第250話:ヨルネジェアの想い

 妖精王女の言霊ことだまを受け、ヨルネジェアの背後で揺らめく光幕こうまく一際ひときわ強い輝きを放つ。


 七つの色でり込まれた光のたばが静かに優しく、宝物をいだくかのようにヨルネジェアの身体を包み込んでいった。


 その光景を前にして、高位ルブルコスは不快感もたっぷりに右手で顔を覆い隠す。


「何だ、この鬱陶うっとうしい光は。気が滅入めいる」


 伽鹿琥清羅ベルシュレイグの身体がおもむろに変わっていく。


 ダリニディー森林でのあの時とは様相が異なる。妖精王女がその力を直接行使すれば、金色こんじきの輝きに包まれた瞬間に人化じんかする。


 今は状況がそれを許さない。だからこそ、七色に織られた光の束の力をもって栗色の身体を覆い、人化への再構成をうながしているのだ。


 四足歩行しそくほこうの身体がまずは直立、二足歩行へと変化する。前脚の二本が両腕へと変わっていく。雷光をまとう四本の細長い角が短くなり、やがて頭部の中へと消えていった。


 全身を覆う栗色の体毛が失せ、その代わりに彼女の華奢きゃしゃな身体を上質の布地が覆っていく。栗色のしなやかな真っすぐの髪が腰辺りまで伸ばされ、ここにヨルネジェアの人化は完成を見た。


 深い呼吸を一つ、細くも優美な右腕を天に向けてかかげる。


 全身を包んでいた七色の光の束が右腕に導かれるかのごとく一点に集約、きらめく光珠こうぎょくを創り上げていった。七色の輝きが収まった光珠内からは四方にあやが投げかけられている。


 光珠が織り成す幻想的な光景は、緊迫した戦いの場とは思えないほどのうるわしさをかもしている。


"Preji-si, abykze. Udielmi sílluvasosti."


 ヨルネジェアの言霊が光珠と反応、七色の光がまばゆいほどに輝き、四散する。


 最初に赤雷フォルドゥルが静かに光珠内へと吸収され、ヨルネジェアの右手に収まる程度の小光珠しょうこうぎょくへと姿を変えていった。


 次いで青嵐ヴァスファシェが右の腕羽うでばねを、緑風エテブリゼが左の腕羽を小光珠より伸ばしていく。


 紫雹グレプラトゥ橙輝オレイラージェがそれぞれの羽をいろどる装飾文字を浮かび上がらせる。装飾文字が定着すると同時、紫雹グレプラトゥ橙輝オレイラージェによって風嵐の両羽に、水氷と火焔の力が付与された。


 左右の羽の両端に水露ロレゼレトが結びつき、視覚でとらえれないほどの微細びさいつるを無限に創り出す。


 さらに黄燐ジョフォソルが弦にりをかけ、切断不能の強固な一本の弦へと変化させていった。


 すなわち、これこそが妖精の弓、銘を妖破聖彩光弓ラルコサンフェという、を現出させ、ヨルネジェアの右手に堂々と収まった。


 ヨルネジェアには最も重要な、最後の仕上げが残っている。弓だけあっても、矢がなければ意味がないのだ。弓と矢は切っても切り離せない。


 ルブルコスは驚愕きょうがくの表情を浮かべている。高位ルデラリズとは対照的だ。目の前で展開されていく光景のありなさに釘づけになっている。


≪妖精王女殿よ、根元色パラセヌエをどうして貴殿が。根元色パラセヌエの力は、我が神にしか扱えぬ、それこそ禁忌きんきの力だ≫


 黄燐ジョフォソル青嵐ヴァスファシェ緑風エテブリゼ紫雹グレプラトゥ赤雷フォルドゥル橙輝オレイラージェ水露ロレゼレト、そして金空シエメリクの八色を総じて根元色パラセヌエと呼ぶ。


 根元色パラセヌエはあらゆるものを構成する基本色で、さらに根元色パラセヌエべる上位色、白氷シュヴランジュ黒炎ノムフレル絶統色ドゥミアルンと呼ぶ。


≪貴男の疑問は当然ね。根元色パラセヌエは私にも扱えないわ。だからこそこいねがったのよ。妖破聖彩光弓ラルコサンフェは偉大なる御方からの授かりもの、それをヨルネジェアに託したのよ≫


 ルブルコスの疑問は即座に氷解ひょうかいした。彼女が語ったとおりだ。たとえ妖精王女がどれほどの力を有していようとも、根元色パラセヌエを使いこなすことはできない。


 ヨルネジェア同様、彼女もまた強く願ったのだ。ヨルネジェアのために、イプセミッシュのために。かつて力を貸し与えた者を見守るためにだ。


 根元色パラセヌエたる八色に優劣はない。ないが向き不向きはある。


 弓と矢、二つのものを構成するに際して最適な色を選び出す。それが弓に七色、矢に一色という配分だった。


 妖精王女は七色を用いて妖精の弓を創り上げ、妖破聖彩光弓ラルコサンフェした。残された最後の一色が矢の役割を果たす。妖精王女は自身が創り上げるのではなく、その力をヨルネジェアに与えたのだ。


 ヨルネジェアには誰よりも強い想いがある。それを理解している妖精王女からのはからいであり、たまわりものでもあった。


 最後の一色たる金空シエメリクは、必ずやヨルネジェアの想いにこたえてくれる。確信があったればこそだ。


 妖破聖彩光弓ラルコサンフェを右手にかまえたヨルネジェアが、今度は左腕をかかげ、手のひらをゆっくりと開く。たなごころに向かって光が収束していく。


 まさしく金空シエメリクの光、きらめく粒子を散らしながら薄く伸び、一歩の矢を形作っていった。


"Zdeye manask vzecno pireziostt. Pojyd kerene, osviet zllatisy."


 ヨルネジェアの発する音が朗々ろうろうと響き渡る。左手のひらにるは金空光矢シエラメイラだ。矢を包み込む形で金色こんじきの光が舞い踊っている。


 ヨルネジェアは金空光矢シエラメイラを握ると、迷いなく妖破聖彩光弓ラルコサンフェにつがえた。


 右腕は一直線に大地と平行、左脚を引いて完全に半身の状態だ。二度の深呼吸、つがえた矢の矢尻を軽くつまむとともにつるやわらかく引きしぼる。


 妖破聖彩光弓ラルコサンフェに力は一切不要、非力な部類に入るヨルネジェアでさえ軽々と扱える。そして金空光矢シエラメイラ射手しゃしゅたる者の想いに強く応える。狙うべき的を絶対に外すことはない。


 全ての根元色パラセヌエで創造された妖破聖彩光弓ラルコサンフェ金空光矢シエラメイラが、今一つとなって八色の神秘的な輝きで満たされている。


 それらを手にして構えるヨルネジェアの何と美しいことか。ルブルコスでさえ思わず感嘆かんたんのため息がれるほどだ。


≪ヨルネジェア、上出来よ。今こそ貴女の想いを載せて、金空光矢シエラメイラを放ちなさい≫


 妖精王女の声はヨルネジェアに届いている。胸が熱くなる。


 あの時の恐怖は今なお消えず、心の奥底にひそんだままだ。それが何かの拍子に突然表に出てくる。たまらなく怖い。


 非道ひどうな行為に及んだ愚者ぐしゃは妖精王女の力によってちりとなってせた。それ以来だ。人が怖い。人が憎い。そして、そんな自身が嫌で仕方がない。


 ダリニディー森林の最深部、妖精王女のもとまで辿たどり着ける人族は極めて少数、それでも皆無ではない。案内人たるヨルネジェアは憂鬱ゆううつな日々を過ごしていた。そしてイプセミッシュと出会うことになる。


 彼もまた記憶の魔女としての妖精王女に会うがため、辿り着いた一人だった。身なりや口調から、彼が貴族だとすぐに分かった。自身を傷つけたのも貴族、それゆえにヨルネジェアにとっての貴族とはむべき存在でしかないのだ。


 最初は全く意識もしていなかった。突き放すような口調で必要最低限の会話しかしなかった。おろおろしながらも丁寧に礼を述べ、頭を何度も下げてくる彼を見て、何とも不思議に、また面白くも感じたことを覚えている。


 妖精王女のそばまで案内したところでまたもや頭を下げ、あろうことか首をでてきた。最大の拒絶反応を示すつもりだった。またもや謝罪、そこで初めて彼の目を真正面から見つめたのだ。


 そこにあったのは深く痛ましいまでの悲しみだった。これほどの悲しみを抱えていては、いずれ心がこわれるだろう。ヨルネジェアは息をむしかできなかった。


≪イプセミッシュ、貴男はこうして生きている。心に宿った深い悲しみは癒されたのかしら。今こそ私の想いを届けるわ≫


 ヨルネジェアが両の瞳をゆっくり閉じる。心を静謐せいひつの中に置く。狙う場所は決まっている。イプセミッシュの心臓だ。


"Srileejta-krojez."


 金空光矢シエラメイラの矢尻をつまむ左手の指を静かに開いた。


 刹那せつなき放たれた金空光矢シエラメイラがイプセミッシュの心臓めがけて一直線にける。ヨルネジェアの想いをえるがために。何しろ金空光矢シエラメイラは必中なのだから。


≪早く私のもとに帰ってきなさいよ、イプセミッシュ≫

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