第322話:許しを求めるキアラルヴュル

 初代スフィーリアの賢者ことキアラルヴュルに肉体はない。


 失われて久しく、聖域管理者としてとどまって以来、幾星霜いくせいそう、数えることすら無意味なほどだ。


 ゆえにキアラルヴュルをとする藍碧月スフィーリア始原しげんの力が何たるか、本質を知る者もいない。


 先代スフィーリアの賢者のビュルクヴィストでさえ、根幹こんかんを知るよしもない。


 知識も技術も、時をるにつれて変遷へんせんしていく。それが世のつねだ。始原の力でさえ、その影響を受けざるを得なかった。


「キアラルヴュル殿、藍碧月スフィーリアの始原の力とはいったいどのようなものなのでしょうか」


 知識欲のかたまりことビュルクヴィストは当然として、エランセージュまでもが聞きたがっているようにみえる。


≪その前に我が子ビュルクヴィストよ、問うておきたい。当代のことだ≫


 それだけで言わんとしていることが理解できた。


 ビュルクヴィストはエレニディールからの賢者退任直訴じきそを受け流すがごとく承諾しょうだくした。ここ最近の彼の言動から、十分に予感できていたからだ。


(エレニディールはレスティー殿と出逢って以来、ずっとせられていましたからね。遅かれ早かれ、こうなるであろうことは分かっていました。ですが、後任選びは予想以上に難渋なんじゅうせざるを得ません)


 知らず知らずのうちに、ため息がれる。


 次代への賢者の引き継ぎは、それこそ長い歳月さいげつついやして行われる。ビュルクヴィストが、エレニディールがそうであったようにだ。


 そもそも、賢者の選任は魔術高等院ステルヴィア最大の特権と言ってもよいだろう。長い歴史において、魔術高等院ステルヴィア出身でない者が賢者に抜擢ばってきされたことは一度もない。


 ビュルクヴィストは今やその慣習をくつがえそうとしているのだ。


≪我が子ビュルクヴィスト、既に心に決めている者がいよう。我もその者であれば適任と考える。我が神も、お許しになられるであろう。何を悩んでいるのだ≫


 悩まざるを得ない。


 賢者とは、誰でも気軽になれるものではない。心技体しんぎたい、全てにおいて優秀な魔術師の中から選ばれし三人なのだ。


 生涯しょうがいの大半を魔術と共に生きていかなければならない。多大な犠牲を払い、主物質界の秩序を守るために各国からの要請に応じ、紛争解決に尽力しなければならない。


 自由などないに等しく、常に危険、言いえれば死ととなり合わせだ。


 少なくとも魔術高等院ステルヴィアに在籍していれば、最低限の賢者としての心構えは学べるだろう。今回に限っては、それがないのだ。


≪私の一存で決められるものではありません。あの子には魔術高等院ステルヴィアで学んだ経験もなく、今後も魔術師として生きていくか分かりません。私の弟子でもありませんしね≫


 エレニディールはこの最終決戦が終われば、間違いなく去っていく。


 無論、エレニディールは薄情はくじょうな男ではない。次代のスフィーリアの賢者が決まるまで、その座にいたままでいてくれるだろう。


 それまでに決めなければならない。時間もあまり残されていない。決断の時が迫っている。


≪我が子ビュルクヴィスト、なれば直接本人に問いかけてみるがよかろう。目の前にいるのだからな≫


 先ほどから、ビュルクヴィストの魔力感応フォドゥアが聞こえなくなっている。エランセージュは一人困惑していた。


 そこへ突然、ビュルクヴィストの視線が向けられる。


(ビュルクヴィスト様のこの目、なやまれている時のものです。私、また何かご迷惑をかけてしまったのでしょうか)


 魔術高等院ステルヴィアで一時的にビュルクヴィストから指導をあおいでいた時のことだ。頻繁ひんぱんに投げかけられる視線だった。


 だからこそ、エランセージュははっきりと覚えている。


 魔術適正がそれなりにある十二将の一人と言っても、ヴェレージャやディリニッツなどとするまでもない。自分でも分かっていたことだ。


 ビュルクヴィストから直接指導を受けられると喜んではみたものの、自分自身が魔術の方向性を見失っていた。そのような状況下では、ビュルクヴィストも悩むというものだ。


「エランセージュ嬢は扱う魔術に大きなかたよりがない分、伸ばすべき方向性が悩ましいですね」


 指導初日にまず言われたことだ。今でも脳裏にきざまれている。


≪キアラルヴュル殿、今でなくてはいけませんか。まだ少しだけ時間が残されています≫


 ビュルクヴィストにしては珍しく、踏ん切りがつかない。


≪何よりも当代スフィーリアの賢者エレニディールは、いまだに封印状態で敵に奪われたままです。ここが片づけば、私は何を置いても彼の救出に向かわねばなりません≫


 キアラルヴュルはわずかの逡巡しゅんじゅんの後、魔力感応フォドゥアを飛ばした。ビュルクヴィストでさえとらえられない精緻せいちな魔力によって。


≪我が神レスティー・アールジュ様、おそれ多くも、おたずねしたきがございます。よろしいでしょうか≫


 キアラルヴュルにとって始原の力は、エランセージュが瑠璃涼氷麗満輪フロレジュリエさずけられたのと同様、至高なる神からの最もたっとたまわりものだ。


 その神との対話において、いささかの無礼もあってはならない。そして、いたかたがないとはいえ、いつもながらに苦々しく思うレスティーだった。


かしこまらずともよい。そなたの判断に、私は全幅ぜんぷくの信頼を寄せている。当代の状況を伝えるかいなかは任せる≫


 即座に魔力感応フォドゥアを切ろうとしたレスティーを、こともあろうに呼び止めてしまった。


≪我が神レスティー様≫


 キアラルヴュルはあまりの不敬ふけいに、肉体がないにもかかわらず恐れおののいている。


≪構わぬ。遠慮なく申すがよい≫


 正気を取り戻したキアラルヴュルが恐縮しきりで許しを求めてきた。


≪そこなる娘を次代のスフィーリアの賢者に任命することについて、お許しを頂戴ちょうだいできませんでしょうか≫


 レスティーはわずかに意識の視線をエランセージュにかたむける。当然、エランセージュは全く気づかない。神にられていた、と告げれば、卒倒そっとう間違いなしだろう。


≪魔力量は覚束おぼつかないが、魔力質は当代賢者にも匹敵する。よかろう。任命については許可しよう≫


 レスティーは言外げんがいに告げている。あくまで任命のみの許可だ。任命は文字どおり任意であり、それを受けるか否かは本人次第、エランセージュの意思にかかっている。


≪旅立つ前に、そなたにやってほしいことがある。その娘はそなた以来、初めて瑠璃王慈癒光宝陣ピラジェシュリーエを成功させた者だ。当然であろうな。その娘がここに初めて来た際、そなたが魔術の片鱗へんりんを心の奥底に封印した。だからこそ、その真なる姿を見せてやるとよい≫


 キアラルヴュルは深々とこうべれた。もちろん肉体の行動ではない。意識の行動としてだ。


≪我が神レスティー様のおおせのままに≫


 キアラルヴュルの呼びかける声に応じて聖域内に入り込んだエランセージュは、たぐまれなる魔力質の持ち主だった。優れた魔術師に成長する未来は、即座に予測できた。


 キアラルヴュルは彼女の可能性を評価し、またここまで辿たどり着いた褒美ほうびとして瑠璃王慈癒光宝陣ピラジェシュリーエの鍵をエランセージュの心の奥底に封印した。


 将来、必ずしも開花するとは限らない。全てはエランセージュ次第だった。


 ところがだ。


 キアラルヴュルの鍵に、さらに上書きするかのようにもう一つの鍵がかけられてしまった。そう、モレイネーメによってほどこされた、エランセージュの魔力暴発を制御するための封印だ。


 モレイネーメの封印さえなければ、エランセージュが魔術師としての道を進む限り、キアラルヴュルの鍵は彼女の大成たいせいを待って、自動的に解封かいふうされるはずだったのだ。


≪我が子エランセージュは随分ずいぶんと遠回りしましたが、その甲斐かいもあってか、己の弱さを熟知しております。いまだ開花しておらぬゆえ、心配な部分も残されておりますが≫


 彼女の指導は先代と当代、二人のスフィーリアの賢者にゆだねればよい。キアラルヴュルが関与する必要性は皆無かいむだ。


 レスティーは無言のまま、エランセージュに向けていた意識を切る。


≪キアラルヴュル、もう一つは、もう一人の娘の始末か≫


 もう一人の娘、モレイネーメだ。


 レスティーの中では、魔霊鬼ペリノデュエズの核を有するモレイネーメは即刻はいすべき対象でしかない。だからこそ、始末と告げたのだ。


≪我が神レスティー様、お願いの儀がございます。あの娘もまた我が子同然、この聖域を守護する管理者として残る生をまっとうさせたく、どうかお許しいただけないでしょうか≫


 レスティーでさえ言葉に詰まる。


 常軌を逸している。魔霊鬼ペリノデュエズの核を持つ者を聖域の管理者にするなど、通常ならあり得ない。


 モレイネーメはキアラルヴュルの藍碧らんぺきの魔力によって生を維持している。彼の魔力が尽きたその瞬間、彼女もまたちりかえるだろう。


 問題は残されたゼーランディアとガドルヴロワだった。二人は魔霊人ペレヴィリディスであり、いくら人としての理性が強くとも、いずれは魔霊鬼ペリノデュエズの本能に凌駕りょうがされてしまう。


 危険をおかす意味は全くない。


≪先ほども言ったとおりだ。そなたが熟慮じゅくりょしたうえでの決断なのであろう。許す前に一つだけ答えよ。最悪の場合、いかなる手段を用いるのだ≫

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