第253話:母の手に抱かれて

 ヨルネジェアからあふれ出す魔力の波が荒れ狂い、うずとなって暴れている。とてもではないが近寄れるような状況ではない。


 魔術にけた三人だ。当然、ヨルネジェアの状態がどうなっているか、はっきりとえている。


「ルブルコス殿、弟子の不始末は私の責任です。申し訳ございません」


 辛辣しんらつな言葉を浴びせかけるルブルコスにビュルクヴィストは面目めんぼくなさげに頭を下げるしかできない。


「エランセージュといったか。まだ理解できておらぬようだな」


 放心状態のエランセージュを前に、ルブルコスの攻撃はなおも止まらない。相当に立腹りっぷくしている証拠だ。


「お前の行使した魔術が引き金となって、このような事態を生じさせているのだ。愚か者めが」


 返す言葉を持たないエランセージュは意気消沈、いつむいたままだ。身体が小刻こきざみに震えている。さすがに言葉が過ぎたか。矛先ほこさきをエランセージュからビュルクヴィストへと変える。


「弟子に甘くなったか。昔のそなたなら考えられぬ失態であろう」


 ビュルクヴィストはルブルコスの言葉に耳をかたむけつつも、そのまなこはイプセミッシュとヨルネジェアに注がれている。


「返す言葉もありません」


 頭を下げつつ言葉をぐ。


「彼女を責めるのはそれぐらいでよいでしょう。弟子とはいえ、わずか数日のことですよ。責めるなら彼女ではなく、私にしてください」


 言い切るビュルクヴィストの言動にルブルコスは満足げにうなづく。これでこそビュルクヴィストなのだ。


 色々とよからぬうわさも耳にしている。やはり根底は何一つ変わっていない。面倒見のよさ、責任感の強さ、伊達だてに魔術高等院ステルヴィアを率いてはいない。


「それよりも、イプセミッシュ殿を覆っている光は根元色パラセヌエですか。あれは我らごときでは扱えないはずです」


 金空シエメリクの光が粒子りゅうしとなって踊っている。エランセージュにも視認できるほどだ。


「ビュルクヴィスト様、根元色パラセヌエの光がどうしてイプセミッシュ様の身体を」


 ビュルクヴィストも明確な答えを持っているわけではない。この場にいる者たちを観察して、推測するしかない。ルブルコスは除外できる。


「恐らくは、あちらのお二人の力なのでしょう。姿は人そのものですが、まとっている魔力質が全く異なっています」


 ビュルクヴィストたちの視線の先、妖精王女が慎重な足取りでヨルネジェアに近寄っていく。


 ヨルネジェアからあふれ出す魔力の波は誰も近づけないよう分厚ぶあつい壁のごとく立ちはだかっている。妖精王女でさえ敵視しているのか、威嚇いかくの様相をていしているのだ。


「ヨルネジェア、可哀相かわいそうに。つらかったわね。でも、もう大丈夫よ。貴女を傷つけるものはどこにもいないわ」


 優しく言葉をつむぎ出す。一言一言をみ締めるように、ヨルネジェアの心の内へみ渡らせていく。


 ヨルネジェアはしゃがみ込んだまま、両腕でひざを抱え込んで頭をその中に沈めている。背中が小さく揺れている。


 泣いている。その姿の何と痛々しいことか。


 ヨルネジェア同様に悲嘆ひたんれる妖精王女が立ち止まり、ゆっくりと右手を差し伸べる。


「私の可愛かわいいヨルネジェア、戻ってきなさい」


 静かに口を開き、紡ぎ出すは妖精王女のみがかなでられる調べだ。


"Zviaceny meres se-vznaas naeskveen orbozi,

Femrni eitro pynoeus voccinem tyicju,

Tpreyj hevzod psudyperrominn sceroylivo.

Smenerrejk dhreaheg djopkettis,

Dopicallveyta pishkwaje niarugí sevy-matlukys."


☆☆☆☆☆翻訳☆☆☆☆☆

けがれなき空にとうとき月は浮かび

夜のしじまに優しき風は流れ

星々のきらめきがあまねく降りそそがん

いとしき小さな子供たちよ

母の手にいだかれて安らかに眠れ

☆☆☆☆☆翻訳☆☆☆☆☆


「これは」


 エランセージュはその先を続けようとしたものの、うまく言葉にできない。意識が声に引っ張られていく。身体が揺れ始め、両のまぶたが重くなってくる。そのまま脱力したかのように、ふらつき、後方へ倒れ込んでいく。


 ビュルクヴィストが左手を差し伸べ、エランセージュの細身の小さな身体を優しく受け止める。


「その娘、随分と感応性かんのうせいが高いのだな」


 ルブルコスの言葉には、先ほどまでのとげはない。それもまた妖精王女が奏でるおだやかな調べの影響だろう。


 そう、これはまさしく子守歌、とりわけ泣いている子供をあやすためのものなのだ。


 妖精王女の詩歌しいかはあらゆるものを透過していく。意識は無論のこと、精神であろうと魔力であろうともだ。ヨルネジェアがまとう魔力の波が防波堤になろうとも、妖精王女の詩歌の前では役に立たない。


 魔術耐性の高いルブルコスやビュルクヴィストでさえも、気を抜けば眠りへといざなわれかねない。それほどまでに強力なのだ。


"Plamenz vacny se-chjevees tanicnam harmoricke,

Temrnoni noeci plynous jermennie voyikuiw,

Vuneikenre sesirrod dellumojes rokopottlin.

Smenerrejk dhreaheg djopkettis,

Dopicallveyta pishkwaje naruucie klijadys-matlukys."


☆☆☆☆☆翻訳☆☆☆☆☆

なごやかなる大地にとうとほむらは揺れ踊り

夜の暗闇に優しき水は流れ

草花の香りが遍く行き渡らん

愛しき小さな子供たちよ

母の胸に抱かれて穏やかに眠れ

☆☆☆☆☆翻訳☆☆☆☆☆


 妖精王女の奏でる調べが半球空間内を満たしていく。詩歌はたえなる旋律せんりつとなり、ありとあらゆるものに浸透する。全てが詩歌のもとに調和を生み出すのだ。


 大気を流れる風は優しく穏やかに吹いている。大地に咲き誇る草花からは心身を癒す香りが漂ってくる。火と水は均衡きんこうを保ち、静穏せいおんの中にいる。


 ヨルネジェアも例外ではなかった。詩歌は感情にさえ強い影響を及ぼす。発散していた暴力のごとき魔力の波が次第に落ち着きを取り戻していく。


「静まったようだな」


 安堵あんどの声がれる。ルブルコスはビュルクヴィストに、その腕の中で眠りに落ちているエランセージュにわずかの視線を向けた。


「そなたたちが何故なにゆえにここに呼ばれたか。たすべき、正しき役割があるのであろう」


 言われたところで、ビュルクヴィストには皆目かいもく見当がついていない。


「理解しておらぬのか」


 冗談じょうだんとは思えない口調でルブルコスが問い詰める。


「何も告げられないままに転移させられたものですからね。必死に考えていますが、今のところは何も」


 歯切れの悪い、答えにならない答えを返してくるビュルクヴィストにルブルコスはあきまなこだ。ビュルクヴィストも苦笑するしかない。


(ひどいではありませんか、レスティー殿。私は何をすれば。いえ、何のためにここに呼ばれたのか、ですね)


 別空間として構成されたこの半球空間内に、わざわざ魔術転移門を開いてまで呼び寄せたのだ。当然、レスティーには確固かっこたる目的がある。それを二人に一切語ることはない。


 ある種の無情さにビュルクヴィストは盛大なため息をこぼす。


(あちらのお二人はどうやら大丈夫そうですね。魔力質からして、恐らくは妖精でしょう。あの歌は途轍とてつもない威力ですが、それでもイプセミッシュ殿を救うには至っていない)


 さすがに魔術高等院ステルヴィア院長だ。状況を素早く見極める力におとろえはない。そのうえで分析する。


 まずは魔力の波を暴走させていた妖精の少女を元どおりに戻す。ここから始まる。その役割はもう一人が務めている。そして、ビュルクヴィストは大丈夫だと判断した。


 次だ。イプセミッシュは根元色パラセヌエたる金空シエメリクの光に包まれている。やらなければならないことは唯一、金空シエメリクの光を取り除くことだ。その方法も一つしかない。


(根元色パラセヌエを用いた者がその力を還流させる。それしかありません。あの少女ということですね)


 少しずつつながってくる。ビュルクヴィストはさらに思考を加速させていく。


(あの少女が金空シエメリクの光を取り除けば、イプセミッシュ殿は再び動き出す。そこに何の問題が)


 ここまでの思考ではたと気づく。冷汗がひたいを伝って流れてくる。


(まさか、イプセミッシュ殿の肉体は。いえ、むしろ体内と言うべきですね。潰滅的かいめつてきな状況におちいっている)


 導き出した思考の結果に恐れをいだいてしまうほどに、ビュルクヴィストは大いにあわてた。たずねる先は決まっている。


「ルブルコス殿、もしやイプセミッシュ殿の体内に何らかの損傷が。しかも、それは」


 皆まで言う必要はなかった。ルブルコスの目がそれを如実にょじつに物語っていたからだ。


 痛恨の極みとでも言うべきか、そこには悔やんでも悔やみきれない思いが宿っている。


魔食血蟲マグトゥジェだ。高位ルデラリズの攻撃をけきれなかった。心臓だけは金空光矢シエラメイラによってまもられたが、心臓をつなぐ血管の大半がそこなわれているはずだ」


 全て理解した。ビュルクヴィストは天を仰ぐしかなかった。


「何たることだ」

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