第323話:キアラルヴュル、混沌へ還る

 キアラルヴュルの意思は固い。


 モレイネーメを新たな聖域管理者にける。ゼーランディアとガドルヴロワにも役割を与える。すなわち、モレイネーメの補佐ほさ役とする。


 血のつながりはなくとも、人としての形を失おうとも、親子のきずなは決して消えない。


 キアラルヴュルはこの三人のこれまでをかんがみて、前例のない主従的聖域守護者にすると決めたのだ。たとえ、己が神とあおぐレスティーの意思と異なるものであったとしても。


 キアラルヴュルの思念体は恒久こうきゅうであり、滅ぶこともない。一方で思念体に内包された魔力は永続的なものではなく、いずれ消滅する。


 そして、その時が近づいていることも新たな聖域管理者を決定しなければならない大きな要因だった。


≪我が神レスティー様、ご無礼を承知のうえで申し上げます。我が最後の魔力で新たな管理者たるモレイネーメに封滅ふうめつの権限を与えたく≫


 レスティーのため息が聞こえてきそうだ。


≪それが何を意味するか、分からぬそなたではあるまい。よいのだな≫


 迷いは一切ない。


熟慮じゅくりょのうえでございます。数千年をて、我が魔力も枯渇こかつときを迎えようとしております。これをもって最後といたしたく≫


 封滅はキアラルヴュルの祈りでもある。


 この力は与えられしモレイネーメが行使できるものではない。最悪の結果になった時のみ、自動的に発動を迎える。そこにモレイネーメの意思が介在かいざいする余地はない。


≪情に動かされたか。悪いとは言わぬ。そこまでの覚悟をもっての決断であればな。よかろう。そなたの望むままにするがよい≫


 キアラルヴュルの思念体が消滅しようとも、モレイネーメの中に封じた残存魔力が全てをている。


 許容範囲を超えた魔霊鬼ペリノデュエズの波動が引きがねだ。無条件で発動した封滅は対象がいかなるものであれ、全てを滅する。


 キアラルヴュルがモレイネーメにはめたかせ途轍とてつもなく重い。なぜなら、今度こそ本当の意味での子殺しになるからだ。しかもモレイネーメにその意思がないままに、情け容赦なく処断される。


≪キアラルヴュル、そなたは勘違いしているようだが、私の意を最善とする必要はどこにもない。主物質界をまもるべきはそなたたち人族であり、私ではない。今回はあまりに特殊すぎるがな≫


 数千年前のかつてのレスティーであれば、魔霊鬼ペリノデュエズもしくはそれに属するものは目にした瞬間、問答無用で滅していた。それこそがレスティーの使命であり、混沌の秩序を護るための正義でもあるからだ。


 主物質界、とりわけそこに生きる人族ははばがあまりに多すぎる。全ての界を行き来するレスティーにとって、人族はあまりにも未知で、しかも劇的すぎる生き物だった。


≪正義とは普遍ふへんの原理であり、いささかの揺るぎもない。だが、そなたたち人族は、己の立場や見る角度によってそれさえも揺らいでしまう。理解しがたく、また面白い生き物だ。私はそなたたちと長らく接することで、そのことを学んだ≫


 キアラルヴュルにとって、レスティーは絶対的な神であり、また大恩だいおんある師でもある。


 キアラルヴュルが生きた時代、主物質界は強者が弱者をほしいままにしいたげる、いわば血で血を洗う跳梁跋扈ちょうりょうばっこの世界であり、ひいでた力を有さない人族は明らかに弱者だった。


 ゆえに地位は極めて低く、無事成人を迎えられる確率が半分にも満たなかった。


≪我が神レスティー様、貴男様が天よりご降臨こうりんなされたあの日をもって、人族の新たな歴史が始まったと言えましょう。我ら人族、貴男様より数多あまたのことを学べど、貴男様が我らより学ぶことなど、あろうはずもございません≫


 キアラルヴュルの本心だ。レスティーからの返答はない。


≪我をはじめとする六人、我が神レスティー様よりさずけられた始原しげんの力におぼれることなく、人族の発展に寄与できたことは至上しじょうの喜びです≫


 キアラルヴュルには分かっている。これが我が神との、レスティーとの今生こんじょうの別れになる。


 全ての魔力を使い果たし、モレイネーメに管理者権限が委譲された瞬間に彼は混沌へとかえる。だからこそ、キアラルヴュルはあふれ出る想いを告げている。


何故なにゆえに我が魔術師、しかも藍碧月スフィーリアの力を与えられたのか、いまだに謎のままです≫


 キアラルヴュルは心の中で苦笑を浮かべている。無論、力を与えるには理由がある。それも明確なものが。もはや、このに及んで、それを告げるレスティーではない。本人に自覚がなければそれまでだ。


 キアラルヴュルはレスティーから見ても、己の務めを誰よりも強く、深く認識し、見事に昇華しょうかしてみせた。


 初代スフィーリアの賢者として十分な実績を積み上げ、三人の魔術師の中で唯一合格点を出してもよいのがこのキアラルヴュルだ。残る二人は、その話は置いておこう。


≪ここまでの数千年にわたる我が生きざまいはございません≫


 人はいつか死ぬ。人である限り、けられない運命だ。始原の力を与えられたキアラルヴュルでさえ例外ではない。


≪キアラルヴュル、数千年に及ぶそなたの尽力じんりょく謝意しゃいを表する。大儀たいぎであった≫


 悠久ゆうきゅうを生きる超越者、レスティーにとって、これまでに出逢った者たちはあまねく先んじて混沌へと還る。


 永遠の別れは死をもって成就じょうじゅする。レスティーは黙って見送るだけだ。そして、その一つ一つが哀惜あいせきとなってレスティーの心を埋めていく。


 けようもない事実、あまりの膨大な数につぶされんばかりの悲しみををレスティーは甘んじて受け入れている。そして、この先、ビュルクヴィストたちも同じ道を辿たどる。


 レスティーの心中、いかばかりか。それは余人の知るところではない。


(我が神レスティー様の御心みこころもるかなしみがえることは決してない。我にはそれがえられぬ。その幾ばくかでも持っていくことがかなうならば)


 キアラルヴュルは今ほど肉体をほしいと思ったことはない。肉体があれば最大限の感謝をもって深々と頭を下げられる。涙も流せる。思念体となっている彼には叶わないことだ。


気遣きづかいは無用だ。だが、そなたの想い、有りがた頂戴ちょうだいする。その者たちへの権限譲渡じょうとを済ませるがよい≫


 今度こそレスティーの魔力感応フォドゥアが切れる。二度も呼び止めるような無礼な真似はしない。キアラルヴュルにはただ一方通行でもよかった。


≪我が神レスティー様、我が最後のときを迎えるに当たり、心からの感謝を貴男様にささげます≫


 キアラルヴュルはレスティーの意識が完全に失せたことを確認、モレイネーメとの権限譲渡へと移る。


≪モレイネーメ、今のそなたは我の魔力によってかろうじて生をつなぎ止めている。我の魔力も枯渇こかつの刻をむかえている≫


 キアラルヴュルの魔力で繋がるモレイネーメの意識が確かにこちらに振り向いた。


≪我が子ビュルクヴィスト、エランセージュを介するならば、そなたもまた我が子の一人だ。我が魔力が枯渇した瞬間、そなたは無にす≫


 モレイネーメの瞳が悲しみで揺れている。


≪承知しております。既に私の心臓は失われて久しいのです。貴男様によって、ここまで生を与えていただけたおかげで、愛するこの子たちにもえました。もう思い残すこともありません≫


 モレイネーメは既に死を受け入れている。ゼーランディアとガドルヴロワはそうはいかない。二人は必死に呼びかけながら、強引にでも近づこうとしている。自らの身体を傷つけることも全くいとわない。


≪そなたを生かす唯一の方法がある。受け入れる覚悟はあるか≫


 モレイネーメの顔が驚きに染まっている。彼女の瞳を見れば一目瞭然いちもくりょうぜんだ。


≪よかろう。我が子モレイネーメよ。今この刻より、そなたをこの聖域の管理者と定める。我が神よりお許しも頂戴している。我が全ての魔力を譲渡するゆえ、そこから全てを読み取るがよい≫


 キアラルヴュルの魔力が爆発的に高まっていく。藍碧らんぺきに輝くみ渡った美しい魔力は刹那せつなのうちにはじけ、聖域全域を満たした。


 最後の仕上げはこれからだ。すなわち封滅ふうめつの魔力を注ぎ込むのだ。その前にやっておくべきことがある。


≪ゼーランディア、ガドルヴロワ、心して聞くがよい≫


 執拗しつようなまでにモレイネーメを覆い尽くす藍碧の魔力に突貫とっかんしていた二人の動きが止まった。


≪モレイネーメはこの聖域の管理者となって未来永劫みらいえいごう、当地を守護していく。お前たち二人はモレイネーメを補佐ほさせよ。この聖域に侵入する不届き者を始末するのだ≫


 本来であれば、それも含めてモレイネーメの役目だ。彼女は一度死んだも同然の身、しかもキアラルヴュルより譲渡された魔力は彼の枯渇寸前の量でしかない。聖域を維持していくだけで精一杯なのだ。


≪そなたたち三人は不幸にして人としての生を失った。この聖域内であれば、そなたたちは再び親子として暮らしていける。血のつながりなどなくとも、そなたたちの間には深い愛があろう≫


 再び親子三人でごせる。それがかなうなら、他には何もらない。ゼーランディアもガドルヴロワも涙を流して喜んでいる。


 そこへキアラルヴュルは最後の仕上げとしてくさびす。


≪歓喜するにはまだ早い。お前たちが魔霊鬼ペリノデュエズ衝動しょうどうに負け、制御できなくなったときが最後だ。モレイネーメの体内に封じた魔力が無条件で発動、お前たちを瞬時に滅する≫


 二人同時に大きく息をむのが伝わってくる。


≪私もガドルヴロワも魔霊鬼ペリノデュエズの力に負けるほど、おろかではありません。何よりも母に子殺しをさせるつもりなど毛頭ありません≫


 ゼーランディアの言葉にガドルヴロワが強くうなづく。


≪姉の言ったとおりです。必ず魔霊鬼ペリノデュエズの力を制御してみせます。ようやく母と姉と私、三人で平穏に暮らせる日々が訪れたのです。これ以上、望むことはありません≫


 ゼーランディアとガドルヴロワ、二人の言葉は信用するに値する。キアラルヴュルは二人の意思の強固さを実感していた。


努々ゆめゆめ忘れるな≫


 その言葉を合図として、聖域をきらめかせていた藍碧らんぺきの魔力の全てがモレイネーメの体内へと収束しゅうそくされていった。


 二人をさえぎっていた、近くて限りなく遠いモレイネーメを覆う魔力も消えている。


「ああ、ゼーランディア、ガドルヴロワ、ようやく、ようやく二人に」


 膨大ぼうだいな魔力を吸収し尽くしたせいか、ふらつくモレイネーメを慌ててけ寄った姉弟がしっかり抱き止める。


「お母さん」

「母さん」


 涙でそれ以上は言葉にならない。はなばなれになって、触れることすら叶わなかった三人がようやく安らぎのときを手に入れた瞬間だった。


≪我が子ビュルクヴィスト、エランセージュ、別れの刻が来た。この聖域はモレイネーメたちによって守護されるであろう。そなたたちにはすべきことがある。藍碧月スフィーリアつらなる者として、そなたたちを遠き所より見守っている。さらばだ≫


 ビュルクヴィストもエランセージュも黙したままだ。ここに言葉は必要ではない。


 キアラルヴュルという偉大な初代スフィーリアの賢者に、聖域の管理者に最大限の敬意をこめて、深々と頭を下げるだけだった。


"Avelijn, Kaapoksul podrumslui."


 キアラルヴュルの心の中にレスティーの言葉が響き渡った。

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