明らかに周囲と異なる様相を
空間の揺らぎは風と土によって生じている。土といっても
風と土が魔術制御を離れ、風は大気へと、土は大地へと
揺らぎが収まったそこには、一人の男が
パレデュカルが
「オントワーヌ、お前だったか。先代ルプレイユの賢者がわざわざお出ましとはな」
内心では
ビュルクヴィストに誘われるがまま、
(オントワーヌとだけは一度もない。得体の知れぬ怖ろしさを感じていたからだ。間違いない。先代三賢者最強はビュルクヴィストでも、ルシィーエットでもない)
パレデュカルの
先代三賢者は過去、当代含めた中で史上最強と
では、三人の中で最強は誰か。彼らが赴く先々で議論されてきた、三人にとっては取るに足らぬくだらない話題だ。簡単に結論づけられる問題でもない。
一対一、単騎ならルシィーエットで間違いない。また乱戦必至の大規模集団戦ならビュルクヴィストだろう。パレデュカルがオントワーヌを最強と推察した根拠は果たしてどこにあるのか。
「先代三賢者最強の男」
口に出すつもりは毛頭なかった。無意識のうちに言葉が口をついて出てしまっていた。己の
これだけは知っている。オントワーヌは現役賢者時代から、誰それよりも上だ、下だと比較されることを
「言葉の意味を理解して言っているのですか」
オントワーヌの口調は平静そのものだ。殺気は無論のこと、
「パレデュカル、貴男にとって最強とは何ですか」
ひどく抽象的な問いかけだ。パレデュカルに対してはこれで十分だった。パレデュカルもそれを十二分に理解している。
「最強へと至れば、己が思うがままに何でもできる。心から望むものも取り戻せる。そう思っているのでしょう」
「追い求めるのは結構です。その過程における努力は賞賛に値するでしょう。ですが、貴男はその道
何を指して、踏み誤ったと言っているか明白だ。
「何が言いたい、オントワーヌ。はっきり言ったらどうだ」
売り言葉に買い言葉だ。全く素直になれないパレデュカルにとって、論理的かつ端的に最も触れられたくないところに斬り込んでくるオントワーヌは
「貴男自身が一番よく知っているでしょう。私ではなく、自分の胸に聞くことですよ」
(さて、ここまではよいとして、やはり一筋縄ではいきませんね。ここまで
オントワーヌは冷静にパレデュカルを観察しつつ、周囲の状況を
悲惨そのものだ。過去の事情は事情として、同胞を容赦なく
オントワーヌにはパレデュカルの心情、その奥深くに根づいたものを理解するにはつき合いが浅すぎた。
犠牲者はおよそ三十人程度と言ったところか。エルフであったそれらは、既に肉体を失い、もはや核を残すのみとなっている。
無残にも大地にばら
実のところ、オントワーヌがこの場に到着するまで、相当の寄り道を
本来、魔術高等院ステルヴィアからビュルクヴィストたちと共に魔術転移門を
潜る直前のこと、オントワーヌだけが呼び止められた。与えられた用件を片づけるためには、遠く離れた三ヶ所に立ち寄る必要があり、思った以上に時間を費やしてしまった次第だ。
(頼られるのは嬉しいものです。その分、到着が遅くなってしまいました)
パレデュカルとの激突前にオントワーヌが到着し、この二人が
(こいつらを
お互いに腹の探り合いに入っている。パレデュカルにとって、ここでオントワーヌと戦う必要性は
(私がまずやるべきことは、なるほど、あれですか)
表情一つ変えないオントワーヌの目が、とあるものを
「トゥルデューロ殿、ラディック王国での会議以来ですね。ここは私が引き受けます。貴男は下がっていてください」
有無を言わせぬ口調だった。オントワーヌの言葉どおり、先代三賢者とは顔合わせは済んでいる。そして、その実力は外界と接触を断っていたシュリシェヒリのエルフたちも熟知している。
オントワーヌの言葉に逆らうことはできない。これにすかさず異を唱えたのがパレデュカルだ。
「トゥルデューロ、約束を
パレデュカルは左手のひらの上に浮かぶ立方体をトゥルデューロに突きつける。
「オントワーヌ殿、やはりここは俺が」
トゥルデューロにとって、プルシェヴィアは誰よりも大切で、愛する妻だ。己の命と引き換えに彼女が助かるなら喜んで差し出すだろう。その想いがオントワーヌにも伝わってくる。
「私が信用できませんか。パレデュカルは何もできませんよ。この私の前ではね」
オントワーヌが一歩、二歩と進み出る。背後からトゥルデューロが声をかけてくる。僅かに震えが感じられる。
「プルシェヴィアを、プルシェヴィアをどうかお願いいたします」
深々と頭を下げるトゥルデューロだった。
「随分と大きく出たものだな。この俺が何もできないかどうか、早速試してみるとしよう」
パレデュカルが左手のひらの上に浮かぶ漆黒の箱を
オントワーヌは
「天高きところより光降り
朗々と読み上げるオントワーヌの
漆黒の箱を覆う
邪気は特殊な力で、誰にでも制御できるものではない。パレデュカルが制御できるのは、
「何をした、オントワーヌ。なぜ邪気が俺に従わない」
必死の形相を浮かべて叫ぶパレデュカルに、オントワーヌは
「だから言ったでしょう。何もできないと。まずはそれを返してもらいますよ」
オントワーヌはそれだけを告げると、再び羊皮紙の一部分に指を走らせた。
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