第272話:死を前にしたアフネサヴィア

 ミジェラヴィアの命のともしびが静かに消えていく。


 刹那せつな、自分が発した声とは思えない大絶叫が安置室を激しく揺るがした。気が狂わんばかりに叫び続けるアフネサヴィアを止められるものなど何もない。


 絶叫はすさまじい音のやいばとなって安置室内をけ巡り、なりそこないセペプレどもを、それこそ生死を問わず、細切こまぎれになるまでり刻んでいった。


 灯が完全に消え去った時、永遠に続くかと思われたアフネサヴィアの絶叫もまた終息をみた。安置室に静寂が戻ってくる。


 ジリニエイユの洗脳がける条件、それは最大の嫉妬しっと心を向ける者の死、すなわち姉ミジェラヴィアが目の前で死ぬことだった。


 洗脳が解けた瞬間、確かにアフネサヴィアには聞こえたのだ。ミジェラヴィアの最後の声が。ただ一言、よかった、と。


 正気に戻ったアフネサヴィアが目の前に広がる凄惨せいさん極まりない光景を見てどうなったか、何を思ったか、もはや語る必要はないだろう。アフネサヴィアの心は完全に壊れた。確実に言えるのはこれだけだ。


 自業自得じごうじとくとはいえ、ジリニエイユの術中にはまった末の結果だ。ジリニエイユにはアフネサヴィアに対する同情心など微塵みじんもなかった。


 彼の中にあるのは己の計画を遺漏いろうなく遂行することであり、劣等感あふれるアフネサヴィアは使い捨ての駒として最適だった。だからこそ、彼女に声をかけたのだ。


 ジリニエイユの最大の目的、実弟キィリイェーロの抹殺まっさつは失敗に終わったものの、次いで邪魔だったミジェラヴィアは始末できた。まずまずの成果だっただろう。


 現実に直面したアフネサヴィアは自身のあやまちをさとり、深く後悔し、すぐさま姉の後を追おうとした。自死を選ぼうとしたのだ。そこで思いとどまる。


 心は壊れた一方、別の意味で強くなっていた。ジリニエイユにきたえられた唯一の成果と言えよう。すなわち復讐だ。


 姉ミジェラヴィアのため、そして自分のために命をしてげる。復讐を果たし終えた時、はじめて姉にびることができる。死を迎えることができる。


 甘言は讒言だ。アフネサヴィアはそのことを胸に刻み、どれほど辛酸しんさんをなめようともシュリシェヒリの里に残り、ジリニエイユをこの手で必ずつ。それだけをかてに無様にも生き長らえる道を選んだのだ。


 アフネサヴィアの心の奥底の想いまでは分からなかった。やはり魂の一部が欠けてしまっていたのだ。パレデュカルにしてみれば、そこも知っておきたかった。いや、そここそ知らなければならなかった。


(仕方がない。いずれにせよミジェラヴィアを殺した張本人の一人だ。もはや生かしておく意味もない)


 パレデュカルの右手が漆黒のもやいざっていく。ようやく硬直が解けたトゥルデューロが言葉を発するよりも早く、粘性液体でできた低位メザディムの全身を包み込んでいく。


「パレデュカル、聞かせてくれ。アフネサヴィアは何を語ったんだ」


 トゥルデューロになら聞かせてもよいだろう。それ以外の者は論外だ。パレデュカルは漆黒の靄を操りながら、魔力感応フォドゥアを彼に飛ばした。


≪なりそこないどもの侵入を手引きし、多くの里の者をあやめたと認めた。あわれな女だ。こいつは、アフネサヴィアは、ジリニエイユの洗脳を受けていた≫


 トゥルデューロの息をむ音が聞こえてくる。よもや洗脳を受けていたとは想像もできなかったのだろう。


 言葉をせる中でパレデュカルは違和感もいだいていた。生き恥をさらしてまで復讐の決意を固めていながら、なぜアフネサヴィアはこの場で自害を選んだのか。


 彼女の取った行動は明らかに矛盾むじゅんしている。パレデュカルに事の真相をあばかれそうになった、という理由は動機として弱すぎる。


 アフネサヴィアの性格からしても、里の者全てに真相を知られたところで開き直る度胸も勇気もあったはずだ。思考を中断するようにトゥルデューロの言葉が返ってくる。


≪で、では、やはりミジェラヴィアも≫


 問いに答える気にはなれない。パレデュカルは漆黒の靄を誘っていた右手を乱暴に振り払う。おさえ込んでいた感情が爆発しそうだ。


 ジリニエイユから伝えられていた話がうそであってほしい。パレデュカルは心のどこかで願っていた。何よりも信じたくはなかった。いくら洗脳を受けていたとはいえ、実の妹が姉を手にかけるなど、あってはならないことだ。


 低位メザディムと化したアフネサヴィアを殺すのは容易たやすい。漆黒の靄で覆い尽くした今、準備は万端だ。


 このまま一思いにやったところで己自身の気が晴れるわけでもない。ミジェラヴィアがそれを望んでいないことも承知のうえだ。


(ミジェラヴィア、俺はどうすればいい。お前なら、許すと言うのだろうな)


 パレデュカルの束の間の逡巡しゅんじゅんをトゥルデューロが見逃すはずもない。無駄かもしれない。このまま静観を決め込み、アフネサヴィアをみすみす殺させるつもりもない。


≪パレデュカル、頼む。その低位メザディム、いやアフネサヴィアを俺に引き渡してくれ。里に対する責任を無視するわけにはいかないんだ≫


 トゥルデューロの気持ちは理解できる。引き渡すなど言語道断だ。ミジェラヴィアのかたきと確定した以上、絶対に生かしてはおけない。


 そこにトゥルデューロから殺し文句が飛んでくる。


≪ミジェラヴィアはお前がアフネサヴィアを殺すことなど望んでいない。それだけは明言できる≫


 パレデュカルの何かが確実に切れた。これまで心の奥底に閉じ込め、二度と外に出さないと決めていたそれは、灼熱灼熱の炎のごとく全身を沸騰ふっとうさせ、体外へと放出されていく。


「黙れ」


 口から発せられたのはたった一言だ。トゥルデューロは心臓以外のあらゆる動きを封じられた。トゥルデューロだけではない。ここにいるあらゆるものが止まっている。魔霊鬼ペリノデュエズとて例外ではない。


 呪言殺壊ツェレマトルと呼ばれる太古の暗殺術だ。蟲術師こじゅつしによる虫蟲ちゅうこと並ぶ強力無比な暗殺術の一つであり、いずれも滅んで久しいとだけ伝えられている。


 漆黒の靄を上塗りするがごとく、灼熱の炎が居並ぶ魔霊鬼ペリノデュエズどもを包み込む。まとわりつく炎にがされた魔霊鬼ペリノデュエズの全身からまじい異臭が立ち上がる。不快極まりない悪臭を周囲にき散らし、次々と粘性液体の身体が気化していく。


「ちっ、術破りの秘術か」


 不可思議なことにアフネサヴィアだった低位メザディムだけ全く変化が見られない。何の防御もなく呪言殺壊ツェレマトルを浴びた以上、決して逃れられない。現に灼熱の炎はアフネサヴィアの身体を覆っている。


≪その女にはまだ使い道があるのだ。勝手は許さぬぞ≫


 ジリニエイユからの魔力感応フォドゥアだ。呪言殺壊ツェレマトルは彼から伝授された秘術だ。伝授したといっても、当然全てではない。とりわけ奥義の一つ、術破りは彼のみが扱える。


 アフネサヴィアが炎に包まれてなお気化しないのは、まさに秘術によって保護されているからだった。


≪それは私が預かっておく。私に対する憎しみもまた一興いっきょうだ。他は生かすなり、殺すなり、お前の好きにするがよい≫


 それをもって魔力感応フォドゥアは終わりを告げた。勢いよく燃え続けていた灼熱の炎が嘘のようにしずまり、アフネサヴィアだった低位メザディムの姿もまた消え失せていた。


 パレデュカルは無言のままだ。平静を装ってはいるものの、全身から怒りを発散させている。必要以上に力を籠めて握る右こぶしがそのあかしでもある。


「パレデュカル、アフネサヴィアをどこへやった。何をしたのだ」


 問いには答えず、パレデュカルはこの場を支配する者としてトゥルデューロに命じる。


「トゥルデューロ、他の奴らは生かしておいてやる。今すぐ、この地から離脱させろ。お前は俺と共に来い」


 有無を言わせぬ口調にトゥルデューロはうなづくしかない。


 周囲を見渡す。三十体ばかりいた低位メザディムはことごとくが灼熱の炎の中で粘性液体を失い、核だけを残して消滅している。だからと言って、戦いを続けるつもりはなかった。


 パレデュカルはなおも漆黒の靄を自在に操っている。いつでも強制魔霊鬼ペリノデュエズ化できる状態を維持しているのだ。さらなる犠牲を出すわけにはいかない。


「お前たち、先ほど言ったとおりだ。すみやかにここから魔術転移門でシュリシェヒリに戻ってくれ。このとおりだ」


 トゥルデューロはシュリシェヒリの者たちに深々と頭を下げる。


 異論を口にしたアフネサヴィアはもはや存在しない。残された皆は、これが苦渋の決断だと承知している。


 幾人かは、トゥルデューロがパレデュカルと共に行くことを快く思っていない。それが表情に表れている。その者たちに問うたところで、解決策が見つかるはずもない。だからこそ沈黙を貫いているのだ。


「トゥルデューロ、お前の言葉に従おう。そして、済まない。俺たちの力不足だ。お前を残していくのは忍びないが、長老とプルシェヴィアを頼む」


 魔弓警備隊副隊長のピスティリンデが無念の表情をにじませ、一同を代表して言葉を発した。何かを口にしようとするトゥルデューロをさえぎり、パレデュカルがかす。


「いつまでいるつもりだ。さっさと消えろ。それとも魔霊鬼ペリノデュエズにしてほしいのか」


 威嚇いかくのつもりでパレデュカルは里の者に向けて漆黒の靄を近づけていく。


「待て、パレデュカル。すぐに離脱させる。お前たち、急げ」


 慌てたトゥルデューロがパレデュカルを制止、里の者に行動を促す。


 漆黒の靄の怖ろしさは嫌というほどに味わっている。彼らはトゥルデューロの言葉を待つまでもなく、急ぎ魔術転移門を展開しようとしていた。


「ば、馬鹿な、どういうことだ。魔術転移門が、開かない。どうなっている」


 いくら魔力を籠めようとしても、そのたび霧散むさんしていく。パレデュカルもトゥルデューロも異変に気づいたか、警戒心もあらわに周囲に目を向けている。


「無駄です。魔術転移門は封じました。貴方たちには今しばらくこの地にとどまってもらいますよ」


 りんとした声が響き渡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る