第271話:ジリニエイユの人心掌握術

 アフネサヴィアであった低位メザディムが立ち上がり、パレデュカルに向かってこうべを垂れる。


 主従の関係を理解した行動だ。主人たる者の命令には絶対服従をきざみ込まれているのだ。低位メザディムの口がすみやかに開く。


 言葉がつむぎ出されるものの、人が話す言葉とは思えない。音であることは間違いない。


 魔霊鬼ペリノデュエズと化した今、声帯せいたいはない。それらを動かすための筋肉もない。身体を構築するのは粘性ねんせい液体であり、言葉は流動的な音の波となって押し寄せてくる。


 それゆえにシュリシェヒリの者たちには、この低位メザディムが何を語っているのか全く理解できない。パレデュカルは違う。生み出したる者、主人として完璧にその内容を把握できる。


 ジリニエイユから聞かされていた内容とほぼ一致している。違ったのはジリニエイユとアフネサヴィア、二人がその時に有していた感情と動機だ。


 ジリニエイユは単なる手駒として、あくまで一つの使い捨て道具としてアフネサヴィアを扱った。死んでも構わない。どうとでもなるといったところだ。


 一方、アフネサヴィアはよりによってジリニエイユを愛してしまった。愛にからめ取らてしまったすえの裏切り行為だった。


 アフネサヴィアの感情を知るにはもう少しさかのぼる必要がある。


 長女ミジェラヴィアを筆頭に、次女アフネサヴィア、三女ノエリレヴィア、四女プルシェヴィアの四姉妹はシュリシェヒリきっての優秀な姉妹として、つとに有名だった。優秀の度合い、その方向は全く異なっている。


 まずは最も優秀で、幼き頃より将来を有望視され、長老補佐を務めるのが長女ミジェラヴィアだ。その姉に引けを取らず、次期長老補佐就任が決まっていると言っても過言ではない四女プルシェヴィアがいる。


 三女ノエリレヴィアは、残念ながら里のしがらみに耐えられず、早々に外の世界へ出て行ってしまった。彼女はパレデュカルにも匹敵するほどの強力な魔術師で、なりそこないセペプレの襲撃を受けた際、彼女がいてくれたらと里の誰もが思ったほどだ。


 次女アフネサヴィアは、パレデュカルが指摘したとおり、里内で四姉妹の落ちこぼれと陰口が叩かれるほど、他の三人と比べると落差があった。所詮しょせんは他者から見れば、ということだ。アフネサヴィアも十分すぎるぐらいに優れている。あくまで四姉妹という限定比較だ。


 それでも他者による過ぎたる勝手な比較ほど迷惑なものはない。アフネサヴィアは自分が思っている以上に、他者から押しつけられる劣等感にさいなまれ続けた。


 いくら自分が努力しても、その上を軽々と越えていく妹たちを見ていると、自分が情けなくなっていく。姉も妹も、気にしないで、と言ってくれるものの、それがなおさらにこたえた。積もり積もれば、いずれ爆発するというものだ。


 そんなアフネサヴィアを見かねて、声をかけたのが誰あろうジリニエイユだった。


 ジリニエイユはアフネサヴィアの気持ちが理解できる人物だ。二人の立場は正反対とも言えよう。ジリニエイユもまた似たような境遇に置かれていた。


 彼は優秀すぎるあまり周囲と全く馴染なじまず、あまつさえ自ら進んで他者を遠ざける傾向が強かった。簡単に言えば、いずれも疎外感そがいかんだ。同様の苦しみを有するアフネサヴィアを捨て置けなかったのかもしれない。


 しかも、おのが能力とは別のところでジリニエイユは飛び抜けたものを有していた。その眉目秀麗びもくしゅうれいな容姿だ。


 高身長、白銀しろがねじる黄金の瞳に背まで垂れた美しい真っすぐな同系色の髪、細くしなやかでありながらはかったかのごとくついた無駄の一切ない筋肉、さらには高度な魔術を操り、知能も比類なきものとくればだ。


 まさしく、あらゆる面においてシュリシェヒリの里でジリニエイユにかなう者はいなかった。


 アフネサヴィアからしてみれば、それこそ雲の上の存在に等しい。その彼から突然声をかけられたことは驚きでもあり、また嬉しさでもあっただろう。


 それ以降だ。アフネサヴィアは時間の許す限り、ジリニエイユの指導を受けることになった。魔術、弓術、体術など多岐たきにわたり、座学と実技の双方を徹底的に叩きこまれた。


 座学はともかく、実技は容赦のない厳しさだ。何度地面にいつくばったか数えられないほどに打ちのめされた。それでもアフネサヴィアは根を上げることなく懸命けんめいにもがき、教えられた全てを貪欲どんよくに吸収していったのだ。


 憧憬しょうけいが時間をるとともに情愛に変わっていく。当然の帰結だ。秘めた想いを相談する相手はいない。姉ミジェラヴィアにこそ相談すべきだ。


 姉はジリニエイユの実弟で長老でもあるキィリイェーロの補佐を務めている。長老キィリイェーロとジリニエイユの関係がうまくいっていないことも理解していた。なおさら相談すべきと心で分かっていても、アフネサヴィアにはできなかった。様々な感情が邪魔をしていたのだ。


 とりわけ、ジリニエイユへの想いがつのれば募るほど、姉ミジェラヴィアへの嫉妬しっと心も比例的に募っていく。姉の位置に立つのが自分であれば、そして長老がキィリイェーロではなくジリニエイユであったならば。なか妄想もうそうともいえる負の感情が心の内を大きく占拠するようになっていた。


(アフネサヴィア、愚かな女だ。ジリニエイユが真に恐ろしいのはその人心掌握じんしんしょうあく術にある。劣等感を持つお前を洗脳するなど、赤子の手をひねるようなものだっただろう)


 パレデュカルの瞳の奥には悲しみが浮かんでいる。記憶が一瞬、神殿最奥で息絶えていたミジェラヴィアの姿に飛んだ。


 最初で最後の膝枕ひざまくら、死に化粧はできなかったものの、パレデュカルは不思議に思ったことがあった。まさしくミジェラヴィアの死に顔だ。


 悲しみのあまり、最初は分からなかった。ジリニエイユから事の真相を聞かされ、ようやく合点がいったのだ。どうしてミジェラヴィアの表情が苦悶くもん悲嘆ひたんではなく、安堵あんどだったのか。


 あの時、アフネサヴィアは魔弓警備隊の一人として結界出入口の監視任務に当たっていたのだ。なりそこないセペプレを里内に侵入させるため、アフネサヴィアは同僚を魔術で眠らせ、結界の機能を解除、中へ招き入れる。


 破壊衝動しかないなりそこないセペプレどもだ。本来なら、アフネサヴィアの指示になど従うはずもない。そこも抜かりはなかった。ジリニエイユから手渡された魔導水晶カエストリエをもって、なりそこないセペプレを誘導、神殿最奥まで最短距離で突き進んだ。


 神殿前での戦いは苛烈かれつを極めた。アフネサヴィアはジリニエイユ直伝じきでん隠形おんぎょう魔術を行使、誰に見られることもなく、惜しみなく破壊魔術をもって同胞をあやめていった。


 そこへなりそこないどもが一斉に襲いかかる。シュリシェヒリの者もあらがい、懸命に戦った。結果は知ってのとおりだ。


 なりそこないセペプレどもの勢いは止まらず、神殿内へと侵入していく。最奥、銀麗の短剣スクリヴェイロを収めた正六角形仕様の安置室に辿たどり着いたアフネサヴィアは、ようやく隠形魔術をいた。


 神殿内でとりわけ静謐せいひつかつ清浄な空間が、今や大量の血でけがされ、むせ返るような血のにおいが充満している。


 アフネサヴィアの目的はただ一人、ミジェラヴィアだ。姉はすぐに見つけられた。まさしく最後の時を迎えようとする瞬間だった。


 なりそこないセペプレ数体に囲まれ、キィリイェーロをまもるようにして立ちはだかるミジェラヴィア、さらに姉をかばいながら戦うもう一人の補佐の姿を見間違うはずもない。


 その最中さなか、姉の視線がわずかに揺らぎ、自分に向けられるのが分かった。姉の瞳には何が映し出されていたのか。


 アフネサヴィアは鼻で笑うと、い気味だと心から思った。なりそこないセペプレどもを前に何もできない姉、対して自分はなりそこないセペプレを自由自在に操り、手足のごとく使役している。


 ここに来ての立場の逆転、喝采かっさいを叫びたいほどだった。アフネサヴィアは躊躇ちゅうちょなく最後の命令を冷徹れいてつに下す。


 一斉に飛びかかるなりそこないセペプレが盾となった補佐の男を凶悪な爪で貫き、そのままの勢いでミジェラヴィアの全身をも軽々と引き裂いていった。


 血飛沫ちしぶきが盛大に舞い上がる。無数の傷はもはやふさぎようがないほどに深い。おびただしい量の出血で死はまぬかれない。


 ミジェラヴィアの身体がくずおれていく直前だ。魔力感応フォドゥアがアフネサヴィアのもとに届く。


≪アフネサヴィア、貴女を救えなくてごめんね≫

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