第046話:一時の決着

 パレデュカルは、突如として現れた二人の魔術師をいぶかしげに観察していた。敵でないだろうが、まだ味方と決まったわけではない。


 女が行使した魔術は、火炎系を得意とする自分でさえ見たこともない強大なものだ。男の方は女の後ろに立ったまま、じっとたたずんでいる。内包している魔力量は、人族とは思えないほどに大きい。


 この二人がただ者でないことは明らかだ。それでも今はこの二人に目を向け続ける余裕などない。


 先ほどから、サリエシェルナの様子がおかしいのだ。心臓が止まっているにも関わらず、突然まばたきをし始めたからだ。


 何かしらの反射行動か。あるいは、まだ脳が死に至っていないのか。もし、脳が生きているとしても、心停止後からどれぐらいっているのか。いずれにせよ時間の猶予はほとんどない。


(くそ、俺にまだ魔力が残っていたら。このまま何もできず、姉さんの死を黙して見つめるしかできないのか)


 耐え難い苦痛の感情が胸を締め上げる中、男が足早に近づいてくる。女がビュルクヴィストと呼んだ男だ。


「応急処置を施しましょう。脳が死に至るまで残りわずかです。私が信用できませんか」


 穏やかな、安らぎを与えてくれるような口調だった。


 一目見ただけで、気づいたというのか。ビュルクヴィストという男の力が、いかなるものか分からない。信用できるかも分からない。


 パレデュカルは疑心暗鬼におちいりつつ、今の自分にできることなど何もないのだ。もはや、危険をかえりみず、この男にすがるしか道はない。一瞬のうちに決断した。


「頼みたい。姉を、俺の姉を救ってほしい。このとおりだ」


 パレデュカルがビュルクヴィストに対して深々と頭を下げる。


「承知です。頼まれたからには、私の全力をもってこの方の命をつなぎ止めてみせましょう」


 既にビュルクヴィストの右手の周囲には、幾つもの氷の粒が浮かび上がっている。いつの間に展開したのか、パレデュカルは全く気づけなかった。


 ビュルクヴィストは氷の粒を制御し、サリエシェルナの額付近に集めていく。


「今から、この氷の粒を貴男のお姉さんの脳内に溶け込ませます。脳が活動できるぎりぎりの温度まで下げ、その機能を最低限維持するためです。しかし、それだけでは駄目なのです。もう一つ、最も重要なものが欠けています。血です」


 パレデュカルにはビュルクヴィストが語る言葉の意味がよく分からなかった。脳を低温状態に維持する。さらに血が必要とは、いったいどういうことだ。


「今は分からずとも構いません。時間との勝負ですからね。この方は貴男のお姉さんということで血の繋がりに問題はありません。速やかに、貴男の血をいただけますか。魔術をもって、この方の脳内血管へ注入します」

「ちょっと、ちょっと待ってくれ。急に血をくれと言われても。それに」


 言葉はそこでさえられた。聞き取りずらい、雑音にも似た声が反響を起こしながら木々を震わせていく。


「ち、生きてたか。ったく、大人しく死んどけよ」


 ルシィーエットが吐き捨てる。いまだに怒りは収まっていない。


「貴女の魔術には肝を冷やしましたよ。さすがの私も死を覚悟したほどですからね。まあ、左腕一本で済んで幸運でした」


(傀儡術師の居場所はつかめそうですか。かなり複雑な隠蔽魔術を幾重にもほどこしているようです)


 ビュルクヴィストが尋ねてくる。言われるまでもなく、ルシィーエットは仕留めそこなってからというもの、ジリニエイユの居場所を掴もうと魔術探知を発動させ続けている。


 それでも声の出所を掴むには至っていないのだ。ビュルクヴィストの言うとおり、隠蔽魔術によって正しい場所が絞り込めないように間違った誘導を仕かけてきている。


 じっくり時間をかければ見つけられるかもしれない。悠長ゆうちょうにやっている余裕はなかった。


「そちらの魔術師は初めて見る方ですね。どうやら貴女と違って、理知的なようだ。サリエシェルナ姫への対処も見事です。ああ、ルシィーエット嬢、念のために言っておきますが、私の居場所を探ろうとしても無駄ですよ」


 サリエシェルナの心臓付近に目を向けたビュルクヴィストは違和感を抱いた。そこだけが異質に見える。魔力の流れをより強く、かつ正確にるための目を開く。


「こ、これは。心臓が、心臓ではありません。魔力で創り出された疑似的心臓、まずいです」


 ビュルクヴィストはすぐさま魔力を閉じ、脳内に溶け込ませようとした氷の粒を融解、霧散させた。


「ふむ、気づかれてしまったようですね。よほどすぐれた目をお持ちのようだ。仕方がありません。次の段階へ移行するとしましょう」


 大慌てのビュルクヴィストがルシィーエットに頼む。


「ルシィーエット、結界を」

「言われなくても、くそ、間に合わねえ」


 ルシィーエットがサリエシェルナの身体全体を結界で封じようとするも、時既に遅し、彼女の身体は崩壊を始めていた。


 手の先から、足の先から、まるで波にさらわれるかのようにちりとなって、風の中へと流れていく。


「姉さん、サリエシェルナ姉さん。頼む、どうか俺から姉さんを奪わないでくれ」


 パレデュカルの悲痛な叫びが木々を震わせ木霊する。サリエシェルナの崩壊はなおも止まらない。


「あんたたちなら何とかできるんじゃないか。頼む、あんたたちが望むなら何でも差し出す。だから、姉さんを、頼む」


 こうなってしまった以上、ビュルクヴィストにももはやできることなどない。悲しみをたたえた表情で、最後の頼みの綱たるルシィーエットに目で問いかける。


 無理な相談だ。ルシィーエットはただ無言で首を横に振るだけだった。


 身体が崩壊しているのだ。魔術を行使して強引に崩壊だけを食い止めることはできるだろう。しかし、欠損してしまった部位を完全に復元するなど、できようはずもないのだ。


 何度も言うが、魔術は万能ではない。治癒、特に蘇生に関しては全くと言ってよいほど役に立たないのだ。それが主物質界で行使されている魔術の限界でもある。


「サリエシェルナ姉さん、ああ、行かないでくれ。俺を、一人にしないでくれ」


 動かないはずのサリエシェルナの視線がほんのわずかの間、パレデュカルに向けられた。弟であるパレデュカルを認識できているかどうかは分からない。ただ、パレデュカルには姉が何かを語りかけてきているように思えてならなかった。


「姉さん、何か言ってくれ。せめて、最後に一言、ああ」


 身体が完全に塵となって崩れ去り、抱きかかえるパレデュカルの手からこぼれ落ちていく。


 一陣の風が吹き、全てを上空へと舞い上がらせた。大地にうずくまったままのパレデュカルは放心状態だ。そこに残されているものにさえ気づいていない。


「その美しい短剣は」


 ビュルクヴィストの視線が短剣に釘づけになっている。この世のものとは思えないほどの美しさ、離れた位置からでも感じ取れる膨大な魔力を内包した短剣が偽物であるはずもなかった。


「ダナドゥーファ、お前にはがっかりさせられる。いくら血を分けておらぬとはいえ、お前が心より敬愛するサリエシェルナ姫が本物かいなか、その区別もつかぬほどに愚かとはな。実に嘆かわしい限りだ」


 ざわめきとともに、再びジリニエイユの声が響き渡る。先ほど以上に聞き取りにくくなっている。


「またてめえか。ぐだぐだしつけえぞ。言いたいことあるんだったら、堂々と姿見せやがれ。その方がこっちの手間も減るというもんだ」

「ははは、相変わらず短気ですね、ルシィーエット嬢は。ですが、そのような誘いには乗りませんよ。仮に出て行ったところで、今の私では十中八九、貴女に勝てませんしね。それよりも私の話を聞いた方がよいのではありませんかな」


 ルシィーエットがビュルクヴィストに視線を送る。聞くまでもない。念のための意思確認にすぎない。ビュルクヴィストもすぐさまうなづき返す。


 ルシィーエットの目が、お前が話せと言っている。もはや、ジリニエイユと言葉を交わす気など全くないらしい。彼女らしいと言えばそうなのだが、ビュルクヴィストは苦笑するしかなかった。


「分かりました。貴男の話を聞きましょう。申し遅れました。私はビュルクヴィスト、魔術高等院ステルヴィアでスフィーリアの賢者を務めております。以後、お見知りおきのほどを」


 馬鹿丁寧に、それでいてどこか人を食ったような口調で語りかけるビュルクヴィストだった。


「これは丁寧な挨拶、痛み入る。こちらこそ申し遅れた。既にそちらのルシィーエット嬢からお聞きかとも思うが、改めて私はジリニエイユと申す。そこにいるエルフの男、ダナドゥーファのかつての師でもあった」


 言葉の中には、どこかしら優しさが残っている。ダナドゥーファへの思いからだろう。ジリニエイユが続ける。


「ダナドゥーファよ、そこなる銀麗の短剣スクリヴェイロは正真正銘本物だ。もともと、お前に預けるつもりだったのだ。それをシュリシェヒリに持ち帰るがよい」


 ジリニエイユは告げた。愚弟から全てを聞き、真実を知れと。そのためにこそ、本物の銀麗の短剣スクリヴェイロをパレデュカルに持たせたのだ。


 シュリシェヒリにとっての宝具を持ち出された愚弟たる長老の責任は、限りなく重い。それをパレデュカルが取り戻したのだ。無下になどできようはずもない。


「いざとなれば、その短剣で奴にとどめを刺せばよい。サリエシェルナ姫がこうなった責任の一端は奴にあるのだからな」


 パレデュカルは最後の言葉にようやく反応を示した。


「どういうことだ。長老が一枚嚙んでいるとでも言うのか」

「それを知るのがお前の役目だ。ここで私が全て話したところで、お前は信じぬであろう。お前自身の五感で確かめてくるがよい」


 銀麗の短剣スクリヴェイロを手にして、パレデュカルが立ち上がる。憔悴しょうすいしきっていた姿は、もはやそこになかった。目にも光が戻っている。


「ルシィーエット嬢、ビュルクヴィスト殿、お二人にもつき合っていただいたが、そろそろ失礼しよう。ルシィーエット嬢にやられた身体をもとに戻す必要もあるうえ、まだやらねばならぬことが多々あるのでね。お二人とはいずれ相まみえることでしょう。その時を楽しみにしておきますよ」


 声なき声の方向に向かってパレデュカルが叫ぶ。


「待て、ジリニエイユ。これだけは聞かせろ。サリエシェルナ姉さんは無事なのか。無事なら今どこにいるのだ」

「安心するがよい。サリエシェルナ姫は私にとっても大切な御方だ。その御方を何故なにゆえに殺めねばならぬ」


 その口調には僅かながらに怒りが含まれている。


「私はまだお前のことをあきらめたわけではない。私に会いたくなったら銀麗の短剣スクリヴェイロに問いかけるがよい。さすれば自ずと道は開けるであろう。さらばだ」


 それを最後に、ジリニエイユの声は完全に途絶えた。


 後味の悪い結果だけが残された。パレデュカルに言葉はなかった。それはルシィーエットにしてもビュルクヴィストにしても同様だった。


 空には藍碧月スフィーリア紅緋月レスカレオの二連月が顔を見せ、かそけき光を放っている。


 まるで二人の賢者の行く末を暗示するかのような、覚束おぼつかなさでもあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る